今日の産経ニュース(2020年4月19日分)

【主張】東アジアでの協力 日本は危機克服の先頭に - 産経ニュース
 やれやれですね。なんで先頭なのか。
 韓国や台湾がコロナ封じ込めに一定の成果を上げ、その結果、かの国では政権支持率は高止まりしています。韓国ではその結果、先日の国会議員選挙で与党が大勝した。一方、日本は安倍の無策で事態を悪化させ、収束の見込みも当面ない。
 俺のような安倍批判派にとっては「まだ高い」とはいえ政権支持率も減少傾向です。
 この状況下で「韓国や台湾から学ぶべきは学びたい」ならまだしもどの面下げて「先頭に立ちたい」なんて寝言が言えるのか。
 大体「東アジアでの協力」と言うタイトルで

日本は全土で緊急事態宣言が出ているが、アジア地域の先進国としてASEANなどへの支援、協力の先頭に立つべきだ。

と言うのも意味不明です。東南アジア(ASEAN)は東アジアではない。東アジアとは「中国、台湾、韓国、北朝鮮、モンゴル」のわけです。まあ、アジア全体でも「コロナ蔓延国家」日本が先頭なんて馬鹿げてますが、東アジアならばもっと馬鹿げています。繰り返しますが韓国や台湾の方がずっと成果を上げてるわけですから。結局「東アジアで日本が先頭」なんていっても世間に相手されないことを自覚してるから、そして台湾はともかく嫌韓国の産経として韓国を持ち上げたくないから「ASEAN」云々と言い出すんじゃないのか。


「生きて帰って申し訳ありません」と父は玄関前に立ち尽くした 秋田「正論」友の会会長で医師の佐藤典子さん(63) - 産経ニュース

 巌とした主義主張があるわけではなく“なまくら保守”“うっすら保守”の私

 「秋田・正論友の会」会長なんてがちの極右以外何物でもないのに「おいおい」ですね。
 本気でこう考えてるのか、自分の極右性を自覚しながら強弁してるのかはともかく。

 父は15歳で海軍飛行予科練習生(予科練)に志願後、水上特攻艇「震洋」で沖縄戦に出撃する2日前に終戦を迎えた。
 1年がかりでボロボロになって諏訪に帰り着いた父は「生きて帰って申し訳ありません」と自宅玄関前に立ち尽くしていたという。

 この点は、岩井忠正、岩井忠熊*1『特攻:自殺兵器となった学徒兵兄弟の証言』(2002年、新日本出版社)の岩井兄弟とは大分違うなと言うのが俺の感想です。この父親はよほどの極右なのでしょう。だから娘も極右になると。
 岩井兄弟(兄・忠正氏が「人間魚雷・回天→人間機雷・伏龍」、弟・忠熊氏が水上特攻艇「震洋」)はこの著書において

・自分たちは自発的に「志願」はした。
・しかしそれは戦後、冷静になってから思えば「国を、家族を守るために何かしなければいけない」という切迫感と「そのためには特攻しかない」という時代の空気に後押しされた物で、本当の意味では自発的ではなかった
・今、冷静になってみると「特攻なんかしても戦況は変わらない」と自分の志願の馬鹿馬鹿しさが分かる(ただし、伏龍についてはさすがに当時から、忠正氏も、当時の戦友も「実戦使用できると思えない(上層部はアホか?)」と疑わざるを得なかったそうですが)

と書いています。終戦後、まず感じたことは「敗北の挫折感、屈辱感*2」でも「敗戦して天皇に申し訳ないという右翼的感情」でもなく「無謀な戦争で日本を敗北させた天皇らへの怒り*3」でもなく「これで死なずに済む、生きて家族の元に返れる」と言う喜び(やはり自分たちは本心では死にたくなかったのだ)と、その一方で「敗戦後のこれから日本はどうなるのだろう、自分はどう生きたらいいのか?*4」という不安だったとお二人は書いています。
 「戦争がどんな結末になる*5にせよ、戦争が終わる前に自分は戦死するだろう」と思っていたからこそ「死なずに終戦」と言う意外な結末に「喜び」と「その一方での不安」が大きかったと。
 そう言う日本人は割と多いのではないか。

「当時、国家存立の危機にひんした日本を守ろうと、国民の多くは同じ思いで戦ったんです。その事実が戦後長らく伏せられ、戦前の日本を全面否定する風潮がはびこった。当時を知る人々がほとんど亡くなると、その風潮は度を増している」と、父の面影を思い出すように語る。

 呆れて二の句が継げませんね。例えば岩井兄弟のように「当時を知ってる人間」だって「あの戦争は無謀だった」「ハルノートを受け入れた方がましだった」などと戦前日本を批判する人間はいるわけです。あの時代を知ってるかどうかではなく、あえて言えば「良識があるかどうか」ですね。この「秋田正論友の会会長」の様な人間には良識がないわけです。そういったら「馬鹿にするな」と怒り出すのでしょうが。
 良識があればあんな無謀な戦争は支持など出来ません。
 大体「日中戦争、太平洋戦争は愚か戦争だった」のどこが「戦前の日本を全面否定」なのか。戦前の日本とは「日中戦争、太平洋戦争」とイコールなのか。


【昭和天皇の87年】アメリカをうならせた天皇の政治センス 首相のミスを見事にカバー - 産経ニュース
 有料記事なので途中までしか読めませんが「おいおい」ですね。戦後においても天皇が権力行使することに何の疑問も持たないバカが産経の訳です。

 毛沢東は49年10月、中華人民共和国の建国を宣言する。
 熾烈(しれつ)なイデオロギー対立は日本の占領統治にも影響した。リベラル政策を進めるGHQ民政局のニューディーラーたちが、退場することになったのだ。

 いわゆる逆コースです。これによって「無期禁固刑を受けた賀屋興宣(第一次近衛、東条内閣蔵相)」が釈放され公職追放も解除されて政界復帰(賀屋は自民党政調会長(池田総裁時代)、池田内閣法相など歴任)するなどの「反動」が起こり、今の「極右・安倍政権」につながっていくわけです。

*1:1922年生まれ。立命館大学名誉教授。『明治国家主義思想史研究』 (1972年、青木書店)、『天皇制と日本文化論』(1987年、文理閣)、『学問・歴史・京都』(1988年、かもがわ出版)、『天皇制と歴史学』(1990年、かもがわ出版)、『学徒出陣』(1993年、かもがわ出版)、『明治天皇 』(三省堂、1997年)、『大陸侵略は避け難い道だったのか:近代日本の選択』 (1997年、かもがわ出版)、『近代天皇制のイデオロギー』 (1998年、文理閣)、『西園寺公望:最後の元老』(2003年、岩波新書)、『戦争をはさんだ年輪:歴史研究者のあゆみ』 (2003年、部落問題研究所)、『陸軍・秘密情報機関の男』(2005年、新日本出版社)、『「靖国」と日本の戦争』(2008年、新日本出版社)、『十五年戦争期の京大学生運動』(2014年、文理閣)など

*2:全くないわけではないが、それよりも「喜びと不安が大きかった」としています。

*3:もちろん現在ではそうした感情をお二人は持ってるわけですが、それは戦後大分時間がたって物事を冷静に見れるようになって、また昭和天皇の言動について様々な情報が出るようになってからのことだそうです。

*4:ただし忠熊氏は「大学に戻って、日本史研究を再開したいとは思った」と書いていますが。

*5:ただしお二人は日本本土に爆撃が来る状況下では「敗戦するだろう」とは見ています。そして、にもかかわらず「負ける戦争で死んでたまるか」と思えず「特攻を決意した」のは当時の自分らの精神的限界だったとしています。