今日の中国ニュース(2020年6月7日分)

「国家安全法」の香港導入 歯切れ悪い与党幹部、「角栄」の遺産に傾斜 - 産経ニュース
 「田中角栄*1」云々という辺りが実に産経らしくてくだらない。確かに日中国交正常化時の首相は田中角栄田中派ボス)ですが

日中国交正常化時の外相:大平正芳*2(大平派ボス、後に首相)
◆日中平和友好条約締結時の首相:福田赳夫*3(福田派ボス)
◆日中平和友好条約締結時の外相:園田直*4(福田の側近)
天皇訪中時の首相:宮沢喜一*5(宮沢派ボス)
天皇訪中時の外相:渡辺美智雄*6(中曽根元首相の子分。中曽根から派閥を引き継ぎ、渡辺派ボス)
江沢民訪日時の首相:小渕恵三*7小渕派ボス)
江沢民訪日時の外相:高村正彦*8(後に高村派ボス)
胡錦濤訪日時の首相:福田康夫*9(森*10元首相の子分)
胡錦濤訪日時の外相:高村正彦高村派ボス)

ということで「日中友好の立場はオール自民党」だったわけです(そもそも台湾ロビー・岸信介ですら結局、「渋々」であれ田中の日中国交正常化を容認したわけです)。国交がない時代にすらいわゆる「LT貿易」や「覚書貿易」があり、日中間に経済交流があった。池田*11政権時代の周鴻慶事件(台湾亡命を当初求めた、中国政府訪日団通訳・周鴻慶が結局、意思変更して中国に帰国した事件)では明らかに「中国ビジネスに配慮したとしか思えない対応(台湾亡命を即座に認めることはせずしばらく周を日本にとどめ置いた)」を池田政権はしている。
 あの台湾ロビー・岸信介*12ですら日中関係を考慮して、親中派の藤山愛一郎*13を岸内閣外相にしている。
 何も田中角栄やその流れをくむ小渕恵三などだけが日中友好に力を入れていたわけではない。
 最近では

NHKオンデマンド | BS1スペシャル 「日中“密使外交”の全貌~佐藤栄作の極秘交渉~」(前編)NHKオンデマンド | BS1スペシャル 「日中“密使外交”の全貌~佐藤栄作の極秘交渉~」(後編)と言う番組
・この番組を元にした、宮川徹志*14佐藤栄作 最後の密使:日中交渉秘史』(2020年、吉田書店)

によってあの佐藤栄作*15ですら「挫折したとは言え、晩年、日中国交正常化に動いたこと」がわかっています。率直に言って『産経的な反中国』は非現実的です。

【参考:佐藤栄作の密使】

自省録 №19:知の木々舎:SSブログ
◆佐藤政権の外交手腕(中曽根康弘*16
 あまり目立ちませんが、佐藤さんのもう一つの功績は、日中国交回復の軌道を敷いたことです。
 あの頃、佐藤さんは、香港経由で中国に密使を送っていました。その仕事は、江鬮(えぐち)真比古という人物に委ねられていました。佐藤さんは江鬮氏に、「おまえがいままで中国とやってきたことは次の時代の総理候補の三人に直接教えておけ」と命じていたようで、彼は田中角栄君と福田赳夫君、そして私に話をしてくれました。当時、大平正芳君は佐藤さんの眼中にはなかったのです。
 佐藤さんは一九七二年九月に周恩来宛の親書を彼に託したといいます。その内容は、日中国交正常化のために訪中して意見交換を行いたいというものだったようです。
 結局、それは周恩来に拒否されたようですが、台湾(中華民国)との関係を明確にしなければ受け入れられないというのが理由だったといいます。そこで佐藤さんは、先方の意向を尊重した別の親書をもう一度渡したともいいます。
 それが、翌年四月になってようやく周恩来の手元に届き、六月に江鬮氏は周恩来からの返書を受け取って佐藤さんに見せたが、時すでに遅し。佐藤さんは退陣を余儀なくされて、この件は立ち消えになったというのです。
 ところで、この江鬮真比古氏の素性についてはその後も手を尽くして調べましたが、よく分りません。終戦後、吉田茂さん*17のところに出入りするようになって、その関係で佐藤さんとも親しくなり中国情報を流していたようです。
 中国との国交回復の千載一遇のチャンスを逃したことで、野党や世論からは「佐藤は栄作ではなく、無策である」と批判されていました。しかしその裏で、佐藤さんは江鬮真比古という人物を密使に立てて、前述したような布石を打っていたわけです。「待ちの佐藤」の意外に豪胆な一面を垣間見た気がしたものです。
 それだけに、佐藤さんは総理を辞任しなければならなかったことが無念だったでしょう。辞任からわずか三カ月後に、田中角栄君が訪中して日中国交回復の共同声明に調印します。しかし、国交樹立の下準備は佐藤時代に出来ていたともいえるわけです。

今週の本棚・著者:宮川徹志さん 『佐藤栄作 最後の密使』 - 毎日新聞
 1972年の日中国交正常化田中角栄内閣の功績として歴史に刻まれている。だが前任の佐藤栄作首相の政権末期に、前史ともいえる両国の交渉が繰り広げられていた。江鬮眞比古(えぐちまひこ)という、知られざる密使の手によって。
 密使の実像に迫る取材は、2017年にNHKドキュメンタリーとして放送された。担当ディレクターが、その後の取材を含めて貴重な記録をまとめたのが本書である。

佐藤栄作 最後の密使 宮川徹志著 日中交渉の知られざる人脈 :日本経済新聞
 1972年9月の日中国交正常化は、同年7月に成立した田中角栄政権の功績として語られてきた。田中総理と大平正芳外相の訪中は一大政治イベントであり、それが記録にも、記憶にも刻まれてきたからだ。その前年に既にアメリ大統領補佐官キッシンジャーが訪中し、また国連の中国の議席中華民国から中華人民共和国に替わり、日中国交正常化は時間の問題だった。しかし、田中の前任の佐藤栄作総理が交渉相手として中国側から認められていなかったので、田中政権が成立してから国交正常化が実現した、とこれまで思われてきたのである。
 それに対し、本書は、実のところ佐藤政権下で国交正常化に向けたお膳立てが相当程度整っていた、ということを、佐藤栄作の中国への最後の密使、江鬮眞比古(えぐちまひこ)に注目して描き出した。
 本書の特徴は以下の4点に求められる。第1に、事実関係だ。既に楠田實*18資料などから佐藤政権期の日中交渉は専門家の間では知られていたが、佐藤総理と江鬮との連絡役であった大蔵省の西垣昭の日記を用いることで交渉過程を解明し、中国側が佐藤訪中受け入れを発表するタイミングで佐藤が退陣を公表してしまったことなどを指摘した。第2に、佐藤政権期に交渉が進んでいたとはいえ、中国側は田中角栄方面とも連絡しており、佐藤の退陣表明前後から中国側は田中に接近していたとする。
 第3に、最大の懸案の一つだった中華民国との日華平和条約の扱いについて、それを交渉の前提条件とするのではなく、「出口」として処理するので良い、という印象を佐藤らが得ていたとした点も重要だ。第4に、一連の交渉については日本側も中国側も戦前以来の人脈が機能し、他方で香港人脈も深く関与した。この点は、戦前・戦後の連続性や冷戦下の香港の位置付けを考える上で重要だ。
 本書は江鬮の交渉窓口となった中国側の担当者にも多くの紙幅を割いて検討しているが、史料の限界もあり、類推が少なくない。今後の実証研究が待たれるものの、本書は「謎解き」が進むドキュメンタリーとしても読者を強く引きつける。日中国交正常化の過程に多くの新たな視点を与える、戦後日中関係史の必読書となるであろう。

佐藤栄作 最後の密使 日中交渉秘史 宮川徹志著:東京新聞 TOKYO Web
 本書の主人公・江鬮眞比古(えぐちまひこ)は、佐藤栄作政権末期、日中国交正常化へ向けて、まさに旧総理公邸を中心に、佐藤総理、西垣昭*19総理秘書官らと知恵を絞った人物である。『佐藤栄作日記』が出版されて以来、外務省正規ルート以外で外交に臨んだ若泉敬*20と江鬮眞比古は注目を浴び、若泉は自らの言動で有名になったが、江鬮は謎に包まれたままだった。
 この人物と日中交渉のプロセスを明らかにしようとしたのが、著者宮川徹志である。彼は学者ではない。NHKの報道番組のプロデューサーである。このことが江鬮へのアプローチを成功させた。なぜか。謎の人物が見えてきた時、本人から証言を取らねばならぬ時、学者先生は腰が重く金もなく、その時点で挫折してしまう。著者は日本内外、中国でもどこでも人を求めて証拠を求めて、気軽に現場へ飛んでいけるのだ。まずこの点に脱帽。
 それから著者はどんな資料でもまっさらな目で読み解こうとする。そこにバイアスはない。良心的ではあるのだが、常に著者との目線の共有を迫られるから一気に読み通すことはできない。せっかくの本を途中で放り出すことのないように、まずは第五章の周恩来との関わりの章から読み始め、適宜前半の章へ戻ることをお勧めする。巻末の「西垣昭日記」は、総理秘書官としての西垣が、これまた秘書官としてのけれん味のなさを発揮して書かれたものである。今どきの官僚の所作とはまったく異なりまことにすばらしい。

日中国交正常化交渉の裏側: 院長日記
 今夜NHKBS放送を食い入るように見ました。
 江鬮(えぐち)眞比古という人物に佐藤総理は交渉を依頼していたようである。江鬮は戦前に外務省文化事業部第一課にいて、昭和14年に退職し、以後、中国に滞在し、コネクションを築いていたようであり、戦後の足取りがまったく不明。
 江鬮は黎蒙と交渉。黎蒙は、(ボーガス注:中日友好協会会長)廖承志と親しい寥恩徳、さらに朱徳*21と親しい江俊龍と友人であったため。つまり黎蒙には中国共産党幹部へのパイプがあった。

『日中“密使外交”の全貌』(ドキュメンタリー) : 竹林軒出張所
 1972年、発足したばかりの田中角栄政権が中華人民共和国との間で電撃的に日中国交正常化交渉を行い、日中共同声明を出して国交正常化を実現した。
 これまで田中角栄政権単独の業績だとばかり思われていたが、実はその前の佐藤栄作政権から正常化交渉は始まっており、ゴールに近づいていたが、佐藤栄作が首相を退任したため、後の政権に(事実上)引き継いだというのが真相だ、とするのがこのドキュメンタリー。考えてみれば発足して2カ月の政権が、ずっと難題だった外交交渉をいきなりまとめ上げるなどということはできるはずもなく、十分に納得できる話ではある。
 判明した事実は、佐藤栄作首相が極秘裏に(党内に「親中華民国、反中華人民共和国」という政治家が多かったため)、中国政府要人とコネのある江鬮真彦(えぐちまひこ)という人を香港に派遣し、大陸中国との交渉をすでにかなりの段階まで進めていたということである。実際、この江鬮氏の活動は、佐藤首相の親書を周恩来首相に送るというレベルにまで進んでいた。紆余曲折の末、中国政府もこれに応え、いよいよ正常化交渉が始まりそうという段階になって、佐藤が退陣を決めたため、(ボーガス注:佐藤にとって)次の政権担当予定者である福田赳夫にこの仕事を引き継いだというのが真相らしい。ところが(ボーガス注:総裁選挙に勝利し)次期政権を取ったのは福田ではなく田中角栄だったため、話が少々ややこしくなる。ただ田中派の人間も同じ時期に中国政府要人と会って交渉していたらしいので、中国側は実際のところさまざまなパイプを使って日本側との関係を模索していたというのが実情のようだ。

敏々日記: BS1スペシャル「日中“密使外交”の全貌~佐藤栄作の極秘交渉~」
 昨夜のBS1スペシャル「日中“密使外交”の全貌~佐藤栄作の極秘交渉~」を見る。番組の内容はネットによると「45年前、実現した日中国交回復。実はその1年前、佐藤栄作総理が密使を送り極秘交渉を進めていた。香港、中国、アメリカ、日本で徹底取材。知られざる密使外交に迫る」とある。この詳細は「45年前、田中角栄政権の下、実現した日中国交回復。実はその1年前、佐藤栄作総理によって密使が香港に送り込まれ、極秘交渉が進んでいた。今回、当時の総理秘書官が、密使との連絡役を佐藤から命じられていたことを初めて証言、報告をメモに残していた。佐藤は、密使を介して周恩来に親書を送り、国交正常化へ向け北京を訪問したいと伝えていた。香港、中国、アメリカ、日本で徹底取材。知られざる“密使外交”の舞台裏に迫る」とある。
 当時の佐藤総理の秘書官とは西垣昭。この人のメモがナレーション代わりとなって番組が進められる。ニュースを挟んで2時間の番組。見ごたえ十分の番組だった。それにしてもよくここまで調べ上げていると感心する。これを書物にするとどれくらいの長さになるだろう。
 密使とは江鬮真比古。取材班はこの人が何者かが理解できない。江鬮という姓を調べ上げると福島県にその人の親族がいた*22
 秘書の西垣は佐藤総理からこの密約は口外しないようにといわれていたとか。それではあまりにも佐藤総理が浮かばれない。そう思った西垣はもう口外してもいいだろうとの思いから公にする。
 密使である江鬮と秘書の西垣。この2人は秘密裏に事を進めるため佐藤の総理公邸の応接室に出入りする。ここは官邸であってもそのうちの一部が私的応接室に入れる仕組みになっていた。そのため、誰とあっても外に漏れることはなかった。
 当時の中国の首相は周。周と江鬮の接点は?といろんな角度から江鬮の行動を明らかにしていく。舞台は香港。萬𤋮という人がいた。この人と日本人との間に藤野という息子がいる。今でも健在でこの藤野にも話を聞く。他にも中国のトップに近い人物と江鬮がどうやって接触したのかの推理を解いていく。
 江鬮が様々な手段で構想した江鬮構想は9か月で幕を閉じる。1972年6月17日、佐藤総理は退陣。その3か月後の1972年9月29日、日中国交が正式に回復した。

BS1スペシャル「日中“密使外交”の全貌」 - トトヤンの家庭菜園
 佐藤栄作元首相の元秘書官で日中国交正常化担当秘書官だった西垣昭さんの証言を中心に、水面下の交渉ををたどっていく内容。
 日中戦争時下の昭和14年の中国大陸で外務省の役人として働いていた江ぐちさんのその後。周恩来首相と交渉するため香港で、佐藤栄作首相の個人的な「親書」を携えた江ぐちさんが周恩来主席の側近の葉剣英さん*23や廖承志さんにつながる複数の人物と会っていくなどの様子。
 それらを丹念にたどっていく内容でした。
 日中国交回復実現したのがその後の田中角栄政権の下、ではありましたが。

『佐藤栄作 最後の密使――日中交渉秘史』|恂道|note
 今を去る約30年前、私は所謂“円借款”業務に従事していた。これを所管する海外経済協力基金*24(OECF)の総裁であったのが西垣昭氏だ。
 当時、OECFの総裁は大蔵事務次官経験者の「指定席」で、30才そこそこの民間人であった私にとっては、天下りの総裁などは円借款の実務には関係ない、ある意味「どうでもよい」方であった。
 中華人民共和国について全くリテラシーの欠如した、若い私から見れば「無知」としか考えられない発言の数々には幻滅以外の何の感覚も感じられなかった。
 しかし、NHKBS1スペシャル「日中“密使外交"の全貌」を視聴したことにより、彼が佐藤栄作の名代として、最終的には田中角栄政権で実現する中華人民共和国との国交樹立の前提となる“汗かき”役を果たしていたことを知り、衝撃を受けた。
 ここまでDeep Insightに関与していて「無知」であるはずはない。
 そして、こう考えざるを得ないのだ。
 彼は、日中国交回復事案と同様に佐藤栄作が関与した“too sensitive”な場面に多く関与しており、墓場まで持って行って封印させるまでは疑念を持たれぬよう、馬鹿を装う必要があったのではないか?

【参考終わり】


中国は「悲劇の死」悪用 ポンペオ氏が非難声明 - 産経ニュース
 こういうことを言わずにはいられない辺りがトランプ政権の駄目さを象徴しています。
 『中国は香港デモを弾圧していると言うが米国だってデモを弾圧してるじゃないか』と中国に言われたときにまずすべきことは「どう建設的かつ平和的な形でデモを沈静化するか」でしょう。
 結局『黒人男性の死は警察の不当な暴力による殺人じゃないのか?。トランプ政権はそうした問題にどう対応するのか?』というデモ隊の問いかけに真摯に対応するしかない。ところがそうする気がトランプ政権にないから「警察や場合によっては軍で鎮圧しようとする」し、中国から非難されたら『デモ隊への真摯な対応はそっちのけ』で中国に反論を始めるわけです。
 デモ隊への真摯な対応そっちのけで反論しても説得力はないし、デモ隊に真摯に対応してデモが沈静化すればそれこそが中国への反論になるのに。

*1:岸内閣郵政相、池田内閣蔵相、佐藤内閣通産相自民党政調会長(池田総裁時代)、幹事長(佐藤総裁時代)などを経て首相

*2:池田内閣官房長官、外相、佐藤内閣通産相、田中内閣外相、三木内閣蔵相、自民党幹事長(福田総裁時代)などを経て首相

*3:大蔵省主計局長から政界入り。岸内閣農林相、自民党政調会長(池田総裁時代)、幹事長(佐藤総裁時代)、佐藤内閣蔵相、外相、田中内閣行政管理庁長官、三木内閣副総理・経済企画庁長官などを経て首相

*4:佐藤内閣厚生相、福田内閣官房長官、外相、大平内閣外相、鈴木内閣厚生相、外相など歴任

*5:池田内閣経済企画庁長官、佐藤内閣通産相、三木内閣外相、鈴木内閣官房長官、中曽根、竹下内閣蔵相などを経て首相。首相退任後も小渕、森内閣で蔵相

*6:福田内閣厚生相、大平内閣農水相、鈴木内閣蔵相、中曽根内閣通産相自民党政調会長(竹下総裁時代)など歴任

*7:竹下内閣官房長官自民党副総裁(河野総裁時代)、橋本内閣外相などを経て首相

*8:村山内閣経済企画庁長官、小渕内閣外相、森内閣法相、第一次安倍内閣防衛相、福田内閣外相、自民党副総裁(第二次安倍総裁時代)など歴任

*9:森、小泉内閣官房長官を経て首相

*10:中曽根内閣文相、自民党政調会長(宮沢総裁時代)、宮沢内閣通産相、村山内閣建設相、自民党総務会長(橋本総裁時代)、幹事長(小渕総裁時代)などを経て首相

*11:大蔵次官から政界入り。吉田内閣蔵相、通産相、石橋内閣蔵相、岸内閣蔵相、通産相などを経て首相

*12:戦前、満州国総務庁次長、商工次官、東条内閣商工相を歴任。戦後、日本民主党幹事長、自民党幹事長、石橋内閣外相を経て首相

*13:大日本製糖(現在の大日本明治製糖)社長・藤山雷太の息子。親の跡を継ぎ、大日本製糖社長に就任。日本商工会議所会頭、経済同友会代表幹事、日本航空会長など財界の要職を歴任。後に政界入りし、岸内閣外相、自民党総務会長(池田総裁時代)、池田、佐藤内閣経済企画庁長官など歴任。

*14:NHKチーフディレクター。著書『僕は沖縄を取り戻したい:異色の外交官・千葉一夫』(2017年、岩波書店

*15:運輸次官から政界入り。自由党幹事長(吉田総裁時代)、吉田内閣郵政相、建設相、岸内閣蔵相、自民党総務会長(岸総裁時代)、池田内閣通産相科学技術庁長官などを経て首相

*16:岸内閣科学技術庁長官、佐藤内閣運輸相、防衛庁長官、田中内閣通産相自民党幹事長(三木総裁時代)、総務会長(福田総裁時代)、鈴木内閣行政管理庁長官などを経て首相

*17:戦前、天津総領事、奉天総領事、駐スウェーデン公使、外務次官、駐伊大使、駐英大使を歴任。戦後、東久邇宮、幣原内閣外相を経て首相

*18:産経新聞政治部記者。佐藤栄作に請われて産経新聞を退社し、佐藤首相の首席秘書官を務めた。佐藤退陣後も、福田赳夫安倍晋太郎のスピーチライターを務めるなど政界と深い関わりを持ったとされる。

*19:大蔵省理財局長、主計局長、大蔵事務次官を歴任。退官後も海外経済協力基金総裁、東京電力顧問など歴任。

*20:京都産業大学教授。沖縄返還交渉において佐藤の密使として訪米し交渉に当たったとされる人物。著書『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』(文藝春秋社)

*21:人民解放軍総司令官、国家副主席、全人代委員長など歴任

*22:福島に多い姓のようです。

*23:防相中国共産党副主席、全人代委員長、国家中央軍事委員会副主席など歴任

*24:1999年に日本輸出入銀行と統合し、現在は国際協力銀行