「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(2020年6/21分:荒木和博の巻)

人間には最後まで希望を持ち続ける権利がある(6月21日のビデオメッセージです): 荒木和博BLOG
 「拉致の解決と直接関係ないただの精神論かよ!」「そう言う精神論を言いたくなるほど拉致に展望がねえのかよ!」ですね。まあ、確かに今のままでは拉致に何の展望も無いでしょうけど。
 まあ、「人間には最後まで希望を持ち続ける権利があると思うby荒木和博」というのは一般論としては間違いではありません。
 「希望を捨てたら何のために生きるのか」つう話でもある。

世紀の名セリフ「諦めたらそこで試合終了だよ」の裏の意味|MAX/神アニメ研究家@道楽舎|note
 「最後まで・・・希望を捨てちゃいかん。諦めたらそこで試合終了だよ」

とか似たような台詞はいくらでもある。
 とはいえ、「現実からかけ離れた希望」を妄想したり、「ただ希望するだけで何も努力しなかった」り、「希望のために努力しても客観的には努力の方向性が間違ってた」りすれば「希望を持ってもある意味、意味が無い」わけです。
 世紀の名セリフ「諦めたらそこで試合終了だよ」の裏の意味|MAX/神アニメ研究家@道楽舎|note

バスケ漫画スラムダンク」の安西先生の名セリフです。
・このセリフは、中学生の三井が、1点差で負けており残り時間12秒で諦めそうになった時、安西先生が三井に言ったセリフです。
・「最後まで・・・希望を捨てちゃいかん。諦めたらそこで試合終了だよ」と声を掛け、三井はもう一度勝利に向けて立ち上がり、見事勝利するわけです。
・三井の場合は、残り時間は12秒ありましたが、残り5分で100点差を逆転することは不可能です。負けるのを分かっていても、全力を尽くすことに意味はあると思います。しかし、実際その場面になった時、諦めずにいられるでしょうか?
 諦めることを推奨するわけではありません。しかし、諦めた方がいいこともあります。

と書いていますが「実現困難な希望」に無理にすがりつくくらいなら、その希望を諦めて「より実現性の高い別の希望を見いだし、そのために努力する」つう選択肢は当然あるでしょう。
 そういう意味では『人間には最後まで希望を変える(あるいは諦める)権利があると思うbyボーガス』ですね。まあ、「諦める権利がある」だけだと「諦めて終わりか」つう誤解を生むので「希望を変える」を前に持ってきましたが。
 まあ「スラムダンク」が描いた「バスケットの試合」のような「時間制限があるもの」なら「時間が終わるまで諦めない」でもいい。時間が来ればイヤでも諦めざるを得ませんから。厄介なのは「時間制限が無いもん(あるいは『将棋の奨励会の年齢制限』のように時間制限はあるが、かなり長い時間制限)」ですね。諦めたときには「もっと早く諦めてれば良かった」なんてことにもなりかねない。
 まあ、それはともかく、例は何でもいいですが、例えば「プロ野球選手を目指して高校野球で頑張ったが残念ながらプロで通用しそうに無い」と言う場合、「大学や実業団の野球に進んでそこからプロ野球を目指す」という道もあれば、プロ野球を諦めて別の方向を探す道もあるわけです(その別の道が実業団野球か、野球と全く関係ない道かはともかく)。
 拉致だって話は同じで、めぐみさんが生きてる保証もないのに「めぐみに会えないのならウンギョンにも会わない」なんてのは間違った希望の持ち方でしょう。
 そもそもウンギョンさんに会わなければめぐみさんに会えるという論理関係にも無い。
 横田滋氏はもはやどうにもなりませんが、横田奥さんは今からでも孫にどんどん会うべきですね。