今日のロシアニュース(2020年8月19日分)

【正論】繰り返す歴史、露認識は甚だ迂闊 青学・新潟県立大学名誉教授 袴田茂樹 - 産経ニュース

 教育においても国家、権力、軍は基本的人権と対立する「悪」とされた。

 そんな事実はどこにも無いでしょう。もちろん戦前における「国家権力や軍」の教育への介入(例:教育勅語御真影の強制、学校での軍事教練)は「悪」とされたでしょうが。なんでこういう嘘を平然と書くのか。

 1964年の東京オリンピックの時は大学生だったが、「日本人として日本選手を応援する」ことに違和感を覚え、競技のテレビも見なかった。

 今の袴田の産経文化人ぶり(右翼ぶり)を見ればおよそ信じられません。嘘では無いかと疑いますがそれはさておき。国家主義に否定的だからといって五輪での「日本人選手応援」どころか、五輪すら見ないなんて人間はほとんどいないでしょう。「袴田がそうだった」てだけで「戦後の左派はそうだった」と決めつけるなど全く馬鹿げています。

 1990年前後、冷戦が終焉(しゅうえん)し、ソ連邦社会主義陣営も崩壊した。
 「自由と民主主義が今後は世界に広がり、安全保障の脅威はなくなり、21世紀には国民国家とか国家主権、国境、領土そして外交なども博物館行きとなる。ロシアや中国は帝国主義の野心を放棄した」との理想論が一般化した。

 と言うのなら何らかの根拠を示すべきでしょうが何一つ示さない袴田です。
 率直に言って「冷戦(東西陣営の対立)が終了した」とはいえ「いわゆる西側諸国内部(米英仏独など)」ですら「国益上の対立は当然ある」のだから「国民国家とか国家主権、国境、領土そして外交なども博物館行きとなる」なんて主張が一般的だったとはとても思えません。
 また、「帝国主義の野心を放棄」も何も、1990年代初頭は、ロシアについて言えば「ソ連崩壊でそんな体力は無く」、一方の中国も「改革開放による経済発展」に全力投球で別の意味で「そんな体力は無かった」でしょうに。
 そして、ロシアや中国がどうこう以前に、中露とは関係ない「イラククウェート侵攻(1990年)」「ユーゴ内戦(1991~1999年)」によって「自由と民主主義が今後は世界に広がり、安全保障の脅威はなくなり、21世紀には国民国家とか国家主権、国境、領土そして外交なども博物館行きとなる」などという楽観論は力を失ったと思いますが。
 なお、「帝国主義」の定義にもよるでしょうが、「シリアで軍事行動してるロシア」ならまだしもその種の対外軍事行動は無い中国を「帝国主義」とは呼べないと思いますね。一般的には「対外軍事行動の有無」が「帝国主義と呼べるかどうか」の判断基準かと思いますね。

 自衛隊国防軍と言うのは、ましてや憲法に書くのは今でもタブーだ。

 そりゃ自衛隊と呼ぶことによって「専守防衛の枠をはめよう」という考えがあるからですね。
 軍とした場合「軍だから専守防衛の枠など要らない」として対外軍事行動に突っ走っていくことが警戒されてるわけです。

 多くの日本人が露について理解していないことがある。それは、プーチン大統領も典型的な露人として、「国際法とか条約などは潜り抜けるのが、また利用できる時には最大限利用するのが政治の知恵」と心得ていることだ。「平和条約交渉」の疑似餌は利用できる場合は最大限利用する。
 しかし、2島といえど返還の意図は全くない。経済協力や善隣条約などで信頼関係を深めれば露が譲歩すると考えるのは、あまりにもナイーブだ。

 基本的に「国際法とか条約などは可能な限り自国に有利に利用する」なんてのはロシアに限らずどこの国も同じでしょうがそれはさておき。
 「なら島の返還は諦めるんですか?」という話です。「島の返還は今後も目指す」というなら具体的な解決手段を提示すべきでしょう。
 「島の返還は諦めない」と言いながら、「経済協力や善隣条約などで信頼関係を深めれば露が譲歩すると考えるのは、あまりにもナイーブ」として「政府の対露外交」に因縁を付け、にもかかわらず「僕の考える領土問題解決法」を示さないというのは単に無責任にすぎません。

 日本政府は敗戦直前に、スターリンに甘い幻想を抱き、日米和平の仲介を依頼しようとした。当時の東郷茂徳*1外相が後に「ソ連側の意図を想像し得なかったのは甚だ迂闊(うかつ)だった」と手記で述べたのを想起させる。戦後75年、歴史は繰り返す。

 やれやれですね。現在のプーチン政権までの「戦後の北方領土問題」と「スターリン北方領土侵攻」と色々と違うわけで単純に同一視できる話では無い。
 そもそも「甚だ迂闊」というよりは、「ソ連への和平仲介依頼」にすがらざるを得なかったというのが事実でしょう。
 当時の米国は「無条件降伏」を要求していた。しかし昭和天皇は「国体護持(天皇制維持)」が条件で無ければ降伏したくない。
 そうなれば「どこかの国に和平仲介を依頼するしか無い」わけですが連合国(米英仏など)でも枢軸国(独伊など)でも無い、中立国で「それができそうな大国」といったら当時は「日本が日ソ中立条約を締結していた」ソ連しか無いわけです(ソ連は既にヤルタ密約で米国側に立っていたがそれを日本は知らなかった)。
 もちろん日本政府とて「日本が敗色濃厚」な中、ソ連がそんな仲介に応じるか怪しいことも、また応じるとしても「南樺太(南サハリン)の返還」などの何らかのお土産を要求されるであろうことも認識していました。それでも「8/9のソ連対日参戦」までは「ソ連は正式に日本に宣戦を布告してない」ということを理由に「仲介に応じてくれるのでは無いか」という希望的観測にすがり続けたわけです。

*1:駐ドイツ大使、駐ソ連大使、東条、鈴木内閣外相を歴任。戦後、禁固20年の判決で服役中に病死。後に靖国神社に合祀。