高世仁に突っ込む(2020年5/18日分)(追記あり)(注:アガサ・クリスティ『検察側の証人』、松本清張『一年半待て』のネタばらしがあります)

ロッキード世代からの「検察庁法改正案」批判 - 高世仁の「諸悪莫作」日記
【最初に追記】
 松尾氏ら検察OBの抗議も大きかったのでしょう。今日の産経ニュース(コロナ問題以外:2020年5月18日分) - bogus-simotukareのブログで触れましたが、世論調査でも反対意見が多く、内閣支持率も30%台に突入したことで「継続審議として次期国会での成立を画策」とはいえ今国会での可決は諦めたようです。
【追記終わり】


 現役ではなくOBとは言え、「松尾邦弘*1・元検事総長ら検察最高幹部経験者(それも複数)」から公然と批判が出たことは安倍にとってやはり痛いでしょう。
 「誤解だ」という強弁がしづらくなったからです。
 しかも

・フランスの絶対王制を確立し君臨したルイ14世の言葉として伝えられる「朕は国家である」との中世の亡霊のような言葉を彷彿とさせるような姿勢

と意見書には書かれてるそうですから、元官僚の文章としてはかなり激烈でしょう。
 ちなみにロッキード事件を高世が持ち出す「理由の一つ」は、立花隆も確か著書『ロッキード裁判とその時代』(朝日文庫)で書いていましたが、当時、「田中角栄*2が、検察に圧力をかけてウルトラC(とんでもない奇策)を使って、ロッキード事件追及逃れを狙うのではないか」という説が「一審判決が出る前」にささやかれ、その説に一定の信憑性があったからです。実際には1983年(昭和58年)10月12日に一審東京地裁で懲役4年、追徴金5億円の有罪判決がでましたが(そもそも田中の起訴自体、クリーンを売りにしていた田中のライバル三木武夫*3が当時の首相だったからで、盟友・大平正芳*4辺りなら指揮権発動で田中をかばったのではないかなんて説もあります)。
 当時のマスコミ報道をご存じの方ならその「ウルトラC」をおそらくご存じでしょうが、その「ウルトラC」とは何かというと

第二百五十七条
 公訴は、第一審の判決があるまでこれを取り消すことができる。

という検察による「公訴の取り消し」です。「公訴の取り消し」がされた場合は裁判所は「控訴棄却判決」を出します(ただし一審判決が出た時点で公訴の取り消しは不可能)。なお、ネットで調べた限りでは、無罪判決ではないのでいわゆる「一事不再理」効果は生じないようです(つまり再捜査して、再起訴することは一応可能です。勿論現実的にはまずあり得ないでしょうが)。
 話が脱線しますが、一事不再理というのは、アガサ・クリスティ検察側の証人』、松本清張『一年半待て』などのメイントリックとして知られる「例の奴」です。
 「話を元に戻しますが」、もちろん

誤認逮捕、起訴を取り消し 大阪府警が男性に謝罪へ :日本経済新聞
 大阪府警北堺署がガソリンの窃盗容疑で男性会社員(42)を誤認逮捕した問題で、大阪地検支部は(ボーガス注:2013年7月)29日、窃盗罪の起訴を取り消した。北堺署長は今後、男性側に謝罪する意向で、府警は経緯を検証し公表する方針。男性側は公開の法廷で検察側が無罪論告した上で無罪判決を求めていた*5が、同地検は「早期に訴訟手続きから解放するのが相当と判断した」と説明している。
 府警によると、堺市北区の駐車場で1月中旬、車から給油カードが盗まれる事件が発生。北堺署は4月24日、カードを盗んだとして男性を窃盗容疑で逮捕した。地検堺支部は不起訴にしたが、同署は5月15日、カードを使って給油しガソリンを盗んだとして男性を再逮捕。堺支部は6月4日、同罪で起訴した。
 男性は一貫して容疑を否認。ガソリンスタンドの防犯カメラの映像などが逮捕、起訴の有力証拠とされたが、男性の弁護人の指摘で、カメラの設定時刻と実際の時刻との間に「ずれ」があったことが発覚した。
 アリバイが確認されたため、男性は公判期日が取り消され、今月17日に釈放された。拘束期間は85日に上った。
 大阪地検の上野友慈次席検事は29日の記者会見で、担当した検察官らがカメラの設定時刻と実際の時刻との間に「ずれ」があることを認識していたのに、正確な時間を確認する作業を怠ったことを明らかにした。
 上野次席検事は「捜査が不十分だった。もっと慎重にすべきだった。起訴して身体拘束し心よりおわび申し上げる。真摯に反省し、同じ事を繰り返さないよう努めたい」と謝罪した。
 地検内部では、起訴を取り消さずに無罪論告することも検討されたが、上級庁とも協議の結果、「最初から無罪が分かっている人物を法廷に立たせるわけにはいかない」(検察幹部)との結論に至ったという。

東京地検、誤認起訴認める 傷害事件の公訴取り消し:朝日新聞デジタル
 東京都八王子市の傷害事件で男性2人が誤って起訴された問題で、東京地検は(ボーガス注:2016年7月)21日、公訴を取り消すと発表した。落合義和次席検事は「身柄を拘束したことについて、心よりおわび申し上げます」と謝罪。改めて真犯人を捜査するとともに、地検立川支部が誤って起訴した経緯を検証する意向を示した。
 犯人でないことを理由に公訴が取り消されるのは異例。地検の判断を受けて東京地裁立川支部は同日、公訴を棄却する決定をした。
 事件は2014年1月22日未明に発生。40代の男性2人が外国語を話す複数の男に相次いで殴られるなどして、それぞれ2週間と1カ月のけがを負った。
 警視庁八王子署は今年3月、いずれも中国籍で、不動産会社経営の男性(47)と貿易会社経営の男性(39)を傷害容疑で逮捕。2人は容疑を否認したが、地検立川支部は同罪で起訴し、3カ月以上勾留した。
 検察側は6月の初公判で「2人の被告と氏名不詳者の計3人が事件直後、タクシーに乗って逃げた」と主張。弁護側がタクシー内のドライブレコーダーの映像を入手したところ、別の3人組が映っていた。
 会見した地検の落合次席は、弁護側に指摘されるまでドライブレコーダーの映像を確認していなかったことを認めたうえ、「目撃者の証言を過度に信用し、客観的証拠が不十分だった」と述べた。映像の存在が明らかになって地裁立川支部が被告1人の保釈を認めた際、検察が抗告したため保釈が遅れた点についても、「結果的に正しかったとは言えない」と謝罪した。

ということで当然ながら「取り消されて当然の公訴の取り消し(典型的には日経、朝日記事のような冤罪事件)」はあります(日経、朝日記事が書くようにそんなことは滅多にないでしょうし、だからこそこうした日経、朝日記事になるわけですが)。刑訴法第257条もそう言うまともな物を想定している。田中のケースでの公訴取り消しなんて誰も想定してない。田中のケースで公訴取り消しをする正当な理由もない。本当に取り消しを実行したら安倍の「モリカケ」「桜を見る会」「検事長定年延長」なみの無法であり野党とマスコミの批判は不可避です。
 しかし一審審理中に「もはや有罪判決回避は不可避」と判断した田中が「とにかく検察に公訴を取り下げさせろ。そうすれば俺はロッキード追及から逃げられる。刑訴法には公訴取り消しについて『俺のようなケースでは取り消してはいけない』なんて何も書いてない」「犬養法相(吉田*6内閣)の指揮権発動は批判をあびたがそれで追及を逃げた自由党の佐藤*7幹事長、池田*8政調会長(当時)は後に首相になった。俺も一時的批判をあびても政治的復権できるはずだ」と考えてその方向に動くのではないかという恐怖感が当時の田中批判派にはあった。
 何せ、ロッキード裁判一審判決(1983年)が出る前の歴代法相は

古井喜実*9ウィキペディア参照:1978年12月7日~1979年11月9日まで第1次大平内閣法相)
 政治改革について「金のかかる選挙制度の改革」を主張していたが、一方で1982年、金権政治の象徴ともいうべき田中角栄について、月刊「中央公論」において「総理大臣は直接的に民間航空行政を指揮監督する権限はなく*10、したがってロッキード社から金銭を授受したとしても収賄罪にはあたらない」という、田中擁護とも受け取れる趣旨の時事論文を、(『中央公論』1982年6月号、「ロッキード裁判に思う-政治倫理と法治主義の問題」)、世間を当惑させている。
倉石忠雄*11ウィキペディア参照:1979年11月9日~1980年7月17日まで第2次大平内閣法相)
 法相就任記者会見でロッキード事件について触れ「田中元首相には友人として、公明正大で青天白日*12となることを願う」(倉石と田中は当選同期で古くからの友人であり、また田中の母が死去した際にも総理名代として葬儀に参列している)と述べ、批判された。
奥野誠亮*13ウィキペディア参照:1980年7月17日~1981年11月30日まで鈴木内閣法相)
 法相在任中はロッキード事件裁判が進行中であり、これに関して「検察は人の道を外れたようなことをしてはならない」と述べたことが検察庁指揮権者の法相として不適切な圧力ではないかとする批判を野党から受けた。
◆秦野章(ウィキペディア参照:1982年(昭和57年)11月30日から1983年(昭和58年)12月27日まで第一次中曽根内閣法相)
 秦野は田中を擁護し、「ロッキード社長コーチャンへの嘱託尋問*14は(ボーガス注:事実上の刑事免責という日本で前例のない手法を用いたので?)違法である」など、検察への批判を繰り返している。
 また自著において法相時代を回顧し、「田中が一審で無罪判決となった場合、検察に控訴をさせないために指揮権を発動する心積もりであった」としている

と言う「田中擁護」の御仁揃いです(なお、古井はいわゆる親中派であり、田中の『日中国交正常化』に恩義を感じていたからこその発言だと言われています)。しかも当時の田中派自民党最大派閥で「闇将軍」の異名を田中は持っていた。
 しかしそうした「公訴取り下げ謀略」は「噂話にすぎなかった」のか、はたまた、田中からは執拗に「取り下げろ」という圧力が来ていた(そして田中への反発から噂話の形でマスコミにリークが行われた)のに当時の大平、鈴木*15、中曽根*16首相が「いくら何でもそんなことをしたら、野党やマスコミの批判で政権が持たない(実際、政権が崩壊する可能性は高いでしょう)」と拒否し続けたのかはともかく、そうした取り下げはされず、田中には有罪判決が下ります。
 しかしその後、恐れ入ることに「一審判決(1983年)」→「二審判決(1987年)」なのに最高裁判決はなんと田中死後(田中の死去は1993年)の「1995年」です。
 そんな時間がかかるとはとても思えないので当然ながら「田中や自民党への忖度ではないのか」という疑念が指摘されるわけです。

*1:東京地検次席検事、法務省刑事局長、法務事務次官、東京高検検事長検事総長などを歴任(他の省庁と違い法務省の最高ポストは次官ではなく事実上検事総長です)

*2:第1次岸改造内閣郵政相、第2次、第3次池田、第1次佐藤内閣蔵相、第3次佐藤改造内閣通産相自民党政調会長(池田総裁時代)、幹事長(佐藤総裁時代)などを経て首相

*3:国民協同党書記長、委員長、片山内閣逓信相、改進党幹事長(重光総裁時代)、第1次鳩山内閣運輸相、自民党幹事長(石橋総裁時代)、第2次岸内閣科学技術庁長官(経済企画庁長官兼務)、第2次池田内閣経済企画庁長官、自民党政調会長、幹事長(池田総裁時代)、第1次佐藤第1次・第2次改造内閣通産相、第2次佐藤内閣外相、第2次田中内閣副総理・環境庁長官などを経て首相

*4:第1次、第2次池田内閣官房長官、第3次池田内閣外相、第2次佐藤第2次改造内閣通産相、第1次、第2次田中内閣外相、三木内閣蔵相、自民党幹事長(福田赳夫総裁時代)などを経て首相

*5:というのは「公訴取り消しによる公訴棄却判決」だと無罪判決と違い、「一事不再理」効果が生じないからでしょう。

*6:戦後、東久邇宮、幣原内閣外相を経て首相

*7:運輸次官から政界入り。第3次吉田第2次・第3次改造内閣郵政相、第4次吉田内閣建設相、第2次岸内閣蔵相、自民党総務会長(岸総裁時代)、第2次池田第1次改造内閣通産相、第3次池田内閣科学技術庁長官などを経て首相

*8:大蔵次官から政界入り。第3次吉田内閣蔵相、第4次吉田内閣通産相、石橋、第1次岸内閣蔵相、第2次岸改造内閣通産相などを経て首相

*9:第2次池田内閣厚生相、第1次大平内閣法相など歴任

*10:確かに直接的な権限は運輸相になりますが、「運輸相を任命するのは首相であり、罷免権もある」ので、こうした古井の主張は詭弁でしかありません。

*11:第3次鳩山内閣労働相、第2次岸内閣労働相、第2次、第3次佐藤内閣農林相、第2次田中第1次・第2次改造内閣農林相、第2次大平内閣法相など歴任

*12:つまり無罪と言うこと。

*13:第2次田中内閣文相、鈴木内閣法相、竹下内閣国土庁長官など歴任

*14:ただし田中の訴追理由は「丸紅からの収賄」なので丸紅幹部の自供さえあれば有罪判決は出るため、そう言う意味ではコーチャンの嘱託尋問など関係ありません。なお、こうした「嘱託尋問違法論」については立花隆が著書『ロッキード裁判批判を斬る』(朝日文庫)で反論しています。

*15:第1次池田内閣郵政相、第3次池田改造内閣官房長官、第1次佐藤第1次・第2次改造内閣厚生相、福田内閣農林相、自民党総務会長(佐藤、田中、大平総裁時代)などを経て首相

*16:第2次岸改造内閣科学技術庁長官、第2次佐藤第1次改造内閣運輸相、第3次佐藤内閣防衛庁長官、第1次、第2次田中内閣通産相自民党幹事長(三木総裁時代)、総務会長(福田総裁時代)、鈴木内閣行政管理庁長官などを経て首相