今日の産経ニュースほか(2020年6月23日分)

【正論】なぜ韓国はホワイト国足りえぬか 国連安保理専門家パネル元委員・古川勝久 - 産経ニュース
 徴用工判決と慰安婦像への逆ギレという「WTO違反行為(ホワイト国除外)」を「北朝鮮への密輸の疑いガー」とデマで正当化しようとする「古川勝久」の駄文です。
 「国連安保理専門家パネル元委員」などと古川が「はったりかました」ところでデマはデマでしか無い。
 まあ、恐らく韓国のWTO提訴によって、「日本の行為はWTO違反行為」という判定がされるでしょうから、俺も「産経も古川も本当にバカでクズだな」と鼻で笑うだけですが。
 そもそも本当に「北朝鮮への密輸の疑いガー」が事実なら
1)安倍ら自民党政権側がこの件で「徴用工判決」「慰安婦銅像」云々と「北朝鮮への密輸ガー」と全く関係ないことばかりを言う上に「北朝鮮の密輸云々言うならば、我々はどうすればいいのか」と韓国政府に聞かれても「密輸防止のためにホニャララしてくれ」と何一つ言わない
2)しびれを切らした韓国側がWTO提訴すると「何故提訴する!」と逆ギレなんて事はあり得ません。
 本当に「北朝鮮への密輸の疑いガー」ならWTO提訴されても何ら痛くありませんから。


長島昭久氏が二階派入りへ 幹部に意向伝える - 産経ニュース
 予想の範囲内ですが長島*1のような輩(他には例えば細野*2)のような「民主から自民入りする連中」の存在が、野党のイメージを悪化させ、安倍自民を利してることは今更言うまでも無いでしょう。共産支持の俺からすれば「そんなんは民主の話であって共産は関係ない」と言いたいところですが。
 俺が国民民主でアレ、立民でアレ、何一つ信用しないのは連中が「いつ自民党入りしても不思議では無い連中ばかりだから」ですね。
 安倍明治150年式典に喜んで出席した、立民幹事長の福山*3とか。


つくる会文科大臣の不誠実な回答に対する抗議声明(令和2年(2020年)6月19日)

 文科大臣からの回答は、回答期限に指定した6月11日の午後、FAXでつくる会事務局に届いた。つくる会は、この回答文書が形式的にも内容的にも極めて不誠実なものであり、到底納得出来るものではないことから、この抗議声明を発表する。

 6/11の回答に対する抗議声明が1週間後の6/19と言う時点で、「お前ら、どんだけ腰が引けてるんだよ」と言う話です。
 しかも「口先で抗議するだけ」で未だに「裁判闘争に打って出る」と言えないのだから「偉そうなこと抜かしてるけど、お前ら、そんなに自民党が怖いのか(苦笑)」と言う話です。いや、実際怖いのでしょうが(改めて苦笑)。つくる会も含めて日本ウヨのほとんどは自民党に喧嘩が売れるような連中では無いでしょう。「自民党の提灯持ち」も同然の連中でしか無い。当然「検定不合格」など予想してなかったので「何をどうしていいのか」混乱しておそらくまともな方針は何一つできてないでしょう。
 萩生田文科相の方は鼻で笑ってるでしょう。


【主張】沖縄慰霊の日 歴史知り心からの鎮魂を - 産経ニュース

文部科学省の検定を通って、来年度から使われる中学校の教科書には、日本軍が「沖縄を『捨て石』にする作戦だった」とする記述が載るものがある。初めて沖縄戦を学ぶ中学生がこれを読めばどう思うか。
 沖縄戦で戦死した日本の将兵の多くが沖縄以外の出身だった。
・「捨て石」とはあまりに心無い見方だ。このような偏った歴史認識では沖縄戦の実相を理解できないのではないか。

・「捨て石」というのは囲碁の言葉で

捨て石 - Wikipedia
 囲碁において、意図的に相手に石を取らせることで利益を得るために打たれる石のこと

を言います。この場合、沖縄を捨て石にして昭和天皇が得ようとした利益は「国体(天皇制)護持」でした。
昭和天皇ら当時の日本政府の態度は「捨て石」以外の何物でも無い。事実を事実として書いてもそれは何ら問題ない。むしろ沖縄を捨て石にした昭和天皇らを批判しない方が当時の沖縄県民や、沖縄戦で死亡した日本兵に対して失礼でしょう。
 「沖縄戦で戦死した日本の将兵の多くが沖縄以外の出身」てそんなことは「沖縄防衛に昭和天皇が一生懸命だった、捨て石じゃ無い」なんて話では無い。
 沖縄が捨て石扱いされていたことは有名な

 沖縄戦の中で戦死し、沖縄に骨を埋めた『官僚の鑑』とされる沖縄最後の県知事・島田叡や、彼の部下である警察部長・荒井退造

とその逆に

『命惜しさに、政治的コネを使って沖縄県知事から香川県知事に異動し、戦争間近の沖縄から逃亡した』と悪口雑言される島田の前任知事・泉守紀

のエピソードでも明白でしょう。
 当時、沖縄が捨て石扱いされていたからこそ

島田叡 - Wikipedia
 1945年(昭和20年)1月10日、沖縄県知事の打診を受け、即受諾した。(ボーガス注:米軍上陸に備えて?)各官庁と折衝すると称して*4東京に頻繁に出張していた前任者の泉守紀には、出張中にも係わらず、香川県知事の辞令が出された。
 沖縄への米軍上陸は必至と見られていたため、後任者の人選は難航していた。沖縄に米軍が上陸すれば、知事の身にも危険が及ぶため、周囲の者はみな止めたが、島田は「誰かが、どうしても行かなならんとあれば、言われた俺が断るわけにはいかんやないか。俺は死にたくないから、誰か代わりに行って死んでくれ、とは言えん。」と言って、死を覚悟して沖縄へ飛んだ。

神戸新聞NEXT|連載・特集|映画「島守の塔」|<戦後70年 島守の心 島田叡と沖縄戦>(2)覚悟の赴任
・他府県出身者を中心に、出張を名目に沖縄を離れる官吏が出始めた。泉知事もその一人だった。1944年12月に上京すると、年が明けても帰らず、他県の知事に転出した。後に疎開業務に当たる人口課長を務めた浦崎純(故人)は著書「消えた沖縄県」(1965年、沖縄時事出版社)で、泉の言葉を記す。
 「死ぬなら内地だ」
 「内地」。この言葉の根底には、今に通じる沖縄への偏見がある。
 「見捨てられた」。
 県庁内は悲壮な空気に包まれた。
・重苦しい雰囲気を一変させたのが島田だった。1945年1月31日、単身で沖縄に着任。米軍上陸が必至の沖縄への赴任は、生きて本土に戻れないことを意味していた。家族も反対し、断ろうと思えば断れたはずだが、島田は即座に受諾する。
 「俺は死にたくないから誰か行って死ね、とは言えない」。
 語り継ぐ人によって言い回しは異なるが、よく引用される言葉だ。

という逸話が語り継がれるわけです。


【追記】
 ただし島田叡沖縄県知事の前任者である泉守紀についての本を読んでみたい - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)も指摘するように泉への非難は「彼と敵対的関係にあった第32軍が誇大に宣伝したのであり、巷間言われるほどには泉は酷くない」とする、野里洋著「汚名:第二十六代沖縄縣知事・泉守紀」もあるようです。
 また

多様な「正義」ぶつかる 劇「いっとーばい-逃げた知事 泉守紀」 戦時下の葛藤描く | 沖縄タイムス+プラス ニュース | 沖縄タイムス+プラス
 第2次世界大戦中に沖縄県知事の座を退いた泉守紀(しゅき)を描いた劇「いっとーばい-逃げた知事 泉守紀」(安和学治脚本、当山彰一演出、畑澤聖悟監修)が10日、那覇市のテンブスホールであった。
 原作は野里洋著「汚名-第二十六代沖縄縣知事 泉守紀-」。沖縄戦で命を落とした島田叡(あきら)知事と対極的な存在として語られがちな、前任の泉に焦点をあてた著作を安和が舞台化した。
 物語では、泉(川上真輝)が沖縄赴任後、慰安所設置や疎開方法などを巡って牛島満中将(安和)や長勇参謀長(古堅晋臣)ら軍部と対立。さらに県庁内でも部下と方針が合わず、孤立を深めていく。その後、出張先から戻らないまま(ボーガス注:香川県知事に)転出する。
 観劇した原作者の野里は「私自身、泉さんは信念も逃げたい気持ちも両方持っていたように思う。単純な善悪では語れないことを劇でも伝えてくれた。24年前の本をよく若い人たちが劇にしてくれた」と敬意を表した。

という記事もググったら見つかりました。野里本が原作である以上、一方的に泉を非難してるわけでも無いでしょう。野里に賛同するかどうかどうかはともかく、また「野里本刊行当時(1993年)はともかく」、こうした記事を書く程度には沖縄タイムスも泉に対し現在(記事は2017年)、寛容(?)ではあるようです。
 なお、第32軍参謀長の長勇 - Wikipediaについていえば

長勇 - Wikipedia
・1937年(昭和12年)8月、第二次上海事変が勃発すると、上海派遣軍参謀として出征。同年12月、朝香宮鳩彦王上海派遣軍司令官指揮下の情報主任参謀として、南京攻略戦に参加。捕らえた捕虜を「殺ッチマエ」と処刑するように命じ、それを知った中支派遣軍司令官の松井石根大将にたしなめられたという。
・1944年、沖縄県に配備された兵による強姦事件が発生した際、県当局の抗議に対し、長は「こうした騒ぎが起きるのは慰安所がないからである」として、慰安所の設置を提案した。しかし沖縄県知事の泉守紀が「ここは満洲や南方ではない。少なくとも皇土の一部である。皇土の中にそのような施設を作ることはできない」と拒否したことで泉と対立したという。

https://www.yomitan.jp/sonsi/vol05a/chap00/sec00/cont00/docu010.htm
・長勇が友人の藤田勇に語った話を、徳川義親が次のように記録している(徳川義親『最後の殿様』)。
 「日本軍に包囲された南京城の一方から、揚子江(ようすこう)沿いに女、子どもをまじえた市民の大群が怒濤のように逃げていく。そのなかに多数の中国兵がまぎれこんでいる。中国兵をそのまま逃がしたのでは、あとで戦力に影響する。そこで、前線で機関銃をすえている兵士に長中佐は、あれを撃て、と命令した。中国兵がまぎれこんでいるとはいえ、逃げているのは市民であるから、さすがに兵士はちゅうちょして撃たなかった。
 それで長中佐は激怒して、〈人を殺すのはこうするんじゃ〉と、軍刀で兵士を袈裟(けさ)がけに切り殺した。おどろいたほかの兵隊が、いっせいに機関銃を発射し、大殺戮(さつりく)になったという。長中佐が自慢気にこの話を藤田君にしたので、藤田は驚いて、〈長、その話だけはだれにもするなよ〉と厳重に口どめしたという。」
・(ボーガス注:異を唱えた物は味方ですら殺戮する)長の言動は、(ボーガス注:第32軍の沖縄県民虐殺の形で)そっくり沖縄戦に再現されたのである。

などの逸話がある「粗暴な人物」として悪名高く、泉と軍の不仲を助長したとされます。長の自慢話「袈裟斬り」についてはあまりにも非常識なために「長のふかしで事実で無い」とする見方も有力ですが、いずれにせよこんな無茶苦茶な話が自慢話になると思ってる長はまともな人間では無いでしょう。
 長一人の責任ではないとはいえ、彼のような無茶苦茶な人間が南京戦現地軍の参謀だったことは南京事件を助長したのでは無いか。
 なお、例のTBSドラマ報道ドラマ 生きろ 〜戦場に残した伝言〜 - Wikipedia
ではおそらくこんな「長の武勇伝」は出てこなかったのでしょうねえ(報道ドラマ 生きろ 〜戦場に残した伝言〜 - Wikipediaによれば田中要次が長を演じた)。
【追記終わり】


 日本の敗戦はもはや、沖縄戦時点(1945年3月26日に米軍が沖縄上陸)では不可避でした。何せ日本は米国相手に連戦連敗を続け、同盟国イタリアは既に降伏。ドイツも降伏間近とみられていました(正式なドイツ降伏は5月8日)。
 にもかかわらず昭和天皇は国体(天皇制)護持に固執し降伏を遅らせました。これのどこが「捨て石では無い」のか。
 しかし、「第一次安倍政権」においていわゆる「集団自決・軍強制記述」を修正するよう検定意見を付けた極右・安倍の政権下においてこうした記述が容認されるとは意外でした。

【参考:「集団自決・軍強制記述」】

高校教科書文科省検定/沖縄戦での住民集団自決/「日本軍が強制」を削除
 文部科学省は三十日、来年四月から主として高校二年生以上が使う教科書の検定結果を公表しました。日本史では、太平洋戦争末期の沖縄戦の「集団自決」について「日本軍に強制された」とした記述に対し、「軍が命令した証拠はない」として書きかえさせました。「住民が自ら進んで死んだとして美化するもの」(安仁屋政昭沖縄国際大学名誉教授)と批判が起きています。

「集団自決」/軍強制記述 復活を/赤嶺議員追及に 文科相、削除説明できず
 高校教科書の沖縄戦「集団自決」の記述にかかわり、文科省が「軍の強制」を認めなかった問題で、日本共産党赤嶺政賢議員は二十九日の衆院予算委員会で、「『強制』でないというなら(軍に)追い詰められた県民が悪いというのか」と迫り、検定意見の撤回と「強制」の記述の復活を強く求めました。
 文科省が昨年三月の教科書検定で「強制」の記述を削除したことに対し、沖縄で空前の怒りが広がりました。それでも同省は、教科書会社の訂正申請に対し「強制」を認めませんでした。(同十二月)
 赤嶺氏は、「集団自決」とは、親が子に手をかけ、子が親に手をかける凄惨(せいさん)なものだったと述べ、「『軍の強制』による『集団自決』を繰り返さないと、あの戦争をくぐりぬけた県民にいうべきだ。文科省の結論は、戦争を合理化し、正当化しようとするものだ」と批判しました。

衆院予算委 赤嶺議員の質問 (要旨)/「集団自決」の軍強制 教科書に真実回復を
赤嶺政賢議員
 九月二十九日に沖縄で教科書検定意見撤回の県民大会が開かれました。十一万人余が集まった熱気が地元の報道でも伝えられています。一面トップどころか両面ぶち抜きで、十一万余、そして会場行きのバスに乗れなくて行列をなして、町じゅう人があふれていた、そういう一日でした。
 文字通り、県民の総意として、教科書検定意見の撤回、それから記述の回復、これが確認されたわけですが、なぜこれだけの人々が集まったと総理は考えますか。
福田康夫首相
 沖縄県民の方々が、六十数年前に受けたあの悲惨な出来事、このことを思い起こし、そのことを次の世代にもつなげていこう、こういう気持ちがあの大会になったのではないのかな、こう思っています。皆さん方の思いをこれからも重く受けとめてまいりたい。
◆赤嶺
 県民の思いは、教科書検定意見の撤回、それと記述の回復です。この点はいかがですか。
渡海紀三朗文科相
 教科書の検定制度というのは、厳正また中立公平な立場で専門家に意見をお聞きするという制度でございまして、時の政治的な思惑の介入があってはならないというこの原則があります。そういうことを考えながら、この件にどういうふうに対応をしていったらいいのかを検討しているということでございます。
◆赤嶺
 ですから、文科大臣、厳正、中立公平に検討して、沖縄県民の求める検定意見の撤回、記述の回復、この点はどうなさるんですか。
文科相
 例えば、この意見を撤回せよというふうに私が申し上げるということは、これはまさに政治的介入であります。また、この制度そのものはそういうことを許さないという制度になっているわけであります。
◆赤嶺
 文科大臣は、教科書会社からの訂正申請を受けて、教科書検定調査審議会を開いてとおっしゃっているわけですけれども、その場合に、三月にすでに教科書検定意見がつけられているわけですね。「沖縄戦の実態について誤解するおそれがある」、こういう意見がつけられたわけですから、訂正申請が出されても、そういう三月の教科書検定意見がそのまま、あるいはそれは変えられるんですか。
文科相
 検定意見そのものを撤回するということにはならないのではないかというふうに考えています。
◆赤嶺
 三月の意見は撤回しないというわけですね。それでは、今回の検定意見にいたる経過について聞いていきたいと思います。
 これまで二十年間、沖縄戦というのは、「集団自決」について、軍の強制的関与は教科書に記載されてきたんです。二十年間意見がつかなかったんですね。二十年つけられなかったのに何で突然という気持ちをみんな抱いたわけです。(中略)申請本の中に、隊長の命令によって「集団自決」に追い込まれた、このように記述しているものが一カ所でもありますか。
金森越哉文科省初等中等教育局長
 平成十八年度の日本史教科書の検定意見は、不幸にも「集団自決」された沖縄の住民すべてに対して自決の軍命令が下されたか否かを断定できないという考えに基づいて付されたものです。
◆赤嶺
 局長、県民をごまかすのもいいかげんにしなさいよ。私は、教科書の中に、隊長命令によって「集団自決」に追い込まれたという記述があるかと聞いたんですよ。ないんですよ、一カ所も。ないけれども、あなた方は勝手に意見をつけたんですよ。
 ここに、文部科学省初等中等教育局教科書課から(送られてきた)文部科学省原議書というのがあります。この原議書には、主任教科書調査官照沼さん、高橋さん、村瀬さん*5、三谷さん、この四人の印鑑が押されまして、起案者の印があり、そして係長、専門官、企画官、課長、それから総合調整課長、審議官、局長、合計七名の印鑑が押されて、その中に調査意見書として、「日本軍によって…あるいは集団自決に追い込まれた住民もあった」という部分ですね。これは、日本軍によってというところであって、隊長命令によってではないですよ。それで、「沖縄戦の実態について誤解するおそれのある表現である」。こう書かれているわけですね。
 ということは、この調査意見書というのは、調査官はじめ文部科学省ぐるみでこういう意見をつくったということになるんですか。
◆金森局長
 ただいまご指摘になりましたのは、教科用図書検定調査審議会に調査審議の参考となる資料として提出される調査意見書でございます。教科書調査官が委員や専門委員、教科書調査官の調査の結果を取りまとめ、審議会に提出いたしたものです。
◆赤嶺
・それは、文部科学省が全体として承認したわけですね。文部科学省ぐるみでこういう調査意見書をつくった、教科書の書き換えを行う意見書をつくったという認識ですね。
・調査官は審議会にかけるんだ、学問的、専門的な検討を経るというわけですが、この調査意見について、審議会の中でどんな専門的、学術的議論があったんですか。
文科相
 検定調査書を、審議会で諮って最終的に決めた。その段階でいわゆる意見があったかなかったかといいますと、それほど多くなかったというふうには聞いております。
◆赤嶺
・学術的、専門的な議論はなかったんですよ。ただ審議会に検定意見書を諮った、諮ったけれども何の意見も出なかったんです。
・私が聞いているのは、教科書調査官の、誤解を受けるおそれがないような記述に変更するという意見について、沖縄戦についてどんな意見が出たか、これを聞きたいんです。
◆金森局長
 沖縄戦の「集団自決」にかかわる指摘個所につきましては、委員から特段の異論はなかったところです。
◆赤嶺
 調査官というのは文科省の職員ですよね。職員がつくった原案に、学術研究者の集まりである審議会や部会でも何も意見が出なかったというのが、信じられないですね。二十年間同じような記述を経てきたけれども、今年急に変わった、学術研究者を集めても意見が出ない。
 この学術研究者、審議会の中に、小委員会や部会の中に、沖縄戦の専門家はいたんですか。
◆金森局長
 沖縄戦を専門に研究している方はいなかったとしておりますが、審議会におきましては、専門的、学術的な調査審議が行われたと承知しております。
◆赤嶺
・大臣、いなかったんですよね。沖縄戦の専門家はいなかったけれども、局長は学術的、専門的審議が行われた、こういう認識を持っていると言うんですよ。おかしいんじゃないですか。
 きょうの沖縄の新聞に、教科書検定調査審議会の日本史小委員会の委員をしている筑波大学(教授)の波多野(澄雄)*6先生がインタビューに答えています。
 意見は出なかったというような答弁を繰り返して、「沖縄戦の専門家がいない。調査官の方がよく調べており、委員より知っている。説明を聞いて、納得してしまう部分がある。沖縄戦の専門家が入っていれば(結果は)だいぶ違っただろう」。自分たちは知見がなかった、専門家として集められたけれども、調査官の知見以上のものは持ち得なかったと。
 しかし、この方は、こう言っているんですよ。県民大会にあれだけの人が集まって、「驚いた。あらためてこの問題の重要性を知った。そういう意味ではもう少し慎重にすべきだった」と。
 審議委員の中からももう少し慎重にすべきだったと。県民感情について、沖縄戦について研究し、実績を積み重ねてきた、そういう人が全く入らない場所で意見書を出して、これがひとり歩きしているんですよ。今回の教科書検定意見というのは、文科省の一職員が自分の考えで意見をつくって、手続きはとったといいながら、学術的にも専門的にも、肝心の沖縄戦を体験した沖縄県民の検証にまったくたえられない意見なんですよ。検証にたえられないのが何で学問ですか。
 そして、検証にたえられないような意見が、一回教科書検定意見として手続きをしたんだから、これは撤回できないといったら、間違っても、未来永劫(えいごう)、日本政府はそういう意見の撤回はしないということじゃないですか。間違ったまま進めていこうということになるじゃないですか。こんなのは民主主義じゃないですよ。
・これは『沖縄戦と民衆』という本です。実は、文部科学省の調査官が、この本こそ誤解を受けるおそれがある証拠だといって根拠に挙げた本なんですよ。著者(ボーガス注:林博史*7関東学院大学教授)は怒っていますよ、文科省は何てひどいことをするんだ、自分の意見をねじ曲げていると。
・軍の強制的関与によって自決に追い込まれたというような表現が、何で学問的検証もなされないで、文部科学省の一役人の起案で削除されることが許されるんですか。
・文科大臣、教科書検定意見の撤回を求める、記述の回復を求めるのは政治の介入ではありません。真実を回復してくれという、やむにやまれない県民の要求です。そういう要求を聞き入れない、文部科学省が勝手につくったそういう検定意見に固執することこそ政治的な介入です。
 政治的介入は文科省こそやっている。教科書検定意見の撤回、そして記述の回復まで私たちは何回でも頑張るということを申し上げまして、質問を終わります。

 実行者は「首相時代」の安倍であり、「ポスト安倍」の福田首相が積極的に削除したかったわけでもないでしょうが、ここで安倍ら党内極右政治家を押さえ込めず、「当時の安倍政権の判断は間違っていた」といえない点は福田氏の政治的限界ではあるでしょう。

「沖縄戦 集団自決に軍関与」判決/侵略美化勢力の狙い砕く
 二十八日、大阪地裁であった沖縄戦「集団自決」をめぐる訴訟の判決は、被告の大江健三郎さんと岩波書店側の主張をほぼ全面的に認め、元日本軍の守備隊長らの請求を棄却しました。文科省の検定意見の根拠は大きく崩れたことになります。
 文科省は昨年度の教科書検定で、元守備隊長の陳述書を根拠の一つに、「軍の命令はなかったという説が出ている」として日本史教科書から「軍による強制」との記述を削除させました。その意味で訴訟は真実を否定し、ゆがめる役割を果たしたといえます。
 しかし判決は、「集団自決」にかんする生存者の証言などをていねいにたどりながら、米軍に捕まりそうになった際の自決用として日本軍が手りゅう弾を配っていたと多くの体験者が語っていること、渡嘉敷島では身重の妻を気づかって部隊を離れた防衛隊員がスパイ扱いをされて処刑されたこと、投降を勧告にきた伊江島の住民六人が処刑されたことを事実として認定。さらに日本軍が駐屯しなかった渡嘉敷村の前島では「集団自決」が起こっていないことなどを挙げ、「集団自決には日本軍が深くかかわっていたものと認められる」と明確に述べました。

社説[中学校教科書検定]一部に「集団自決」なし | 社説 | 沖縄タイムス+プラス
 文部科学省は24日、2021年度から中学校で使用する教科書の検定結果を発表した。社会科(地理・歴史・公民)の沖縄戦「集団自決(強制集団死)」について、7社中6社が記述しているのに対し、新規参入した山川出版は触れなかった。
 高校歴史教科書で高いシェアを誇る大手出版社が、日本兵による住民虐殺と同じように沖縄戦での犠牲を象徴する「集団自決」を教科書で取り上げないことの影響を懸念する。
 山川出版は2005年度検定に申請した高校日本史の教科書から自主的に「集団自決」の記述をなくした。文科省は2006年度の検定で「沖縄戦の実態について誤解を与えるおそれのある表現」として、「集団自決」における「軍命」を認めないとする意見を付けた。その結果、他社の教科書から軍の強制性を示す記述が一掃された。「同社の削除が検定の呼び水になった」経緯がある。記述がないままの新規参入は看過できない。
 検定が問題化し、2007年9月に11万人(主催者発表)が結集する県民大会が開かれ、その後の運動で「関与」を示す記述は復活したが、強制性の明示には至っていない。2006年度に「集団自決」に付けた意見も撤回されていない。
 山川出版は2016年、文科省に高校歴史教科書の訂正申請を出し、「島民を巻き込んでの激しい地上戦となり、『集団自決』に追い込まれた人びとも含めおびただしい数の犠牲者を出し」とする記述を復活させている。
 中学歴史教科書に記述がないままでは中学生が沖縄戦の重要な史実を知る機会を失いかねない。記述を求めたい。

中学歴史教科書、沖縄戦「集団自決」強制性の明記なし 教科書検定、辺野古県民投票は3社が記載 - 琉球新報 - 沖縄の新聞、地域のニュース
 文部科学省は24日、2021年度から中学校で使用する教科書の検定結果を公表した。歴史教科書の検定を合格した7社中6社が沖縄戦における「集団自決」(強制集団死)を記述したが、いずれも「(集団自決に)追い込まれた」などの表現にとどまった。前回検定に続き、日本軍の強制性を明記した教科書はなかった。


【参考:捨て石作戦】
 「沖縄、捨て石」でググってヒットした記事をいくつか紹介しておきます。

読谷村史「戦時記録」上巻、第一章「太平洋戦争」
 沖縄や(ボーガス注:イーストウッド映画『硫黄島からの手紙 - Wikipedia』からで有名になった)硫黄島は「本土」ではなく、本土(皇土)を防衛する前線であった。沖縄守備軍(第三十二軍)の任務は、沖縄を本土として守りぬくことではなく、出血消耗によって米軍を沖縄に釘付けにし、防波堤となることであった。大本営は、これによって本土決戦を準備し、沖縄は「国体護持」を前提とした終戦交渉の「時間かせぎ」の持久戦の場とされた。「捨て石」作戦と言われるゆえんである。

戦後70年:「沖縄捨て石」 本土決戦の戦備、その悲惨な実態 - 毎日新聞
 70年前の1945年6月23日、沖縄戦が事実上の終結を迎えた。国内最初の住民を巻き込んだ地上戦で、死亡したとされる沖縄県民は約4人に1人。本土決戦のための時間稼ぎとされ、沖縄は“捨て石”となった。

沖縄慰霊の日 2019 「捨て石」の構図いつまで|論説|佐賀新聞LiVE共同通信・川上高志)
 沖縄は、本土防衛の時間稼ぎのための「捨て石」とされ、米軍との激しい地上戦の島となった。県民の4人に1人が亡くなったとされる。
 沖縄を本土から切り離す「捨て石」の構図は、今も続いているのではないか。米軍基地の過重な負担を押し付けている現状だ。

社説[米軍本島上陸の日に]もう捨て石にはならぬ | 社説 | 沖縄タイムス+プラス
 米軍の沖縄本島上陸からきょうでちょうど70年になる。
 沖縄戦は「捨て石」作戦だったといわれる。日本政府は戦後、サンフランシスコ講和条約に基づき、自らの主権回復と引き換えに沖縄を米軍に委ねることを、敗戦国として了承した。沖縄の人々はまたしても「捨て石」になったのである。
 そして今、政府は名護市辺野古の沿岸部を埋め立て、米軍の意向に沿って新基地を建設することによって沖縄を米国に差し出そうとしている。選挙で示された民意を無視しているという意味で、これもまた、「捨て石」の論理というほかない。
 戦争末期、国体護持のため早期和平を模索していた日本政府は、近衛文麿を特使に選任し、すべての海外領土や琉球諸島などを放棄する和平案を用意していた。
 やむを得ない場合には、沖縄を切り捨てるという考え方は、1880年、日清間で締結され、効力発生寸前までいった「分島・改約案」の論理を思い出させる。中国での通商権獲得と引き換えに宮古八重山諸島を中国領土とする案のことである。
 戦後、日本の民主化、非軍事化を進めた連合国軍総司令部(GHQ)のマッカーサー最高司令官は、沖縄を基地化することによって憲法9条による「軍事的空白」を穴埋めすることができると考えていた。
 米国による沖縄の軍事占領継続を希望し、沖縄を基地化することによって日本の戦後の安全保障を確保する、という考え方は天皇メッセージにも貫かれている発想だ。
 1950年代、本土に駐留していた米海兵隊が沖縄に移駐したとき、地元沖縄が強い懸念を示していたにもかかわらず、政府の中からは、これを歓迎する声が出た。日本本土から米地上部隊を撤退させ、沖縄に配備するという考え方である。
 都市部から人口の少ない過疎・辺地への米軍基地の再配置-これが戦後一貫して続く日米の論理である。

社説 [ 昭和天皇「拝謁記」] 今に続く「捨て石」発想 | 社説 | 沖縄タイムス+プラス
・戦後、初代宮内庁長官を務めた故田島道治昭和天皇の言葉や、やりとりの様子を克明に記した「拝謁(はいえつ)記」が見つかり、内容の一部が公開された。
・貴重な資料の中で目を引くのが、基地問題に触れた記述だ。
 「全体の為ニ之がいゝと分れば 一部の犠牲ハ已(や)むを得ぬと考へる事、その代りハ 一部の犠牲となる人ニハ 全体から補償するといふ事ニしなければ 国として存立して行く以上 やりやうない話」(53年11月)とある。
 53年といえば、米軍統治下にあった沖縄では、米国民政府の「土地収用令」が公布され、「銃剣とブルドーザー」による土地の強制接収が始まったころだ。
 本土でも米軍基地反対闘争が起こっていた。反基地感情が高まり、本土の米海兵隊の多くが沖縄に移転した。
 「一部の犠牲」が沖縄に負わされる形で、今も、国土面積の0・6%にすぎない沖縄県に米軍専用施設の約70%が固定化されている。
 国の安全保障を沖縄が過重に担う現在につながる源流ともいえる言葉だ。
・戦時中、沖縄は本土防衛のための「捨て石」にされた。
 47年9月、昭和天皇が米側に伝えた「天皇メッセージ」では、「アメリカによる沖縄の軍事占領は、日本に主権を残存させた形で、長期の-25年から50年ないしそれ以上の-貸与(リース)をする」と、昭和天皇自らが、沖縄を米国に差し出した。
 今回明らかになった「一部の犠牲はやむなし」の思考はこれらに通底するものだ。


【参考:島田叡】

神戸新聞NEXT|総合|映画「島守の塔」キャスト発表 島田叡役に萩原聖人さん
 太平洋戦争末期の沖縄戦を描き、命や平和の尊さを伝える映画「島守の塔」の製作委員会(神戸新聞社などで構成)は17日、住民と苦難を共にした沖縄最後の官選知事・島田叡=神戸市須磨区出身=役に萩原聖人さん*8、元沖縄県警察部長の荒井退造=宇都宮市出身=役に村上淳さんが決まった、と発表した。苛烈な日々を生き抜いた県職員として描かれる女性「比嘉凛」は、吉岡里帆さん*9香川京子さん*10が演じる。25日に沖縄でクランクインする。
 映画「島守の塔」は、20万人以上の犠牲者を出したとされる沖縄戦で最後まで県職員と行動し、糸満市摩文仁付近で消息を絶った島田、荒井両氏が主役。次第に戦争に巻き込まれる比嘉凛ら県職員、県民の姿も通じ、悲惨な地上戦の実像に迫る。島田氏の前任の知事、泉守紀は神戸市垂水区出身の勝矢さんが演じる。
【映画「島守の塔」】
 戦後75年となる今年、島田叡(1901~45年)の出身地の神戸新聞社サンテレビ、荒井退造(1900~45年)の出身地の下野新聞社、沖縄の琉球新報社沖縄タイムス社などが連携して実現。製作委員長は沖縄県元副知事の嘉数昇明さんが務める。

神戸新聞NEXT|連載・特集|映画「島守の塔」|映画「島守の塔」撮影延期 新型コロナ感染拡大で
 太平洋戦争末期の沖縄戦を描き、命や平和の尊さを伝える映画「島守の塔」の製作委員会(神戸新聞社などで構成)は8日、新型コロナウイルスの全国的な感染拡大を受け、3月25日に始まった撮影をいったん延期する、と発表した。再開の時期は今後、感染の収束状況などを勘案して決める。今月21日に予定されていた神戸や三田市でのロケも再検討する。

*1:鳩山、菅内閣防衛大臣政務官、野田内閣防衛副大臣希望の党政調会長など歴任

*2:野田内閣環境相民主党幹事長(海江田代表時代)、政調会長岡田代表時代)、民進党代表代行(蓮舫代表時代)を歴任

*3:鳩山内閣外務副大臣菅内閣官房副長官民主党政調会長(海江田代表時代)などを経て立憲民主党幹事長

*4:ウィキペディア「島田叡」の記述をそのまま引用しましたが、「ロケットと称する事実上のミサイル(一時期のマスコミの北朝鮮報道)」的な書き方には泉への悪意がにじみ出ていますね。「どうせ他県転出のための政治工作だろう」と疑われていたわけです。

*5:著書『帝国議会改革論』(1997年、吉川弘文館)、『明治立憲制と内閣』(2011年、吉川弘文館)、『首相になれなかった男たち:井上馨・床次竹二郎・河野一郎』(2014年、吉川弘文館)、『帝国議会』(2015年、講談社選書メチエ

*6:著書『幕僚たちの真珠湾』(1991年、朝日選書) 、『太平洋戦争とアジア外交』(1996年、東京大学出版会)、『歴史としての日米安保条約:機密外交記録が明かす「密約」の虚実』(2010年、岩波書店)、『宰相鈴木貫太郎の決断:「聖断」と戦後日本』(2015年、岩波現代全書)など

*7:著書『沖縄戦と民衆』(2002年、大月書店)、『BC級戦犯裁判』(2005年、岩波新書)、『シンガポール華僑粛清』(2007年、高文研)、『戦後平和主義を問い直す』(2008年、かもがわ出版)、『戦犯裁判の研究』(2009年、勉誠出版)、『沖縄戦 強制された「集団自決」』(2009年、吉川弘文館歴史文化ライブラリー)、『沖縄戦が問うもの』(2010年、大月書店)、『米軍基地の歴史』(2011年、吉川弘文館歴史文化ライブラリー)、『裁かれた戦争犯罪:イギリスの対日戦犯裁判』(2014年、岩波人文書セレクション)、『暴力と差別としての米軍基地』(2014年、かもがわ出版)、『日本軍「慰安婦」問題の核心』(2015年、花伝社)、『沖縄からの本土爆撃:米軍出撃基地の誕生』(2018年、吉川弘文館歴史文化ライブラリー)など。

*8:1971年生まれ。1990年、TBSドラマ『はいすくーる落書2』の松岡直次郎役でブレイク。フジテレビで放送された『芸能界麻雀最強位決定戦「THEわれめDEポン」(1995~2008年)』で優勝する、麻雀を題材にした日本テレビのアニメ『闘牌伝説アカギ』(2005~2006年)で、主人公の「アカギ」こと赤木しげるの声を担当するなど芸能界きっての麻雀好きとしても知られる。2018年7月には日本プロ麻雀連盟に入会し、正式にプロ雀士となっている(萩原聖人 - Wikipedia参照)

*9:1993年生まれ。2020年に映画『パラレルワールド・ラブストーリー』、『見えない目撃者』で日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞(吉岡里帆 - Wikipedia参照)。

*10:1931年生まれ。1993年公開の映画『まあだだよ』でブルーリボン賞助演女優賞日本アカデミー賞最優秀助演女優賞を受賞(香川京子 - Wikipedia参照)