高世仁に突っ込む(2020年6/9日分)

横田滋さんの逝去によせて4 - 高世仁の「諸悪莫作」日記
 高世仁に突っ込む(2020年6/8日分) - bogus-simotukareのブログで取り上げた高世記事横田滋さんの逝去によせて3 - 高世仁の「諸悪莫作」日記の続きです。

 拉致問題を取材した記者たちが、それぞれ横田滋さんの人柄を偲ばせるエピソードを書いている。
 「滋さんは、テレビに若い歌手が登場すると、歌が好きだった娘とダブらせ涙をこぼし、風呂で湯船につかって独り泣いている姿も拓也さんが見ていた。家族には『強い父』というより『愛情深い父』だった」
 「神奈川県の自宅で取材後、帰りにタクシーの運転手がこう教えてくれた。『横田さん夫妻はタクシーには乗らない。雨の日も風の日もバス停にいる』。当時、家族会には多額の寄付が寄せられていたが、タクシー代に使うのは『申し訳ない』と固く思っていた」(北海道新聞「評伝」太田一郎記者より)

 こういうお涙頂戴はいい加減にして欲しいですね。横田滋を「聖人化」することは彼に対する客観的評価や批判を難しくしますし、彼を「聖人として担ぎ上げること」で自らへの批判をかわそうとする横田一家や家族会、救う会に対する客観的評価や批判も難しくしかねない。というかこんな文章を書く太田記者にはおそらく俺の様な問題意識はかけらもないのでしょうが。もしかしたら高世のように意図的に「家族会、救う会に媚びてる人間のくず」が太田記者かもしれない。

 拉致問題という国民的課題の象徴である二人の立場を考えれば、セキュリティ対策として、政府から専用車と護衛をつけてもおかしくないと思う。(夫妻はきっと断っただろうが)

 滋氏は断るでしょうが奥さんは大喜びじゃないか、そういう感じが俺はしますね。俺は早紀江にはそう言う否定的な感情しかありません。
 倍賞美津子が助演した古谷三敏原作の映画『ダメおやじ』は、だいぶ原作とテイストが違った(と思う)(ボーガス注:『八つ墓村』のネタばらしがあります) - bogus-simotukareのブログで書きましたが「ダメおやじのオニババ=早紀江」「ダメおやじのイカ太郎=横田滋氏の息子」が俺のイメージです。
 どっちにしろ高世も何を馬鹿なことを言ってるのか。
 「テロのターゲットになる恐れがある」とでもいうのか。そもそも拉致被害者家族は横田夫妻だけではない。「何で横田夫妻だけ特別扱いなのか」つう話にもなる。高世もおそらく「蓮池透氏など全ての拉致被害者家族に専用車と護衛を!」つうんじゃないでしょうし。

 体のあちこちに不調を抱え、高齢を押して全国で1400回超の講演をこなしながら、公共交通機関で移動するという身の律し方に、「古き良き日本人」という言葉が浮かんでくる。

 ばかばかしい。体がつらいのなら、そして公共交通機関ではなくタクシーを使うことで負担が軽減できるのなら、そしてタクシーを使えるだけの金があるのならタクシーを使えばいいでしょうよ。そんなことは「古き良き日本人」と美化すべき話では全くない。
 まあ、そもそもそこまで無理して講演なんぞして拉致の解決という意味で何の意味があったのか、なかったやろ?と思いますが。
 基本、外交交渉でしか解決しない問題ですからね。
 一般的な人権問題なら「外国人」「障害者」など差別や人権侵害を受ける側の人の声を聞くいわゆる啓発活動に意味はあるでしょうが、拉致はそう言う類の話ではない。

 自分の目でその女性を見ているうえ、拉致実行犯である当時の教官(工作員養成所の先輩でもある)から直接話を聞いている。それをテレビカメラの前で語っているのだから、証言としての価値は高い。

 いやいや、安証言のようないわゆる「又聞き証言(ホニャララしたとAさんから聞いた、とBが証言)」つうのは直接証言(私がホニャララしました、とAが証言)と比べて「証言としての価値は低い」つうのが通説ですが。つまり安証言ははっきりいって証言としての価値は低い。
 法律知識がある方はご存じでしょうが、刑事裁判では原則として又聞き証言(伝言証言)は使えません。「直接証言者が既に病死して直接証言がとれないなど、又聞き証言を利用する必要性があり、かつ又聞き証言でも信用性が担保されてると思われるとき」しか使えない。
 ちなみに刑事訴訟では「公判廷での直接証言」以外は全て又聞き証言扱いで「検察官や警察官の取り調べ調書」も又聞き証言です。
 ロッキード事件での「コーチャン調書」に弁護側が物言いを付けたのもあれが例外条件でのみ使える「又聞き証言」であり、かつ「刑事免責証言についての扱い」が当時の日本の刑訴法(刑事免責証言を想定していない)に明確な定めがなかったからです。
 一方、民事裁判では又聞き証言は無条件で使えますが直接証言に比べ「価値が低い物」として扱われる。
 というのは予想がつくでしょうが
1)そもそもAなど存在しなかったり、存在してもBが言うような発言はしてない可能性がある(Bの虚言)
2)Aは存在し、そう言う発言もしたが、A発言が虚偽の可能性がある
3)Aは存在し、発言も事実だが、いわゆる「伝言ゲームでの誤解」によりAの発言をBが誤って理解しており、実際の出来事とずれが生じてる可能性がある
4)証言についての疑問点は直接証言ならAに問いただすことが出来るが、又聞き証言ではAに問いただすことが出来ず、Bに問いただしても「又聞きなので詳しいことまで分からない」になってしまう
からです。
 安の証言が素直に信用されなかったのも「又聞き証言だから」です。

 安明進氏が韓国に亡命したのが1993年9月、石高リポートの元工作員は94年暮れだという。
 明らかに同一人物ではない。ということは、めぐみさん拉致の証言者が、複数いるということになる。

 高世仁に突っ込む(2020年6/8日分) - bogus-simotukareのブログでも書きましたがそれとは別の可能性がありますね。
 それは

2)安発言は嘘。石高レポートを仕掛けた韓国公安は「世間の反応の弱さ」に「顔出しで誰かに証言させないと駄目だ」と思ったが『亡命した北朝鮮工作員(実行犯?)』は顔出しでの証言を拒否した。そこで「顔出しOK」の安に顔出し証言させることにしたが、安は実行犯でないので『実行犯から聞いた』というストーリーが捏造された

と言う可能性です。
 また

1)北朝鮮での工作員時代に『実行犯から聞いた』という安発言は事実。その実行犯が石高レポートの『亡命した北朝鮮工作員

と言う場合も元ネタは石高レポートの『亡命した北朝鮮工作員』なのだから安証言には正直、「安が顔出ししたのでインパクトがある」と言う以上の意味はない「大して価値のない証言」ということになるわけです。