高世仁に突っ込む(2020年8/8日分)

原爆投下を見直すアメリカ - 高世仁の「諸悪莫作」日記

 きのう6日は、広島原爆の日だった。
 原爆犠牲者追悼に関連して、アメリカで原爆投下の歴史的評価を見直す機運がでているとのニュースがあった。
 ちょっと驚いた。アメリカでは、これまで、原爆投下は日本を屈服させるのに必要だったし、戦争終結を早めたことで多くの若者の命を救ったとして正当化されてきたからだ。
 8月5日のアメリカの有力紙『ロサンジェルス・タイムズ』紙が、米国指導者は原爆投下の必要などなかったことを知っていたという題の署名入り論説を掲載している。

 高世の指摘は

原爆投下「不要だった」 歴史家の寄稿掲載―米紙:時事ドットコム
 米紙ロサンゼルス・タイムズ(電子版)は5日、米軍による広島と長崎への原爆投下について「米指導層は不要だと分かっていた」とする寄稿文を掲載した。米国では原爆投下が「戦争を早期に終結させ、双方の被害を抑えるため必要だった」という見解が一般的だが、それに異を唱える主張と言える。
 寄稿したのはシンクタンク「デモクラシー・コラボレーティブ」共同創設者で歴史学者ガー・アルペロビッツ氏と、米ジョージ・メイソン大のマーティン・シャーウィン教授(歴史学)。アルペロビッツ氏は、原爆投下がソ連に対する威嚇が主目的だったとする著作で知られる。
 寄稿文は「原爆を使わなくても日本が(1945年)8月に降伏していたことは、日米の歴史文書で圧倒的に示されている」と主張。さらに「(原爆投下を決断した当時の)トルーマン大統領や側近らもそれを分かっていたことが、数々の資料で証明されている」と断じた。
 具体的には、日本の敗戦を決定づけたソ連の対日参戦について、トルーマンは45年7月のポツダム会談でスターリンから確約を得ていたと指摘。トルーマンが会談後、夫人に「戦争は1年早く終わる」と伝えたエピソードを引用した。

原爆投下「必要なかった」 歴史家らが米紙に寄稿:東京新聞 TOKYO Web
 米紙ロサンゼルス・タイムズは5日、広島、長崎への原爆投下を巡り「米国は核時代の幕を開ける必要はなかった」と題し歴史家らが寄稿した記事を掲載した。トルーマン大統領(当時)が原爆を使わなくとも日本が近く降伏すると認識していたことは証明済みだとし、「日本への核兵器使用を巡る真摯な国民的対話」の必要性を訴えた。
 歴史家のガー・アルペロビッツ氏とジョージ・メイソン大教授のマーティン・シャーウィン氏の共同寄稿。米国では原爆投下が戦争終結を早め多くの米兵らの命を救ったとの主張が主流だが、日本との戦争を経験していない若者の増加などで変化の兆しもある。

のことですがこれがどれほど評価できるのかには疑問符がつくのでは無いか。ロサンゼルス・タイムズは地方紙にすぎませんし、アルペロビッツやシャーウインは以前からこうした主張ですし(著書としてアルペロビッツ『原爆投下決断の内幕:悲劇のヒロシマナガサキ(上・下)』(邦訳、1995年、ほるぷ出版)、シャーウィン『破滅への道程:原爆と第二次世界大戦』(邦訳、1978年、TBSブリタニカ)、『オッペンハイマー :「原爆の父」と呼ばれた男の栄光と悲劇(上・下)』(邦訳、2007年、PHP研究所))。

さわりのところを紹介しよう。
《ワシントンDCの海軍博物館の原爆展示の説明には明白にこう書かれている。「原爆がもたらした広島と長崎の甚大な破壊と13万5千人の犠牲は、日本軍へのインパクトをほとんど与えなかった。だが、満州へのソ連の侵攻が、彼ら(日本軍部)の考えを変えたのである。」》

 「日本軍部」というより「昭和天皇以下の政府指導部」ですね。海軍はともかく、むしろ陸軍は降伏に否定的だったことは映画『日本のいちばん長い日』などで有名な話です。
 なお、なぜ「ソ連参戦が降伏を早めたか」といえば当時の日本は「日ソ中立条約」からソ連を中立国と見なし、和平交渉の仲介を依頼する考えだったところ、ソ連参戦でその思惑が崩壊したからです。
 そう言う意味で「いわゆる原爆神話(原爆投下で日本の降伏が早まったとする神話)」の否定は「聖断神話(原爆投下に衝撃を受けた天皇終戦を決意したという神話)」の否定にもつながっていきます。
 原爆神話は何も「原爆投下や核兵器の正当化」のためだけに「発明された」わけではない。
 それは「昭和天皇が退位しないこと」を正当化する「聖断神話」のためにも「発明された」わけです。
 むしろ原爆投下が早めたのは「日本の降伏」より「ソ連の参戦」でしょう。「仮定の話」であり現実はそうではありませんでしたが、原爆投下で戦意を失った日本が早々、降伏してしまうと「対日参戦密約のバーターで北方領土侵攻を容認してもらったこと」が無意味になるからです。
 原爆投下されても「ソ連を仲介役とした和平の可能性に固執したこと(昭和天皇らに情勢をまともに分析する能力が無いこと)」は「現在の北方領土問題の一因」となりました。
 昭和天皇が早くに降伏していれば、ソ連の侵攻はなく、北方領土問題も発生しませんでした。

 マッカーサー*1は原爆の使用は許しがたいと考えていた。彼はのちに、フーバー*2元大統領に、もしトルーマン*3が、フーバーの「賢明かつ政治家にふさわしい」助言に従って、降伏条件を緩和し、天皇制を保持できると日本に告げれば、「まちがいなく、日本はそれを喜んで受け入れただろう」と書いている。

 高世はさらりと書いてますが、このマッカーサー発言も「聖断神話」が嘘であることを証明しています。昭和天皇は「国体(天皇制)護持」のためなら国民が何人死んでも構わなかった。だからこそ有名な「松代大本営」もつくられたわけです。
 なお、明らかにマッカーサーの問題意識は「人命尊重」ではないですね。彼は原爆投下による「日本国民による反米意識の発生」や「国際世論の批判」を恐れたにすぎません。彼にとってそのようなマイナス面を避けるためには「天皇制維持を約束すること」には何の問題も無かった。
 一方で原爆を投下した側はおそらく本心では「降伏を早めること」はそれほど重視してなかったでしょう。
 きたるべき「米ソ冷戦」に備えて「ソ連に新兵器の威力を見せつけて牽制する」という要素が大きかったのでは無いか。その牽制目的のためには「日本国民による反米意識の発生」や「国際世論の批判」もたいした問題では無かったと。
 そう言う意味では「原爆神話(原爆投下で日本の降伏が早まったとする神話)」の否定は必ずしも「核廃絶」にはつながりません。
 「ソ連に核の脅威を見せつけることには米国の国防上意味があった」と理解すれば「何の問題も無いから」です。
 「天皇制維持」を米国が約束しなかったことも「中国やソ連などがそれに否定的」「米国民ですら真珠湾攻撃の反発からそれに否定的な人間が多数」という状況では「日本の降伏は遅かれ早かれ絶対にある」以上、米国としてそんなことは約束する気にならなかったでしょう。
 むしろ「天皇制についてはその扱いはフリーハンド(そもそも米国政府内でも意見は分かれていた)」にした方が戦後、「天皇制問題」を日本政府や中国、ソ連など各国政府に対する「政治的カードに使える」という判断があったでしょう。

*1:米国陸軍参謀総長、フィリピン軍軍事顧問、南西太平洋方面連合国軍総司令官、連合国軍最高司令官、国連軍司令官など歴任

*2:ハーディング、クーリッジ政権商務長官を経て大統領

*3:ルーズベルト政権副大統領を経て大統領