【正論】主権認識に挑戦する「不正検定」 東京大学名誉教授・小堀桂一郎 - 産経ニュース
その事件とは4月10日付の本欄で藤岡信勝氏*1がその重大性を簡潔に伝へてをられる所だが、「新しい歴史教科書をつくる会」編集の中学校用歴史教科書に向けての文科省の異常な敵意の発露である。
事件の本体が発生したのは昨年11月の事で、その具体的な終始はその教科書の編集責任者の一人である藤岡氏が本年2月末発売のオピニオン誌*2に詳細な報告を載せてをられ、同じ雑誌の次の号*3に同氏他二名*4の教科書編纂(へんさん)に携はつた方の鼎談(ていだん)記事もあるので、本稿での重ねての引用紹介は控へておく。
≪「新編日本史」への外圧検定≫
この事件の詳細をオピニオン雑誌の紙面で知つた時、筆者の脳裡(のうり)に自然に甦つて来たのが、自身が経験した昭和61年7月の「新編日本史外圧検定事件」であつた。
で、
昭和61年の所謂(いわゆる)外圧検定事件の特徴は「新編日本史」の出現を憎み嫌ふ朝日新聞*5が北京政府からの内政干渉を導入してその刊行を妨害しようと企(たくら)んだ事である。この陰謀が功を奏して、一旦合格と決つた教科書に対し、中共政府からの抗議が外務省に入り、文部省がそれを受けて、新たな訂正要求を受容れぬ限り合格を取消す、との脅迫*6に及んだ事件である。
などと小堀が新編日本史修正のことを書き出すのには呆れます。
「今回のつくる会教科書検定不合格と、新編日本史修正と直接関係ねえだろ」「お前ら、ウヨの考えに文科省(文部省)が駄目だししたと言うことと、文科省(文部省)のバックにはどちらも首相(中曽根と安倍)の意向があったこと、その意向としては「中国ビジネスの重視」と言う面があったことしか、新編日本史修正とつくる会教科書検定不合格には共通点ねえじゃん」ですね。
それにしても、今回の検定不合格で小堀らつくる会右翼は「文科官僚を許さない!」といっても「安倍*7首相と萩生田*8文科相を許さない」と言わないへたれぶりですが、新編日本史修正(1986年7月)についても「文部官僚を許さない!」とはいっても「中曽根*9首相と藤尾*10文相を許さない*11」と言わないへたれなのだから呆れます。
◆歴史教科書問題(ウィキペディア参照)
「日本を守る国民会議(現:日本会議)」編の高校用教科書『新編日本史』(原書房) を中国が批判。中曽根康弘首相が文部省に検討を要請し、5月27日に異例の再審議が行われた。
戦後歴史認識の変遷を読む(全4回):第3回「中曽根康弘の時代~歴史認識問題の外交問題化」 | 研究プログラム | 東京財団政策研究所佐藤晋(東京財団政治外交検証研究会メンバー/二松学舎大学教授)
3. 中曽根内閣期の歴史認識問題
先に中曽根内閣は第2次円借款供与を決定したが、ここには従来同様、中国の改革開放を支援し、その西側への編入と穏健化を図る狙いとともに、戦争責任の清算という意味合いもあった。中曽根は1984年3月の訪中時に、日本の対中経済協力について謝意を表明した胡耀邦*12(ボーガス注:中国共産党総書記)にむかって、「かえって恐縮しており、対中協力は戦争により大きな迷惑をかけた反省の表れであり、当然のことである」と述べていたのである。このように長期的な日中提携に向けて、過去の負の遺産を片付ける必要性を中曽根も抱いていた。
◆第2次歴史教科書問題(1986年)
1986年5月に第2次教科書問題が発生する。まず「日本を守る国民会議」編の高校用日本史教科書が検定を通過したことに対し、韓国のマスコミ・世論が強く反発した。その直後に中国政府も異議の表明を行った。すでに文部省は検定通過までに多くの訂正を要請していたが、中韓の批判にさらされた中曽根の指示を受け、追加的な修正を要求した。その一方で、外務省からは出版社に出版を断念してはどうかとの申し入れがなされた。結局、検定期日を過ぎて以降の文部省による修正指示を執筆者側が受け入れて、7月7日に改めて検定通過が通知された。中曽根首相が、文部省に再検討を指示し、外務省も多くの修正を行ったとされる事態には、ナショナリズム色の強い意見を押さえ込んで中韓両国との関係を維持したいという政権の判断があった。
こうした異例の措置により一時的に問題は沈静化したが、同年7月に藤尾正行文部大臣が東京裁判を批判するなどした、いわゆる「藤尾発言」問題を引き起こし、9月に発行された『文藝春秋』の中で、藤尾が東京裁判批判や日韓併合には韓国側にも責任があったという主張を行うという問題が生じた。これに韓国・中国は反発したが、中曽根首相が藤尾文相をすばやく罷免*13することで、問題は沈静化した。
ということで「政府(文部省)による新編日本史の修正要求」は「藤尾更迭」とともに明らかに「中国ビジネスを重視する中曽根」の意思による物ですが、それでも小堀らは中曽根を「中国に媚びるな!」などとは批判できないわけです。
まあ小堀らウヨ連中は「新編日本史修正」だけでなく「靖国参拝中止」でも「藤尾文相更迭」でも中曽根を批判しませんが(ただし内心ではおそらく中曽根を深く憎悪しているでしょうが)。
「中曽根と安倍」はどうやら小堀らウヨにとって「絶対に批判できないウヨ政治家の筆頭」のようです。これが中曽根や安倍でなく「宮沢*14首相」などリベラル派の首相ならためらいなく悪口でしょうが。
この点、酒井信彦などは
【新聞に喝!】教科書事件も見逃すな 元東京大学史料編纂所教授・酒井信彦(1/2ページ) - 産経ニュース
11月29日、中曽根康弘元首相が101歳という高齢で亡くなった。翌30日の新聞各紙には中曽根氏の実績が改めて報じられたが、その評価は総じて高いようである。しかし、批判的に論ずべき点も多々あるのではないだろうか。
私が特に注目するのは、歴史問題に関する同首相の政治判断だ。中曽根政権下での歴史問題といえば、靖国問題だが、「戦後政治の総決算」を 標榜(ひょうぼう)した首相は、靖国神社の公式参拝に意欲を見せ、1985年の終戦記念日に決行した。しかし、中国からの猛反発を受け、翌年から断念する。
中曽根首相が関与した歴史問題はもう一つある。それは86年の第二次教科書事件と、それに連なる藤尾正行文部大臣の罷免問題だ。82年の第一次教科書事件*15に危惧した保守系の人々が『新編日本史』という教科書をつくり、検定も合格したが、国内で偏向教科書だとの騒ぎが起こり、中韓両国も抗議を行った。この時、中曽根首相は権力をふるって検定をやり直させ、さらにそれに不服*16だった藤尾文相を、月刊誌(ボーガス注:文藝春秋)で韓国統治を擁護した発言をしたとして罷免している。
靖国問題も含めて、目先の安易な対応が、後々で巨大な負の遺産になることを、中曽根首相の死去を機に、改めて解明すべきであるのに、新聞にはその意志がまるで見られない。これだけ重大な問題である第二次教科書事件を、全く無視するのはなぜだろうか。それは首相の権力発動によって検定が覆され、家永教科書訴訟の論理が完全に破綻してしまったこと*17を意味しているからだろう。何しろ家永氏*18の主張は、国家権力は教科書の内容に決して介入してはいけない、というものだったのだから。
として、「靖国参拝中止」「新編日本史修正」「藤尾文相更迭」でためらいなく中曽根を悪口しています。
まあ、「無視する(酒井の表現)」のはある意味当然ですね。
「検定否定論(教科書自由発行論)」の立場でない限り*19、「左派やリベラル保守」にとって中曽根の修正要求行為は「ある程度評価できるもの」であり批判すべき物ではありません。とはいえ中曽根は「所詮ウヨ政治家」なので手放しで「よくやった」と評価するのは違うでしょう。あえて言えば「中曽根は修正要求ではなく不合格にしろよ」と評価する方も居るでしょう。
一方、多くのウヨ連中にとって中曽根は「批判できない存在」であり、中曽根の問題行為(?)「新編日本史修正要求」については「なかったことにして黙り」になるわけです。
結果「無視」ということになる。
まあ、それはともかく、中曽根も安倍も「中国ビジネスを重視する財界の意思」を無視できないと言うことがこうした行為の背景にあるだろうとは思います。
*1:「新しい歴史教科書をつくる会」副会長。著書『自由主義史観とは何か』(1997年、PHP文庫)、『「自虐史観」の病理』(2000年、文春文庫)、『汚辱の近現代史』(2001年、徳間文庫)、『教科書採択の真相:かくして歴史は歪められる』(2005年、PHP新書)など
*2:月刊『Hanada』2020年4月号のこと。
*3:月刊『Hanada』2020年5月号のこと。
*4:他2名とは 月刊『Hanada』2020年5月初夏号 | Hanadaプラスによれば、高池勝彦(「新しい歴史教科書をつくる会」会長)と皿木喜久(「新しい歴史教科書をつくる会」副会長、元産経新聞社論説委員長)のこと。しかし小堀が月刊『Hanada』、高池、皿木の名前を隠す意味がさっぱり分かりません。
*5:中曽根政権の行為で中曽根を批判せず「朝日ガー」とは呆れて二の句が継げません。
*6:渋々でアレ行政訴訟などおこさず書き直し要求に応じたのに後になって悪口雑言とは全く何を考えてるのか(呆)。文句があるなら書き直し要求を拒否して、その結果、検定不合格になったら裁判でも起こせば良いでしょうよ。
*7:自民党幹事長(小泉総裁時代)、小泉内閣官房長官を経て首相
*8:自民党総裁特別補佐(第二次安倍総裁時代)、第三次安倍内閣官房副長官などを経て、現在、第四次安倍内閣文科相
*9:岸内閣科学技術庁長官、佐藤内閣運輸相、防衛庁長官、田中内閣通産相、自民党幹事長(三木総裁時代)、総務会長(福田総裁時代)、鈴木内閣行政管理庁長官などを経て首相
*10:鈴木内閣労働相、自民党政調会長(中曽根総裁時代)、中曽根内閣文相など歴任
*11:当時の文相は、時期的(1986年7月)には海部俊樹氏(1985年12月~1986年7月)と、藤尾正行(1986年7~9月)です。どうも海部氏の行為を後任の藤尾が引き継いで最終決着(修正させた上での検定合格)が藤尾と言うことのようです。
*12:1915~1989年。中国共産党中央組織部長、中央宣伝部長などを経て党総書記になるが1986年に保守派の攻撃を受けて失脚。後任の党総書記には趙紫陽首相が就任した。
*13:通常こういう場合、辞表が提出されますが、藤尾が「絶対に辞めない」「大臣を首にしたければ首相が罷免すればいい」と開き直ったことで中曽根が正式に更迭しました。罷免は「中曽根内閣での藤尾文相罷免」以外は「片山内閣での平野力三農林相罷免」「吉田内閣での広川弘禅農林相罷免」「小泉内閣での島村宜伸農水相罷免」「鳩山内閣での福島瑞穂・少子化等担当相罷免」しかなく極めて異例の行為です(ウィキペディア「罷免」参照)。
*14:池田内閣経済企画庁長官、佐藤内閣通産相、三木内閣外相、福田内閣経済企画庁長官、鈴木内閣官房長官、中曽根、竹下内閣蔵相などを経て首相。首相退任後も小渕、森内閣で蔵相
*15:いわゆる宮沢官房長官談話とそれに基づく近隣諸国条項が定められた
*16:これは酒井の認識がおかしいですね。あくまでも中曽根の藤尾更迭は「月刊文春での韓国併合正当化暴言」が理由で教科書検定は関係ない。
*17:家永氏自身は「検定否定論(教科書自由発行論)」であり中曽根の行為(新編日本史に対する修正要求)にも否定的だったようですが、家永支持者の立場は必ずしもそうではないので「家永訴訟支持者が中曽根の行為を支持したとしても」、「完全に論理が破綻」などしてはいません。「完全に破綻」と評価できるのは「検定否定論(教科書自由発行論)」の立場の人間が、きちんとした説明なしに「中曽根の行為を支持したとき」だけです。「検定はやっていいが公平中立でなければならない」と言う論理なら、家永訴訟を支持する一方で中曽根の行為を容認したとしても、「家永氏への検定不合格は不当だが中曽根の行為は不当ではない(むしろ新編日本史のようなろくでもない教科書にダメ出しが出るのは当たり前)」と評価しただけの話であり、その評価の是非はともかく論理破綻などどこにもありません。
*18:1913~2002年。東京教育大名誉教授。著書『戦争責任』、『太平洋戦争』 (以上、2002年、岩波現代文庫)、『一歴史学者の歩み』(2003年、岩波現代文庫)など
*19:なお、俺は「検定否定論(教科書自由発行論)」の立場ではありません。従ってつくる会の検定不合格を素直に喜んでいます。