今日の産経ニュース(2020年4月12日分)

【書評】文化部編集委員・喜多由浩が読む『台湾を築いた明治の日本人』渡辺利夫著 高い志と情熱注いだ姿 - 産経ニュース

・高収量の「蓬莱(ほうらい)米」を開発した磯永吉(いそえいきち)
・東洋一のダムを建設し、大規模灌漑(かんがい)施設によって、不毛の地を大穀倉地帯に変えた土木技師の八田與一(はったよいち)、軍政から民政への変革で、近代化の礎を築いた第4代総督の児玉源太郎*1と、実質的にその指揮を執った民政局長(後に長官)後藤新平*2

 「築いた」といったところで植民地統治であって、慈善事業じゃないですからね。


【昭和天皇の87年】万歳三唱して処刑台に立った7人 陛下は泣いておられた… - 産経ニュース
 有料記事なので途中までしか読めませんが。まあ、「自分は助かって部下だけ死刑」では、さすがに「部下にだけ押しつけてすまない」と思って「泣く」くらいは大抵の人間はするんじゃないですかね。
 その程度で「昭和天皇は優しい」なんて片腹痛い。

 戦勝11カ国*3で構成する極東委員会は1946(昭和21)年4月、天皇不起訴の方針を固めたが、裁判長のウエッブ(豪州)や判事の梅汝●(=王へんに土の下に方、右に攵)*4(中国)らは、少なくとも証言台に立たせるべきだと考えていたのだ(※1)。
 昭和天皇が証言台に立てばどうなったか。首席検事のキーナンが言う。
 「マックアーサー元帥が余に語つたところによれば、もし天皇が証人として出廷させられたならば、天皇自身はわれわれが証拠によつて見出した彼に有利な事実をすべて無視し、日本政府のとつた行動について自ら全責任を引受ける決心があったという。すなわち証拠によつて天皇は立憲国の元首であり、法理上、また職責上必ず側近者の補佐に基いて行動しなければならなかつたことが証明されているが、それにもかゝわらず、天皇はもし出廷させられたとしたら、このようなことを自己の弁解に用いるようなことは一切しなかつたであろう…」

 「嘘八百も大概にしろ」ですね。昭和天皇独白録では明らかに「私は悪くない、悪いのは軍部だ」「立憲君主として、政府が決めたことに従うしかなかった」「開戦に反対したら軍のクーデターが起こっていたかもしれない」と言うみっともない言い訳しかしてない男がそんなことをするわけもないでしょう。そもそも昭和天皇は「天皇の戦争責任問題」の浮上を恐れて「証言台に立たないようにする政治工作」も確かやっていたと思います。つまりは「安倍昭恵を絶対に森友疑惑で証人喚問、参考人招致しない(自民)」と同じような話です。
 そもそもマッカーサーもキーナンも「米国政府幹部」として天皇不訴追に積極的に動いた人間であり、中立的立場では全くありません。その「天皇美化発言」には何ら客観性はありません。彼らの発言は二階幹事長ら自民幹部が「安倍昭恵氏の証人喚問や参考人招致は不要」というのと似たり寄ったりの代物でしかない。
 ちなみに記事タイトルの万歳三唱ですが

東條英機・広田弘毅ら7人、絞首刑執行 / クリック 20世紀
・十一時半にもなったので、私は大急ぎで一階にかけ降りて、 再び仏間の用意をし、コップにブドー酒をつぎ、水を入れたりして七人の到来を待った。 まもなく三階から処刑第一組として土肥原*5、松井*6、東条*7、武藤*8の四人の順で、列をつくって降りて来られた。
・係官から時間が七分しかないということをいわれたので、取敢えず仏間のローソクの火を線香につけて、 一本ずつ手渡し、私が香炉を下げて手もとに近づけて立てていただき、それから仏前に重ねておいた奉書に署名をしてもらった。 不自由な手ながらインクを含ませた筆をとって、土肥原さんから順に筆を揮った。 それからコップに一ぱいのブドー酒*9を口につけてあげて飲んでもらう。 東条さんの「一ぱいやりたい」も、どうやらこれで果され、大変な御機嫌であった。
 その後、まだ二分あるというので、『三誓偈』の初めの三頌を声高らかに私は読んだ。 四人は頭を下げて、静かに瞑目して聞いておられ、終った時、「非常に有難うございました」とお礼をいわれた。誰いうとなく「万歳」という声が出て、たぶん東条さんと思うが、「松井さんに」というので、松井さんが音頭をとって「天皇陛下万歳」を三唱、 さらに「大日本帝国万歳」三唱を共に叫ばれた。
・仏間に戻って、再び用意して待っているところへ、第二組の三人、 板垣*10、広田*11、木村さん*12が降りて来られた。 顔を合せると、すぐ広田さんが真面目な顔で、「今、マンザイをやってたんでしょう」といわれた。
 「マンザイ? いやそんなものはやりませんよ。どこか、隣りの棟からでも、聞えたのではありませんか」
 私も真面目に、こうこたえた。
・今度は時間があったので『三誓偈』を全部読んだ。 お経の終ったあとで、広田さんが、「このお経のあとで、マンザイをやったんじゃないか」といわれた。 私も、やっと気がついて、「ああバンザイですか、バンザイはやりましたよ」といった。 それでやっと、マンザイがバンザイだとわかって、「それでは、ここでどうぞ」というと、広田さんが板垣さんに、「あなた、おやりなさい」とすすめられ、板垣さんの音頭で、大きな、 まるで割れるような声で一同は「天皇陛下万歳」を三唱された。
花山信勝巣鴨の生と死*13」P.382

東條英機・広田弘毅ら7人、絞首刑執行 / クリック 20世紀
・ 花山*14が水を入れたコップ七つとブドウ酒のコップ七つを準備してまもなく、土肥原、松井、武藤、東條が二階から降りてきた。 午後十一時四十分だった。
・仮りの仏間での最後の儀式が行なわれた。 花山が線香に火をつけ四人に渡し、四人はそれを香炉にいれた。 辞世の句を書いてもらおうと用意していた筆と硯をさしだし、せめて名前だけでもと花山が言うと、 四人は動かぬ右手に筆を握り、土肥原、松井、東條、武藤の順で署名した。
 つぎに花山はブドウ酒のコップを手にして、四人の口にあてた。 アメリカ人将校の差し入れのブドウ酒だった。 彼らはぐいぐい飲んだ。
「うまいなあ」
 東條だけが声を発した。花山が『三誓偈』の一部を読経した。
 護衛の将校が処刑場にむかうよう促した。 そのとき誰いうともなく、「萬歳を」ということになり、武藤が「東條さんに」と名ざしした。 すると東條は「松井さんに」と答えた。松井は彼の先輩にあたる。 松井が音頭をとり「天皇陛下萬歳」を三唱した。 ついで「大日本帝国萬歳」を三唱した。
・四人の将軍は、アメリカ人のまえで三唱できたことに充足を覚えたようであった。 大日本帝国の「大」も「帝国」も消滅したのに、彼らは死の瞬間まで大日本帝国でしかものを考えられないことに、 花山はいささかの異和感をもった。
 萬歳三唱のあと四人は、両隣りの兵士に「ご苦労さん、ありがとう」と言った。 それから花山の手を握り、期せずして同じことばを吐いた。
「先生、いろいろお世話になりました。 どうか国民の皆さんによろしく。家族もよろしく導いてください。先生もお身体をお大事に」
保阪正康東條英機天皇の時代(下)*15』P.300

広田弘毅ウィキペディア参照)
 処刑に際し、先に執行された東條らの万歳三唱について「いま、『マンザイ』をやっていたのでしょう」と日本人で唯一立ち会いが許された教誨師で僧侶の花山信勝に問いかけたとされる。これについては広田の出身地である福岡の発音では「バ」と「マ」が混同しやすいことから生じた聞き間違いではないかと言われている。なお、広田を主人公とした城山三郎の小説『落日燃ゆ』(新潮文庫)では「東條ら陸軍統制派に批判的だった文官の自分が東條らと共に処刑されるのは漫才のようなもの」との皮肉を込めたとも受け取ることができる描写がされている。また、後から処刑執行された広田らの組も万歳をしたが、城山は、広田は万歳に加わらなかったと書いている。しかし現場にいた花山は、著書『巣鴨の生と死』(中公文庫)において、広田も含め、一同で万歳三唱したと書いており、城山が小説「落日燃ゆ」で記述したことについて、講演でも「広田さんも一緒に天皇陛下万歳大日本帝国万歳を三唱された。作者の誤解にすぎない」と明確に否定している。

だそうです。

*1:陸軍次官(陸軍省軍務局長兼務)、台湾総督、第4次伊藤、第1次桂内閣陸軍大臣参謀総長など歴任

*2:台湾総督府初代民政長官、南満州鉄道初代総裁、第2次桂内閣逓信相(内閣鉄道院総裁兼務)、第3次桂内閣逓信相、寺内内閣内務相、外相、東京市長、第2次山本内閣内務相(帝都復興院総裁兼務)、東京放送局NHKの前身)初代総裁など歴任

*3:米国、英国、フランス、ソ連、中国(以上は後の国連安保理常任理事国、なおこの時期の中国は蒋介石中華民国)、オランダ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、インド、フィリピンの11カ国のこと。

*4:東京裁判判事(中国代表)、中華民国司法相を歴任。国共内戦では、台湾に亡命せず大陸に残留。新中国建国後は全国人民代表大会代表、中国人民政治協商会議代表等を歴任

*5:天津特務機関長、奉天特務機関長、陸軍航空総監、第7方面軍(シンガポール)司令官などを歴任。戦後、死刑判決。後に靖国昭和殉難者として合祀

*6:台湾軍司令官、上海派遣軍司令官、中支那方面軍司令官などを歴任。戦後、死刑判決。後に靖国昭和殉難者として合祀

*7:関東憲兵隊司令官、関東軍参謀長、陸軍次官、陸軍航空総監、第二次、第三次近衛内閣陸軍大臣、首相などを歴任。戦後、死刑判決。後に靖国昭和殉難者として合祀

*8:参謀本部作戦課長、中支那方面軍参謀副長、北支那方面軍参謀副長、陸軍省軍務局長(調査部長兼務)、近衛師団長、第14方面軍(フィリピン)参謀長など歴任。戦後、死刑判決。後に靖国昭和殉難者として合祀

*9:「ワイン」でないあたり、時代を感じます。

*10:関東軍高級参謀として満州事変を実行。関東軍参謀長、第1次近衛、平沼内閣陸軍大臣支那派遣軍総参謀長、朝鮮軍司令官、第7方面軍(シンガポール)司令官などを歴任。戦後、死刑判決。後に靖国昭和殉難者として合祀

*11:齋藤、岡田、第一次近衛内閣外相、首相を歴任。戦後、死刑判決。後に靖国昭和殉難者として合祀

*12:関東軍参謀長、陸軍次官、ビルマ方面軍司令官など歴任。戦後、死刑判決。後に靖国昭和殉難者として合祀

*13:中公文庫

*14:教誨師花山信勝のこと。

*15:1988年、文春文庫