今日の産経ニュースほか(2020年6月12分)

サンリオ、創業以来初のトップ交代 社長に31歳の辻朋邦氏 - 産経ニュース
 92歳の社長・辻信太郎(創業者)が「31歳の孫・辻朋邦(現在、専務)に社長を継がせる」というのだから「絵に描いたような会社私物化」でしょう。
 しかも社長は辞めても「代表権を持った会長」だそうです。
 「サンリオってこんな酷い会社だったんだ(呆)」感が否定できません。
 いくら「創業者社長(1960年に会社を創業してから60年間ずっと社長)」「同族企業」でサンリオが「鉄道会社や電力会社のような公益企業」ではないとはいえ、JR東海からすると、葛西某に無役になってもらいお引き取り願うことは現状無理なんだろう - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)で批判された葛西の方がまだましでしょう。何せ昔(創業当時)はともかく今は東証一部上場の大企業ですからねえ(サンリオ - Wikipedia参照)。
 JR東海からすると、葛西某に無役になってもらいお引き取り願うことは現状無理なんだろう - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)をもじれば

・サンリオからすると、辻信太郎に無役になってもらいお引き取り願うことは現状無理なんだろう

ということのようです。

参考

サンリオ - Wikipedia
◆沿革
 山梨県の職員だった辻信太郎が、県の物産である絹製品を販売する県の外郭団体だった山梨シルクセンターを株式会社化。社名をそのまま引き継いで、創業したのが始まりである。だがその本業で早々に失敗し、小物雑貨の販売に転じた。最初の成功は花柄を付けたゴム草履だったという。きれいでかわいいイラストを付けることで売れ行きが大きく伸びることを知った辻は、キャラクター商品の開発に乗り出した。
・1960年8月10日:山梨県の外郭団体・山梨シルクセンターを株式会社化し、創業。
・1974年:ハローキティ誕生。
・1982年:東証2部に上場。
1984年:東証1部へ指定替え。
・1990年:東京・多摩に「サンリオピューロランド」がオープンする。
・1991年:大分県に「ハーモニーランド」がオープンする。
・2013年11月20日代表取締役副社長の辻邦彦 - Wikipedia*1が、出張先のアメリカで急性心不全のため死去。
◆事業
 ハローキティなど様々なファンシーキャラクターグッズが有名で、自社開発のキャラクター総数は400種を超える。その他に映画製作、出版事業も行っている。外食産業にも参入しており、埼玉県などの一部の地域で、ケンタッキーフライドチキンフランチャイズ店を出店している。このほか、サンリオピューロランド(東京都)、ハーモニーランド大分県)などのテーマパーク事業も手がけている。グリーティングカード事業では日本最大手である。
◆社名の由来
 『週刊現代』1978年6月8日号に掲載されたサンリオに関する記事では、サンリは辻の出身である山梨、オは何となくゴロがいいからとされた。
 山梨の王になるという思いで山梨王(サンリオ)になったという説があるが、これについては、上前淳一郎*2『サンリオの奇跡:世界制覇を夢見る男達』(1979年、PHP研究所→1982年、角川文庫)、西沢正史『サンリオ物語:こうして一つの企業は生まれた』(1990年、サンリオ出版)、辻信太郎『これがサンリオの秘密です』(2000年、扶桑社)のいずれもが否定している。
 なお、現在、公式サイトにもあるサンリオの公式な説明として、スペイン語で「聖なる河」を意味する San Rio に由来するとしている。また、現行のロゴマーク(1997年制定)も河の水をイメージしてデザインされたものである。


活動自粛の渡部さん、妻の佐々木希さんが謝罪 - 産経ニュース
 夫の浮気を何で妻が謝罪するのかわけが分かりません。


アンジャッシュ児嶋一哉、号泣謝罪 相方・渡部建の不倫報道で - モデルプレス
 コメント欄でバルトフェルドさんも指摘していますが、相方とは言え渡部の浮気を何で児島が謝罪するのかわけが分かりません。


文科省、検定不正を否定 つくる会の公開質問状に回答 - 産経ニュース
 予想の範囲内で意外性は全くありませんが、つくる会連中が次にどう動くかですね。結局、安倍や萩生田を敵に回すことが出来ず腰砕けで泣き寝入りするのか。


【台湾有情】多様性と懐の広さ - 産経ニュース

 米ミネソタ州で先月、黒人男性が白人警官に首を押さえつけられて死亡した事件に対する抗議で、デモの主催者は「中華統一促進党」とあった。
 以前、取材したことがある親中的なミニ政党だ。
 そんな政党が、米国の人種差別問題に関心を持っていたことに驚いたが、中国共産党の機関紙、人民日報のホームページを開くと、同党の主張とほぼ同じ内容が社説に書いてあった。「やはり中国と行動を共にしているのか」と納得したが、この政党の活動を容認している台湾社会の多様性と懐の広さに感心した。

 いつもながら産経は馬鹿げていますね。まともな民主国家なら「テロやヘイトスピーチ」といった違法行為でもしない限り、基本的に「批判はしても警察で取り締まったりしない」でしょう。その程度の事は「多様性と懐の広さ」などという話ではない。


【政界徒然草】香港、新型コロナ…共産、相次ぎ中国批判 現実路線・ソフト化アピールも - 産経ニュース
 文革当時や天安門事件当時も批判してますので産経が言うほど「大きな変化」とも思いませんね。
 なお、俺は日本共産党支持者ですがこれについては「隣国をいたずらに非難するのはいかがな物か」ということでむしろ日本共産党の態度には否定的見解です。


【産経抄】6月12日 - 産経ニュース

 なぜ、明智光秀にむざむざと討たれたのか。

 結局「光秀の叛意に気づかず彼を舐めてた」つうことにつきますよねえ。
 信長と言えば「部下の武将・佐久間信盛 - Wikipedia高野山に追放する」など部下に対し「苛酷な措置」を平気でする人間なので「いつ部下に寝首をかかれてもおかしくない」と思いますが本人にはそういう思いはなかったのでしょう。
 なお「本能寺の変」については「金載圭KCIA部長による朴チョンヒ暗殺」と同じ、つまり「粛清の恐怖を感じ『殺される前に先に殺す』で動いた物」であり別に天下取りなど狙っていたわけではないというのが通説です(朴も信長同様、「金載圭の叛意に気づかず彼を舐めてた」わけです)。
 通説においては「佐久間の失脚」も「俺もいつか粛清されるかもしれない」と光秀の恐怖感を助長したとされます。
 なお、本能寺の変も、朴チョンヒ暗殺も「光秀を打倒した豊臣秀吉」「金載圭を打倒した全斗煥」が突如成り上がるという「権力の大変化を産んだ」と言う点では共通点があります。

*1:1953年生まれ。創業者・辻信太郎の長男。辻朋邦の父。サンリオ常務、専務、代表取締役副社長を歴任

*2:1934年生まれ。1959年、朝日新聞社に入社。通信部、社会部記者を経て、1966年、退社、評論家となる。1977年、初の著書『太平洋の生還者』(文藝春秋)で大宅壮一ノンフィクション賞受賞。『週刊文春』に1984年から2002年まで「読むクスリ」を長期連載。2002年以降、著述は途絶えている。著書『アキラ!:加藤明・南米バレーボールに捧げた一生』、『巨人軍陰のベストナイン』、『世界の性革命紀行』、『はるかなるフェアウェイ:日米ゴルフ物語』、『めざすは新世代コンピュータ:「日本の夢」に挑む頭脳集団』(以上、角川文庫)、『イカロスの翼:美空ひばりと日本人の40年』、『狂気:ピアノ殺人事件』、『支店長はなぜ死んだか』、『太平洋の生還者』、『洞爺丸はなぜ沈んだか』、『複合大噴火』、『読むクスリ』(以上、文春文庫)など