今日の産経ニュース&朝鮮・韓国ニュース(2020年8月17日分)

【第710回】文政権下での日韓関係正常化は不可能 « 今週の直言 « 公益財団法人 国家基本問題研究所
 むしろ「安倍政権下での関係改善は不可能」でしょう。安倍が首相である限り誰が大統領でも状況は変わらないでしょう。
 そもそも
1)「朴正熙政権時代」ですら、文世光事件 - Wikipediaについて「日本の交番で盗まれた拳銃で事件が起こったのに日本の態度が問題だ」と激怒した朴をなだめるために韓国ロビー・椎名悦三郎*1(当時、自民党副総裁)が訪韓していますし
2)「全斗煥政権時代」ですら、全政権が韓国併合を正当化する藤尾発言を批判したこともあって、中曽根*2首相が藤尾*3を文相から更迭しています。
 文*4大統領がことさらに反日であるかのように言うのは事実わい曲でしか無い。
 一方で「河野談話を出した宮沢*5首相」「金大中大統領が訪日した際の小渕*6首相」など今の首相がそれなりにまともならここまで日韓関係も悪化しないでしょう。そもそも第一次安倍内閣では「首相就任直後、小泉*7靖国参拝で冷え込んだ日中、日韓関係を改善するため安倍が訪中、訪韓する」など今と違い極右性をある程度抑えていたため、「問題が無かった」とは言いませんが今ほど酷い状況にはなっていません。
 「安倍がやめても安倍が残した負の遺産は残る」「それをどう決着させるかがポスト安倍に問われる」ので安倍が辞めれば全てがバラ色は言いませんが安倍が辞めることがまずは大前提でしょう。
 今の日本の状況は「朝鮮侵略をした豊臣政権」がそれについてまともに反省してないような状況です。当然、「豊臣政権が倒れて徳川政権になることで日韓関係が回復した」ように安倍政権が倒れることで事態の改善が期待できます。
 ただその場合「岸田*8首相」ではあまり意味がない気がします。彼は「第二次、第三次安倍内閣外相」として安倍の嫌韓国外交に「事情はともかく加担した」以上、韓国側の評価は高くは無いでしょう。
 安倍政権外相で無ければ「いわゆる宏池会幹部(もともと河野談話を出した河野氏*9など自民党リベラル派の集まり)」ということで韓国側もそれなりに評価したかもしれませんが。
 まあ、そうなると現実性としては望ましいのは「政権交代がありうるなら」枝野*10立民党代表、「政権交代が無いなら」やはり「安倍に長いこと干されてる」石破*11でしょうか。


【書評】小説家・秋山香乃が読む『いも殿さま』土橋章宏著(1/2ページ) - 産経ニュース
全国に石碑500基超の偉人「いも代官」と先人の熱血調査(1/2ページ) - 産経ニュース

【書評】小説家・秋山香乃が読む『いも殿さま』土橋章宏著(1/2ページ) - 産経ニュース
 タイトルにもなっている「いも殿さま」こと井戸平左衛門は実在し、江戸・享保年間に石見国大森と、備中笠岡の代官を務めた人物だ。当時から今に至るまで、現地では「いも殿さま」、あるいは「いも代官」の名で親しまれ、尊敬されている。
 本書は、この「いも殿さま」の実話をベースに、これからも語り継がれるべき人物、井戸平左衛門をコミカルに、時に重厚に、そしてなにより誠実に、子供から大人まで幅広く楽しめるエンターテインメントとしてよみがえらせている。

全国に石碑500基超の偉人「いも代官」と先人の熱血調査(1/2ページ) - 産経ニュース
 江戸時代、サツマイモ栽培を奨励して飢餓から住民を救い「いも代官」と親しまれた役人がいる。世界遺産、石見(いわみ)銀山遺跡がある石見国大森(島根県大田市)の代官だった井戸平左衛門(いど・へいざえもん)=1672~1733年。その功績をたたえて建てられた頌徳碑(しょうとくひ)は、中国地方4県で500基以上あるといわれ、一人の役人としては異例の多さだ。大田市文化協会は、その碑の全容を明らかにしようと5月、公的機関では初めて本格的な調査に乗り出した。

 この人物については以下を紹介しておきます。

井戸正明 - Wikipedia
・石見地方などでは通称の「平左衛門」のほうが一般的である。
享保16年(1731年)9月13日、60歳にして第19代大森代官(現・島根県大田市)に着任し天領の銀山領6万石を支配した。直後に笠岡代官(現・岡山県笠岡市)も兼務。
享保の大飢饉による領内の窮状を目の当たりにし、領民たちを早急に救うため幕府の許可を待たず年貢の減免、年貢米の放出、商人から寄付金を募り、さらに官金や私財の投入などを断行した。享保17年(1732年)4月、正明はサツマイモ(甘藷)が救荒食物として適しているという話を聞き、種芋を移入した。その後、サツマイモは石見地方を中心に救荒作物として栽培されるようになり、多くの領民を救った。この功績により正明は領民たちから「芋代官」、「芋殿様」と称えられ、今日まで顕彰されるに至っている。
享保18年(1733年)、大森代官職を解かれ、同年5月26日、備中笠岡で死去した。死因については、救荒対策の激務から過労により病死したとする説と、救荒対策のために幕府の許可を待たず独断で年貢米の放出などを断行したことに対する責任から切腹したとする説の二つがある。
 大田市には正明を祀る井戸神社がある。

*1:戦前、岸商工相(東条内閣)の下で商工次官。戦後、岸の誘いで政界入り。岸内閣官房長官自民党政調会長(池田総裁時代)、池田内閣通産相、外相、佐藤内閣外相、自民党総務会長(佐藤総裁時代)、副総裁(田中、三木総裁時代)など歴任

*2:岸内閣科学技術庁長官、佐藤内閣運輸相、防衛庁長官、田中内閣通産相自民党幹事長(三木総裁時代)、総務会長(福田総裁時代)、鈴木内閣行政管理庁長官などを経て首相

*3:鈴木内閣労働相、自民党政調会長(中曽根総裁時代)、中曽根内閣文相など歴任

*4:盧武鉉政権大統領秘書室長、「共に民主党」代表を経て大統領

*5:池田内閣経済企画庁長官、佐藤内閣通産相、三木内閣外相、福田内閣経済企画庁長官、鈴木内閣官房長官、中曽根、竹下内閣蔵相などを経て首相。首相退任後も小渕、森内閣で蔵相

*6:竹下内閣官房長官自民党副総裁(河野総裁時代)、橋本内閣外相などを経て首相

*7:宮沢内閣郵政相、橋本内閣厚生相を経て首相

*8:第一次安倍、福田内閣沖縄・北方等担当相、第二次、第三次安倍内閣外相を経て自民党政調会長

*9:中曽根内閣科学技術庁長官、宮沢内閣官房長官、村山、小渕、森内閣外相、衆院議長など歴任

*10:鳩山内閣行政刷新担当相、菅内閣官房長官、野田内閣経産相民主党幹事長(海江田、岡田代表時代)、民進党代表代行(前原代表時代)を経て立憲民主党代表

*11:小泉内閣防衛庁長官福田内閣防衛相、麻生内閣農水相自民党政調会長(谷垣総裁時代)、幹事長(第二次安倍総裁時代)、第三次安倍内閣地方創生担当相など歴任