三浦小太郎に突っ込む(2020年5月2日分)

ぜひ読んでみてください 下川正晴著「占領と引揚の肖像 BEPPU」(弦書房) | 三浦小太郎BLOG Blue Moon

 私自身、まだほとんど読んでいない本を、読め読めと他人に薦めるのはルール違反です。しかし、それはわかったうえで、この本は是非読んでほしい。いま目次を見てパラパラっと見ただけで確信しました。

 以前も下川正晴氏の新著「忘却の引き揚げ史 泉靖一と二日市保養所」(弦書房)を、この8月、ぜひ読んでほしいので紹介させていただきます | 三浦小太郎BLOG Blue Moonということで下川の本を紹介した三浦が今回も紹介しているわけです(なお、下川関係では三浦は阿南陸相宅を訪れた朝鮮人 「松山武雄」とは誰だったのか 下川正晴氏の取材が明らかにした | 三浦小太郎BLOG Blue Moonと言う記事も書いており、三浦と下川の親密な関係がうかがえます)。
 しかし、泉靖一*1や二日市*2保養所について、ある程度説明していた下川正晴氏の新著「忘却の引き揚げ史 泉靖一と二日市保養所」(弦書房)を、この8月、ぜひ読んでほしいので紹介させていただきます | 三浦小太郎BLOG Blue Moonと比べると今回は明らかにやっつけ仕事ですね。
1)ろくに読んでないので具体的に推薦できないが
2)ウヨ仲間*3である下川*4から「推薦してくれ」と頼まれたので「推薦しました」というのがモロバレの推薦の仕方ですね。
 これで読みたがる奴は普通いないでしょう。
 まあ、三浦は

・推薦しろと言われても、こんな駄本、推薦しようがないわ。でも、まあウヨ仲間でしがらみがあるから、仕方がないから推薦してやった

という意味合い(渋々推薦してることが分かるような形で推薦し、事実上『推薦したくない』と言う本心を表明した)でこう書いてるわけではないでしょうが、下川からすれば「こんな推薦ならしない方がましだ(憮然)」かもしれません。

 阿南惟幾*5とその妻子、山田洋次寺山修司朴慶植*6水上勉、「復讐するは我にあり」、戦災孤児朝鮮戦争別府温泉、博覧会*7、戦後のキャバレー、何の脈絡もなく並んでいるかに見えるこれらの名前やキーワードが、本書には何らかの形で別府という街、戦後占領期という時で重なり合ってゆく。

 まあ、これでは意味がさっぱり分からないですが、ググって分かったことを書いておきます。
 ウィキペディア阿南惟幾(あなみ・これちか)」によれば、阿南は「父親の出身が大分県竹田市」だそうです。どうも「阿南(あなみ)」という珍しい姓は大分に多いようです。
 山田洋次は「寅さんの撮影場所が別府温泉なのかな?」と想像がつきます(寅さん作品が地方自治体とタイアップした地方ロケが多いことは今更言うまでもないでしょう)。
 ググったら、寅さんシリーズ第12作『男はつらいよ 私の寅さん』(1973年公開、マドンナは岸惠子)、第30作「男はつらいよ 花も嵐も寅次郎」(1982年公開、マドンナは田中裕子)が別府温泉で撮影したようです(例えば大分県 別府|松竹映画『男はつらいよ』公式サイト| 松竹株式会社大分県 別府鉄輪温泉|松竹映画『男はつらいよ』公式サイト| 松竹株式会社参照)が別府温泉で撮影したようです。
 また、「監督作品ではない」ですが、山田が脚本で関わった『釣りバカ日誌19 ようこそ!鈴木建設御一行様』(2008年公開。マドンナ役(?)の常盤貴子(鈴木建設社員、大分出身)は会社慰安旅行(別府温泉)の幹事という設定)が別府温泉で撮影したようです。
 朴慶植については「朴慶植、大分」でググったところ、

朴慶植文庫 - 朴慶植氏の略歴
 1929年3月、両親に連れられ日本に渡り、大分県西国東郡朝田村(現在、大田村*8)に住む。1937年3月、同郡田原村(現在、大田村)田原高等小学校卒業、1940年3月、同村私立習説校卒業。

と言う記事がヒットしました。
 水上勉については「水上勉、別府」でググったところ、

水上勉ウィキペディア参照)
 次女が二分脊椎症という病気であったことなどから身体障害者の問題に関心を持ち、中村裕による福祉工場「太陽の家(本部・大分県別府市)」設立に参加し、東京在住理事も務めた。

大分中村病院トピックス
 父*9が1965年に創設した「太陽の家」も、水上先生の献身的なサポートがあったからこそ誕生し、発展していきました。そもそも父は「別府リハビリテーションセンター」といった名前を考えていたそうですが「太陽の家」と名づけたのは水上先生です。

【オリンピズム】共生社会って何だろう…(2)太陽の家なんか、なくなれ(1/3ページ) - 産経ニュース
 1965年10月、別府市大字内竈の地に障害をもつ15人が働く「家」は生まれた。
 「太陽の家」と命名した作家の水上勉は、脊椎に障害をもって生まれた次女の治療を受けた縁で生涯、中村を支援し続けた。

水上勉 木綿恋い記(ゆふごいき) | 由布市商工会 挾間支所のブログ
 水上勉の小説「木綿恋い記(ゆふごいき)*10」を紹介します。
 昭和の文豪、水上勉さんの作品です。
 由布市を舞台として戦中、戦後の塚原、由布院、湯平温泉の様子を鮮やかに描いています。
 別府や由布院に米軍が駐留していたこと、由布院に赤線があったこと、かつての湯平温泉の華やかなりし時代、日出生台(ボーガス注:の米軍基地*11)から朝鮮戦争への出兵、戦争を知らない世代の私たちが、世相を踏まえた地元地域の様子を知ることができます。

ということで別府とつながりがあるようです。
 「復讐するは我にあり」ですが

【別府市】今村昌平監督「復讐するは我にあり」: 大分聖地巡礼
 緒形拳が実際にあった凶悪事件の犯人を演じた作品。原作は佐木隆三*12の同名小説で直木賞を受賞した。主人公の実家が別府市の鉄輪温泉の旅館だったことから、リアリティを追及する今村監督は県内で約1カ月に及ぶ長期ロケを敢行したそうです。鉄輪温泉をはじめ、別府ロープウェイ久大線日出駅別府国際観光港、明礬温泉などが映っています。

『復讐するは我にあり』今村昌平 1979 | | 偏愛的映画案内
 別府で温泉宿を営む榎津(緒形拳*13)の実家は、父(三國連太郎*14)と病身の母(ミヤコ蝶々)、妻の加津子(倍賞美津子*15)と二人の娘がいたが、榎津は家を嫌って女のところを渡り歩いた末、今回の殺人事件を起こした。

西口彰連続殺人事件
 1925年、大阪生まれ。家は代々カソリック信徒で、西口も5歳で洗礼を受ける。
 戦前、大分県別府市に移り、旧姓中学に入学。
(中略)
 別府刑務所を出所後は運転免許をとり、妻子を大分県別府市の両親に預け、1人出てきた行橋市で運転手をしていた。この仕事は63年10月5日まで続けていたが、それ以降は欠勤していた。
 10月18日、福岡県で専売公社の運転手2人を殺害、たばこ代金27万円を奪う。
(以下略)

復讐するは我にあり | お宝映画・番組私的見聞録
 殺人のシーンは全て西口事件の実際の現場で撮影を行ったという。また、今村はロケ地の別府温泉にあるラーメン屋に三國を連れて行き「あそこでラーメンを作っているのが西口の妹です」と大声で言ったという。

ということで西口彰の故郷は大分県別府であり、映画も別府でロケが行われたわけです。
 戦災孤児については「戦災孤児、別府」でググってヒットした

宮崎)大分の「別府光の園」に石井十次賞贈呈:朝日新聞デジタル
 宮崎県高鍋町出身で、児童福祉の先駆者・石井十次(1865~1914)を記念し、児童福祉の分野で優れた業績をあげた団体や個人を選ぶ「石井十次賞」(石井十次顕彰会主催)の第25回贈呈式が8日、同町であり、大分県別府市社会福祉法人「別府光の園」(浜田多衛子理事長)に賞状などが贈られた。
 同園は1936年開設の結核療養所光の園病院が前身。敗戦翌年の46年、食料を求めて集まった戦災孤児のために児童養護施設としての活動を始めた。現在は障害のある卒園者のためのグループホーム、児童館、保育所など六つの施設を運営し、地域に根ざした活動が評価された。

を紹介しておきます(太字強調は小生がしました)。
 寺山修司についてはググってもよく分かりません。
 それはともかく、本当に三浦が推薦したいなら

阿南惟幾とその妻子、山田洋次寺山修司朴慶植水上勉、「復讐するは我にあり

についてどう「別府と関係があるのか」書くべきでしょうにねえ。

【参考:男はつらいよ 花も嵐も寅次郎】

男はつらいよ第30作 花も嵐も寅次郎
 さて、「男はつらいよ」シリーズは、マンネリと言われながらも30作を超えました。渥美清さんの体調もそろそろ異変が表れてくる頃ですね。
とは言っても、今作品ではそんなに感じません。まだまだマドンナの尻を追っかけてもイケるくらい^^;?銀幕の上では元気に見えます。が、今回は結果的にコーチングで終わっています。
 それにマドンナの田中裕子さんは明らかに寅次郎には似合いませんね~・・・なんと言うんでしょうか、寅の好みではないはず(笑)寅はも少し色気があって、自分と対等にしゃべれるリリーさん*16浅丘ルリ子*17)とか光枝さん*18音無美紀子)が好みなんじゃないかな?ま、知らんけど(^0^;)
 今作品は大分県別府市を中心として、臼杵市杵築市由布市などにまたがって撮影されました。メインは由布市にある湯平温泉です。山間の、なかなかこぢんまりとした温泉街で当時は中々繁盛したようです。
(中略)
【8】湯平温泉①
 福良天満宮のシーンが終わると、いよいよ話しの中心、三郎青年(沢田研二)と蛍子さん(田中裕子*19)の出会いである「湯平温泉」です。
【9】湯平温泉②
 この温泉ファーストシーンは湯平温泉街の「石畳通り」と呼ばれているメイン通りの入り口にあります。
 花合野川(かごのがわ)沿いに展開しているこの温泉街は、別府温泉とは比較にならない、静かで優雅な温泉街ですね。むしろ対極にある、とさえ言えるでしょうか。
 撮影当時はピークに近かったんだろうと思いますが、三十有余年を過ぎた今、正月明けの連休時でさえ湯治客はほんの数えるほど。宿泊客はほぼ見当たらず(って言うか、営業してる温泉宿が・・・゜・(つД`)・゜・)、外湯回りのお客と、ぶらり立ち寄りの観光客がチラホラでした。
(中略)
【22】鉄輪温泉(かんなわおんせん)
 さて物語は毎度の通り^^;冬作品なのでお正月のとらや。ほとんどのマドンナがとらやに手伝いに来るのですが、蛍子ちゃんも例に漏れず割烹着姿でお手伝いをしています。そこへ黄金の予定調和である寅の電話です。第30作までくるとこの予定調和を観る人も判っていますね。
寅が電話を掛けている場所は別府市にある鉄輪温泉。街中の側溝から温泉の煙が吹き出ています。
 「おぅ・・・そうかそうか。これから色々あるだろうけどな。なんてったってお互い、惚れ合ってることが一番だから・・・」
 「あぁ、帰る帰る。うん、そのうち帰るから、ん・・・そこに三郎青年は、い・・・・いないのか」
【23】永福寺(鉄輪温泉街の寺)
 「さぁ鉄輪温泉にご滞在の皆様、新年明けましておめでとうございます。・・・・」
 このシリーズのエピローグ、冬作品ではまず「たこあげ」、夏作品ならおばちゃんの氷掻きかスイカ切りではじまります。そして、とらやの喧噪の中で1本の電話が(笑)
 寅さんは決まって、地方のお祭りにいます。
 さて第30作「花も嵐も寅次郎」大分ロケ地突撃報告はこのくらいで^^;
 寅さん好きの中でも30作台は決して評価は高くありませんが、どの作品もそれなりに楽しめます。

*1:1915~1970年。東京大学東洋文化研究所教授。著書『インカ帝国』(1959年、岩波新書)、『フィールド・ノート:文化人類学・思索の旅』(1967年、新潮選書)、『フィールド・ワークの記録:文化人類学の実践』(1969年、講談社現代新書)など(ウィキペディア『泉靖一』参照)

*2:福岡県筑紫野市二日市のこと

*3:『私のコリア報道』(2016年、晩聲社)のアマゾンレビューに寄れば「河野談話を否定する歴史修正主義ウヨ=下川(元毎日新聞ソウル特派員、元毎日新聞編集委員)」のようです。

*4:著書『私のコリア報道』(2016年、晩聲社)、『忘却の引揚げ史:泉靖一と二日市保養所』(2017年、弦書房)、『日本統治下の朝鮮シネマ群像』(2019年、弦書房)、『占領と引揚げの肖像BEPPU1945-1956』(2020年、弦書房)、『ポン・ジュノ 韓国映画の怪物』(2020年、毎日新聞出版

*5:陸軍省軍務局長、陸軍次官、陸軍航空本部長、参謀次長、陸軍教育総監、林、第一次近衛内閣陸軍大臣参謀総長、小磯内閣陸軍大臣など歴任

*6:1922~1998年。著書『朝鮮人強制連行の記録』(1965年、未来社)、『日本帝国主義の朝鮮支配 (上)(下)』(1973年、青木書店)、『天皇制国家と在日朝鮮人』(1976年、社会評論社)、『在日朝鮮人運動史:8・15解放前』(1979年、三一書房)、『朝鮮三・一独立運動』(1987年、平凡社選書)、『解放後在日朝鮮人運動史』(1989年、三一書房)など

*7:「何の博覧会よ?」て話です。「博覧会、別府」でググったところ、ウィキペディアの項目として、「中外産業博覧会」、「別府国際温泉観光大博覧会」、「別府温泉観光産業大博覧会」がヒットしました。

*8:この記事が執筆された当時。現在は市町村合併杵築市

*9:中村裕氏のこと

*10:文春文庫

*11:現在は自衛隊の基地がある

*12:1937~2015年。1976年、連続殺人犯・西口彰をモデルとした『復讐するは我にあり』により直木賞受賞。著書『大罷業』(1978年、角川文庫)、『復讐するは我にあり』(1978年、講談社文庫→2019年、文春文庫)、『ドキュメント狭山事件』(1979年、文春文庫)、『越山田中角栄』、『日本漂民物語』(以上、1981年、徳間文庫)、『沖縄住民虐殺』(1982年、徳間文庫)、『政商 小佐野賢治』(1986年、徳間文庫)、『わが沖縄ノート』(1987年、徳間文庫)、『深川通り魔殺人事件』(1987年、文春文庫)、『千葉大女医殺人事件』(1989年、徳間文庫)、『別府三億円保険金殺人事件』(1990年、徳間文庫)、『新選組事件帖』(1990年、文春文庫)、『女高生・OL連続誘拐殺人事件』(1991年、徳間文庫)、『身分帳』(1993年、講談社文庫)、『オウム裁判を読む』(1996年、岩波ブックレット)、『死刑囚 永山則夫』(1997年、講談社文庫)、『司法卿 江藤新平』(1998年、文春文庫)、『法廷のなかの人生』(2002年、岩波新書)、『小説・大逆事件』(2004年、文春文庫)、『宿老・田中熊吉伝:高炉の神様』(2007年、文春文庫)、『慟哭:小説・林郁夫裁判』(2008年、講談社文庫)、『わたしが出会った殺人者たち』(2014年、新潮文庫)、『沖縄と私と娼婦』(2019年、ちくま文庫)など(ウィキペディア佐木隆三』参照)

*13:1937~2008年。1965年、NHK大河ドラマ太閤記』の主役・豊臣秀吉に抜擢。引き続き1966年のNHK大河ドラマ源義経』に弁慶役で出演し、人気を確立する。1978年、映画『鬼畜』でキネマ旬報ベストテン主演男優賞、日本アカデミー賞最優秀主演男優賞、ブルーリボン賞主演男優賞を受賞(ウィキペディア緒形拳』参照)。

*14:1923~2013年。1989年に『釣りバカ日誌』、『利休』で、1991年に『釣りバカ日誌4』、『息子』で、1995年に『三たびの海峡』で日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞(ウィキペディア三國連太郎』参照)

*15:1946年生まれ。1979年、今村昌平監督の『復讐するは我にあり』にてブルーリボン助演女優賞を受賞。1985年に映画『生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言』、『恋文』でキネマ旬報ベストテン主演女優賞、毎日映画コンクール主演女優賞を受賞(ウィキペディア倍賞美津子』参照)

*16:第11作『男はつらいよ 寅次郎忘れな草』(1973年)、第15作『男はつらいよ 寅次郎相合い傘』(1975年)、第25作『男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花』(1980年)、第48作『男はつらいよ 寅次郎紅の花』(1995年、渥美清が出演する最終作品)のマドンナ

*17:1940年生まれ。『男はつらいよ 寅次郎相合い傘』(1975年)で キネマ旬報主演女優賞、ブルーリボン賞主演女優賞を受賞(ウィキペディア浅丘ルリ子』参照)

*18:第28作『男はつらいよ 寅次郎紙風船』(1981年)のマドンナ

*19:1955年生まれ。1979年(昭和54年)のNHK連続テレビ小説マー姉ちゃん』で主役・磯野マリ子(モデルは長谷川毬子(元・長谷川町子美術館館長)。熊谷真実が演じた)の妹役・磯野マチ子(モデルは『サザエさん』『いじわるばあさん』で知られる漫画家・長谷川町子)としてデビュー。1983年(昭和58年)の、NHK連続テレビ小説おしん』で主役(青年時代:少女時代は小林綾子、中年以降は乙羽信子が演じた)を演じ、ブレイクする。1983年(昭和58年)に映画『天城越え』でモントリオール世界映画祭主演女優賞受賞。2005年(平成17年)に映画『いつか読書する日』『火火』でキネマ旬報ベストテン主演女優賞受賞。2013年(平成25年)に映画『共喰い』『はじまりのみち』でキネマ旬報ベストテン助演女優賞受賞(ウィキペディア『田中裕子』参照)。