高世仁に突っ込む(2020年8/24日分)

鬼海弘雄「お互いゆるやかに生きることが文化の希望」 - 高世仁の「諸悪莫作」日記
鬼海弘雄「他人にも自分にもやさしくなれる写真を」 - 高世仁の「諸悪莫作」日記

鬼海弘雄「お互いゆるやかに生きることが文化の希望」 - 高世仁の「諸悪莫作」日記
 鬼海さん*1のオフィシャルサイトに、去年9月に入江泰吉*2記念奈良市写真美術館で開催された、百々俊二氏×鬼海弘雄トークショーYoutube映像があった。
 Youtubeで聞いてもらえばいいのだが、文字に起こしてみると、また違った味わいがある。鬼海さんの魅力の一端をお知らせしたく、紹介してみたい。(省略したり補ったりした箇所があります)
 百々さんが鬼海さんの経歴を紹介。
・1945年3月18日、山形県生まれ。高校卒業して県庁職員になるが、そこを辞めて、法政大の哲学に入って、写真を始める。法政の哲学の福田定良*3先生(雑誌に写真論を書いていた)のゼミにいて影響を受ける。
◆鬼海 
 県庁に入って親は喜ぶわけです。当時昭和38年で、山形あたり他に仕事ないわけですから。
 ああ、大人の世界っていいな、でもすぐ飽きるよね。それで、何かしたいと思って、大学に行きたいと。
 そこで、ほんとに仕合わせというか僥倖で、福田先生にめぐりあった。先生には生涯、36年間お世話になることになりますが、当時34冊くらい本を出されてて、映画評論も書いていた。
 映像はおもしろいと思って、福田先生と映画について話すようになって、親しくなって。映像について考えてみようと思った時、卒業が来たんですけど、定職を持つ気になれないで、いろんな肉体労働をして、25歳で写真を撮り始めて。
 最初、写真はシャッター押せば簡単に映るから、私くらいの能力でも写ると思ってはじめたんです。
(引用終わり)
 百々さんが、写真家は食えないということとデビュー作のマグロ船の写真(カメラ毎日)について話を向ける。
◆鬼海
 写真撮るために船に乗ったのではなく、漁師として乗った。もちろん一番下っ端で。27歳のときだから。
 25歳で写真はじめたけど、いかに写らないか、1年か2年たつとハタと気付くんですよね。似たようなものばっかり撮ってて、人のマネするような写真ばっかり。
 どうしたらいいんだろうと思った時、「自分の立ってる場所を変えよう」と思ってそれでマグロ船。
 (写真を掲載した)『カメラ毎日』の山岸章二さんという伝説的な編集長、すごい力のある人、根性悪かったですけど。(笑) 「写真家になったら」と勧められて、じゃあ写真撮ろうと思って。そしたら私の先生(福田先生)えらいですよ。体で覚えないと物事はダメだ、と。
 現像っていうのは、自転車と同じで3か月くらいで覚えるんですよね。覚えたからと、写真始めてすぐ撮ったのが、日本写真家協会の新人賞をもらうんですよ。
 それで、「ちょろいなー」と思って。(笑) 早く銀座で、六本木でお姉ちゃんと仲良くなる写真家になりたいなーと思ったんですけど。
 体で覚えるのは2倍か3倍やらないとだめだといわれて、尊敬する師匠だったから、言うこと聞いて3年現像所でいました。
 ダイアン・アーバスの写真をみて、ふつうの街の人を撮った写真が、なぜ繰り返して見ることができるのか、繰り返し見ても飽きないのかと思って。見る人の心の隙間に入ってくるというか、自分を思い出したり、自分を考えたりする写真があるんだ、と。
 見飽きない写真があることをダイアン・アーバスで教えてもらった。
 写真だったら、カメラ1台あれば自分の表現ができるかもしれない。
 そのかわりメシを食うということではなくて、メシを食わなければ一生続けられる。と思って写真を選んだ。
 撮りたい人をさがすのが大変なんです。ずっと見ててさがす。さがすと壁に立ってもらって5分はかからない。ありがとうございましたで終わり。
 圧倒的に撮りたい人をさがす。
 写真はよほどの幸運な人でないと、「写らない」と分かってから写真家になると思います。
 写真をおもしろがってもらえるのは、その人の力だと思います。他者のなかに自分を発見するから、写真が息づいてその人が言葉を吐くんだと思います。見飽きないということはそういうことなんだと思います。
(つづく)

 高世が鬼海氏に「魅力を感じる理由」が何となく分かる気がしますね。
 高世は「ジンネット社長」として金儲けのことを考えながら生きてきたのに会社を倒産させたわけです。
 一方、鬼海氏は「彼の言葉を信じる限り」高世ほどには金儲けにこだわってこなかった。にもかかわらずある種の成功者であることに憧れを感じずにいられないのでしょう。

鬼海弘雄「他人にも自分にもやさしくなれる写真を」 - 高世仁の「諸悪莫作」日記
 金がないのは自分に能力がないからですよね。

 鬼海氏の場合、この言葉は「だからカネが無くてもできることを頑張ってやってきた」と言う意味なのですが、「カネが無くて会社を潰した高世」にとってはなんとも複雑な思いのする言葉では無いか?(苦笑)

*1:著書『世間のひと』(ちくま文庫)など

*2:著書『私の大和路春夏紀行』、『私の大和路秋冬紀行』(以上、小学館文庫)など

*3:著書『新選組の哲学』(1986年、中公文庫)、『仕事の哲学』(2010年、中公文庫)など