法治を破壊する検事長の定年延長 - 高世仁の「諸悪莫作」日記
公務員のみなさん、内閣の非道に付き従う下僕に成り下がるのではなく、頭を上げて自らの良心に従って行動してみませんか。
この高世発言は
「救う会や家族会の下僕」に成り下がって、「特定失踪者」なんて明らかなデマを容認するクズが良くもそんなことがいえたもんだな!。救う会や家族会は『霞が関官僚にとっての安倍』と違って、お前の上司でもないのにな!。お前は霞が関官僚以下のクズだな、高世。良くジャーナリスト面出来たもんだな、クズ!
お前、ただのテレビ下請け業者だろ?
お前、蓮池透氏が、救う会批判を始めたときに『家族会の皆さん、救う会に付き従う下僕に成り下がるのではなく、蓮池さんの声に耳を傾けて行動してみませんか?』てなんで言わなかったの?。お前に良心がないからか?
という問題を除けば「モリカケや桜を見る会、検事長定年延長で安倍のいいなりは止めてくれ」は一応正論ではあるでしょう。
なお、今日の産経ニュースほか(2020年2月25日分) - bogus-simotukareのブログの
◆TBSラジオ「森本毅郎スタンバイ」の「日本全国8時です!」が「一応、森法相批判(そして安倍批判&日本検察批判)」した
でも触れましたがほとんど同じ事を伊藤芳明氏(元毎日新聞外信部長。毎週火曜日の「日本全国8時です!」コーナーで海外ニュースを解説)も「アメリカの官僚がトランプ批判していること」との比較でコメントしてました。
とはいえ、正直、小生も「サラリーマン」として「上司に逆らうこと*1が難しい」事は良く理解していますので、官僚連中を「自分を棚に上げて」非難する気には実はそれほどなりません。
◆ロッキード事件での大久保被告(丸紅専務)の「田中*2首相への5億の賄賂など運びたくないが社長の命令を拒否できなかった」発言
◆三越事件での岡田茂社長の無法な会社私物化
→岡田のライバルだった坂倉芳明常務を会社から追放。坂倉追放により岡田独裁体制が確立。坂倉はライバル企業である西武百貨店に招聘され一時、西武百貨店副社長を務め、西武の売り上げ増大に貢献。
「映画『燃える秋』(三越が出資)の下請け業者への押しつけ販売などで公正取引委員会の処分を受ける」「岡田の愛人竹久みちへの特別背任や業務上横領の疑いのある利益誘導(実際に後に特別背任で刑事告発され岡田と竹久には有罪が確定)」などが問題視され、三越(三越は三井グループ)社外取締役だった小山五郎*3三井銀行相談役の画策で岡田が社長を解任されると、三越の招聘を受けて復帰。その後、三越社長、会長を歴任。
(ウィキペディア「三越事件」「岡田茂」参照)
を考えればその辺りは皆サラリーマンなら「よくわかる」でしょう。それにしても、安倍は「政界の岡田茂」、岡田は「三越の安倍」といっていいんじゃないか。
その点、「退官後」とはいえ安倍批判に踏み切った前川・元文科事務次官を「在任中は保身のため批判しなかったこと(これはご本人も認めています)」「退官理由が天下り問題への処分であること」を割り引いても深く尊敬する俺です。
しかし「高世!」。「救う会言いなりの」お前と家族会は別だ!。未だに安倍にへいこらする家族会は別だ!。
「お前と家族会」と救う会、家族会と安倍の間には「霞が関官僚と安倍」のような上下関係はないのだからへいこらする必要はないはずだ!
正直、救う会にへいこらする高世と家族会、安倍にへいこらする家族会には軽蔑の念を禁じ得ません。
官僚の皆さんも「手前が家族会と一緒に『拉致の安倍』とか抜かしたことがこういう事態を引き起こした理由の一つじゃねえか!(全てとは言わんが)。高世、手前、ふざけんな!。朝日新聞や野党(立民、国民民主、共産、社民など)ならまだしも手前にだけは言われたくねえわ!」「手前の方こそ安倍の被害者にわびろ!、田中均氏にわびろ!」「いい加減、家族会を批判したらどうなんだ!」でしょう。
とはいえ、一応安倍批判する高世はまだマシで「モリカケ」「桜を見る会」「検事長定年延長」すべて無視して「安倍万歳」が家族会ですからね。正直、家族会の安倍万歳に呆れ、怒り、憎悪などの「負の感情」を持ってるのは俺だけではないでしょう。拉致が解決しないのも家族会がバカだからで自業自得です。俺は家族会には何一つ同情も共感もしません。
有本嘉代子死去の時も「安倍なんか持ち上げてるからこうなるんだ、自業自得だ」「救う会と家族会はくだらないお涙頂戴なんかやってんじゃねえよ、バカ」という軽蔑の思いしかありませんでした。俺にとって「新型コロナ」などの大事件によって有本嘉代子の死が急速に世間の話題から消えてることは大変嬉しい。
「ざまあみやがれ、救う会、家族会」ですね。まあ、かわいそうと言うなら「90歳代で大往生した」有本より、最近、父親の刑事裁判が報じられた「父親の虐待で死亡した栗原心愛(みあ)さん(死亡時、小学4年生)」の方がよほどかわいそうですしね。まあ、「拉致された横田めぐみさん」、「千葉で変質者に殺されたベトナム人少女」もそうですが、「少女が酷い目に遭う」と世間の注目も集まります。
【参考:栗原心愛(みあ)さん】
【主張】子供への虐待 悲劇への反省が足りない - 産経ニュース
昨年1月に千葉県野田市の小学4年、当時10歳だった栗原心愛(みあ)さんが虐待死した事件で、彼女が自分宛てに書いた手紙を祖母が公開した。
手紙はこう結ばれていた。
「未来のあなたを見たいです。あきらめないで下さい」。
心愛さんがどのような気持ちでこれを書いたのか。想像するだけで胸が痛い。
同じ悲劇を繰り返さぬため、親権者らによる体罰禁止規定を盛り込んだ改正児童虐待防止法が4月に施行される。
厚生労働省の有識者検討会が、どんな行為が体罰に当たるかを示した指針は、頬や尻をたたく、殴る。長時間正座させる。夕飯を与えない-などを列挙した。
冗談でも「お前なんか生まれてこなければよかった」などということは子供の権利を侵害し、心を傷つける行為と強調した。
何をいまさら、の感もあるが、しつけと称しての虐待が後を絶たない現実が背景にある。
心愛さんの事件の公判で、傷害致死罪に問われた父親の被告側は「教育のためにやったことが行き過ぎてしまった」と述べている。こうした弁解を許さぬための指針である。だが、法改正も新たな指針も、そこに魂が入らなければ、ただの文面である。魂とは、関係者や社会の本気度を指す。
野田市が1月にまとめた検証報告書は、心愛さんが一時保護されてから少なくとも13回、行政機関が介入しなければならない状況があったと指摘した。
その上で「市の福祉、学校、児童相談所の誰であれ、頼れる大人が一人でもいたら救えたはず」としてそれぞれの対応を「子供への裏切り」と強く批判した。
深い反省は、全国で共有すべきものだった。
神戸市こども家庭センター(児童相談所)では今月10日未明、当直勤務を請け負うNPO法人の男性職員が、助けを求めてきた小学6年の女児に「警察に相談して」と伝え、追い返していた。
女児は近くの交番を訪れ、警察から「児童虐待がある」と通報を受けた児相が改めて保護した。そこには心愛さんの事件の反省も、子供を守るのだという気概も、全くみられない。
本来、子供を守るのは親の責務である。その親に虐待される子供は、社会を挙げて守らなくてはならない。
小社会 心愛さん|高知新聞
・きのう載っていたのは栗原心愛(みあ)さんの裁判員裁判の記事。父親の暴力を訴えながら亡くなった心愛さんの手紙は先日の小欄でも触れた。裁判で次々と明らかになる「叫び」には心が凍る。
きつい運動を父親から強いられて「ママ、助けて」。泣きじゃくりながら繰り返す動画が携帯電話に残っていた。「家族」に入りたいと望む心愛さんに父親は「無理」といって土下座させる。どんな気持ちで家族という言葉を口にしたのだろう。
虐待事件のたびに児童相談所や学校などの連携不足が課題となる。今回も例外ではない。その反省に加えて、地域の一人一人も小さなSOSへの感度を高めたい。
トイレ行かせて…心愛さんを「所有物と思っていたのか」:朝日新聞デジタル
千葉県野田市の小学4年、栗原心愛(みあ)さん(当時10)が虐待死したとされる事件で、傷害致死罪などに問われた父親の勇一郎被告(42)の裁判員裁判。25日に千葉地裁であった証人尋問には被告の妹や実母が出廷し、心愛さんの体に複数のあざなどがあり、被告から暴力を受けたと訴えていたことを証言した。虐待をうかがわせる動画も公開された。
心愛さん死亡前に何が、母親「できるかぎり重い刑に」 TBS NEWS
千葉県野田市で小学4年の栗原心愛さんを虐待死させたとして起訴された父親の裁判。心愛さんが亡くなる前日から続いたという父親の暴行について、母親が証言し、「できる限り重い刑に」と訴えました。
【参考終わり】
感染の心配のある人が相談するのが「帰国者・接触者相談センター」だが、すでに市中感染の段階に入ったいま、この名称は古いし、むしろ(ボーガス注:『中国からの帰国者』と『帰国者への接触者(帰国者の家族や友人知人など)』以外は相談できないなどの)誤解を招く。対策が後手後手になっていることを象徴する。
確かに言われれば「その通り」ですね。もはや「新型コロナ相談センター」でいいんじゃないか。
とはいえ「3/2まで公立の小中高校を各地の自治体は休校にしてほしい(安倍首相)」「3/15まで国立の美術館、博物館、劇場は閉鎖します(萩生田文科相)」「新型コロナの景気対策を打つ予定(麻生財務相)」ということで「遅きに失した」とはいえ「感染者の拡大」とそれによる「内閣&自民支持率低下、野党やマスコミの政権批判の高まり」で安倍政権もさすがに「このままじゃまずい」と思い始めたようですね。
高世が言うように彼らのとってる策が果たしてどこまで適切なのかは疑問がありますが。