リベラル21と岩垂弘を嗤う(追記あり)

都知事選結果へのコメント このままでは前途がない野党勢力 | ちきゅう座岩垂弘*1
追記あり
 リベラル21 都知事選の結果を見て(岩垂弘)をクリックしても「記事が削除されたため」今ではエラー表示しか出ません。
 「何故記事を削除するのか」と言う説明もなしに記事削除をするというのだから、リベラル21には呆れて二の句が継げません。
 個人ブログならまだわからないでも無いですが

私たちは護憲・軍縮・共生を掲げてネット上に市民メディア、リベラル21を創った

などとでかい口叩いてるブログが「説明もなしにいきなり記事削除」ねえ。意味が分かりません。
 その代わりなのか、リベラル21 小池百合子都知事の再選半澤健市)という記事がリベラル21には登場しました。正直、過去にはリベラル21 山本太郎政権の可能性(半澤健市)で「山本太郎副総理もあり得る」とまで放言した癖に今回の「山本の悲惨な選挙結果」で「掌返しで山本に悪口する」無責任で恥知らずな変節野郎・半澤の記事にもあまり共感しないのですが特にコメントはしません。それにしてもこのリベラル21の無茶苦茶さ。
 もともとは岩垂の「都知事選論評」記事を掲載したのに半澤が「あんな奴の都知事選記事より俺の都知事選記事を今すぐ載せろ、あんな奴の記事は削除すればいい」とごり押しし、それが「半沢と親しいリベラル21管理者によって強行された」と疑われても文句は言えないでしょう。呆れたアホサイトです。
 ということで、ひとまず、都知事選結果へのコメント このままでは前途がない野党勢力 | ちきゅう座の記事を張り直しました。
【追記終わり】

 もちろん小池批判派には一定の反省が必要でしょうが「野党には前途が無い」とは大きく出たもんです。
 ならば「小池同様の非常識極右・石原が四選していた頃(1999年、2003年、2007年、2011年の都知事選)」も「野党には前途が無かった」のか。鳩山民主党が政権奪還したのは2009年のことですが?。
 都政と「他の自治体の政治(大阪維新でアレなんであれ)」と国政は別物であり、「小池に負けたから他でも負ける」つう話でもない。

 政治の世界では、野党が与党に勝つためには、これだけは忘れてはならないという必須条件が2つあると思う。一つは、野党が別々に候補を立てるのではなく、統一候補を立てるということだ。「敵」が候補を一本化して迫ってくるというのに、野党の側がバラバラでは勝てっこない。こんなことは、いわば常識である。もう一つは、選挙戦を開始するのは早ければ早いほどいい、ということだ。これもまた常識だ。

 前者については異論大ありですが後で書きます。
 後者の「もっと早く擁立すべきだった」と言うことについては異論はありません。
 その点で「最大野党・立民の枝野」にまるで「やる気が見られなかったこと」への批判にも異論も無い。
 とはいえ、「岩垂氏ら市民の側」に問題は無いのか。
 「最大野党が動かないから動けない」ではあまりにも情けなさすぎる。
 「最大野党が動かなくてもこの人を次の都知事に」で岩垂氏ら市民運動の側が動いて野党各党を巻き込むくらいでないと。そうした反省が岩垂氏に全く見られず「野党ガー(得に最大野党の立民ガー)」なんだから呆れます。俺のような一般市民ならそれでもいいかもしれない。
 しかし、

私たちは護憲・軍縮・共生を掲げてネット上に市民メディア、リベラル21を創った

などとでかい口叩いてるリベラル21の幹部がそんなことでいいのか。
 といったら逆ギレするのが岩垂氏やリベラル21なんでしょうね。心底呆れます。そんな無能さや気概のなさでよくもまあ

私たちは護憲・軍縮・共生を掲げてネット上に市民メディア、リベラル21を創った

などとでかい口がたたけるもんです。大言壮語するだけで能力も気概も無い「老人の集まり(岩垂氏は1935年生まれで、他もジジババばかり)」がリベラル21なんでしょう。「繰り返しますが」リベラル21と岩垂氏には心底呆れます。

・結局、今回の知事選では、公示直前に統一候補の擁立に失敗し、都知事選に臨む野党陣営の陣立ては、立憲民主・共産・社民、国民民主、れいわ新選組という3頭立てになった。

 いやだから、国民民主やれいわも参加した統一候補なんか現実性あったんですか、て話です。
 そもそも国民民主なんか「共産党と共闘したくない」という前原らウヨ議員を多数抱える政党です。前原に至っては公然と維新の小野を応援していた。
 一方、れいわの山本はマスコミ報道によれば「最近、れいわの支持率が伸び悩んでる。このままでは次の国政選挙が危ない」ということで売名で立候補したとささやかれる人間です。国民民主やれいわも参加した統一候補なんか現実性無かったでしょ、と言う話です。

 私が強調したいのは。こうした野党陣営の「常識違反」が今回の都知事選に留まらないということだ。いや、終戦から75年間、野党陣営はずっとこうした「常識違反」を国政で繰り返して来たように思う。

 「はあ?」ですね。
 小選挙区導入以前と以後では話が違うでしょうに。
 小選挙区制導入前では多くの選挙区は複数選挙区です。
 定数3とか4とかで「野党候補を一本化する必要も無い」。
 定数3とか4とかで「自民、社会、公明、民社、社民連、共産などで3議席、4議席争う」で何か問題があるのか(当選後の議会でのふるまい、つまり公明や民社が自民に協調的では無かったかなどと言う問題(いわゆる自公民路線)はひとまず置きます)。
 まあ、首長選のような「与野党激突ケース」なら、野党の一本化という話は勿論していいですが、この点、問題なのは、ある時期から「自民との相乗りVS共産(典型的には京都の府知事選、市長選)」が常態化したと言うことでしょう。岩垂氏が言うような話とは少し意味が違う問題です。
 また、過去において「反共の公明党民社党との間に、共産党を含む野党共闘なんか成立し得たんですか?」という「前原らの国民民主党との間に共産党を含む野党共闘なんか成立し得たんですか?」と言う問題もあります。有名な「二階堂擁立工作」を画策するような公明、民社との間にそんな物は成立しえなかったと思いますが。

 総選挙が近い。そこでは、こうした「常識違反」を繰り返さないで、と望む有権者が少なくないはずだ。

 やれやれですね。俺個人は「一本化できないなら出来なくて仕方が無い」とは思っています。無理して一本化しても後で内紛の原因になりかねない。内紛で「社会党新党さきがけ」が離反して崩壊した細川内閣はいい例です。大体こんなことを抜かすリベラル21だって別に「各種市民団体を一本化してうまれた団体でも何でもない」わけです
 いずれにせよ、「繰り返しますが」今回の都知事選について言えば「国民民主やれいわも含めた野党共闘なんかあり得るのか」という話ですね(今後、国民民主やれいわが方針を変えれば話は違いますが)。
 「立民、共産、社民」との間には共闘が成り立ったのだからそれを推進していけばいいだけの話でしょう。そして我々もそれを応援し、国民民主やれいわなど支持しない。
 何でそう言う結論にならないのかさっぱりわかりません。
 大体

私たちは護憲・軍縮・共生を掲げてネット上に市民メディア、リベラル21を創った

などとでかい口叩いてるリベラル21の幹部が何で「繰り返さないで」とこんなに他力本願なのか。
 何で「野党共闘を我々リベラル21がリードしたい」位のことが言えないのか。
 そんな無能さや気概のなさでよくもまあ

私たちは護憲・軍縮・共生を掲げてネット上に市民メディア、リベラル21を創った

などとでかい口がたたけるもんです。そんなにやる気も能力も無いなら黙ってろと言いたい。
【以上終わり】
という文章を岩垂記事のコメント欄に投稿してみます。「都合の悪いコメントは掲載拒否して無視する」がリベラル21の流儀らしいのでまた無視なのでしょうが。よくもまあそんな狭量な連中が

私たちは護憲・軍縮・共生を掲げてネット上に市民メディア、リベラル21を創った

などとでかい口が叩けるもんです。

*1:元朝日新聞編集委員。著書『平和と協同を求めて:新聞記者37年』(1995年、同時代社)、『「核」に立ち向かった人びと』(2005年、日本図書センター)、『核なき世界へ』(2010年、同時代社)、『ジャーナリストの現場』(2011年、同時代社)など