倍賞美津子が助演した古谷三敏原作の映画『ダメおやじ』は、だいぶ原作とテイストが違った(と思う)(ボーガス注:『八つ墓村』のネタばらしがあります)

【2021.8.5追記】
 ようやく三波伸介の(数少ない)主演映画『ダメおやじ』を観ることができた - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)でご紹介いただきました。いつもありがとうございます。
【2020.6.11追記】
 三波伸介も、やはりシリアスな方向へもシフトしようという意思があったのだと思う(ご存命なら今月90歳) - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)でご紹介いただきました。いつもありがとうございます。
 三波伸介も、やはりシリアスな方向へもシフトしようという意思があったのだと思う(ご存命なら今月90歳) - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)についてもコメントしておきます。

 三波伸介も、やはりシリアスな方向へもシフトしようという意思があったのだと思う(ご存命なら今月90歳) - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)
 三波伸介も、やはりシリアスな方向へもシフトしようという意思があったのだと思う

 遺作となった朝ドラ『エール』の志村けん山田耕筰がモデルの大物作曲家・小山田耕三)もそうですし、『てんぷくトリオ』での三波の仲間だった伊東四朗もそうですし、他にもいろいろいるでしょうが、コメディアンも年をとるとシリアス方向へ行く人がやはり多くなりますね。

 なお三波は、渥美には相当なライバル意識があったのとのこと。

 三波伸介 (初代) - Wikipediaによれば

・三波が渥美を敵視するようになったきっかけは、同じ舞台役者であった妻・和子(結婚後は専業主婦となり引退)と結婚前、新橋でデートしている所に渥美と遭遇、渥美は三波を無視して妻と話し込み、去り際に「俺は先に行って待ってるからな、お前はぼちぼち来いよ」とつぶやかれたからであると、息子の伸一が証言している。渥美は当時、日劇に呼ばれて一流芸人の仲間入りを果たした時期であり、三波は手に持っていた新聞を地面に叩き付けて悔しがったという。

だそうです。事実ならば三波が激怒するのも当然ではあるでしょう。

 彼は、1930年6月28日生まれとのことなので、タイトルにもしたようにご存命なら今月90歳になります。さすがに主演他は難しいでしょうが、しかし「三波さんさすがだな」といわれるようなすごい演技を見せてくれただろうなと思うと、あらためてその死を悼みたいと思います。

 なお、てんぷくトリオメンバーだった伊東四朗は「1937年6月15日生まれ」で

伊東四朗 - Wikipedia
 1983年のNHK連続テレビ小説おしん』の父親役に抜擢されて以後、活動の中心は俳優業に据え、1992年から2015年まではTBS系『十津川警部シリーズ』で亀井定雄刑事役を一貫して演じた。

ということで現在も存命で活躍しています。
 もう一人のメンバーである戸塚睦夫 - Wikipediaは「1931年(昭和6年)4月20日 - 1973年(昭和48年)5月12日」ということで「1930年(昭和5年)6月28日 - 1982年(昭和57年)12月8日」という三波よりも早死にしています。
 なお、三波については

三波伸介 (初代) - Wikipedia
 肥満体であったことと、多忙のため多い日でも3〜5時間しか睡眠を取れず、タバコは一日最低でも3箱を吸い、さらにコーヒーも数杯好んで飲んでいた。亡くなる2ヵ月前にあった名古屋の中日劇場での座長公演の際には、朝食は食べず昼食は味噌煮込みうどん、夕食はホテルで300グラムのビーフステーキという生活を、1ヵ月の公演中毎日続けたという。これについて三波のマネージャーは「健康のために嫌いなものを食べるのもひとつの生き方。でも、好きなものを毎日食べてあの世に行くのもひとつの生き方」と述べている。その一方、酒は下戸で一滴も飲まなかった。

というから不摂生がたたったのでしょう。
【追記終わり】

 俺的には倍賞千恵子が主演した松本清張原作のテレビドラマ『顔』は、だいぶ原作とテイストが違った(ボーガス注:松本清張『顔』のネタばらしがあります)(追記あり) - bogus-simotukareのブログの続きです。
 何でこんなことを思い出したのかというと「あそこまで酷くないけど、横田早紀江って『ダメおやじ』の鬼ババ(ダメおやじを虐待する悪妻)を連想させるな→そういえば実写映画化されてたな」と言う連想です。
 なお

倍賞美津子*1が助演した古谷三敏*2原作の映画『ダメおやじ』は、だいぶ原作とテイストが違った(と思う)

の「と思う」というのは実はテレビで放送されたのを適当にしか見ておらず、内容を良く覚えてないからです。
 正直、ダメおやじ - Wikipediaを確認するまでは、姉の倍賞千恵子*3が助演したと勘違いしてました(ちなみにダメおやじを演じた主演はてんぷくトリオメンバーや一時『笑点』司会をしたことなどで知られるコメディアン三波伸介)。
 改めてレンタルDVDなどで見てみようかなと言う気もする。
 マンガの「ダメおやじ」は最終的には「ダメおやじが出世して鬼ババ(ダメおやじを虐待する)を見返す」というハッピーエンドの落ちに一応していますが、それまでが酷い。いかに「ダメおやじ」だろうと「バットで思い切り殴る」とか「それDVだろ!」という描写が延々続く。
 古谷三敏の絵柄でナンセンスギャグものとして、ばかばかしく描いてますから見られますが、アレをリアルに描いたらとても正視できるもんではない。いやナンセンスギャグとしてもかなりきつい。
 まあ、古谷もああいうブラックなのはおそらくあれ一作ぐらいで他は古谷三敏 - Wikipediaを見れば分かりますがだいたいほのぼのとした世界ですね。
 で映画版「ダメおやじ」に話をすすめますが、この映画の監督は野村芳太郎です。
 そう『鬼畜』(松本清張原作)で岩下志麻*4に、『八つ墓村』(横溝正史原作)で小川真由美*5に『怖い女性(要するに犯罪者ですが)』をやらせた例の監督です。
 でマンガ版「ダメおやじ」てのは夫婦関係がはっきりいって『鬼畜』の緒形拳*6岩下志麻に近いもんがある。
 とはいえ、マンガ「ダメおやじ」自体はナンセンスギャグであって、松本清張『鬼畜』のようなホラー的な、サスペンス的なものをねらってるわけではない。しかも松竹映画と言えば「男はつらいよ」に代表される「ほのぼのコメディー」の老舗です。
 どう映画で描くのかなと思ってたんですが

・『男はつらいよ』の車寅次郎(渥美清*7)とさくら(倍賞千恵子
・『男はつらいよ』の諏訪博(前田吟)とさくら(倍賞千恵子
・『釣りバカ日誌』の浜崎伝助(西田敏行*8)とみちこ(浅田美代子

のような「他の松竹映画」のような描き方(つまり確かにダメおやじの妻はきつい女性かもしれないが、ダメおやじにも問題があるしDVとまでは言えないし、基本的にはダメおやじを愛している)でしかなく、全然鬼ババではない(他の設定は大分違いますが、万年平社員という設定だけは『釣りバカ日誌』と『ダメおやじ』は共通します)。
 まあ、マンガ通りの鬼ババで笑いをとるとしたらアニメしかなく、実写版にした時点で「マイルドにせざるを得なかった」とは思いますが。
 倍賞美津子の顔*9でマンガ通りの鬼ババを演じられても違和感があるだけでしょうし。
 とはいえ「じゃあ誰が鬼ババなら適役か(マンガ通りの鬼ババに描いて興行的にも成功するか」といったら「実写版じゃ無理」でしょう。

【参考】

実写版 ダメおやじ | MUDAMUDA DAM
 アニメ版だと、かかあ天下で鬼婆の奥さん、娘も息子も母親側につきダメ親父を苛めまくるというカオスな設定だったから、実写版は果たしてどういう展開なのかが気になってた。
 アニメ版とは違い、サディスティックを前面にしてなくて、「ニッポン無責任時代」のようなコメディタッチに仕上がってた。
 ダメオヤジ役は「三波伸介」さん。
 三波伸介さんはこの作品が初映画*10なんだね。
 後で分かったことなんだけど、お笑いグループ「てんぷくトリオ」のメンバー。その関係もあって最後の方で伊東四朗さんも特別出演してたよ。
 先日、ケーブルで再放送されたドリフに伊東四朗さんが出演していて、葬式で笑いを堪えるコントだったんだけど、やはり物凄く役者。
 今回の特別出演も数分しか出てないのにキャラが濃い。そして面白い。
 主役の三波伸介さんはダメおやじというより、人が良くて毎回損する役を演じてた。
 オニばば役は「倍賞美津子」さん。
 アニメ版とは違い、デブ、ブサイク、サディスティックではなく綺麗な奥さん役。
 倍賞美津子さんのお母さん役として浅香光代さんがキツイ口調で出演してるんだけど、どっちかというと浅香光代さんの方がオニばば役、適役だったような.....
 アニメ版でダメおやじの声優を務めた大泉滉さんは実写版で起用されても全く抵抗がないくらい適役だから、浅香光代さんと共演してたら原作に近い感じになってたかもしれない。
 アニメ版は完全にドSに仕上がってるけど、実写版は原作とは違ってた。
 どぎつさではアニメ版、ほのぼのコメディなら実写版。

連載コラム「銀幕を舞うコトバたち(43)」私、お尻、引っぱたきます!(文 米谷紳之介)
 黄金期はとっくに終わり、邦画と洋画の観客動員のシェアが逆転したのが1970年代の日本映画界だった。
 では、この時代を代表する監督を一人選ぶとしたら誰か。ぼくなら野村芳太郎の名を挙げる。
 1970年から1979年までに野村芳太郎が撮った映画は18本。その中には『砂の器*11』や『八つ墓村*12』といった大ヒット作があり、『鬼畜*13』や『事件*14』のような問題作、話題作もある。さらに数々の喜劇や恋愛劇も手掛けており、映像作家としての肺活量の大きさにあらためて驚かされる。『ダメおやじ*15』もそんな小品の一つで、『砂の器』の前年に公開された喜劇である。
 原作は古谷三敏の同漫画。何をやってもヘマばかり、会社でも家でもバカにされ、こき使われる夫「ダメおやじ」と、その夫をシゴきまくる妻「オニババ」の夫婦愛が描かれる。ダメおやじに扮するのは三波伸介。漫才「てんぷくトリオ」のリーダーだったが、この頃はすでに『笑点』(日本テレビ系)や『お笑いオンステージ』(NHK)などの司会で人気だった。ゴツゴツした顔と丸みを帯びた風体は、(中略)『男はつらいよ』の渥美清、『釣りバカ日誌』の西田敏行ら、松竹伝統の喜劇役者の系譜に連なると言ってもいい。
 オニババには倍賞美津子
 とはいえ倍賞美津子が演じるくらいだから本作のオニババはすこぶるチャーミング。そもそもダメおやじの頼りなさは妻なら叱咤したくなるのが当然のレベル。出世競争からはすっかり取り残され、人に謝ってばかりで、子どもにも同情される。
 映画では夫婦のバトルより、小山田宗徳吉田日出子*16が演じるもう一組のカップルとの対比に主眼が置かれている。こちらの夫はダメおやじとは不動産会社の同期ながら、万事要領がよく早々に課長に昇進、ダメおやじが団地住まいなのに対し家も新築している。妻もまた見栄っ張りで、嫉妬深い。しかもオニババの大学の後輩だから、ダメおやじの肩身はますます狭くなる。
 小山田の愛人騒動とともにドタバタ劇は加速し、同時にダメおやじならではの魅力の輪郭がはっきりしてくる。
 とにかく正直。不器用。不正は絶対にできない。さらに自分の弱さを自覚し、さらけ出せるのが素晴らしい。
 「ぼくと結婚してください。嫌なら、ぶっ飛ばしてください」
 プロポーズの段階から弱気だ。新婚旅行の車中でも、自分がデブで、鈍感であることを認めたうえで懇願する。
 「何をさせてもダメな男なんです。だから、これからはお尻を引っぱたいてもらわないと。そうしてもらえたら、課長にでも、部長にでも」
 これに対するオニババの宣言が清々しい。
 「私、お尻、引っぱたきます!」
 ダメおやじを見て思い出すのは小津の『お茶漬の味』である。佐分利信が演じた夫はダメおやじとは違って仕事はできるが、無口で田舎臭いことから、(ボーガス注:木暮実千代*17が演じた)お嬢様育ちでプライドの高い妻からは「鈍感さん」と揶揄された。そんな夫の魅力を見直していく様子が小津映画らしくサラリと描かれる。
 北海道に左遷させられたダメおやじの後をオニババと息子もついていく。
 「私がついていかないと、お尻引っぱたく人いないじゃない」
 『お茶漬の味』も最後は佐分利信*18ウルグアイへと赴任して(ボーガス注:結局妻もそれについて)いく話だった。
 家族に寄り添う松竹大船調の伝統はここにも息づいている。

『ダメおやじ』と高度経済成長期の狂気――古谷三敏インタビュー【あのサラリーマン漫画をもう一度】 « ハーバー・ビジネス・オンライン « ページ 3
◆インタビュアー:
 三波伸介さん主演で映画化もされましたが、先生は深く関わっていたんですか?
◆古谷:
 映画はね、すごいモメたっていうかね。監督が野村芳太郎先生ですよ、すごいよね。脚本がジェームス三木さんだし。作る前から松竹に子供たちから電話がたくさんあって、期待はされていたんですけどね……。
◆インタビュアー:
 でも完成した映画は完全に大人向けのサラリーマン映画になっちゃっていたという。
◆古谷:
 あれはもうちょっと気楽に作ればよかったのに、さすが野村芳太郎先生という映画になっちゃった。だから思ったほどヒットしなくて、一本で終わった。松竹としてはお金をかけて、いいスタッフで作ったけど。僕はまずキャスティングが良くないと思った。もともとオニババは和田アキ子さん*19に、ダメおやじはせんだみつおさんにしたいと言ったんだけど(笑)。和田さんにはイメージが悪くなるからという理由で断られたらしい。さもありなんだよね。
◆インタビュアー:
 和田アキ子さん版、見てみたかったです!
◆古谷:
 オニババ役になった倍賞美津子さんは、アントニオ猪木さんと結婚しているときだったからいいんじゃないかといわれたけど、どんどん真面目な感じの映画になっていったんだよね。洗濯機の中にダメおやじを入れてグルグル回すシーンをどう描こうかと野村芳太郎先生が悩んでいましたよ。
◆インタビュアー:
 残酷描写は、あくまで夢の中でちょっと出てくるだけなんですよね。

今も続く名作『BARレモンハート』は、『ダメおやじ』から生まれた――古谷三敏インタビュー【あのサラリーマン漫画をもう一度】 « ハーバー・ビジネス・オンライン
◆インタビュアー:
 1978年になって、ダメおやじはひょんなことから社長になって、それ以来残酷描写が全く無くなり、極めて平和なホノボノ漫画になります。あれはどういう意図で方針転換したんですか?
◆古谷:
 後半になると、読者に飽きられてくるんですよね。どう変えていこうかというときに、ちょうど日本自身が経済的に疲弊してきていたんです。そんな時に思いついたのが「三年寝太郎」という民話。なんにもしないのに幸せになるというのは、疲れた人たちにとっては夢じゃないですか。だから突然社長にしてみたんです。
 連載から5~6年経つと、人気は6~7位と低迷していたんです。でも10歳くらい下の若い編集者に代わって、その人がフライフィッシングとか登山とかが好きなアウトドア派の人で、その人がダメおやじにそういうことをさせましょうと言ったんですよね。僕も悩んでいたし、社長だったら何でもできるから、そうしようと思って。
 トレッキングをしているオーソリティから話を聞いたり、僕自身も谷川岳に行ったりして。アウトドアなんて全くしたことなかったから、付け焼刃で描いたんだけど、人気がバーンと上がった。
 ダメおやじが釣りをやったのをみて、『ビックコミック』の編集の人が「視点を変えてこれをやったら絶対面白くなる」と言って、やまさき十三さんと北見けんいちさんに声をかけて『釣りバカ日誌』が出来た。だから「ダメおやじがあったから釣りバカが出来た、古谷さんのおかげだよ」と北見さんにお礼を言われた。でもそっちのほう有名になっちゃって、たくさん稼いで、映画もたくさん作られたんだから、すごいよね。
◆インタビュアー:
 『ダメおやじ』終盤はめまぐるしく展開を替えて、連載は1982年に終わります。
◆古谷:
 最後は本当に最下位のほうを低迷してましたね。もう頃合いかなあと。12年も続いた連載なんて、当時はそう無かったんですよ。でも、「こち亀」は最近まで続いていたからすごいですよ。あれは一生抜けないだろうね。秋本治さんの才能は半端ないなあと。
◆インタビュアー:
 後の『BARレモンハート』のマスターも『ダメおやじ』の後半で既に登場していて、最終回にも出てきます。
◆古谷:
 少年誌だけど、ダメおやじがメガネさんと「バーうんちく」に行った話を描いて、僕自身が面白かったんですよね。だから次の漫画のテーマにしようって。その延長線上で『BARレモンハート』を描くわけです。テレビドラマにもなって、それなりに(ボーガス注:客向けに『BARレモンハート』が置いてある)床屋さんとかで読まれてるけど、「面白いけど酒のことはわかんねえな」とよく言われる(笑)。マニアックな感じではあるけれど、他の人がやってないし、自分、酒も詳しいから、酒の漫画を描いてやろうと。
◆インタビュアー:
 『ダメおやじ』はその後、文庫本になったり、コンビニでダイジェスト版が発売されたりしていますが、基本的には社長篇以降の採録で、残酷だった初期はもう読むことが出来ません。これは古谷先生の意思なのでしょうか?
◆古谷:
 僕自身が年をとって、最初の頃の話は読むに堪えないというか、なんでこんなすごいこと描いたんだろうって思ってしまうんですよね。特に、車の運転を習っていて犬を轢く話とか、ダメおやじが大事にしているぬいぐるみをイカ太郎が引きちぎって泣かせるとか。恐ろしいというか、なんでこんなの描いたんだろう、というのがありますね。若さかなあ。でも公共の物だからダメだろうと。
 前半の残酷ものは、時代もあったと思う。日本はどうなっちゃうんだろうっていうくらい、みんなウハウハ言っていたわけで、今の中国の爆買いみたいな感覚ですよね。不幸な人間がいないみたいな。だから余裕をもって『ダメおやじ』を読めた。でもそのうち、「ダメおやじの家は貧乏だけど庭がある、自分は団地なのでうらやましい」っていう投書が来た。日本自身が疲弊していくと、自分自身がダメおやじみたいな不幸な感じを持つ人が出てきて、こんな漫画を描いていては良くないと思った。連載が始まったころは、若者はみんなロングヘア―でギター抱えて新宿で歌ってた。生活苦なんて感じてなかった。
◆インタビュアー:
 高度経済成長期って、給料が毎年すごい勢いで増えていたっていいますよね。(中略)今は基本的に連載は『BARレモンハート』だけですよね。
◆古谷:
 今は1本しかやってない。年金で静かに暮らしてます。
◆インタビュアー:
 『BARレモンハート』の連載は32年目に突入しているので、そのうち「こち亀」を抜くんじゃないですか?
◆古谷:
 隔週誌なのに、わがままを言って月一回にしてもらってるんです。採り上げる酒を探すのが本当にすごく大変で。基本的には1回描いたお酒はもう使わないので、やればやるほどネタが無くなってく。日本中のバーテンダーレモンハートに出てくるお酒を見つけて自分の棚に置くくらい、バイブルっぽくなっているので、僕の孫がいつも酒を必死に探してきてくれています。

「ダメおやじ」がギャグだった時代
 「ダメおやじ」が始まった1970年に父権が失墜した、とも受け止められますが、実はそうではないでしょう。あまりにも残酷で、小馬鹿にされた「ダメおやじ」というギャグマンガが成立する背景には、「こんな親父、いるワケない」という前提があります。父権という権力が残っているからこそ、とんでもないダメ父が笑える存在になるのであって、父権が失墜してしまった今なら、ひたすら寒々とするだけでギャグにも何にもならない。連載一回目の1ページ目の肩には、編集部が書いたこんなあおり文句が掲載されています。
 「なにをやってもバカにされ、おやじの権威はメッタメタ!!」。
 おやじの権威が存在していたことを裏付ける何よりの証拠ではありませんか。
 当時の中年サラリーマンたちは、一部の人は「けしからん」と怒ったでしょうが、多くは「バカな親父がいるもんだ」「俺もウカウカしてたら、こんな父親になったりしてな、ハハハ」と、笑い飛ばしていたと思いますね。ただ、古くからの家族制度のなかで守られてきた父権という牙城が切り崩される契機になったのも、また確かだという気がします。
 1970年以降、郊外に居を構えて会社までの通勤時間が長くなったお父さんたちは、深夜帰宅が多くなり、家族と過ごす時間をないがしろにしていきます。一方、お母さんたちは、近隣に誕生したスーパーでパートタイムをはじめて住宅ローン返済の一翼を担い、家事との両立に精を出します。そんな両親のもとで育った子供たちが、父権というものに疑問を抱くのは自然の成り行きでしょう。
 「親父」はやがて「オヤジ」になり、父権は地に墜ちます。2000年に放映されたドラマに広末涼子田村正和主演の「オヤジぃ。」がありましたが、今度は(ボーガス注:広末演じる娘に対し)父権をふりかざす父親(ボーガス注:田村正和)がコメディの素材として登場しました。ダメおやじが笑いの対象となった1970年。頑固おやじが笑いの対象となった2000年。30年でここまで立場が変わったのかと、改めて唖然としてしまうのでした。

*1:1946年生まれ。1979年、『復讐するは我にあり』でブルーリボン賞助演女優賞を、1985年、『生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言』、『恋文』でキネマ旬報主演女優賞、毎日映画コンクール主演女優賞を受賞(倍賞美津子 - Wikipedia参照)

*2:1936年生まれ。1978年、『ダメおやじ』で小学館漫画賞を受賞(古谷三敏 - Wikipedia参照)

*3:1941年生まれ。1975年、『男はつらいよ 寅次郎相合い傘』でブルーリボン賞助演女優賞を、1980年、『遙かなる山の呼び声』で日本アカデミー賞最優秀主演女優賞、報知映画賞主演女優賞を、1981年、『駅 STATION』でキネマ旬報主演女優賞を受賞(倍賞千恵子 - Wikipedia参照)

*4:1941年生まれ。1997年、『はなれ瞽女おりん』で報知映画賞主演女優賞受賞(岩下志麻 - Wikipedia参照)

*5:1939年生まれ。1979年、『復讐するは我にあり』、『配達されない三通の手紙』で日本アカデミー賞最優秀助演女優賞キネマ旬報助演女優賞を受賞(小川眞由美 - Wikipedia参照)

*6:1937~2008年。1965年、NHK大河ドラマ太閤記』の主役・豊臣秀吉に抜擢。引き続き1966年のNHK大河ドラマ源義経』に弁慶役で出演し、人気を確立する。1978年、映画『鬼畜』でキネマ旬報主演男優賞、日本アカデミー賞最優秀主演男優賞、ブルーリボン賞主演男優賞を、1983年に『楢山節考』、『陽暉楼』、『魚影の群れ』で、1986年に『火宅の人』で日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞(ウィキペディア緒形拳 - Wikipedia参照)。

*7:1928~1996年。死語、国民栄誉賞を受賞(渥美清 - Wikipedia参照)

*8:1947年生まれ。1989年、『敦煌』、1994年、『学校』で日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を、2003年、『ゲロッパ』、『釣りバカ日誌14』でブルーリボン賞主演男優賞、毎日映画コンクール主演男優賞、報知映画賞主演男優賞を受賞(西田敏行 - Wikipedia参照)

*9:映画「ダメおやじ」予告編をYouTube動画で見て「やはり姉妹だ、倍賞千恵子に似ている」と再確認しました。それと倍賞美津子は1946年生まれ、映画公開が1973年なのでまだ彼女も全然若いですね。

*10:コメント欄で指摘がありますが初映画ではありません。おそらく「初主演」でしょう。

*11:松本清張原作

*12:横溝正史原作

*13:松本清張原作。野村芳太郎がこの作品と『事件』で日本アカデミー賞最優秀監督賞を、緒形拳日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞

*14:大岡昇平原作。大竹しのぶ日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を、渡瀬恒彦日本アカデミー賞最優秀助演男優賞を受賞

*15:古谷三敏原作

*16:1944年生まれ。1989年、『社葬』で報知映画賞助演女優賞を受賞(吉田日出子 - Wikipedia参照)

*17:1918~1990年。1949年、『青い山脈』で毎日映画コンクール助演女優賞を受賞(木暮実千代 - Wikipedia参照)。

*18:1909~1982年。1952年、『波』『お茶漬けの味』『慟哭』で毎日映画コンクール主演男優賞、1975年、『化石』でキネマ旬報主演男優賞を受賞(佐分利信 - Wikipedia参照)

*19:1950年生まれ。1972年、「あの鐘を鳴らすのはあなた」で日本レコード大賞最優秀歌唱賞を受賞(和田アキ子 - Wikipedia参照)