高世仁に突っ込む(2020年8/15日分)

ウクライナの飢餓を暴いたジャーナリスト - 高世仁の「諸悪莫作」日記
 「スターリン時代のウクライナでの飢餓」とはまた随分とマイナーな映画です。
 日本は勿論海外ですら興行的に受けるとも思えません。しかしこういう映画を今時作る連中ってやはり反ソ(そして反ロシア)反共のウヨなんでしょうか?

 社会主義体制に迎合した記事を書くのは、ジャーナリストらの自己保身の動機もあったろう。

 「個人攻撃」を恐れ、救う会と家族会に迎合した拉致関係記事しか書かない「自己保身しまくりの高世」が自分を棚上げしてよくもこんなことが書けたモンです。
 高世には「恥を知れ」と言いたい。

 ジョーンズの飢餓報道はしかし、主流にはならず、1933年11月には(ボーガス注:ジョーンズの飢餓報道に否定的な親ソ連派の)デュランティ記者の尽力もあって米ソは国交樹立している。

 国交樹立に話を限れば、「デュランティ」云々と言う話では無いですね。
 「ウクライナの飢餓が深刻だからソ連と国交樹立しない」つう話では無いわけです。国交樹立とはそう言う話では無い。
 なお、「反共を国是とした戦前日本」ですら「ソ連と国交が無いと法的には戦争状態にあたり、南樺太(南サハリン)*1の安全保障が害される*2」などの国益の観点から「米国の1933年」よりも早い1925年に日ソ基本条約 - Wikipediaを締結し、ソ連との国交を樹立しています。ちなみに「普通選挙法の制定」「治安維持法の制定」も「日ソ国交樹立」と同じ1925年です(当時は加藤高明*3内閣)。
 「普選法制定」「日ソ国交樹立」で「日本国内での共産主義政治活動の激化」を恐れた日本保守層は「治安維持法」を同時に制定したわけです。
 また以前、高世が保坂世田谷区長の「NO!で政治は変えられない」 - 高世仁の「諸悪莫作」日記で「関東大震災後の東京復興に貢献した」として高評価していた「第二次山本*4内閣内務相兼帝都復興院総裁や東京市長を歴任した保守政治家」後藤新平も「もちろん国益の観点であって、イデオロギー的に親ソ連のわけでは無い(そもそも寺内*5内閣外相として「ソ連打倒を目的とした」シベリア出兵を実行したのが後藤です)」ですが

大正12年(1923年)、東京市長時代に、ソ連の外交官ヨッフェとの会談を伊豆の熱海で行い、ソ連との国交正常化(1925年)の契機を作った。このため、一部から後藤は「赤い男爵」といわれたが、あくまで、日本の国益のために日露関係が正常化される事を展望していた。
後藤新平 - Wikipedia参照)

ということで日ソ国交樹立の方向で動いていました。高世的には「後藤のヨッフェとの会談」も非難の対象なのか?。たぶん保坂世田谷区長の「NO!で政治は変えられない」 - 高世仁の「諸悪莫作」日記で後藤高評価をした今、「高世にとって都合が悪い」ので「後藤の対ソ外交」は無視するのが高世でしょうけど。
 まあ、それはともかく後藤の動きはわかりやすいまでの国益判断ですよね。「日英同盟を理由に英国がシベリア出兵要求を日本に対して、してきた」とはいえ、寺内内閣外相(1918年)として「シベリア出兵(ソ連打倒戦争)」への参戦を実行した男・後藤がその後(1923年)、「日ソ国交正常化」を主張するわけですから。
 そこには「シベリア出兵当時(寺内内閣外相当時)」には「政権基盤は弱体で軍事的打倒が可能」「英国の出兵要望に応じることで英国に恩も売れる」などと見なしていたソ連がシベリア出兵では結局打倒できず、「日ソ国交正常化するしかない」と判断を切り替えたという事情があったわけです。
 まあ「良かれ悪しかれ」「大なり小なり」政治とはそう言うもんです。高世が強弁するほどきれい事で政治は動いていない。

 元英国首相のロイド・ジョージ*6は、「英国の経済が破綻寸前のときに勝手が過ぎる。君は一線を越えた」と怒鳴る。経済を中心にした国家的利害もまた、ソ連に近づく動機付けになるのである。
 ここは天安門事件のあと、日本、アメリカが早々と国際的制裁を解除して中国にすり寄った過去を想起させられた。

 「お前、未だに対中国経済制裁解除が無念なのかよ(呆)」ですね。なお、ロイド・ジョージは「自由党の政治家(保守政治家)」であり左派ではありません。彼は首相時代にはいわゆる「シベリア出兵」にも参加しています。

 私には、これまでの社会主義国との向き合い方を他人事でなく考えさせられる映画である。

 いやー「考えさせられる」どころか「俺の反中国、反北朝鮮の姿勢は正しかった」「俺は日本のガレス・ジョーンズだ」「俺を主人公にした映画はさすがに作られなくても、俺もソ連批判派・ジョーンズのようにきっと世間に再評価される日が来る」と高世は自分の過去を美化しまくり、自己陶酔しまくっていたんじゃ無いですかねえ。
 そういうのは「考えさせられる」て言わないんですが。

 映画の最後に「デュランティ記者のピュリッツアー賞はまだ取り消されていない*7」というテロップが流れる。
 ジョーンズは未だに勝利していないのである。
(つづく)

 「え、まだ続くの?。お前、別にこの問題に詳しいわけと違うやろ、高世?」ですね。なお、「デュランティ」や「ガレス・ジョーンズ」でググってもほとんどヒットしないので、彼らについてはよく分かりません。

*1:1905年のポーツマス条約(日露戦争和平条約)によりロシアから日本に割譲され当時は日本領だった。

*2:実際、1945年8月には南樺太ソ連が侵攻してきたわけです(そして言うまでも無い話ですが南樺太は今はロシア領です)。

*3:第4次伊藤、第1次西園寺、第3次桂、第2次大隈内閣外相などを経て首相

*4:第2次山県、第4次伊藤、第1次桂内閣海軍大臣、首相を歴任。元老の有力候補の一人であったが、当時の内大臣・平田東助(第1次桂内閣農商務相、第2次桂内閣内務相など歴任)は西園寺公望・元首相を最後に元老を消滅させる意向を持っており、山本が元老となることはなかった(山本権兵衛 - Wikipedia参照)。

*5:第1次桂、第1次西園寺、第2次桂内閣陸軍大臣朝鮮総督、首相を歴任。米騒動の責任をとって内閣総辞職

*6:キャンベル=バナマン内閣通商相、アスキス内閣蔵相、軍需相、陸軍相などを経て首相(デビッド・ロイド・ジョージ - Wikipedia参照)

*7:「え、取り消し運動とやらを始めるの?」ですね。