高世仁に突っ込む(2020年5/20日分)(追記あり)

プノンペン陥落から45年、「キリング・フィールド」を観る - 高世仁の「諸悪莫作」日記
 記事タイトルには「もう、そんな昔なのか」感がありますね。
 ウィキペディア「1975年」によればこの年に起こった事件は「4月17日:ポルポト派によるプノンペン陥落」以外では「2月11日:サッチャーが保守党の党首に就任」「4月30日:サイゴン(現ホーチミン)陥落によりベトナム戦争終結」「7月19日:沖縄国際海洋博覧会開幕」「11月15日:第1回サミット(先進国首脳会議)開催」などがあります。

 政府・与党は、検察庁法改正案の今国会での成立を断念し、継続審議とすることを決めた。
 安倍内閣が急いで強行採決しようとしていたのを、およそ1週間で予定変更させたわけである。
 先日の(ボーガス注:松尾邦弘*1・元検事総長ら)元検察官14人の抗議に続き、きのう18日、熊﨑勝彦氏*2東京地検特捜部長経験者や横田尤孝*3(ともゆき)・元最高裁判事を含む元検察官、計38人が、「検察の独立性・政治的中立性と検察に対する国民の信頼が損なわれかねない」として、政府に再考を求める連名の意見書を森雅子法相あてに提出した。
 こうしたいわば身内からの抗議やツイッターデモなども効いたのだろうし、また内閣支持率が大きく下がっていることも大きい。
 朝日新聞社が16、17両日に実施した世論調査によると、安倍内閣の支持率は33%で、4月調査の41%から下落した。「激減」と言ってもいいほどの下がりようだ。
 不支持率は47%で、4月調査の41%から上昇した。
 2012年12月発足の第2次政権以降で、内閣支持率が最低だったのは森友・加計問題への批判が高まった18年3月と4月調査の31%で、今回の33%はそれに次いで低い。
 同調査では、検察庁法改正案について、「賛成」は15%にとどまり、「反対」が64%だった。新型コロナウイルスの感染拡大の防止に向け、安倍首相が指導力を「発揮している」と答えた人は30%(4月調査は33%)で、「発揮していない」の57%(同57%)の方が多かった。やることなすこと、国民にそっぽを向かれている。
 去年の英語民間試験導入やコロナ禍での給付金問題など、安倍内閣が予定の変更を余儀なくされるケースが続く。
 検察庁法改正は、次の国会で通すと言っているので引き続き要注意だが、声を大きく上げれば政治を動かせるという学習効果に今後期待したい。

 高世仁に突っ込む(2020年5/18日分)(追記あり)(注:アガサ・クリスティ『検察側の証人』、松本清張『一年半待て』のネタばらしがあります) - bogus-simotukareのブログで紹介したロッキード世代からの「検察庁法改正案」批判 - 高世仁の「諸悪莫作」日記の続きです。
 引用が長くなりましたが、概ね高世に同感ですね。「支持率が下がるような不人気な行為は、いくら多数議席を有していてもそうそう出来ない」わけです。そう言う意味では「諦めずに批判すること」は重要です。「英語民間試験導入白紙撤回やコロナ禍での給付金問題(全員に10万円支給)」「検察庁法改定*4阻止」、全て「批判してもどうせ無駄だ」と諦めていたらこうした成果は生まれなかった。
 特に検察庁法改定問題では
1)法律のプロである「弁護士会や検察OBの批判」
2)「小泉今日子ら著名芸能人の批判」は安倍にとって痛かったでしょう。
 ただ

 2012年12月発足の第2次政権以降で、内閣支持率が最低だったのは森友・加計問題への批判が高まった18年3月と4月調査の31%で、今回の33%はそれに次いで低い。

ですからねえ。安倍は「モリカケと同じでいずれアホな国民はなんとかなる」と思ってるでしょうし、日本人は本当にバカなのでその危険性は否定できません。
 少なくともテレビ局はTBSなど一部を除いてこの問題を必ずしもきちんと報じてませんからねえ。典型的には日テレとフジですが。
 また

安倍内閣の支持率は33%で、4月調査の41%から下落した。「激減」と言ってもいいほどの下がりようだ。

というのも小生からすれば「まだまだ高い」「もっと落ちてもいい」ですね。安倍も「継続審議にして次の国会で可決するつもり」なのでそれを許さない闘いは続きます。一番いいのは「次の国会までに安倍を下野させること」ですね。正直、「検察庁法改定案」に限らず「モリカケ疑惑」「桜を見る会疑惑」「布マスク疑惑」など安倍はろくでもないことしかしませんので。この期に及んで安倍を支持する連中、特に「いつまで経っても拉致被害者が帰国しないのに安倍を持ち上げる家族会」には心底呆れます。
 いや「是とは思いませんが」、
1)安倍のために利益を得ているので支持する
2)安倍によって利益を得ていないが「二階幹事長(二階派ボス)」「岸田政調会長(岸田派ボス)」「麻生副総理・財務相麻生派ボス)」「二階派、岸田派、麻生派所属議員(親分が安倍支持である以上、子分も勿論建前では安倍支持です)」など「安倍を支持する連中」によって利益(例:地元への利益誘導)を得ている(二階選挙区の二階支持者、あるいは二階派所属議員Aの選挙区でのA支持者など)ので、二階らが安倍を支持し続ける限り支持する(おそらく安倍支持層のかなりの部分はこれでしょう。二階や岸田、麻生が安倍支持を辞めれば『安倍支持やーめた』ではないか)
つうのは分かります。家族会の態度はさっぱりわかりませんね。

 NHKBSで映画「キリングフィールド*5」(1984年)を観た。
 私は土地勘があるので、リアリティがいま一つという場面がいくつかある

 うろ覚えですが、これは本多勝一*6もそんなことを書いていた記憶があります。
 ああ、それと本多氏が「英語『キリングフィールド』をそのまんまタイトルにするな。せめて『殺戮の大地』など直訳調でいいから翻訳してくれ」と書いてた記憶があります。
 オリバー・ストーン*7の「プラトーン(直訳すると『小隊(軍隊の単位の一つ)』)」にも「そんなんほとんどの日本人には意味が分からんがな」と本多氏が突っ込んでいた記憶があります。
 まあ、「映画タイトルの翻訳は時として難しい」「変な翻訳をされるぐらいなら題名そのまんまでいいよ」つう気も一方ではしますが。
 「話が完全に脱線しますが」、以前、題名と内容がそぐわないじゃないか - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)のコメント欄で、小生は

◆やっぱ「未来を花束にして」の政治運動はテロですよねえ(非難ではありません) (bogus-simotukare)
https://togetter.com/li/1024313
(様々なツイートでの邦題批判)
・サフラジェット公開決まったけどなんだそのタイトル
・日本に新語の普及で「SUFFRAGETTE(サフラジェット)」の方がいいわ。
・元々"Suffragette(サフラジェット)"という言葉は、今回主人公が影響を受ける、大女優メリル・ストリープ*8演じる実在の活動家、パンクハーストなどにつけられた言葉だけど、その手段が放火なども伴う暴力的なものだったとして恐れられていた、という人物なんだけど、花束にされちゃうのか…
・「サフラジェット」の邦題は久々に無視できないぐらいひどいなあ。だいたい「未来を花束にして」って意味不明だし。
https://www.iwanami.co.jp/book/b452042.html
ブレイディみかこ*9『女たちのテロル』(2019年、岩波書店
・武闘派サフラジェット,エミリー・デイヴィソン
・(ボーガス注:アイルランド独立を求めた)イースター蜂起のスナイパー,マーガレット・スキニダー
(引用終わり)
 サフラジェットてのはこの記事の「未来を花束にして」批評で「それ完全なテロじゃん」とid:Bill McCrearyさんが書いてる「映画に出てくる政治活動団体」です。
 なお、ウィキペディア「未来を花束にして」などによれば映画の原題は「Suffragette(サフラジェット)」です。これは下手にひねるより最近よくある『英語題名そのまんま(ユージュアルサスペクツ、ミリオンダラーベイビーとか)』の『サフラジェット』でよかったんじゃないですかね。
 やはりブレイディ氏やid:Bill_McCrearyさんなどが批判するように「未来を花束にして」じゃダメでしょう。
 そしてブレイディ氏がいうように「イースター蜂起のスナイパー,マーガレット・スキニダー」同様に「テロ、武闘派=サフラジェット」ですよねえ(それが悪いとかいいとかいう評価はしていません)。

とコメントしていますし。この場合は「サフラジェット」の方が「まだまし」かと思います。
 さて今回改めて調べて気づきましたが、サフラジェット 命を懸けた女性参政権獲得への闘い SUFFRAGETTES|岩波映像|平和・人権|販売作品ということで、「サフラジェット」をネタにしたDVD(注:『未来を花束にして』とは直接の関係はありません、BBC制作の海外ドキュメンタリーのようです)が出ていますが

サフラジェット 命を懸けた女性参政権獲得への闘い SUFFRAGETTES|岩波映像|平和・人権|販売作品
 今から100年前の1918年。イギリスで、一定の条件を満たす30歳以上の女性たちに初めて参政権が与えられた。この法制化以前の約15年間、"サフラジェット"と呼ばれる好戦的な女性運動家たちが過激な闘いや抵抗を続けていた。
 彼女たちは女性参政権を獲得するために、暴動、過激なプロパガンダ行為、ハンガーストライキ放火、爆破などを繰り返し、暴徒化し闘い続けた。彼女たちを駆り立てたものは何だったのか?この行動の成果は?
 彼女たちのスリリングな足跡を歴史家のルーシー・ワースリー*10が再現ドラマを軸に当時の映像、写真を交えながら解説していく。
◆監修のことば
 日本語字幕版監修:法政大学法学部政治学科教授 衛藤幹子*11
 19世紀後半から20世紀初頭に起こった女性参政権運動は、上流階級から労働者まで、イギリスのあらゆる階層の女性を巻き込みながら、女性にも政治的権利があることを強く社会に知らしめました。ここに華々しく登場し、運動の前衛となり、権利獲得への道を切り開いたのが"サフラジェット"でした。運動は海を越えて日本を含む多くの国に広がりました。彼女たちを語ることなく、女性参政権を論じることはできません。暴力的なやり方は決して容認できませんが、"サフラジェット"が世界の女性の地位向上に貢献したことは確かといえるでしょう。
1)サフラジェット誕生
 舞台は19世紀後半のイギリス。約40年間の女性参政権運動は実らず、1903年に好戦的な女性団体"女性政治社会連合(WSPU)"が立ち上がる。彼女たちは"サフラジェット"と呼ばれた。集まったのはパンクハースト家を中心とした普通の女性たち。しかし後に国家の安全を脅かす存在になる。計算されたプロパガンダで世間を煽り、議会の外で抗議中に警官に危害を加え始める。逮捕者は収監中、不当な待遇に抵抗しハンガーストライキを行い物議を醸した。"女性も法的に人権を認められたい"、この強い思いは加速し膨れ上がっていく。

2)暴走する女性たち
 政府と"サフラジェット"の間に歩み寄りがみられ一時体戦したが、またも議案が見送られ彼女たちは激怒し、暴徒化が一気に加速する。デモ、放火、爆破行為をロンドンの至るところで行い、巨大なテロ組織となる。議会で取り上げられないまま、第一次世界大戦に突入。彼女たちも戦争を支持し多くの女性が労働力となり、社会への貢献度は否定できない*12ものとなった。そして1918年、一定の条件を満たす30歳以上の女性に参政権が与えられる。彼女たちの破壊活動は決して肯定できるものではないが、当時の男性優位の社会に一石を投じた。

だそうです。まあ、こっちの方が明らかに「未来を花束にして」より適切でしょう(赤字強調は小生による)。はっきりと「暴徒」「テロ」と書いている点は俺的に大変好感が持てます。
 また

テロリストと呼ばれた女性たち - サフラジェットが戦い、遺したもの - イギリス女性参政権運動の歴史 - 英国ニュース、求人、イベント、コラム、レストラン、ロンドン・イギリス情報誌 - 英国ニュースダイジェスト
◆なぜ石を投げることになったのか?:WSPUが戦闘的な行動を取るに至った理由
 1860年代には、既に様々な女性参政権運動が各地で行われ、集会の開催やチラシの配布、国会への嘆願書提出が行われていた。にもかかわらず女性参政権に関する法案は常に否決され、一般国民や政府にとって彼女らの運動は見慣れた行事のようなものでしかなかった。だが1905年に風向きが変わる。
 WSPUのメンバー2人が、マンチェスターで開催された自由党の集会に出向き「政権を取ったら、女性に選挙権を与えるのか」などと大声で叫び妨害。取り押さえた警官に唾をはきかけるなどして逮捕・投獄された。各新聞はこの「女性らしからぬ」事件を大きく報道。地方の一団体でしかなかったWSPUと、進展の見込みのなかった女性参政権運動は一躍脚光を浴びた。選挙権がない女性が政治に対して意見を言う方法は、もはや直接行動のほかにないとWSPUは考えた。こうして彼女たちは次々に過激な運動を展開するようになる。
◆サフラジェットによる直接行動の数々
◆投石
 1908年6月のデモ行進時、警官たちの暴力に怒ったメンバーが首相官邸の窓を破る。メアリー・リーとエディス・ニューはこれにより2カ月間、ホロウェイ刑務所に服役。その後も政府機関への投石が続くが、1911年以降は「デーリー・メール」紙などの新聞社やウェスト・エンドのショーウインドーも標的に。バーバリーやリバティーなどの英系ショップが狙われた。
(中略)
◆爆弾
 1911年12月、郵便ポストの中に自家製爆弾が放り込まれる。翌年11月にはロンドン中心部やいくつかの地方都市のポストに、インクやタールなどの黒い液体や酸などが注ぎ込まれ、何千通もの手紙がダメージを受けた。これまでWSPUは一般市民を対象にしなかったが、これをきっかけに市民を巻き込む方針に転換。次第に運動は激しさを増していく。
◆放火
 1912年7月、イングランド南東部オックスフォードシャーにあるハーコート植民地相の別宅と、アスキス*13首相が観劇中だったアイルランドのダブリンにある劇場シアター・ロイヤルが狙われた。別宅への放火は未然に防がれたが、犯人には9カ月の禁固刑が言い渡される。劇場では2人のメンバーがカーテンに火をつけ、燃えた椅子をオーケストラに向かって投げ込むなどして禁固5年の判決が下った。
◆自殺行為
 1913年6月4日、戦闘的なサフラジェットの中でも特に過激派と言われたエミリー・ワイルディング・デービソンは、国王の馬が出場するというエプソム・ダービーへ出掛け、レースの最中にコースへ飛び出し、馬に蹴られて頭蓋骨を骨折。数日後に死去した。デービソンが死を意図していたかは不明だが、公衆の前でショッキングな行動をとることで、運動に光が当たることを望んでいたとされる。
◆器物破損
 1914年5月、ロンドンのナショナル・ギャラリーに展示されていたスペインの画家ベラスケスの「鏡のビーナス」を含む5点と、ロイヤル・アカデミーに展示された作品1点が刃物で切り裂かれるなどの被害を受ける。さらに大英博物館では展示されていたミイラを覆っているガラスが破壊された。これにより、各地の美術館・博物館では女性の入場に条件を付けるところも出た。
◆WSPUは過激な行為しかしなかった?:巧みなマーケティング戦略を展開
 WSPUが有名になったのは、過激な示威運動のせいばかりではない。全国的な運動を展開するには資金が必要だったため、英国中の都市にWSPUグッズを販売する店をオープン。「Votes for Women」(女性に選挙権を)というブランド名で、紅茶、チョコレート、マーマレード、マグカップなどを販売した。

なんて記事も見つかりました(なお、テロリストと呼ばれた女性たち - サフラジェットが戦い、遺したもの - イギリス女性参政権運動の歴史 - 英国ニュース、求人、イベント、コラム、レストラン、ロンドン・イギリス情報誌 - 英国ニュースダイジェストでは穏健な女性参政権運動もあったことについても触れられていますが紹介は省略します)。まあ「デービソンが死を意図していたかは不明だが、公衆の前でショッキングな行動をとることで、運動に光が当たることを望んでいたとされる」で俺が連想したのが「チベット焼身自殺」ですね。
 デービソンの「競馬場での自殺(?)」とチベットの「焼身自殺」と大して変わらない。どっちも「話題造りの訳」です。
 しかし、そういうと阿部治平やI濱Y子、id:Mukkeid:noharraは「チベットを馬鹿にするな」とか言うんですかね。話が脱線しましたが、高世の記事に話を戻します。

 その論争を収めた『虐殺と報道』(すずさわ書店、1980年)に、カンボジアを取材したカメラマン石川文洋*14は「同胞を百万人以上も殺してしまうという、きわめて悪質な大虐殺がポル・ポト政権下のカンボジアで起こったことは事実であると信じています」としてこう書いている。

 『虐殺と報道』は「本多勝一編著」なのですが編者・本多氏の名前を出さないのは、高世が本多氏に何か含むところがあるからなのか?
【追記】
 後で、高世のブログを検索したら

金大中氏の葬儀によせて - 高世仁の「諸悪莫作」日記
 北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会の会長、三浦小太郎さんが会のサイトに載せていた文章を紹介しよう。
《各紙は、民主化運動の闘士としての金大中氏を評価する声と、また大統領就任後、北朝鮮独裁政権に対し融和的だった外交政策を、民主主義や人権思想とはかけ離れたものだったと批判する声の双方が見られます。私は後者の立場ですが、それ以上に今再検討すべきなのは、ここ日本における金大中氏を、また韓国民主化運動を支持した歴史の再検討ではないでしょうか。
 失礼ながら具体的な名前を挙げさせていただければ、故小田実*15、和田春樹氏*16本多勝一氏、大江健三郎*17、故宇都宮徳馬*18鶴見俊輔*19、故安江良介*20(雑誌「世界」編集長)、私の記憶が正しければ、彼らは皆金大中氏や韓国民主化運動の支持者であったと思います。この人たちも北朝鮮の体制をよいとは思っていないでしょう。しかし、北朝鮮人権改善運動に対し、当時も今も韓国民主化運動同様熱心かといえば、とてもそうとは思えません。》

だそうです。なるほど、本多氏(見て分かるように金大中氏、和田春樹氏なども悪口されていますが)については「反北朝鮮ウヨ」高世的には「北朝鮮打倒論の立場」でないことが気にくわないようです。とはいえコメ欄で指摘があるようにそんなことで編著者名をネグるとは全く高世もくだらない男です。
【追記終わり】

 4月30日はサイゴン*21陥落45周年だった。私の大学在学中の1975年、ベトナムラオスカンボジア三国で「解放側」が勝利したのだった。
 私はこれに大いに感動して、ベトナム研究にのめり込み、大学院に進むことになったのだから、人生の分岐点の一つだったわけだ。単純なやつだなと笑われるだろうが。
 その後、アカデミズムではなくテレビ屋になってカンボジアを取材することになる

 まあ要するに「学者としての才能がなかった」のでしょうね。救う会に媚びるような高世は「アカデミズムの世界」に行かなくて「世のため人のために良かった」と思いますが。

 ポルポト政権下のカンボジアは、普通の独裁ではなく、ナチズムやスターリニズムのような「全体主義」だったのだろう。

 「はあ?」ですね。
 高世的にはこの一文、「高世にとっては普通の文章」なのでしょうが、読んでるこっちは「はあ?」です。
 世間的には「全体主義=独裁」であり「右の全体主義(右の独裁)=ファシズム」ですね。
 そしてそうした理解から「戦前の日本は『天皇ファシズム』という全体主義だった」「検察庁法改定案など、安倍政治は全体主義ファシズム)」などという用法は普通に使われる。
 「全体主義」でググれば

仲正昌樹*22『日本とドイツ・二つの全体主義』 (2006年、光文社新書)

という「戦前日本を全体主義と呼ぶ本」もヒットする。
 「安倍、全体主義」「自民、全体主義」でググれば
前川喜平・激白150分! 「安倍政治」の全体主義がニッポンを壊している! | 毎日新聞出版
日本で進行する「静かな全体主義」への危惧 - 宇野重規|論座 - 朝日新聞社の言論サイト
と言う記事もヒットする。
 あるいはマッカーシズム全体主義と呼ばれることもある。
 しかし、おそらく高世にとっては「戦前の日本や安倍、マッカーシズム=普通の独裁」であって「全体主義」ではないのでしょう。
 しかし、その場合の「普通の独裁と全体主義を区別する物は何か」ということであり、「区別する必要があるのか」ということでもある。
 いずれにせよそうした全体主義の用法は日本では一般的ではないので、そんな用法をいきなりされても意味が分かりません。

 クメールルージュを中国が全面支援したことが、その後の二つの戦争(ベトナムカンボジア侵攻と中国のベトナム侵攻)を招くことになる。
 だから、中国はカンボジアの虐殺と二つの戦争の犠牲に対して責任がある。
 私の中国に対する警戒意識の原点でもある。

 おいおいですね。今や中国は「文革期とは全然違う」のにそんなことを堂々と言われても「はあ?」ですね。
 ちなみに高世風に書けば

田中均氏を家族会、巣くう会が個人攻撃したことが、彼の「望まない退官」を招くことになる

 彼の退官は明らかに『筑紫哲也氏の朝日退社(TBS『ニュース23』キャスター就任)』『吉田照美氏の文化放送退社(フリーアナウンサー化)』、あるいは『外務省を途中退官し大学教授になった浅井基文*23』などのような「新天地を求めての退官」ではないでしょう。結果的には彼は退官後、外交評論家という新天地を開拓し、『日本外交の挑戦』(2015年、角川新書)、『見えない戦争』(2019年、中公新書ラクレ)という著書も出しましたが、それは結果論にすぎない。彼は「可能ならば事務次官になりたかった」でしょう。彼の在職した「アジア大洋州局長」というポストについた人間では

薮中三十二 - Wikipedia
佐々江賢一郎 - Wikipedia
齋木昭隆 - Wikipedia
杉山晋輔 - Wikipedia

事務次官になっています(田中氏退官後の事務次官就任、つまり田中氏の後輩なので彼としても悔しい限りでしょう)。
 「アジア大洋州局長」の前身である「アジア局長」まで含めれば

大野勝巳 - Wikipedia
須之部量三 - Wikipedia
高島益郎 - Wikipedia
川島裕 - Wikipedia

事務次官になっている。
 つまり「日本にとって重要な国である中国、韓国(以上、アジア)やオーストラリア(大洋州)を担当する」アジア大洋州局長はかなりの重要ポストで「アジア大洋州局長経験者全て」が事務次官になってるわけではないですが、なった人間がかなりいる。
 また、彼の『小泉訪朝、拉致被害者帰国』という業績は充分「事務次官就任」に値するものでしょう。巣くう会、家族会の個人攻撃がなければ彼は順調に出世し事務次官になっていたのではないか。事務次官になれる可能性があるのに退官する官僚は普通居ません。
◆だから家族会、巣くう会は田中氏の退官について責任がある。
◆田中氏退官は私、ボーガスの家族会、巣くう会に対する批判意識の原点である。
◆そして家族会、巣くう会を持ち上げることしかしない高世仁への批判意識の原点でもある

ですね。俺は家族会が「田中均氏」「蓮池透氏(家族会を不当除名)」にした非礼、無礼を公式にわびない限り、彼らを何一つ信用も、評価も、同情も、共感もしません。
 高世は

「高世さんさ、あんたは、田中氏退官を招いた巣くう会、家族会の、彼への個人攻撃をどう思ってるのよ?。問題ないと思ってるの?」
「それとも問題あると思いながら巣くう会と家族会(特に横田奥さん)に媚びへつらってるの?。あんたが田中氏への個人攻撃をどう思ってるのか、言ってみなさいよ」
「田中氏への個人攻撃は問題ないと言っても、問題があると言っても、都合が悪いから黙りですか?。よくそんな奴がジャーナリストを名乗れますねえ。恥ずかしくないの?」

と面と向かって言われたら、たぶん「非常に不愉快な顔をするが、言い返せなくて黙り」つう醜態をみせるんでしょうねえ。
 それとも、「巣くう会、家族会の田中批判は不当な個人攻撃じゃない」「田中氏の退官は巣くう会や家族会の田中批判と関係ない」「俺は巣くう会や家族会に関係ない(id:Mukkeid:noharraの『ペマ・ギャルポや三浦小太郎を批判しない』言い訳がこれ(俺はペマや三浦と関係ない)です)」とかむきになって無茶苦茶な反論(?)をするのか。
 まあ俺の「邪推と偏見」ですが高世が巣くう会や家族会に媚びへつらったことで高世にあきれ果てて、付き合いを辞めた人間も結構いるんじゃないですかね。
 面と向かって高世を批判しないまでも。

*1:東京地検次席検事、法務省刑事局長、法務事務次官、東京高検検事長検事総長などを歴任(他の省庁と違い法務省の最高ポストは次官ではなく事実上検事総長です)(ウィキペディア松尾邦弘」参照)

*2:東京地検特別捜査部長、富山地検検事正、前橋地検検事正、最高検公判部長、最高検公安部長などを歴任。退官後、日本プロ野球コミッショナーを務めた(ウィキペディア「熊﨑勝彦」参照)

*3:奈良地検検事正、法務省保護局長、矯正局長、広島高検検事長次長検事最高裁判事などを歴任。(ウィキペディア「横田尤孝」参照)

*4:「正しいと思ってない」ので改正ではなく「改定」と書きます。

*5:ニューヨーク・タイムズ記者としてカンボジア内戦を取材し、後にピューリッツァー賞を受賞したシドニー・シャンバーグの体験を映画化したもの。1984年のアカデミー賞において、助演男優賞編集賞・撮影賞の3部門受賞。カンボジア人助手のディス・プランを演じたハイン・S・ニョールはカンボジア人医師で、実際に4年の間、クメール・ルージュの元で強制労働に就かされた経験を持つ。演技経験のまったくない素人であったが、この作品でアカデミー助演男優賞を受賞(ウィキペディア『キリング・フィールド』参照)。

*6:1932年生まれ。著書『検証・カンボジア大虐殺』(1989年、朝日文庫)など

*7:1986年公開の『プラトーン』、1989年公開の『7月4日に生まれて』でアカデミー監督賞を受賞

*8:1979年公開の『クレイマー、クレイマー』でアカデミー助演女優賞を、1982年公開の『ソフィーの選択』、2011年公開の『マーガレット・サッチャー:鉄の女の涙』で、アカデミー主演女優賞を受賞

*9:著書『労働者階級の反乱:地べたから見た英国EU離脱』(2017年、光文社新書)など

*10:著書『暮らしのイギリス史:王侯から庶民まで』(2013年、NTT出版)、『イギリス風殺人事件の愉しみ方』(2015年、NTT出版

*11:著書『医療の政策過程と受益者:難病対策にみる患者組織の政策参加』(1993年、信山社出版)、『政治学の批判的構想』(2017年、法政大学出版局

*12:女性の戦争貢献が参政権を後押ししたという点を指摘しており、このDVDが単純なきれい事ではないらしい点に好感が持てます。

*13:内務相、蔵相などを経て首相

*14:1938年生まれ。著書『ベトナム戦争と私:カメラマンの記録した戦場』(2020年、朝日選書)など

*15:1932~2007年。作家。著書『「難死」の思想』(岩波現代文庫)、『「殺すな」と「共生」:大震災とともに考える』(岩波ジュニア新書)、『義務としての旅』、『「民」の論理,「軍」の論理』、『「ベトナム以後」を歩く』、『世直しの倫理と論理(上)(下)』、『歴史の転換のなかで』、『われ=われの哲学』(岩波新書)、『中流の復興』(NHK生活人新書)、『「問題」としての人生』(講談社現代新書)、『オモニ太平記』(講談社文芸文庫)、『何でも見てやろう』、『日本の知識人』(講談社文庫)、『世界が語りかける』(集英社文庫)、『私と天皇・人びとのなかの天皇』(ちくま文庫)、『地図をつくる旅』(文春文庫)など

*16:1938年生まれ。東京大学名誉教授。著書『歴史としての社会主義』(1992年、岩波新書)、『金日成満州抗日戦争』(1992年、平凡社)、『歴史としての野坂参三』(1996年、平凡社)、『北朝鮮:遊撃隊国家の現在』(1998年、岩波書店)、『朝鮮戦争全史』(2002年、岩波書店)、『テロルと改革:アレクサンドル二世暗殺前後』(2005年、山川出版社)、『ある戦後精神の形成:1938〜1965』(2006年、岩波書店)、『日露戦争 起源と開戦(上)(下)』(2010年、岩波書店)、『これだけは知っておきたい日本と朝鮮の一〇〇年史』(2010年、平凡社新書)、『北朝鮮現代史』(2012年、岩波新書)、『領土問題をどう解決するか』(2012年、平凡社新書)、『「平和国家」の誕生:戦後日本の原点と変容』(2015年、岩波書店)、『慰安婦問題の解決のために』(2015年、平凡社新書)、『アジア女性基金慰安婦問題:回想と検証』(2016年、明石書店)、『米朝戦争をふせぐ:平和国家日本の責任』(2017年、 青灯社)、『レーニン:二十世紀共産主義運動の父』(2017年、山川出版社世界史リブレット人)、『ロシア革命』、『スターリン批判・1953〜56年:一人の独裁者の死が、いかに20世紀世界を揺り動かしたか』(以上、2018年、作品社)、『韓国併合110年後の真実:条約による併合という欺瞞』(2019年、岩波ブックレット)など

*17:1935年生まれ。1958年、短編小説「飼育」により当時最年少の23歳で芥川賞を受賞。1994年ノーベル文学賞受賞。著書『新年の挨拶』(岩波現代文庫) 、『あいまいな日本の私』、『新しい文学のために』、『沖縄ノート』、『日本の「私」からの手紙』、『ヒロシマ・ノート』(以上、岩波新書)、『新しい人よ眼ざめよ』、『壊れものとしての人間』、『鯨の死滅する日』、『叫び声』、『静かな生活』、『持続する志』、『懐かしい年への手紙』、『僕が本当に若かった頃』、『万延元年のフットボール』、『みずから我が涙をぬぐいたまう日』(以上、講談社文芸文庫)、『言い難き嘆きもて』、『憂い顔の童子』、『M/Tと森のフシギの物語』、『河馬に噛まれる』、『キルプの軍団』、『鎖国してはならない』、『さようなら、私の本よ!』、『水死』、『治療塔惑星』、『取り替え子』、『晩年様式集』(以上、講談社文庫)、『「話して考える」と「書いて考える」』(集英社文庫)、『核時代の想像力』(新潮選書)、『「雨の木」を聴く女たち』、『美しいアナベル・リイ』、『遅れてきた青年』、『個人的な体験』、『死者の奢り・飼育』、『小説のたくらみ、知の楽しみ』、『人生の親戚』、『空の怪物アグイー』、『同時代ゲーム』、『日常生活の冒険』、『ピンチランナー調書』、『見るまえに跳べ』、『芽むしり仔撃ち』、『私という小説家の作り方』、『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』、『われらの時代』(以上、新潮文庫)など

*18:1906~2000年。衆議院議員参議院議員日中友好協会名誉会長、日本北アフリカ協会会長などを務めた。ミノファーゲン製薬創業者。著書『暴兵損民:なぜ軍拡に狂奔するのか』(1984年、徳間書店)、『軍拡無用』(1988年、すずさわ書店)など

*19:1922~2015年。著書『教育再定義への試み』、『戦時期日本の精神史:1931‐1945年』、『戦後日本の大衆文化史:1945‐1980年』、『竹内好』(以上、岩波現代文庫)、『アメリカ哲学』(講談社学術文庫)、『埴谷雄高』(講談社文芸文庫)、『限界芸術論』、『文章心得帖』(以上、ちくま学芸文庫)など

*20:1935~1998年。月刊「世界」編集長、岩波書店社長など歴任。著書『孤立する日本』(1988年、影書房)、『同時代を見る眼』(1998年、岩波書店)など

*21:現在はホーチミン市

*22:金沢大学教授。著書『今こそアーレントを読み直す』(2009年、講談社現代新書)、『今こそルソーを読み直す』(2010年、NHK生活人新書)、『マックス・ウェーバーを読む』(2014年、講談社現代新書)、『ハイデガー哲学入門:「存在と時間」を読む』(2015年、講談社現代新書)、『教養としてのゲーテ入門:「ウェルテルの悩み」から「ファウスト」まで』(2017年、新潮選書)など

*23:「外務省に居ても自分のやりたいことは出来ない」と思っての退官でしょうが別に彼の場合、田中氏のように「追放されたわけではない」でしょう。