三浦小太郎に突っ込む(2020年3月30日分)

「古関裕而 流行作曲家と激動の昭和」(中公新書)から | 三浦小太郎BLOG Blue Moon

・今日から始まるNHKの朝ドラ「エール」は、ご存知のように古関裕而をモデルにしたものですが、最近*1中公新書から出版された「古関裕而 流行作曲家と激動の昭和」がとてもよく彼の業績をまとめた本だと思いますので、是非お勧めいたします。

 おそらくNHK朝ドラを当て込んだ出版なのでしょうね。
 「古関裕而」でググると三浦が紹介した本「古関裕而 流行作曲家と激動の昭和」(刑部芳則*2、2019年、中公新書)以外にも

【発行年順(発行年が同じ場合は著者名順)】
古関裕而『鐘よ鳴り響け:古関裕而自伝』(2019年、集英社文庫)
◆齋藤秀隆『古関裕而物語』(2019年、歴史春秋出版)
◆青山誠『古関裕而:日本人を励まし続けた応援歌作曲の神様』(2020年、中経の文庫)
◆菊池清麿『評伝 古関裕而(新版):国民音楽樹立への途』(2020年5月刊行予定、彩流社
 2012年に発行した『評伝 古関裕而』の新版。
◆辻田真佐憲『古関裕而の昭和史』(2020年、文春新書)
長尾剛古関裕而・応援歌の神様:激動の昭和を音楽で勇気づけた男』(2020年、PHP文庫)

がヒットしました。

・古関がいわゆる演歌、また歌謡曲の作曲家ではなかったことが、この本を読むとよくわかります。(ボーガス注:戦後はともかく、戦前は)その方面ではなかなかヒット曲を生み出せなかった。やはり、(ボーガス注:戦前は)歌謡曲や演歌においては古賀政男*3こそが第一人者でした。少年時からクラシック音楽に関心の深かった*4古関の曲が花開いたのは、やはり軍歌、戦時歌謡の世界でした。

 アマゾン書評に寄れば、「古関裕而 流行作曲家と激動の昭和」の著者・刑部氏は「軍歌が流行る時代がなければ、つまり戦争(日中戦争、太平洋戦争)がなければ古関は作曲家として古賀政男と並び称されるほどの存在にはなれなかったかもしれない」と書いているそうです(一方、古賀は戦争勃発以前から人気作曲家だった)。
 それはともかく、いわゆる軍歌、戦時歌謡も、メロディーやリズムなどが「演歌や歌謡曲」と全く関係ないわけではないのでこうした三浦の書き方はいかがなもんでしょうか。
 なお、ウィキペディア戦時歌謡」によればこの言葉は「戦後、長田暁二*5が考案した言葉」でリアルタイムの言葉ではありません。
 なお、「戦後、そうした古関の軍歌、戦時歌謡作曲家の面がかなり忘れ去られた」のはある意味当然でしょう。
 戦後も古関は

◆「栄冠は君に輝く」(1948年発表)
 夏の全国高等学校野球選手権大会の大会歌として大会の開会式、閉会式で演奏される。
◆「君の名は」(1953年発表)
 NHKラジオドラマ『君の名は』の主題歌
◆「ひめゆりの塔」(1953年発表)
 今井正監督の映画『ひめゆりの塔』の主題歌
◆「モスラの歌」(1961年発表)
 本多猪四郎監督の映画『モスラ』の主題歌
◆「巨人軍の歌闘魂こめて)」(1963年発表)
◆「オリンピック・マーチ」(1964年発表)
陸上自衛隊隊歌「栄光の旗の下に」(1970年発表)
◆「純白の大地(札幌冬季オリンピックの歌)」(1971年発表)
ウィキペディア古関裕而」参照)

と作曲を続け、一方、軍歌、戦時歌謡は戦後においては昔ほどの人気はなくなったからです(まあ、軍歌と一緒にするのは違うでしょうが「栄冠は君に輝く」(1948年発表)、「巨人軍の歌闘魂こめて)」(1963年発表)、陸上自衛隊隊歌「栄光の旗の下に」(1970年発表)などは戦意高揚という意味では共通点はあります)。しかし朝ドラがそうした古関の『軍歌、戦時歌謡作曲家の面』をどう描くかは気になるところです。安倍政権下と言うこともあり、「つくる会理事」というプロ右翼・三浦が「日中戦争、太平洋戦争美化」の方向で描くことを期待していることは確かでしょうが。

・今日から始まるNHKの朝ドラ「エール」は、ご存知のように古関裕而をモデルにしたものですが、最近中公新書から出版された「古関裕而 流行作曲家と激動の昭和」がとてもよく彼の業績をまとめた本だと思いますので、是非お勧めいたします。
・この本ではとても印象的なエピソードが紹介されていました。フィリピンの決戦に向けて軍部が「比島決戦の歌」を戦意高揚のために西城八十作詞、古関作曲で依頼してきた時、歌詞の中に、敵将のマッカーサー*6ニミッツ*7の名前を入れて敵愾心をあおるようにせよという注文がありました。西城八十は断固拒否したのですが、最終的には妥協し「いざ来い、ニミッツマッカーサー 出てくりゃ地獄へ逆落とし」という歌詞が付きました。
 しかし、当時の新聞に、以下のような投書が国民からあったのでした。
「低調な歌。口汚い句で相手を罵って、それで己の優越を示そうとする長屋のケンカの悪口雑言と何の選ぶところもない」
「低調下等な歌を歌って、心を高めるものがあるか」
「もっと堂々と、清く高らかな感情を持って胸いっぱい歌える歌であってこそ、戦意は高まるのだ。」
 このような精神を戦中も持ち続けた日本国民*8の姿に、現在の私たちも学びたいと思います。

 「つくる会理事」三浦のようなゲス右翼が恥知らずにもよくもこんな「心にもない虚言」がいえたもんです。三浦は「度外れた嘘つき」「サイコパス(平たく言うと人格破綻者、キチガイ)」と呼んで何ら問題ないのではないか。
 三浦のようなゲス右翼とよくもまあ、id:noharraもつきあえるもんです。
 むしろそうした「敵とは言え悪口雑言は下劣、建設的な批判をして欲しい」という類の批判を「敵を罵って何が悪い」「どこが下劣だ!」と言って逆ギレするのが三浦らウヨではないのか。三浦らウヨの中国、韓国、日本共産党などへの悪口雑言は聞くに堪えない下劣な代物です。時には「中国は沖縄侵略を企んでる」「日本共産党は今も暴力革命方針を捨ててない」などデマもありますし。

【参考】

古関裕而(1909~1989年、ウィキペディア参照)
・1969年(昭和44年)、紫綬褒章を、1979年(昭和54年)、勲三等瑞宝章を受章。
・戦時中は軍歌や戦時歌謡(「露営の歌(1937年)」、「愛国の花(1938年)」、「暁に祈る(1940年)」など)を多く作曲している。
・古関の没後、国民栄誉賞の授与が遺族に打診されるも古関の遺族はこれを辞退した。その理由について、古関の長男は「元気に活動しているときならともかく、亡くなったあとに授与することに意味があるのか」と没後追贈に疑問を持ったためとしている。
 なお、ウィキペディア国民栄誉賞」によれば、「国民栄誉賞の没後追贈」としては作曲家「古賀政男」(1978年、福田赳夫内閣)、登山家「植村直己」(1984年、中曽根内閣)、歌手「美空ひばり」(1989年、宇野内閣)、漫画家「長谷川町子」(1992年、宮沢内閣)、作曲家「服部良一*9」(1993年、宮沢内閣)、俳優「渥美清」(1996年、橋本内閣)、作曲家「吉田正」(1998年、橋本内閣)、映画監督「黒澤明」(1998年、橋本内閣)、作曲家「遠藤実」(2009年、麻生内閣)、俳優「森繁久弥」(2009年、鳩山内閣)、元横綱大鵬」(2013年、第二次安倍内閣)がいる。

*1:刊行は2019年11月

*2:日本大学准教授。著書『洋服・散髪・脱刀:服制の明治維新』(2010年、講談社選書メチエ)、『明治国家の服制と華族』(2012年、吉川弘文館)、『京都に残った公家たち:華族の近代』(2014年、吉川弘文館歴史文化ライブラリー)、『帝国日本の大礼服』(2016年、法政大学出版局)、『三条実美』(2016年、吉川弘文館)、『公家たちの幕末維新:ペリー来航から華族誕生へ』(2018年、中公新書

*3:1904~1978年。日本作曲家協会を創設し、初代会長。代表作として『丘を越えて』、『酒は涙か溜息か』、『影を慕いて』(以上、歌・藤山一郎)、『湯の町エレジー』(歌・近江俊郎)、『無法松の一生』(歌・村田英雄)、『東京五輪音頭』(歌・三波春夫)、『柔』、『悲しい酒』(以上、歌・美空ひばり)など。死後の1978年に国民栄誉賞受賞(当時は福田赳夫内閣)。

*4:一方、古賀が造詣が深く、作曲にも反映されていたのはマンドリンギターです(ウィキペディア古賀政男」参照)。

*5:1930年生まれ。ポリドール・レコード(現・ユニバーサルミュージック)学芸部長、徳間音工(現・徳間ジャパンコミュニケーションズ)常務取締役、テイチクエンタテインメント顧問などを歴任

*6:米国陸軍参謀総長、フィリピン軍軍事顧問、南西太平洋方面連合国軍総司令官、連合国軍最高司令官、国連軍司令官など歴任

*7:米国太平洋艦隊司令長官、海軍作戦部長など歴任

*8:そんなんは当時において少数派でしょうに三浦も良くも言ったもんです。

*9:1907~1993年。代表作として『東京ブギウギ』(歌・笠置シヅ子)、『青い山脈』(歌・藤山一郎)、『銀座カンカン娘』(歌・高峰秀子)など