高世仁に突っ込む(2020年8/14日分)

保坂世田谷区長の「NO!で政治は変えられない」 - 高世仁の「諸悪莫作」日記
 こういう物言いは端的に言って「デマ」ないし「事実誤認」ですよね。
 「正しいダメだし(正しいノー)」は政治を変えるわけです。
 例えば「日米戦争なんかやったら絶対に負けるからダメだ!」という「ノー」を戦前日本が選択していれば、東京大空襲、原爆投下などの悲劇はありませんでした(まあ例は何でもいいですが)。
 もちろんまず第一に「ノー(ダメだし)は正しくないといけません」がそんなのは「ノーにとどまらない政治的提案」だって同じ話です。
 第二に「ノーだけ」では「現状維持にとどまる」ことになりますが「改悪を防ぐこと」も立派な「政治を変えること」です。
 こうした物言いは「西村大臣が不要不急の外出を控えるように言ってるのに、gotoトラベルなんかおかしい!」「大阪都構想はおかしい!」「検察庁法改定なんかおかしい!」という「正当なノー」に「ノーしか言わないのか!」「ならば観光業をどう支援するのかいってみろ!」「ならばどうやって大阪府の経済を振興するのかいってみろ!」などという揚げ足取りをすることを助長しかねませんので俺は全く賛同しません。
 高世のように「米軍基地本土引き受け論」等という馬鹿げた、是非*1以前に「実現可能性皆無の提案」をするくらいなら「沖縄に米軍基地などいらない」と「ノーと言うだけの方がずっとまし」でしょう(と言うと高世はマジギレかもしれませんが)。
 大体、大抵の人間が「ノーしか言わない」のは「ノーと言うだけなら比較的楽なことが多い」が、「具体的提案をするにはそれなりの能力と準備作業が必要だから」です。
 「ノーだけ言ってればそれでいい」と思ってる人間はほとんど居ないでしょう。
 ただし「間違ってると思うことにノーとすら言わない」より「ノーと言った方がまだまし」と思うから「ノー」と言ってるにすぎません。
 当然ながら「具体的提案をするそれなりの能力が自分にはあると思っていて、準備作業をする覚悟もあるまともな人間(典型的には職業政治家ですが)」は「ノーにとどまらない具体的提案」をしています。特に「与党政治家(世田谷区長・保坂のような自治体首長でアレ、国政与党でアレ)」ともなれば「ノーだけ」ではやっていけないのは当たり前の話です。
 共産党だって「矢野裕*2・東京都狛江市長(1996~2012年(4期16年))」「賴髙英雄*3・埼玉県蕨市長(2007~現在(現在、4期目の途中))」など党員首長はいますし、こんなことは保坂や高世のようにどや顔することでは全くない。

 中島氏は「疑惑追及と行政手腕の両方を使いこなせる保坂区長に、リベラル陣営の旗頭になってもらいたい」とエールを送る。(「保坂展人と『世田谷モデル』週刊金曜日8月7日・14日合併号)

 おいおいですね。保坂には失礼ながら「たかが世田谷区長」が「リベラル陣営の旗頭」になるわけがないでしょう(まあ、こういうことを言う連中は「理由が何かはともかく」何故か、枝野*4立民党代表、志位共産党委員長、福島*5社民党党首、山本れいわ代表など国政野党幹部政治家を評価してないのでしょうが)。
 中島氏も週刊金曜日も高世も馬鹿も大概にして欲しい。
 まさか
1)周囲の要請に応えて、横浜市長から国政に進出し、社会党委員長も務めた飛鳥田一雄
2)国会議員から北海道知事に転じたが、最終的には国政に復帰した横路孝弘
3)熊本県知事から日本新党代表、首相となった細川護熙
などのように、保坂に「国政復帰」を求めてるわけでも無いでしょうし(まあ要請されても保坂も応じないでしょうが)。
 大体、国会議員であることに限界を感じて、自治体首長に転じたのが保坂でしょうよ(そう言う人間は他にもいますが。我が埼玉の大野知事もその一人です)。失礼ながら、保坂には「世田谷区長の器*6」は務まっても「国会議員の器」は務まらなかったわけです。少なくとも彼は「社民党国会議員」として、社民党の党勢を上向かせたり、「社民党に保坂あり」として国政政治家として一定の評価を受けることには失敗しました。そう言う意味では中島氏や週刊金曜日、高世のような「保坂過大評価」は本当に「ばかばかしい」。
 これでメインの部分は終わりですが他にもコメントしておきます。

後藤新平
とは―
 「計画の規模の大きさから「大風呂敷」とあだ名された、植民地経営者であり、都市計画家である。台湾総督府民政長官、満鉄総裁を歴任し、日本の大陸進出を支え、鉄道院総裁として国内の鉄道を整備した。関東大震災後に内務大臣兼帝都復興院総裁として東京の帝都復興計画を立案し、それを成し遂げた」(wikipedia)という人物であり1920-23年には東京市長だった。

・高世は「台湾総督府民政長官、満鉄総裁」「第2次山本*7内閣内務大臣兼帝都復興院総裁(関東大震災時)」「東京市長」しか書きませんが、後藤新平 - Wikipediaによれば他にも「第二次桂*8内閣逓信相兼内閣鉄道院総裁」「寺内*9内閣内務相」「寺内内閣外相」「東京放送局NHKの前身)総裁」等の要職を歴任しています。
後藤新平と言えば俺的には鶴見俊輔 - Wikipediaの祖父ですね。
 あるいは、星新一『人民は弱し官吏は強し*10』(新潮文庫)の重要登場人物ですね。
 あくまでも「星一(星製薬創業者・星薬科大学創立者)の息子・星新一」による「小説」であり事実がどうかは知りませんが、『人民は弱し官吏は強し』においては後藤の支持者だった星一は「後藤の政敵」である加藤高明*11伊沢多喜男*12によって敵視されたあげく、不当な圧迫を受け、「銀行融資が受けられなくなる」などによって、会社(星製薬)が傾くことになります。

【参考:伊沢多喜男

【聞きたい。】大西比呂志さん 『伊沢多喜男 知られざる官僚政治家』(1/2ページ) - 産経ニュース
 戦前の政官界で半世紀にわたり存在感を示し、戦後、カナダ人歴史家・外交官、ハーバート・ノーマン*13から「日本の黒幕」と評された伊沢多喜男の評伝。
 明治2(1869)年生まれ。内務省で各県知事や警視総監などを務め、地方行政、治安警察などで“伊沢閥”を形成。貴族院議員、台湾総督、東京市長を経て枢密顧問官に就任。出身の官僚組織を基盤に政治活動を行う「官僚政治家」の道を突き進んだ。
 多くの政局、内閣交代劇に関与。「大臣製造者」とも呼ばれたが、度々あった自身の大臣就任要請には応じなかった。
 「彼の政治手法は自分がトップに立つのではなく、“贔屓(ひいき)役者”を背後から動かすスタイル。その贔屓は(いずれも首相になった)加藤高明浜口雄幸*14近衛文麿*15幣原喜重郎*16らです」
 盟友・浜口内閣のロンドン海軍軍縮条約批准問題(昭和5年)で海軍や枢密院との対立などから交渉決裂の危機のなか説得工作に尽力し、浜口遭難*17後は、幣原外相を臨時首相代理に据え、混乱を収拾するなどの活躍が白眉とみる。
 一方、政権や政党から距離をとるスタンスで、「体制のなかで反骨の少数派」を貫き、大政翼賛会に反対し、東条英機*18首相の日米開戦も批判した。
 「御意見番として政界の大久保彦左衛門とも呼ばれたが、世論や議会の大勢が一方に傾くと反対意見を出して質(ただ)すなど、政治の健全性を保つ存在だった。今の政界にこういう人は…」

*1:俺的には実現可能性があっても本土引き受け論は「非」ですが。

*2:狛江市議を経て狛江市長

*3:蕨市議を経て蕨市

*4:鳩山内閣行政刷新担当相、菅内閣官房長官、野田内閣経産相民主党幹事長(海江田、岡田代表時代)、民進党代表代行(前原代表時代)を経て立憲民主党代表

*5:社民党幹事長、副党首、鳩山内閣少子化等担当相などを経て社民党党首

*6:もちろん「俺のような凡人」には世田谷区長は充分「大きな器」であり、俺も保坂を全く評価しないわけでは勿論ありません。高世らの保坂過大評価に突っ込んでるだけです。

*7:第2次山県、第4次伊藤、第1次桂内閣海軍大臣、首相を歴任。元老の有力候補の一人であったが、当時の内大臣・平田東助(第1次桂内閣農商務相、第2次桂内閣内務相など歴任)は西園寺公望・元首相を最後に元老を消滅させる意向を持っており、山本が元老となることはなかった(山本権兵衛 - Wikipedia参照)。

*8:台湾総督、第3次伊藤、第1次大隈、第2次山県、第4次伊藤陸軍大臣、首相、内大臣など歴任

*9:第1次桂、第1次西園寺、第2次桂内閣陸軍大臣朝鮮総督、首相を歴任。米騒動の責任をとって内閣総辞職

*10:ここでの「人民」とは星一を、「官吏」とは加藤高明伊沢多喜男を意味している。

*11:第4次伊藤、第1次西園寺、第3次桂、第2次大隈内閣外相などを経て首相(加藤高明 - Wikipedia参照)

*12:内務官僚出身の政治家。和歌山県知事、愛知県知事、新潟県知事、警視総監、台湾総督、東京市長、枢密顧問官など歴任(伊沢多喜男 - Wikipedia参照)

*13:著書『忘れられた思想家(上)(下):安藤昌益のこと』(岩波新書)など(エドガートン・ハーバート・ノーマン - Wikipedia参照)

*14:大蔵次官、加藤高明、第1次若槻内閣蔵相、第1次若槻内閣内務相を経て首相(濱口雄幸 - Wikipedia参照)

*15:貴族院議長、首相を歴任。戦後、戦犯指定を苦に自殺。

*16:戦前、加藤高明、第1次若槻、濱口、第2次若槻内閣外相。戦後、首相、吉田内閣副総理、衆院議長を歴任

*17:ロンドン条約批准に反対する右翼に狙撃され重傷を負い、その傷が元で死去。

*18:関東憲兵隊司令官、関東軍参謀長、陸軍次官、陸軍航空総監、第二次、第三次近衛内閣陸軍大臣、首相を歴任。戦後、死刑判決。後に靖国神社に合祀。