習近平の大誤算…新型コロナ流行が「一帯一路戦略」にトドメを刺すか(福島 香織) | 現代ビジネス | 講談社(1/5)
「ただの反中国極右のデマ屋」に転落した福島香織らしい与太記事です。新型コロナが一帯一路に何の影響も与えないことはあり得ませんが、「一帯一路が失敗」なんてのは与太でしかありません。
むしろ「とどめ」云々つうなら「安倍政権についにとどめ」となる可能性の方がよほど高いでしょう。
福島が反中国与太をかっ飛ばすのは彼女の勝手ですが、「中国でも出版ビジネスを展開しているはず」の天下の講談社がこういうアホ記事を掲載して恥ずかしくないんですかね。しかしこうなると今更ながら「福島の産経退社は失敗だった」としか言いようがない。福島はせめてフリーになるのではなく、朝日、読売、毎日といった他社に移籍すべきだったでしょう。
1)福島の自己評価がやたら高かったのに対し、世間の福島評価は低く、退社後すぐに干上がってしまった
2)しかし福島には「武士は食わねど高楊枝」「渇しても盗泉の水は飲まず」というプライドがないため見事に転落したという話です。
「福島の転落劇」は「能力のない人間はうかつに独立してはならない」「『何があろうとカネのために自分のプライドは捨てない』という覚悟がない限り独立してはならない」「会社に所属するより独立した方が精神的に自由が得られると思ったら大間違い」という「良い見本」といえるでしょう。
ちなみに俺の記憶が確かなら、本多勝一氏(朝日新聞)はコラムにおいて「私が朝日を退社しないのは、朝日を辞めても金銭面で転落しないという自信がないからだ。朝日にいれば経済的にはかなり楽だ」「たとえば筑紫哲也氏(朝日新聞)はキャスターの才能があって幸いにも独立できたが、新聞記者皆がアレができると思ったら大間違いだ。俺はそんな自信家じゃない」と言う趣旨のことを書いていたかと思います。
◆I濱ブログ記事『映画「巡礼の約束」』(2/29記載)
リンクを張ると発狂して、拙記事に対し強制プライベートモードをはてなに要求するのがI濱なのでリンクは張りません。
岩波ホールで上映されている『巡礼の約束』(原題:アラチャンソ)を見に行った。
岩波ホールにいくと、入り口に「コロナの疑いのある人は入場しないで」的な張り紙があり、ご時世を感じる(その後3/13まで閉館を決めたそうです)。
ということで3/13以降でないと観られないわけです。
・本作品は、五体投地によるラサ巡礼、すなわち、かつてのチベットにおいては一般的であった習俗を通じて、家族の喪失(最愛の妻や母の死)と再生(妻の連れ子と残された夫の父子としての再生)を描いたものである。
・チベット人は物質的に豊かになりたいと思えば、北京やアメリカを目指す*1が、病にかかって余命がないとか、親しい人がなくなって喪失感半端ないとかいう、自分の力ではどうにもならない悲劇にみまわれるとラサ巡礼にでる。もっとも熱心な巡礼は五体投地で身体・言語・心の活動を投げ出して身長の長さごとにすすむ。この場合、せいぜい一日五キロ進むのがやっとである。
主人公の女性は死病にかかったこと、また前夫の遺言を果たすために、今の夫に真の意図を隠して、東チベットのギャロンからラサに向けて旅立つ。途中から今の夫と前夫の子供が加わった時点で、「ああ〜、この人途中でなくなって、残された二人がその遺志をついでラサに向かうんだろうな〜。そのうちに双方大人になって家族愛にめざめるんだろうな〜」と思っていたらまんまの展開だった(笑)。
まあ、何をやろうと個人の自由ですが「1日に5キロしか進まない」「五体投地」というのは全く合理的ではないですよね。普通に歩けば、1日にもっと進むことは明らかですから。コメ欄で指摘があるように確かに「宗教とはそう言うもん」でしょう。
「牛肉タブー(ヒンズー教)」「豚肉タブー(イスラム教)」などだって我々日本人には合理性があるとはあまり思えません。
しかし、問題はそう言う宗教が過去においてチベットの支配的思想であり、明らかに近代化を阻害したことでしょう。
かつての日本においても、死期を悟った人や、身内を失った人は、四国遍路に旅立ち、遍路道のまわりにいる人々から食をえて、お風呂を借りたりしながら、最後は倒れることも本望と考えていた*2(遍路道は円環なのでいずれにしても道半ばで死ぬ)。今や死病におかされた人は病院で管につながれて死に*3、遍路はバスツアー*4の観光旅行*5となってしまった。チベット人がもし日本のように巡礼をやめ仏教徒であることを忘れてしまったら、それは、チベット人が漢人と区別がつかなくなる日であろう。この監督はもちろんそのような日のくることを望んではいないだろう。
まあ、いつもながら「やれやれ」ですね。I濱にとっては今の日本の仏教は「望ましいもんではない」のでしょう。もちろん今の日本の仏教に問題がないとは言いません。
しかし今の日本の仏教はI濱がけなすほど無価値なのか。チベット仏教はI濱が言うほど素晴らしいのかといったらそんなこともないでしょう。
というか中国政府の抑圧などで滅びるのならともかく、「自然にチベット仏教が廃れる」のならそれは、「チベット人の選択」であってI濱のようなよそ者がどうこう言うことではないでしょう。
チベット伝統文化における「チベット仏教」の存在は大きいでしょうが、何も「チベット文化=チベット仏教」ではないだろうし、「チベット仏教が廃れたら漢民族と違いがない(I濱)」なんてのは「チベット仏教の過大評価」と「チベット仏教以外のチベット文化の過小評価」ではないのか。
◆I濱Y子のツイート
I濱Y子
当然の判断。延期でなく中止の線で進めて欲しい。
【独自】習近平主席、来日延期へ 新型肺炎で環境整わず 秋以降が有力 - 産経ニュース
アンチ中国のI濱らしいですが、日中関係の重要性を考えれば、延期はあっても中止はないでしょうね(勿論俺はI濱と違い、中止すべきとは思っていません)。そもそも正式発表されてないので現時点では延期するかどうかも不明ですが。もちろんI濱の場合「新型コロナ」云々ではなく「チベット」云々が理由でしょう。