今日の中国ニュース(2020年8月10日分)

【話の肖像画】静岡大教授で文化人類学者・楊海英(55)(2)「黒い人間」にされた父(1/2ページ) - 産経ニュース
【話の肖像画】静岡大教授で文化人類学者・楊海英(55)(3)「抄家」で奪われた全財産(1/2ページ) - 産経ニュース

【話の肖像画】静岡大教授で文化人類学者・楊海英(55)(2)「黒い人間」にされた父(1/2ページ) - 産経ニュース
 5歳のとき、父方の祖母が「悪徳分子」とされて「批判闘争大会」に引きずり出されました。
 (ボーガス注:文革期には)祖母の批判集会はその後も続き、同じ年配のモンゴル女性数人と「内モンゴル人民革命党員」「牛鬼蛇神(妖怪変化)」などと書かれた紙を体に貼られ、興奮した群衆から罵声を浴びせられました。

【話の肖像画】静岡大教授で文化人類学者・楊海英(55)(3)「抄家」で奪われた全財産(1/2ページ) - 産経ニュース
 モンゴル語で「抄家(チャオチャ)」と呼ばれる家荒らしです。反動分子の家に乗り込んで家財道具を没収し、抵抗する人をリンチにする。
 当時、私の家はレンガ建てで、まわりのモンゴル人たちは黄泥(おうでい)の家に住んでいたため、生産大隊の大隊長は「レンガ建ての家に住むとは絶対に許せない搾取行為だ」と怒鳴っていました。母が抄家に協力的だったのでリンチは免れましたが、布団以外の全財産を没収されました。
(中略)
 そのころ、母と私は人民公社のヒツジとヤギを放牧しており、草原に約300頭を追う日々を送っていました。
 しかしその1年後、生産大隊から「黒い人間は放牧する権利はない」とされ、家畜を取り上げられることになった。
 こうして私たちは家も家畜も失ったのです。

 なるほど、楊が

楊海英 - Wikipedia
『墓標なき草原:内モンゴルにおける文化大革命・虐殺の記録(上)(下)』 (2009年、岩波書店→2018年、岩波現代文庫)
『続・墓標なき草原:内モンゴルにおける文化大革命・虐殺の記録』(2011年、岩波書店
『ジェノサイドと文化大革命内モンゴルの民族問題』(2014年、勉誠出版
『「知識青年」の1968年:中国の辺境と文化大革命』(2018年、岩波書店

など書いて、文革にこだわる理由が「大変よく」分かります。肉親が酷い人身攻撃を受ければ、恨みや怒りも感じるでしょう。
 まともな文革研究だけやってれば勿論「何ら問題は無い」のですが

楊海英 - Wikipedia
2016年、 第3回国基研・日本研究賞受賞(『チベットに舞う日本刀:モンゴル騎兵の現代史』(2014年、文藝春秋→2020年、中公文庫)と『日本陸軍とモンゴル:興安軍官学校の知られざる戦い』(2015年、中公新書))
2018年、 第19回「正論新風賞」受賞

という楊はもはや「昔はともかく現在においては」「内モンゴルペマ・ギャルポ(あること無いこと*1、中国に悪口する日本ウヨの走狗)」であり、まともな研究者とは言いがたいわけです。
 楊の名誉のためにお断りしておけば2011年に『墓標なき草原:内モンゴルにおける文化大革命・虐殺の記録(上)(下)』 (2009年、岩波書店)で司馬遼太郎賞を受賞して世間的に知られるようになってから、極右方面から「あの男は中国叩きに使えそうだ」と働きかけを受けてから楊の劣化が始まったので「司馬賞受賞以前」の著書はまともかと思います。
 ただし、2016年、 第3回国基研・日本研究賞受賞、2018年、 第19回「正論新風賞」受賞(ちなみに正論大賞 - Wikipediaによれば、この年に正論大賞を受賞したのは改憲極右の西修駒澤大学名誉教授)、百地章日本大学名誉教授、国士舘大学特任教授))なんてことをためらいなくやり「日本ウヨと野合する決意」を表明して以降の著書は「かなり怪しい」でしょう。
 「司馬賞受賞後、国基研・日本研究賞受賞以前(2011~2016年)」の著書は微妙ですね。
 『狂暴国家 中国の正体』(2014年、扶桑社新書→後に『中国人の少数民族根絶計画』と改題して2019年、産経NF文庫)などは著書名といい版元といいかなり怪しそうです。
 ウヨの働きかけがあったとは言え「中国への恨み」が楊に研究者としての誠実さを失わせたと言っていいでしょう。
 「才能はある」のに哀れな男です。

*1:さすがに全て「ないこと」とは言いませんが。