今日の産経ニュース(2020年2月26日分)

「五輪延期なら責任論も」 新型肺炎で自民・鈴木総務会長 - 産経ニュース
 「延期したら自民党が責任を問われるから、野党やマスコミに批判されるから延期できない」だの「延期したら、五輪のご祝儀ムードで五輪終了直後、衆院解散で勝利を狙うというシナリオが崩れる」とか、よくもまあこんな馬鹿が言えたもんです。
 「撤退したら陸軍が責任を問われるから日中戦争を続行する」というのと同レベルのくだらなさです。これが自民党総務会長というのだから、自民も本当に酷くなった。
 せめて、「頑張ってきた選手の思いを考えると簡単に中止できない」「中止したら経済的ダメージが大きいから簡単に中止できない」とでもいったらどうなのか。


【河村直哉の時事論】森友問題 「保守VS革新(リベラル)」の惨状(1/2ページ) - 産経ニュース
 産経にとっては森友疑惑のような不正を容認するのが保守で、批判するのが革新(リベラル)*1なんだそうです。そしてリベラルが間違ってると(呆)。呆れて二の句が継げませんね。
 不正を批判するのは当たり前であってリベラルだとか保守だとかいう話ではない。別に安倍が「極右」だから「森友」で批判してるわけではない。
 あんな背任行為をすれば革新だろうがリベラルだろうが非難される話です。
 まともな保守にとってはこれほど腹立たしい「安倍擁護の詭弁」もないでしょう。というか、その理屈だと安倍を森友疑惑などで「腐敗政治家」と批判していた右翼・西部邁*2はリベラルになるのか(再び呆)。


【ソウルから 倭人の眼】東京五輪を中止させたいのか 新型肺炎で韓国メディアが見せる本音(1/4ページ) - 産経ニュース(ソウル 名村隆寛)

 自国での感染拡大をよそに、韓国メディアは、東京五輪への本音をさらけ出し続けている。

 「よそに」どころか「コロナ感染者が増えている。韓国政府の対応は適切なのか」「韓国は新型コロナにどう対応すべきか」を朝鮮日報中央日報ハンギョレなどが記事にしてることは朝鮮日報中央日報ハンギョレなどの日本語版で分かることであり、産経の主張は嘘八百です。

◆日本の不幸は蜜の味
 ウイルス問題が日韓でも懸念され始めた当初から、韓国では東京五輪中止論が浮上していた。日本国内の状況を伝える韓国メディアは、ほとんどがウイルス問題と五輪を結びつけ報道。特にクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」が横浜港に寄港して以降、その傾向は強まった。
 ニュース専門の聯合ニュースTVを一例に挙げてみる。感染問題の専門家を招き、クルーズ船での感染や対策について聞く中で、女性アナウンサーが「東京オリンピックへの影響は避けられませんか」と聞くと、韓国人の専門家は否定せずに、言葉を続けていた。
 この時、目を引いたのは、アナウンサーが話を深刻な方向に持っていこうとしたことと、その表情からは深刻さが全くうかがえなかったことだ。むしろ、五輪開催が困難になることを期待しているかのような雰囲気だった。気のせいではないだろう。
 新聞も東京五輪への影響について熱を上げている。いくつかを例示してみる。
「日本政府は五輪ノイローゼ(神経症)にかかっているようだ」「数多くの乗客や乗務員が『五輪の人質』になった」(いずれも朝鮮日報
「安倍政府(安倍晋三政権)が事態を隠そうとのきゅうきゅうとしていたのは5カ月後開幕の東京五輪を意識していたという印象が拭えない」(中央日報
 中央日報はまた、クルーズ船に乗船中の日本人が「日本政府が対応方式を変えねば東京五輪は不可能だ。五輪で多くの外国人が来るはずだが、これでは観光大国という目標も達成できない。韓国だけでなく国際社会が日本政府に対し強く問題提起することを願う」と語ったことを伝えた。
 まるで日本の不幸を喜んでいるかのような報道だ。
◆「安倍危機」にワクワク
 韓国メディアがここまで東京五輪への悪影響を“期待”しているのは、安倍晋三首相の失敗への期待のようで、「東京五輪の失敗=安倍の不幸」とみなしている。
「クルーズ船への対処に日本政府が右往左往している」(ハンギョレ紙)。
「安倍政権は失策を認めないでいる」「クルーズ船事件が安倍政権の最大の汚点として残るかもしれないという懸念も出ている。2011年東日本大震災がいまだに野党*3の足を引っ張っているように」(いずれも中央日報)。
 日本政府(安倍首相)が困っているであろうことが、これほどまでにうれしいようだ。

 こういうのを「語るに落ちる」といいます。産経・名村が「韓国の不幸は蜜の味」だからそう言う邪推をするのではないのか。
 つうか「韓国の政府やマスコミがどう主張してるか」なんてのはある意味どうでもいいことであって、産経・名村は真面目に「東京五輪が実現可能かどうか」を考えたらどうなのか。あるいは安倍政権の対応が適切かどうか、あるいはあるべき日本の新型コロナ対策を論じたらどうなのか。


【主張】肺炎の基本方針 首相が国民に語りかけよ - 産経ニュース

 記者会見は対策本部副本部長の加藤勝信厚生労働相が行った。だが、本部長の安倍晋三首相も会見し国民に協力を呼びかけたらよかった。それが危機における国政の最高責任者のとるべき行動である。

 ついに「加藤厚労相ばかり、矢面に立たせて、新型コロナ問題から逃げてるんじゃねえよ!。お前も新型コロナの記者会見に出ろ!」「お前は自分に都合のいいときしか記者会見しないのな!」と安倍批判を始めた産経です。

 イベント開催の是非については基準を示さず、主催者に判断を丸投げした。これでは困惑が広がるばかりだ。

 「感染拡大防止のため、イベントは安易に開催しないで下さい(政府)」といいながら「どういうのが安易なのか?」「中止すれば色々と支障があるのでそう簡単に中止なんかできない(政府だって習主席訪日や東京五輪は予定通りやると言ってるじゃないか!)。何か中止の基準を示してほしい」については「各自の判断に任せます」として明確な基準を示さない(まあ、「不特定多数が参加する行事は避けた方がいい」「重篤化する危険が高い高齢者や乳幼児、妊婦が多数参加する行事は避けた方がいい」程度の事は言っていますが)。
 無責任にもほどがあります。
 「イベント中止の実害をどう考えてるのか。中止したら、場合によっては我々が損害賠償請求を受ける危険性すらあるのだが。もっと基準を緩めるべきだ」
 「いやむしろこの基準じゃ緩い。感染予防にならない。もっと厳しくしろ」
という予想される「二つの批判」を恐れて基準設定から逃げてるだけじゃないですか。
 安倍政権の無茶苦茶さにさすがに産経もかばいきれないと思ってるようです。

*1:そもそも革新とリベラルは違いますが。

*2:著書『蜃気楼の中へ:遅ればせのアメリカ体験』(1985年、中公文庫)、『経済倫理学序説』(1991年、中公文庫)、『貧困なる過剰』(1991年、PHP文庫)、『生まじめな戯れ』(1992年、ちくま文庫)、『知識人の生態』(1996年、PHP新書)、『思想史の相貌』(1997年、徳間文庫)、『私の憲法論』(1999年、徳間文庫)、『アメリカの大罪』(2003年、小学館文庫)、『核武装論』(2007年、講談社現代新書)、『保守思想のための39章』(2012年、中公文庫)、『西部邁の経済思想入門』(2012年、放送大学叢書)、『虚無の構造』、『福澤諭吉』(以上、2013年、中公文庫)、『大衆への反逆』(2014年、文春学藝ライブラリー)、『保守の真髄』(2017年、講談社現代新書)、『六〇年安保:センチメンタル・ジャーニー』(2018年、文春学藝ライブラリー)、『保守の遺言』(2020年、平凡社新書)など

*3:というか旧民主党ですが。ただし果たして「2011年東日本大震災対応」て旧民主党の足を引っ張ってるんですかね。「沖縄米軍基地県外移設」「八ッ場ダム中止」「消費税増税はしない」などの公約を反故にしたこと(その結果社民党が政権離脱したこと)はともかく、震災対応については俺は問題があったとは全く思いません。もし足を引っ張ってるのならば、そう言う認識をしてる連中の方がおかしい。