今日の朝鮮・韓国ニュース(2020年1月15日分)

〈友好への種を撒こう 1〉映画監督/山田洋次さん | 朝鮮新報

山田洋次
 ぼくが在日朝鮮人の問題に深く関わったのは「学校」(1993年公開)という映画を撮った時です。登場人物の一人に在日のおばさん*1がいたことで、在日のことをいろいろと調べました。同時に、映画のテーマである夜間中学を知るために大阪の天王寺夜間中学に通いましたが、8割がたが在日のオモニたちでした。50~60歳で子育てを終えたオモニたちは、小学校にも通っておらず、字を書けない人がいっぱいいたのです。大人になって字を覚えるということが、どんなに難しい事であるかも聞きました。今でも鶴橋には知り合いの在日のおばさんがたくさんいるし、大阪に行くと必ず会いに行きます。僕とそのおばさんたちとの関係については、当時も今もあまり変わりません。
 それでも、差別のことを話し合うことは実はあまりしないんですね。酒の席でも。でも、その人たちの中に、差別されている辛さがないはずがないと。ふと、長い長い付き合いの中で、そういう重い問題に触れないまま、お終いになるのではないかと思うこともあります。聞くのがつらいというか、そういう配慮をする自分自身が辛くなるというのか。それでいいのだろうか。これはとても大きな問題ですね。
 今年から始まった「幼保無償化」からも除外されているようですが、日本と朝鮮半島の人々との歴史を考えれば、むしろ在日の人たちに手厚い様々な保護を与えるのが当然だと思います。朝鮮学校で学ぶのが良いのか、日本の教育を受けるのが良いのかは在日朝鮮人が考える問題で、それを決めるのは日本の側じゃなくて在日の人たちであるはずです。だとすれば「幼保無償化」というのは、同じように扱うべきですね。
 実は「故郷」(1972年公開)という映画で、渥美清さんが旅回りの放浪の商人として登場するんだけど、彼を「キムさん」という名前にしたかったんです。問題が起きてはいけないと思って、在日の人に相談しました。そうすると、「寅さん」がキムさんになるのは嬉しいけども、在日が「放浪の民」と決めつけをするのを嫌がる人もいるんじゃないかと、結論としてはやめた方がいいんじゃないかと言われ、残念ながらやめたことがあります。
◆プロフィール
 映画監督。1931年生まれ、大阪府出身。61年に監督デビューし、69年から「男はつらいよ」シリーズ開始。他に代表作として「家族」(70)、「幸福の黄色いハンカチ」(77)、「学校」(93)、「家族はつらいよ」(2016)など。「男はつらいよ」第1作から50周年を迎えた19年12月に50作目の最新作「男はつらいよ お帰り 寅さん」公開。

 さてid:noharra先生は「朝鮮学校無償化除外反対」と言った俺を散々「北朝鮮シンパ」であるかのように悪口しましたが、「前川*2元文科次官」が同じ事を言ったときは「黙り」なのだから呆れましたが、今回の山田洋次発言

「日本と朝鮮半島の人々との歴史を考えれば、むしろ在日の人たちに手厚い様々な保護を与えるのが当然だと思います」
朝鮮学校で学ぶのが良いのか、日本の教育を受けるのが良いのかは在日朝鮮人が考える問題で、それを決めるのは日本の側じゃなくて在日の人たちであるはずです」

についても何一つ批判しないのでしょうねえ。
 俺のような無名人には「何故無償化除外に反対する」と悪口出来るが「俺と全く同じ事を言った前川元次官や山田監督」のような有名人には悪口が出来ないのだから、id:noharraは全くデタラメな野郎です。
 そういえばチベット問題で「俺に悪口」したくせに、「ノルウェーに霞を食えとは言えない」という詭弁でノルウェー批判から逃げたid:Mukkeというデタラメ野郎、馬鹿野郎も居ましたっけ。俺はid:Mukkeid:noharraのデタラメなくず野郎は反吐が出るほど大嫌いです。

参考

池田香代子ブログ : 「寅さん在日説」の真相 - ライブドアブログ
 永六輔さん*3のお話は面白すぎます。わかってはいるものの、まんまとのせられてしまいました。永さんによると、映画「男はつらいよ」の幻の最終回はストーリーが決まっていた、というのです。渥美清さんと山田洋次監督との3人で話し合った、と永さんは言います。それによると、最終回のラストシーン、寅さんは船に乗って「あばよ」と日本海を渡っていく、というのです。
 あるところで、山田監督にお会いしました。それで、このことを確かめてみました。
「3人でそういう話、しましたねえ。でも、それは永さんの希望でしょ。(後略)」
 山田監督の語りは、いかにも楽しそうで、慈愛に溢れていました。でもこれで、寅さん在日説は永さんの秀抜な創作だということが明らかになりました。渥美さんご自身はどんな最終回がいいと思い描いておられたのでしょう。それも知りたいものですが、幻の最終回、寅さんファンがそれぞれに考えて楽しめばいいのかも知れません。
 そして、わたしから寅さん在日説を聞かされた方がた、そんなに多くはありませんが、ごめんなさい、あれは忘れてください。

寅さんの映画と同じように、朝鮮人を消したように、福島を消そうとしているわけです。辛淑玉さん11/22(文字起こし) - みんな楽しくHappy♡がいい♪
 寅さんというのはテキ屋ですよね。
 テキ屋っていうのは在日がとても多くやっていた商売なんです。
 それで、健康保険もなく、生命保険にも入らず、住所不定、だって、家を貸してもらえませんからね。
 それで、いろんな仕事を転々転々としていくあの生き方。
 あの生き方とあの商売はとても在日が多く従事していました。
 だけども、あの映画の中で在日が出てくることはありません。
 実はね、私*4の記憶では2回だけ朝鮮人が出てくるんです。
 1回は朝鮮人の子供がちょろっと出てくる。
 もう一回は多分最終回だと思います。
 阪神大震災の時の長田。長田というのは朝鮮人の密集地です。
 そこで朝鮮の人たちが踊っているところを彼が歩くんですね。
 しかも、葛飾柴又とか、あそこらへんの映画のエリアっていうのは、ある意味でいうと被差別者の町だったわけですね。
 で、朝鮮人の密集地でもあったわけです。
 それが映画の中からすっぽり消えているんです。
 全く消えている。
 それはなぜなのか?って言ったら、お正月にみんなが楽しいと思って観たい。
 その映画の中に朝鮮人が出てくると興醒めしちゃうわけですよ。
 リアルだから。
 そういうものが出てきたら興醒めしちゃうから、それを排除する。
 おそらく山田洋次さんは、私が思うには、そういうものを一つまとめたものとして自分の中の、ある種、心の思いで、「学校」、あの映画を作ったんだと思うんですね。
 私の大先輩であります永六輔さん、永さんは、私は最初「永」っていうから朝鮮人かと思っていたら違ってました(笑)
 永さんが山田さんにこう聞いたそうです。
 「寅さんって在日のことじゃないの?」
 そしたら山田さんが、「俺はそれもちょっと意識してた」って言うのね。
 だったらどうして寅さんシリーズの最後の時に寅さんにアリランを歌わせなかったんだって、あの人があそこでね、「アリランアリラン」って歌って出てきたら、「ひょっとしたら寅さんは朝鮮人だったかもしれない」っていうことで、あの映画は全く違う意味を持って世界的な映画になっただろう、ということを永さんが言ったのね。

「寅さん在日説」への違和感 - 読む・考える・書く
 『男はつらいよ』の舞台である葛飾柴又には在日朝鮮人の集住地域があって、たくさんの在日が暮らしていた。また、寅さんの仕事である「テキ屋」というのは、多くの在日がしていた仕事だ。普通の会社に就職できなかった在日は、自分で商売を営むか、それだけの金もなければテキ屋のような不安定な仕事をしながら各地を転々としていた。寅さんの生き方は在日の生き方そのものだった。

中国・韓国の歴史認識 「男はつらいよ」の奥深さ 寅さんは在日 姜尚中(AERA7/20号40P、「姜尚中*5 愛の作法」)
 車という名字は韓国にも多い*6。むこうでは「チャ」と発音します。だから私*7のレンズを通すと、熱い性格で、出自に悩み、ふるさとを追い求める寅次郎は在日ではないのかとも思えてしまいます。そこまでの隠されたメッセージがあるのかわかりませんが、私は柴又には何かの縁を感じずにいられないのです。

 ぐぐって見つけた上記の記事は

〈友好への種を撒こう 1〉映画監督/山田洋次さん | 朝鮮新報
 実は「故郷」(1972年公開)という映画で、渥美清さんが旅回りの放浪の商人として登場するんだけど、彼を「キムさん」という名前にしたかったんです。問題が起きてはいけないと思って、在日の人に相談しました。そうすると、「寅さん」がキムさんになるのは嬉しいけども、在日が「放浪の民」と決めつけをするのを嫌がる人もいるんじゃないかと、結論としてはやめた方がいいんじゃないかと言われ、残念ながらやめたことがあります。

という今回の朝鮮新報記事と読み合わせると「永六輔の作り話」ではなく、「一定の信憑性のありそうな説」ですがどんなもんですかね。まあ、松竹がそういう説を喜ぶとも思えないので「事実だとしても」、山田がそれを公式に認めることはないでしょうが。

*1:新屋英子氏(1928~2016年)が演じた(ウィキペディア「学校」「新屋英子」参照)。

*2:著書『これからの日本、これからの教育』(共著、2017年、ちくま新書)、『面従腹背』(2018年、毎日新聞出版)、『前川喜平「官」を語る』(共著、2018年、宝島社)、『前川喜平 教育のなかのマイノリティを語る:高校中退・夜間中学・外国につながる子ども・LGBT・沖縄の歴史教育』(共著、2018年、明石書店)、『前川喜平が語る、考える。:学ぶことと育つこと、在日とアイデンティティー、あなたと私。』(共著、2018年、本の泉社)、『ハッキリ言わせていただきます! 黙って見過ごすわけにはいかない日本の問題』(共著、2019年、集英社)など

*3:著書『無名人名語録』(1990年、講談社文庫)、『普通人名語録』(1991年、講談社文庫)、『一般人名語録』(1993年、講談社文庫)、『大往生』(1994年、岩波新書)、『二度目の大往生』(1995年、岩波新書)、『遠くへ行きたい』(1995年、講談社プラスアルファ文庫)、『明治からの伝言』(1995年、ちくま文庫)、『職人』(1996年、岩波新書)、『六輔流旅人生』(1996年、講談社プラスアルファ文庫)、『わが師の恩』(1996年、講談社文庫)、『芸人』(1997年、岩波新書)、『永六輔のメディア交遊録』(1998年、朝日文庫)、『商人(あきんど)』(1998年、岩波新書)、『夫と妻』、『親と子』(以上、2000年、岩波新書)、『さよなら芸能界』(2001年、朝日文庫)、『嫁と姑』(2001年、岩波新書)、『おしゃべり文化』(2001年、講談社プラスアルファ新書)、『伝言』(2004年、岩波新書)、『芸人 その世界』(2005年、岩波現代文庫)、『妻の大往生』(2005年、中公文庫)、『あの世の妻へのラブレター』(2008年、中公文庫)、『坂本九ものがたり:六・八・九の九』(2017年、ちくま文庫)など

*4:辛淑玉氏のこと

*5:著書『アジアから日本を問う』(1994年、岩波ブックレット)、『暮らしから考える政治:女性・戦争・食』(2002年、岩波ブックレット)、『マックス・ウェーバーと近代』(2003年、岩波現代文庫)、『オリエンタリズムの彼方へ』(2004年、岩波現代文庫)、『反ナショナリズム』(2005年、講談社プラスアルファ文庫)、『姜尚中政治学入門』(2006年、集英社新書)、『増補版 日朝関係の克服』(2007年、集英社新書)、『姜尚中と読む 夏目漱石』(2016年、岩波ジュニア新書)、『漱石のことば』(2016年、集英社新書)、『ナショナリズム』(2018年、講談社学術文庫)など

*6:たとえば、「車智チョル(朴正煕の側近の一人(大統領警護室長)。1979年、朴正煕と共に金載圭KCIA部長に射殺された)」が「車」姓ですね

*7:姜尚中氏のこと