今日の産経ニュースほか(2020年3月14日分)

「緊急事態宣言」とは、かくも危険なものである。 | ちきゅう座

 昨日(3月13日)、新型コロナウイルス感染症を適用対象に加える「新型インフルエンザ特措法」の改正法が成立した。3月11日の審議開始からわずか3日間での成立である。内容は、新型コロナを法の適用対象に加えるだけで、ほかの規定は変えなかった。
 衆参両院の決議はいずれも全会一致ではなかった。賛成は、自民・公明・維新と、立憲民主・国民民主・社民の共同会派。共産・れいわ・碧水会・沖縄の風が反対。その他の野党の中からも数人の反対・棄権・欠席があったことがせめてもの救い。
 新型インフル特措法改定案に反対した山添拓議員(共産)の、昨日(3月13日)参院本会議での反対討論(要旨)を紹介しておく。

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新型コロナウイルス感染症に、多くの人が不安を感じています。今求められているのは、感染拡大を防ぎ、検査体制と医療体制をいっそう充実させるとともに、くらしと経済を守る政治責任を果たすことです。ところが政府は、本法案を通すことを最優先にしています。
 特措法の最大の問題は、緊急事態宣言の下で行政に権力を集中させ、広範な権利制限が可能となることです。
 外出自粛の要請が可能とされます。学校や保育所、介護老人保健施設など、多くの人が利用する施設の利用の制限・停止を要請し、指示できるとされます。医療施設建設のために土地や建物を同意なく使用できるとされます。
 こうした多岐にわたる措置は、憲法が保障する移動の自由、経済活動の自由、集会の自由や表現の自由などの基本的人権を制約し、くらしと経済に重大な影響を及ぼします。
 特措法は、自由と権利の制限は「必要最小限度」としていますが、その保証はありません。さまざまな措置により市民に生じる経済的な損失について、補償する仕組みもありません。
 幅広い人権制限が発動されれば、市民生活と経済活動に広範な萎縮効果が及びます。
 自由と権利の重大な制約を可能とするにもかかわらず、法律上の歯止めが曖昧です。
 都道府県知事にこうした強力な権限をもたせるのが、首相による「緊急事態宣言」です。ところが、その発動要件は法律上不明確です。
 「重篤」とは何か、「相当程度高い」とはどの程度か、「まん延」とは何か、これらを誰が、いかなる根拠で判断するのかの定めがありません。科学的根拠について、専門家の意見を踏まえる仕組みがありません。
 「宣言」の発動や解除に際し、国会の承認は求められていません。私権制限を一時的かつ一部とはいえ行政権に集中させるのに、国会の事前承認すら求めないのは重大です。
 さらに「宣言」下では、「指定公共機関」であるNHKに対し首相が「必要な指示をすることができる」とされ、その内容や範囲に限定はありません。これでは、政府にとって都合の悪い事実は報道させないことも可能となり、国民の知る権利を脅かしかねません。
 本法案は、衆議院で3時間、本院でも参考人質疑を含め4時間20分の質疑時間で委員会採決に至り、十分な審議すら行われていません。政府は本日の質疑でも、現状は緊急事態宣言を発する状況ではないとしています。急いで審議・採決を進める必要はありません。
 憲法改定に前のめりの安倍首相の下で、自民党議員が「緊急事態条項を改憲項目に」と発言しています。安倍政権に緊急事態宣言の発動を可能とすることは容認できません。

 碧水会というのは嘉田由紀子(元滋賀県知事)、永江孝子参院議員の会派で、沖縄の風は沖縄の伊波洋一(元宜野湾市長)、高良鉄美参院議員の会派です。
 しかし反対論もあるのに「立憲民主・国民民主・社民の共同会派」が賛成で反対派の共産、れいわを平然と無視というのだから、澤藤氏が指摘するように実に腹立たしいし、呆れます。


【昭和天皇の87年】仕組まれた「人間宣言」 天皇も負けていなかったが… - 産経ニュース
 有料記事で途中までしか読めませんが。仕組むも何も「天皇主権から国民主権へ(明治憲法から新憲法へ)」「国家神道の廃止」を実現するためには「天皇の神聖性」をいわゆる「人間宣言」で事前に否定しておく必要があったわけです。
 それとも産経は「今も天皇主権で国家神道のままで良かった」とでも言う気でしょうか。まあ、昭和天皇が「主権者の地位から転落したこと」に不満を感じていたことは「戦後も沖縄メッセージなど政治的言動を平然としていたこと」で明白ですが。
 それはともかく、この人間宣言、ある意味面白い文章だと思います。
 「天皇の神聖性」を否定する場合、GHQがやるより天皇本人がやった方が「GHQの押しつけ感が減っていい(国民が受け入れる可能性も高まる)」という意味でGHQにとって都合がいい。昭和天皇の方はそんなことはできればしたくないが「敗軍の将」なので贅沢も言えない。渋々やることになる。
 ところが「天皇の神聖性」を国民に押しつけてきたのは昭和天皇を含む歴代天皇(祖父の明治天皇、父の大正天皇)自身です。そこで「俺も祖父も父も、皆間違っていた」とストレートに自分や先祖の非を認めたら「なら退位しろ」つうことになりかねない。しかし昭和天皇に退位する気は無い。
 でどうなるかといえば、「開戦の聖断・正当化」でも使われた論理「私は真珠湾攻撃などしたくなかったが軍部に強要された」と同じ論理「私は天皇の神聖性など国民に押しつけたくなかった。そういうことをやったのは軍部(戦犯として訴追された東条英機陸軍大臣など)や民間右翼(戦犯として訴追された大川周明など)だ」が登場するわけです。
 「どこまで無責任で自分の保身しか考えてないのか」と思わずにはいられませんね。


【昭和天皇の87年】究極の洗脳工作 国民に自虐史観を植えつけたのは - 産経ニュース
 有料記事で途中までしか読めませんが「あの戦争に対する批判」を「自虐史観の一言」で片付けるとはいつもながら産経もバカでクズです。


【正論4月号】習近平が重視する「人民より国家体面」 産経新聞外信部次長 矢板明夫(1/3ページ) - 産経ニュース

 日本ではまず考えにくい話ですが、今回、武漢市が肺炎の感染者について発表しなかった最大の理由、それは「指導者の都合」だったと言われています。

 いやー全然考えにくい話どころか「大変よく分かる話」ですけどね。
 「日本の敗色が濃厚になってから」の戦前の大本営(戦争を指導する最高指導機関)の発表はまさにこれです。
 米軍に敗北して撤退しても「転進(方向を変えただけ)」と強弁する。
 その結果、今では大本営発表は「嘘八百のデマ(特に政府や大企業などまともな発表をすることが期待されている個人、組織のデマ)」、転進は「撤退の言い換え」を指す言葉として、日本で普通に使われる言葉になってしまったわけです。例えば、「学校休校要請を発表する安倍記者会見」なんぞは「安倍が言いたいことだけ言って『休校要請にどんな根拠があるのか』などの質問は受け付けず、すぐにその場から安倍がトンズラする」という「令和の大本営発表」ではなかったのか。

参考

大本営発表はなぜ「ウソの宣伝」に成り果てたか : 深読み : 読売新聞オンライン
・ウソとでたらめに満ちた発表は、今でも「あてにならない当局に都合のいい発表」の代名詞として使われる。
・私がキャスターを務める「深層NEWS」では、『大本営発表 改竄・隠蔽・捏造の太平洋戦争*1』(幻冬舎新書)を書いた近現代史研究者の辻田真佐憲(つじた・まさのり)さん*2をお招きして話を聞いた。辻田さんは、でたらめ発表が行われた背景に、「情報軽視」と「内部対立」という2つの構造的な欠陥があったと分析している。
大本営発表が最初からでたらめだったわけではない。真珠湾攻撃の戦果は、航空写真を綿密に確認するなどした上で、3度も修正されている。戦闘機から見た艦船は点のようなもので、本当に沈んだのか、沈んだ艦は戦艦なのか、駆逐艦なのかを判別するのは、熟練度が高い搭乗員でも簡単ではないからだ。
 戦線が拡大し、熟練度が低い搭乗員が増えるにつれ、戦果の誤認が急増した。誤認は米軍にもあったが、大本営には情報を精査したり、複数の情報を突き合わせたりする仕組みがなかった。特に作戦部には現場からの情報を軽視する悪癖があった。根拠もなく報告を疑えば「現場の労苦を過小評価するのか」と現場に突き上げられる。誤った報告は鵜呑みにされ、そのまま発表されていった。
 誤報の極みとされるのが、1944年(昭和19年)10月の台湾沖航空戦に関する大本営発表だ。5日間の航空攻撃の戦果をまとめた発表は、「敵空母11隻、戦艦2隻、巡洋艦3隻を轟撃沈、空母8隻、戦艦2隻、巡洋艦4隻を撃破」。米機動部隊を壊滅させる大勝利に、昭和天皇(1901~89)からは戦果を賞する勅語が出された。だが、実際には米空母や戦艦は1隻も沈んでおらず、日本の惨敗だった。
 熟練度の高い搭乗員はすでに戦死し、作戦に参加したのは初陣を含む未熟な兵卒が大半だった。多くは米軍の反撃で撃墜され、鹿屋基地(鹿児島県)に帰還した搭乗員の報告は「火柱が見えた」「艦種は不明」といったあいまいな内容ばかりだった。だが、基地司令部は「それは撃沈だ」「空母に違いない」と断定し、大本営の海軍軍令部に打電した。翌日に飛んだ偵察機が「前日は同じ海域に5隻いた空母が3隻しか発見できない」との報告が「敵空母2隻撃沈」の根拠とされ、さらに戦果に上乗せされた。
 さすがに疑問を感じた海軍軍令部は内部で戦果を再検討し、「大戦果は幻だった」ことをつかんだが、それを陸軍の参謀本部に告げなかった。陸軍は大本営発表の戦果をもとにフィリピン防衛作戦を変更し、レイテ島に進出して米軍を迎え撃ったが、台湾沖で壊滅させたはずの米空母艦載機の餌食となり、壊滅した。
 情報の軽視によって水増しされた戦果は、公表範囲を決める幹部会議に持ち込まれ、「軍事上の機密」を理由に都合の悪い部分が隠ぺいされた。報道部が大本営発表の文書を起案する時点で、すでに(ボーガス注:戦果を報告する現地軍幹部によって)戦果の水増しと隠ぺいが実施済みだったわけだが、ここからは「内部対立」でさらに戦果は歪められていく。
 大本営発表は軍の最高の発表文で、起案された文書は主要な部署すべてのハンコ*3がなくては発表できない。陸軍を例にとると、参謀本部参謀総長、参謀次長、作戦部長、作戦課長、情報部長、主務参謀などがいて、陸軍省陸相、次官、軍務局長、軍務課長らがいた。特に、作戦部にはエリート中のエリートが集まり、他の部署を下に見ていたという。他の部署は作戦部を快く思わず、何かにつけていがみあっていたから、すべてのハンコをそろえるのは大変な作業だった。
 それでも勝っているうちはよかったが、日本が負け始めると、どの部署もハンコをなかなか押さなくなった。「そのまま発表すれば国民の士気が下がる」というのは建前にすぎず、「敗北を認めると、その責任を負わされかねない」というのが本音だった。発表が遅れれば、報道部の責任が問われる。報道部はハンコが早くもらえるように、戦果をさらに水増しし、味方の損害を減らした発表文を起案するようになった。
 軍内部の対立で大本営発表が歪められるきっかけとなったのが、1942年(昭和17年)6月のミッドウェー海戦大本営発表だ。霞が関海軍省・軍令部では祝杯の準備をして戦勝報告を待っていたが、飛び込んできたのは空母4隻を失う予想外の知らせだった。開戦以来初めてとなる大敗に直面し、これをどう発表するかをめぐる調整は難航を極めたという。
 報道部は「空母2隻沈没、1隻大破、1隻小破」とする発表文を起案したが、作戦部が猛反対した。3日後に発表された味方の損害は「空母1隻喪失、1隻大破、巡洋艦1隻大破」に減らされた。一方で、敵の損害は「空母1隻の大破」が「2隻撃沈」に水増しされ、「沈めた空母の数で日本の勝ち」と発表された。
 良心の呵責もあったのか、ミッドウェー海戦以降、いったん大本営発表の回数は激減する。しかし、しばらくして再び増え始めた大本営発表には、当たり前のようにウソが混じるようになる。辻田さんは「ウソをつくことを覚えたのだろう」と分析する。海軍はミッドウェーでのごまかしは、すぐに勝って帳尻を合わせればよいと思っていたようだが、戦いの主導権は二度と戻らなかった。
 一部の海戦については後から戦果を訂正する発表もあったが、これは誤りが判明したからでなく、過去のウソから生じた矛盾を取り繕うためだった。しかし、同時に新たなウソをついていたから、実際の戦果との開きは拡大するばかりだった。
 1943年(昭和18年)になると、ごまかしは戦果以外にも及ぶ。ガダルカナル島からの撤退は「転進」に、アッツ島の守備隊全滅は「玉砕」に言い換えられ、大本営の作戦や補給の失敗は不問とされた。
 辻田さんの集計によると、大本営発表では太平洋戦争中に敵の空母は84隻、戦艦は43隻が撃沈されているが、実際は空母は11隻、戦艦は4隻しか沈んでいなかった。でたらめな戦果は昭和天皇にも奏上され、天皇は戦争末期に「(米空母)サラトガが沈んだのは、今度で確か4回目だったと思うが」と苦言を呈したといわれる。
 太平洋戦争を首相として主導した東条英機*4(1884~1948)は、大本営発表の内容については電話で数回要望を伝えてきただけで、「敗北を隠せ」といった指示はしていない。
 戦争遂行の最高責任者だった東条だが、人に弱みを見せることも多く、軍内部すら完全に掌握できていなかったという。辻田さんも「形式上は天皇が最高指揮官*5だったが、実際にはトップ不在のまま手足が勝手に動いていたのが大本営の実態。誰もコントロールしないからウソがまかり通り、それを誰も止めなかった」と見ている。
 でたらめな大本営発表には、記者発表で仕上げの尾ひれがつけられた。発表後に軍の担当者が「この発表の意図はこうだ」「ここはこう書いてくれ」とオフレコでレクチャーし、記者たちは軍の意向に寄り添った記事を書いた。軍の意向に逆らわず、むしろ積極的に空気を読んで戦争の片棒を担いだメディアの責任も大きい。

◆転進(ウィキペディア参照)
 実際には「敗北による撤退、退却」を意味していたが「敗戦の責任問題追及」や「戦意低下」を嫌っていたため撤退や退却という語を使わずに転進と呼んでいた。この言葉はガダルカナル島の戦いで日本軍が撤退した際の大本営発表で使われた言葉であり、それ以降も日本軍は「転進(敗北による撤退、退却)」を繰り返していった。

*1:2016年刊行

*2:著書『日本の軍歌』(2014年、幻冬舎新書)、『ふしぎな君が代』(2015年、幻冬舎新書)、『文部省の研究:「理想の日本人像」を求めた百五十年』(2017年、文春新書)、『空気の検閲:大日本帝国表現規制』(2018年、光文社新書)、『天皇のお言葉:明治・大正・昭和・平成』(2019年、幻冬舎新書)、『古関裕而の昭和史』(2020年、文春新書)など

*3:決裁のこと

*4:関東憲兵隊司令官、関東軍参謀長、陸軍次官、陸軍航空総監、第二次、第三次近衛内閣陸軍大臣、首相を歴任。戦後、死刑判決。後に靖国に合祀。

*5:形式上ではなく「実質的に昭和天皇が政府・軍のトップ」です。天皇の力量不足や、組織の欠陥で天皇が軍を掌握できなかったとしてもそれは「形式的トップ」と言う話ではありません。