黒坂真に突っ込む(2020年2月5日分)

黒坂真リツイート
 吉岡正史さん。中国共産党が日本の領土を掠め取ろうとしているのは明らかです。

 やれやれですね。尖閣のことでしょうが、一体どこが「かすめ取ろうとしている」のか。そもそも黒坂が本当にそう理解しているのなら「安倍が進める今年春の習主席訪日(予定)」に反対すべきでしょう。
 しかし安倍の日中友好には何一つ批判が出来ず、にもかかわらず「尖閣問題について『緊張を高める行為はすべきでない』として海自艦船・尖閣出動論に反対*1するとは、共産党は中国に甘い」などと言い出すのだから呆れて二の句が継げません。
 少なくとも政府は日本共産党の中国批判を見習え - 高世仁の「諸悪莫作」日記といわれても仕方ないくらいに安倍の方が「中国に甘い」のですが。

黒坂真リツイート
 しまぶく恵祐さん。引用なさっている赤旗記事を読みました。日本共産党は男泣き、という言葉を使うとジェンダー差別と批判するのですね。これは言葉狩りですよ。女性と比べるとなぜか男性は泣きにくい*2。男性らしさ、女性らしさを求める事を日本共産党は完全に否定*3するのですか。
◆しまぶく恵祐
「男泣き」という言葉はあっても「女泣き」という言葉はありません。今日のしんぶん赤旗の記事。ジェンダーを語る際にすごく分かりやすいと思いました。日常にジェンダーが根強く潜んでいる。

 やれやれですね。何故「男泣き」を差別的と見なすかと言えば「女は弱い生き物ですぐ泣くが、男は強い生き物ですぐ泣かない(あるいは強い生き物なのだから泣くべきでない)」という価値観があり、それが「女性を男性より不当に下に見ている」と考えるからです。
 なお、しまぶく氏のツイートには

◆名古屋の学生
 これ、わたしも見ていて違和感を感じました!指摘してくれる方々いて嬉しい。
 男泣きはあっても女泣きはない。
 「歓喜の涙」とか「感涙」でいいですよね。
◆大槻サンライズ(大槻和央)
《「男泣き」という言葉はあっても、「女泣き」という言葉はありません。》『赤旗
 これで思い当たるのは、お酒の特集などでいまだに使われる「男の隠れ家」という言葉。
 妻を家に残して、男たちだけで集う、という感じですが、「女の隠れ家」とは言わないですよね。さすがに時代おくれ
◆RALL
 「女々しい」という言葉もあります。日本語には元々ジェンダーが内包されているのです。
 それを全否定するつもりはないけど、なるべく使わないようにするのが現代人の役目。

という賛同リツイートがついています(もちろん黒坂のような「言葉狩り」云々という阿呆ウヨリツイートもありますが)。
 こうした「性差別を助長する言葉をやめよう→言い換えなど」つうのは他にも「看護婦、助産婦、保母→看護師、助産師、保育士」「女房役という言葉は使わない(赤旗のマイルール)」などいろいろあります。
 ただし「男泣きは差別的」といっても共産党もその差別性が「チャンコロ(中国人の蔑称)」「ジャップ(日本人の蔑称)」「鮮人(朝鮮人の蔑称)」「ニガー(黒人の蔑称)」「土人」「酋長」「日本のチベット(昔の岩手県の俗称)」などという「差別語」「いわゆる放送禁止用語」レベルに酷いとまでは認識してない。
 つまり「使用することは不適切だと思うので、私は使わない。早く使う人が減ってほしい、なくなってほしいと思うが、今すぐ禁止すべきだとは思わない」つう話です。それのどこが言葉狩りなのか。
 大体、それならば「ラマ教」という言葉を黒坂は「自称チベット支持者」としてどう思うのか。
 昔は「ダライ・ラマがトップだから、ラマ教」といっていた例の宗教も「差別的イメージがある」ということで「チベット仏教」と今では呼ばれるわけです。
 あるいは他にも「ライ病→ハンセン病」「精神分裂病統合失調症」「痴呆症→認知症」「あいのこ、混血→ハーフ*4」「裏日本→日本海側」など「差別性を減らそうとする言い換えなど」はいろいろあるわけです。
 あるいは「刺殺*5、補殺*6など『殺』がつく言葉は野球用語としては物騒なので使わない(赤旗のマイルール)」とか。
 別にそれは言葉狩りでも何でもない。

【参考:赤旗が批判する『徳勝龍・男泣き』記事の例】

東京新聞:徳勝龍、最後は寄り切り 亡き恩師へ涙の初V:スポーツ(TOKYO Web)
 顔をくしゃくしゃにさせて男泣きした。優勝が決まり、土俵の上で徳勝龍は感情をあらわにした。20年ぶりの幕尻優勝、再入幕では史上初。奈良県出身力士としても98年ぶりの快挙だ。異例づくしの初賜杯に「大変なことをやってしまった。自分が自分じゃないみたい。(賜杯は)めっちゃ重い」と喜びを表現した。


【参考:差別語の言い換え】

I濱Y子ブログ『チベット仏教って何?』
チベット仏教はかつてラマ教と呼ばれていた
 チベット仏教はむか~し「ラマ教」と呼ばれていました。先生(ラマ)をたいへんに大事にする宗教という意味ですが、この言葉はあまり勉強をしないマスコミ以外では現在は使われていません。
 なぜなら、ラマ教という言葉にはチベット仏教に対する理解が非常に浅かった時代の蔑視がまとわりついているし、仏教であるにもかかわらず、仏教という言葉が入っていないため、何か特殊な宗教のようなカンジがするからです。
 しかし、チベット仏教という言葉も、万能ではありません。
 チベット仏教という言葉にはチベットの仏教という限定されたイメージがありますが、実際この言葉によって表現される宗教現象は、中国、モンゴル人、ブリヤート人満州人、ネパール、ブータンにも広く存在しているからです。
 従って、チベット仏教ラマ教よりゃましっちゅーくらいでしょうか。

岩手県とはどんなところ?  その1 日本のチベット
・私が盛岡支局に赴任した一九五八年には、この県は「日本のチベット」と呼ばれていた。広大なうえ山地が多く、開発が著しく遅れた地域だったから、そう言われていたのだろうと思う。
・県域の八〇%が山地で、いわば山また山の大県。
・一九五八年当時の県民一人あたりの所得は六五,四八〇円(県統計課調べ)で、全国平均の七二.五%。当時、取材先で出会った人びとは「わが岩手県は、一人あたりの県民所得では鹿児島県などとともに全国の最下位グループなんですよ」と、自嘲的に話したものだ。  
 とりわけ、「なるほど、日本のチベットといわれるわけだ」と私に思わせたのは、交通網の不備であった。
 なにしろ、交通はバスに頼らざるをえない。鉄道もあるにはあるが、限られた地域を結んでいるだけで、それも山間を通っているため、しばしば土砂崩れで長期にわたって不通となった。そこで、バスでということになるわけだが、当時、盛岡から県南の太平洋沿岸の大船渡市まで七時間もかかった。三陸海岸に近い岩泉町までは六時間。県北の久慈市に行くには、いったん青森県に出て、八戸から八戸線に乗り換えるという遠回りをしなくてはならなかった。まさに行くだけで一日がかりの行程だった。

「ハーフ」をめぐる差別と幻想(下) - ことばマガジン:朝日新聞デジタル
 「ハーフ」との呼び方が一般に広まったのは1970年代に入ってからとされ、芸能やスポーツの分野で活躍する人が注目を浴び、肯定的なイメージが広がった時期に重なります。それ以前は「混血児」「あいのこ」などと呼ばれて差別された長い歴史があり、特に第2次世界大戦後は大きな社会問題となりました。当時の報道からは、彼らが就学や就職、結婚などでいわれなき差別を受けていた実態がうかがえます。
 そうした経緯を知らない世代が、「ハーフがうらやましい」「自分も国際結婚してハーフの子を産みたい」などと軽い気持ちで言うことがありますが、差別と羨望(せんぼう)の両方の時代を経験した当事者たちは、この両極端な反応に複雑な思いを抱くようです。
 終戦後に生まれたというある女性は、朝日新聞への1989年の投書で、「『あいのこ』はいつしか『ハーフ』と呼ばれ、いじめられていた私が、今度はうらやましがられるようになりました。でも、私はこの変化を決して喜べませんでした。人の心なんてあてにならないと、心に強く刻みました」と胸中を明かしています。

 前も別記事で指摘しましたが、こうした「混血児差別」を描いた映画が今井正「キクとイサム」であり、あるいは角川映画人間の証明」のわけです。

*1:ただし昔はともかく今や安倍自民も『春の習主席訪日』をスムーズに進めるために『尖閣への海自艦船出動』など主張しませんが。

*2:そんなことはないでしょう。「そう言う思い込み」はあるかもしれませんが、具体的データで証明できるのか?

*3:否定されてるのは「男は外で働き、女は家庭を守るべき」のような「価値観の押しつけ」であり「自分で選んだ価値観」なら「女が専業主婦になっても一向にかまわない」わけです。ジェンダー平等とは「外で働きたい女は外で働ける社会であるべきだ」と言う話であって「女は外で働け」と言う話ではない。黒坂の主張はくだらない話のすり替えですね。

*4:たとえば、今時誰も、「大坂なおみベイカー茉秋」などを「あいのこ」「混血児」とは言わないわけです。

*5:野球において打者または走者をアウトにすること。刺殺が記録されるプレイは1)フライを捕球したことにより打者をアウトにしたとき、2)送球を受けて打者または走者をアウトにしたとき、3)塁を離れた走者への触球によりアウトにしたときの3種類である(ウィキペディア「刺殺」参照)。

*6:野球においてアウトが成立した場合、これに至る過程で、送球を行うなどしてそのアウト成立を補助すること。例えば三塁手がゴロを捕り、一塁手へ送球して打者がアウトになった場合、三塁手に補殺が記録される(ウィキペディア「補殺」参照)。)