今日の産経ニュース(2020年2月22日分)

社民党首に福島瑞穂氏 無投票で党内対立回避 - 産経ニュース
 安倍なんぞが再登板するよりはずっとマシですが、「困ったときの福島氏*1頼み」というのも困ったもんです。
 いったん彼女は選挙での敗北の責任をとって党首を辞めてますからね。
 過大評価は禁物ですが、この点は、日本共産党の方が

【生年月日順。生年月日はウィキペディアを参照。役職はウィキペディア日本共産党新三役が会見/志位委員長 多様性とリスペクトに富む討論 大会は歴史的成功/田村・倉林両氏が抱負 ジェンダー平等、党自身が実践中央委員会の機構と人事(第28回党大会)|党紹介│日本共産党中央委員会を参照】
・田村智子氏(1965年生まれ、参院議員、共産党副委員長(政策委員長兼務)、常任幹部会委員)
藤野保史氏(1970年生まれ、衆院議員、共産党政策副委員長(衆院国対副委員長兼務)、幹部会委員)
・宮本徹氏(1972年生まれ、衆院議員、共産党中央委員)
・辰巳孝太郎氏(1976年8月生まれ、参院議員、共産党中央委員)
・岩渕友氏(1976年10月生まれ、参院議員、共産党中央委員)
・大平喜信氏(1978年生まれ、前衆院議員、共産党中央委員)
・武田良介氏(1979年生まれ、参院議員、共産党中央委員)
吉良佳子氏(1982年9月14日生まれ、参院議員、共産党常任幹部会委員)
・池内沙織氏(1982年9月15日生まれ、前衆院議員、共産党中央委員)
・山添拓氏(1984年生まれ、参院議員、共産党政策副委員長(参院国対副委員長兼務)、常任幹部会委員)など

ということで中堅、若手の登用にそれなりに取り組んでるように思います。


【昭和天皇の87年】「天皇は処刑」米世論33% 勝者が裁く“戦争犯罪”とは… - 産経ニュース
 有料記事なので途中までしか読めません。
 「勝者の裁きなど不当」つうなら「イラク戦争に勝利した米国がフセインを処刑したこと」はどうなるのか(産経は支持しただろ?)、つう話です。
 まあ、それはともかく産経の場合「昭和天皇死刑など不当」ではなく「東条英機らも死刑は不当、そもそも裁判が不当」なんでしょうね(呆)。
 ただその産経でもナチ戦犯裁判(ニュルンベルグ裁判)を否定はしないようですが。

 昭和20年8月29日、昭和天皇は《内大臣木戸幸一*2をお召しになり、一時間十分にわたり謁を賜う。その際、自らの退位により、戦争責任者の連合国への引渡しを取り止めることができるや否やにつき御下問になる》(昭和天皇実録34巻71~72頁)
 昭和天皇は当時、開戦を止められず*3、敗戦に至ったことに天皇としての「不徳」を感じていた。右の“身代わり”発言も本心から出たものだろう。だが、いわゆる「戦争責任」に明確な規定はない。勝者が敗者を一方的に裁く、それが「戦争責任」だ。
 木戸は昭和天皇に、《連合国の現在の心構えより察するに、御退位されても戦争責任者の引渡し取り止めを承知しないであろうし、(中略)御退位を仰せ出されることにより、あるいは皇室の基礎に動揺を来した如く考え、その結果、共和制を始めとする民主的国家組織等の議論を喚起する恐れもあり、十分慎重に相手方の出方も見て御考究の要あるべき旨を奉答する》(同巻71~72頁)

 「身代わり発言」と勝手に決めつける産経ですが、引用された文章を読む限りこれは「身代わり」ではなく「退位すれば俺の刑事訴追はないんじゃないか」と言う話でしょう。
 それに対し、木戸は「向こうから退位しろと言ってくるまでは様子を見た方がいい。自分から退位を言い出すなんてバカだ。天皇の地位に居座れるのなら居座ればいい」「退位論が天皇制廃止論につながったり、そこまでいかなくても、退位後の後継が皇太子殿下ではなく、あなたの弟になる危険性もありますよ」とアドバイスしたわけです。


【田村秀男のお金は知っている】安倍首相は消費増税による“失政”認め、適切な「是正策」を打ち出すべき - 産経ニュース

 消費税増税アベノミクスを殺すとして、国内メディアではただ1人、一貫して反対の論陣を張ってきた拙論

 「朝日、読売、毎日、日経、産経」のいわゆる「主要全国紙・五紙の中でただ一人」ならまだしも「国内メディアではただ1人」てのは完全に事実に反しますね。
 メディアといった場合は政党機関紙も入るし、共産党機関紙・赤旗は消費税増税には反対の立場だからです。
 というか、単に「国内メディア」といったら「全国紙」「地方紙」「テレビ・ラジオ(NHK日本テレビなどの全国放送、MXテレビなどの地方放送、BS、CSといった衛星放送)」「週刊誌」「月刊誌」「リテラYouTubeなどのネットメディア」「メールマガジン」全て入るし、何も商業メディアに限らず「政党、宗教団体、市民団体などの発行する雑誌」も含まれるし、それ全て確認するなんて事は不可能なのだから、こんなビッグマウスは普通の人間はしません。「産経の記者」をやるような奴(今回は田村)がいかに「嘘つき」or「俺が俺が、の自己顕示欲で認識がゆがんでるか」は改めてよく分かります。


【昭和天皇の87年】「日本国民ニ告グ」 衝撃の軍政布告案 占領下の戦いが始まった - 産経ニュース
 有料記事なので途中までしか読めません。

 8月15日まで徹底抗戦を叫んでいた日本軍が(ソ連軍と戦闘中の一部を除き*4)一夜にして銃を置いた背景には、昭和天皇をはじめ皇族が一丸となっての、懸命な慰撫工作があったからだ。
 終戦2日後の8月17日、東久邇宮稔彦王*5が皇族で初めて首相となり、ラジオで繰り返し皇軍の自制を呼びかけた。同日、昭和天皇の指示で朝香宮鳩彦王*6竹田宮恒徳王*7閑院宮春仁王*8が中国、満州、南方の各軍司令部へ飛び、終戦の聖旨を伝達。昭和天皇*9も自ら勅語を発し、皇軍の団結と有終の美を求めた。

 もちろんそれは産経のように褒め称える話では全くない。「降伏を決定した」ら相手に恭順を誓うのは普通でしょう。
 マッカーサーなどを暗殺などしたらそれこそ米国民の対日感情が最悪になって、昭和天皇らにとって降伏した意味がなくなります。
 一方で現地軍にしても「政府中央が降伏した」のに、徹底抗戦しても何の展望もありません。むしろ「降伏してくれて良かった」という現地軍兵士も多かったのではないか。

 政府と宮中は連携し、先手を打って武装解除を進めることで、占領軍による急激な日本改造を避けようとしたのである。

 つまりは「国体護持」ですね。結局、

東京裁判による戦犯処罰
公職追放
・農地改革
財閥解体
不敬罪治安維持法の廃止
共産党の合法化
日本国憲法による『国民主権天皇象徴』『軍の放棄』『国家神道の解体(政教分離)』

などの一定の「日本改革(民主化など)*10」となるわけですが昭和天皇ら支配層は「天皇主権」「(天皇主権を支えるための)不敬罪教育勅語御真影と言った洗脳システム」「国家神道」「共産党への弾圧(非合法化)」などといった戦前統治システムを自分から変更する気は無かったわけです。
 なお、『天皇が主権者でなくなった』『国家神道が解体された』などと言う意味では昭和天皇らの思惑は挫折しますが、一方で『昭和天皇が戦犯訴追も受けず退位もしなかった』などという意味では昭和天皇らの思惑はある程度実現します。

*1:社民党幹事長、党首、鳩山内閣少子化等担当相、副党首などを歴任

*2:第一次近衛内閣文相、厚生相、平沼内閣内務相、内大臣など歴任。戦後、終身刑判決を受けるが後に仮釈放。

*3:「止められず」と受動的に書く産経ですが、昭和天皇は戦争を渋々始めたわけではありません。陸軍の楽観論を鵜呑みにした結果、進んで戦争を始めたわけです。

*4:もちろん最終的にはこちらもソ連に降伏するわけですが。

*5:1887~1990年。戦前、第二師団長、第四師団長、陸軍航空本部長、第二軍司令官、防衛総司令官などを歴任。戦後は皇族の地位を離れている(ウィキペディア東久邇宮稔彦王」参照)。

*6:1887~1981年。戦前、近衛師団長、上海派遣軍司令官などを歴任。戦後は皇族の地位を離れている(ウィキペディア朝香宮鳩彦王」参照)。

*7:1909~1992年。戦前、大本営参謀、関東軍参謀など歴任。戦後は皇族の地位を離れている。戦後、日本体育協会専務理事、JOC日本オリンピック委員会)委員長、IOC国際オリンピック委員会)理事、日本馬術連盟会長、日本スケート連盟会長など歴任(ウィキペディア「竹田恒徳」参照)

*8:1902~1988年。戦前、北支那方面軍参謀、戦車第4師団長心得など歴任。戦後は皇族の地位を離れている(ウィキペディア閑院宮春仁王」参照)。

*9:1901~1989年。

*10:ただし「冷戦激化によるいわゆる逆コース(米国の方針変更)」によってA級戦犯として終身刑判決を受けた賀屋興宣(第一次近衛、東条内閣蔵相)が釈放されたあげく、政界に復帰し、池田内閣法相、自民党政調会長(池田総裁時代)を務めるなど、こうした改革は中途半端なものとなりますが。