山本弘の「と学会」批判(追記あり)

【最初に追記】
 山本弘については山本弘が自殺未遂までしてしまった(彼の精神状態は、相当によろしくないように感じる) - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)も紹介しておきます。
 なお、自殺に至る経緯や動機はそれぞれ違うとは言え

有島武郎 - Wikipedia(1923年死去)
芥川龍之介 - Wikipedia(1927年死去)
太宰治 - Wikipedia(1948年死去)
アーネスト・ヘミングウェイ - Wikipedia(1954年にノーベル文学賞を受賞。1961年死去)
三島由紀夫 - Wikipedia(1970年死去)
川端康成 - Wikipedia(1968年にノーベル文学賞を受賞。1972年死去)

など過去にも作家の自殺(山本の場合は幸いにも未遂ですが)はあります(三島の場合はかなり特殊ですが)。まあ、作家も「小説を書くのが上手な人」にすぎませんからね。
 ちなみに山本は「刃物での失血死」を目指して失敗したそうですが、ここで紹介した作家たちの自殺方法はそれぞれ

有島武郎 - Wikipedia:縊死(首つり)、なお愛人との心中で単独自殺では無い。
芥川龍之介 - Wikipedia睡眠薬の過剰摂取
太宰治 - Wikipedia:入水自殺、なお愛人との心中で単独自殺では無い。
アーネスト・ヘミングウェイ - Wikipedia:散弾銃による自殺(当初は銃の手入れの際に起きた暴発による事故死と報じられたが、後に遺書が発見され、自殺と断定された)
三島由紀夫 - Wikipedia:割腹自殺(但し三島が絶命する前に介錯として斬首)
川端康成 - Wikipedia:ガスストーブを利用したガス自殺

となります。

【追記終わり】
 短期集中連載で8月中には終わりそうですが。
「トンデモ」を批判、批評していた人が、おもいっきりトンデモになる(トンデモだった)というのもなんともむなしいものはある - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)のコメント欄でも一部、紹介しましたが、自ブログでも紹介して、簡単にコメントしておきます。

と学会の興亡・その一 - 山本弘のリハビリ日記(山本弘) - カクヨム

 大切なことをこれまで書いていなかった事を思い出した。と学会のことである。
 正直にぶちまけてしまうが、僕は会長になんかなりたくなかった。最初に会を発足する話し合いの日に、「じゃあ、山本さん会長ね」と強引に押しつけられただけである。
 最初のころは抜群に面白かった。向かうところ敵なしという感じで、いくらでも楽しい文章を書きまくった。
 それに影がさしたのは唐沢俊一氏の無断盗用事件である。唐沢氏が書いた文章が他の人の文章とまったく同じであることが発覚したのだ。
 こんな事件をと学会の会長として見過ごすわけにいかない。僕は会長としての権限を初めて行使して、唐沢氏のと学会員としての活動を一年間休止することを宣言した。自分ではこれは妥当だと思っていた。
 ところが僕がネット上の『と学会HP』に唐沢氏の処分について書いたら、驚くべき事に、その全員が処分に対して(ボーガス注:処分すること自体に)反対だった。意見が分かれて議論になることは予想していたが、まさか全員が(ボーガス注:処分内容では無く処分すること自体に)反対とは。唐沢氏は悪いことをやった。だったら何らかの処分があるのは当たり前ではないか。
 しかし僕の処分には、と学会のメンバー全員が「ノー」と答えた。僕にしてみれば、裏切られたような気分だった。
 そのころ、僕は悩んで、真剣にと学会を辞めることを考えた。その決意を変えさせたのは、皆神龍太郎さん*1だった。
「山本さんはと学会の天皇なんだ。会長という座に座っていても、実質的な権力は何も持ってない。だからあなたは上にいるだけで充分。あなたが上にいてくれるおかげで、と学会委員たちは安心して遊ぶことができるんだから」
 僕は「と学会の天皇」という言い方に反発したが、僕は「会長」という呼び名を最高権力者と誤解していた。実はそんなものはなかったのだ。僕は天皇のようにお飾りのようなものだったのだ。
 そして僕はと学会の会長に戻った。そして唐沢氏も何事もなかったかのように、と学会の幹部の座に返り咲いた。

唐沢俊一 - Wikipediaによれば、最初に発覚した盗作が

 2007年6月、幻冬舎からの著作『新・UFO入門』の中の文章の一部が、インターネット上のあるブログからの無断転載ではないかとの疑惑が持ち上がった。

という話です。これで話が終われば良かったのでしょうが

 この件がキッカケとなり他の書籍における文章盗用問題が取りざたされるようになり、2005年8月に発行した唐沢俊一著『唐沢先生の雑学授業』(二見文庫)の中に、メルマガ知泉に書かれたアントニ・ガウディの雑学がほぼそのままの形で盗用されていることも指摘されている。

と言うことで次々と盗作が発覚、 

 単行本発行が2012年「日中韓お笑い不一致:雑学プロファイル」(徳間書店)を最後に途切れ、同時に雑誌連載も2013年を最後に途絶えており、ライターとしての仕事は消滅している。2015年以降は演劇の演出業をメインに活動をしている。
 2017年末をもってと学会を退会。

ということになるわけです。


と学会の興亡・その二 - 山本弘のリハビリ日記(山本弘) - カクヨム

 さて、そんな話ではなく、僕がと学会への不信を決定づけられた一件がある。名付けて「と学会の陰謀」である。
 当時、と学会に対して敵対的な行動をしている人物(かりにX氏と呼ぶ)がいた。敵対的と言っても犯罪行為ではない。あくまで表現の自由、正統的な人権の行使である(ボーガス注:つまりは蓮池透氏の救う会批判のようなもんでしょう)。
 と学会内部でX氏の行動に腹を立てている人間がいた。彼らは結託し、X氏に対して反撃を計画した。
 と学会には一般向けのホームページの他にも、ごく少数の人間しかアクセスできないクローズドのページがある。僕たちはそのクローズドのページで、よく外部の人に知られては困る情報を話し合っていた。
 その時の話題もX氏についてだった。目の上の瘤であるX氏の口を封じたい。そのためにはX氏に対して訴訟を起こしたい。ところがX氏の住所が分からない。何としてでもX氏の現在の住所を知らなくてはならない……。
 そこで名案(と信じた人間は思いこんでいる)が浮かんだ。何とか私立探偵に頼んで、コミケ会場から帰宅する前のX氏*2を尾行し、彼の住所を探り当てようというのだ。
 最初のうち、僕はてっきり冗談だと思いこんでいた。ところが複数の(たぶん十人以上のと学会の会員が賛同していたと思う)計画者の間でどんどん話が進み、気がつくと実行寸前になっていた。現実に私立探偵を雇うところまで話が進んでいたのだ。
 僕は血の凍るような恐怖を味わった。
 軽い趣味の会だったはずのと学会が、いつの間にか陰謀組織にまで成長していたのだ。
 僕は慌てて計画にストップをかけた。「この戦いの勝利条件はいったい何なのですか」と僕は全員に問うた。仮にX氏を名誉毀損などで訴えられたとしても*3、と学会もこんなことで私立探偵を持ち出すなんて不名誉なことではないか。
 結局、僕が反対したので、X氏に対する陰謀は不発に終わったのだが*4
 それからずいぶんと(たぶん一年後ぐらいだと思うが)X氏からメールが届いた。
「ずいぶん前にと学会のメンバーの中に、私立探偵を雇って私の住所を探らせるという案があったと聞いたのですが事実でしょうか」
 バレてる(笑)。
 X氏がどこでその計画を知ったのかは不明だが、僕としてはあの日に計画をやめたのは正しかったと今でも思っている。

1)唐沢のような「と学会内部の愚か者」が武勇伝(?)として放言してX氏に伝わったのか(普通の人間はそう言うことはしませんが)
はたまた
2)唐沢らの無茶苦茶さについていないと思った「と学会内部の批判派」がX氏に通報したのか(この書きぶりでは、少なくとも通報者が山本で無いことだけは確かでしょうが)
はともかく、まあ、この「メールの件」に話を限ればX氏は唐沢なんぞに比べれば大分「大人」ですよねえ。
 おそらく、
1)こんな無茶苦茶なことをされて黙ってられるほど、X氏も寛大な好人物では無く『と学会に警告をしたかった』が
2)下手に騒ぎ立てて泥仕合にしたくない、と思う程度の良識はあった、のでしょう。
 で「この暴挙を止めたらしい常識人・山本」にはそれとなく「俺は知ってるんやで」と伝えたと。
 山本がどう返答したのか知りませんが、まあこの山本の書きぶりからするとX氏もしつこく「事実ならば謝罪せよ」と糾弾するという感じでは無く「それが事実ならそういうことは辞めて欲しい」という感じの「やんわりとした警告」だったんでしょう。
 まあ、山本が「X氏」としてるのは、「X氏のと学会非難が間違ってるなら言論で反論すれば充分(名誉毀損として訴訟を起こすほどの問題では無い)」としか思っておらず、と学会を離れた今となっては「X氏側もこうした事実の存在を公言してない」し、もはや彼の実名を出して「X氏との間にトラブルを起こす危険性をつくりたくない」のでしょう(まあ、場合によっては山本が陰謀計画者との間でトラブルとなる可能性もある)。
 「私立探偵を雇って云々」なんて非常識だという話「だけ」するのならX氏の名前を出す必要は無い。
 つまりは当初から山本はX氏についてはそれほどの敵意も無かったのでしょう。


と学会の興亡・その三 - 山本弘のリハビリ日記(山本弘) - カクヨム

 僕がと学会をやめた理由は唐沢氏との関係が不仲になったことである。
 不仲になったきっかけは、僕が例の盗作事件の話題をちらっとmixi日記で書いたことだ。mixi日記と言ってもクローズドであり、数人の知り合いだけにしか読めないものだったのだが(唐沢氏はその一人だった)
 ところが唐沢氏はそれに腹を立て、僕に削除を要求してきた。僕はびっくりした。別に唐沢氏のことを悪く書いたわけじゃない。それにあの事件はマスコミに騒がれたために、多くの人が知ってしまっている。誰かの口をふさいでどうにかなるものじゃないのだ。おまけにこんなふうに言論を規制するのは、僕の流儀に反する。どんな場合でも(ヘイトスピーチにならない限りは)言論の自由というものを最大限に認めるべきだというのが僕の信念なのだ。
 僕が唐沢氏の削除要求を拒否したことで、唐沢氏の態度は硬くなった。僕にしてみれば唐沢氏の要求こそ受け入れがたいものだったのだが。

 しかし唐沢も自業自得なのに本当にクズですよねえ。盗作すること自体が問題ですが、一度だけならまだしも、それを何度も懲りずにやる。批判されても居直る、逆ギレる。
 「山本以外のと学会メンバー」もよくこんな奴をかばおうという気になれる。その結果がと学会のイメージダウンですからねえ。
 「人間性が最低でも才能はあるから便利に使える」つう人間では唐沢は明らかに無いし(いやそう言う理由でかばっていいわけではないですが、かばう価値のない唐沢を身びいきでかばって世間からと学会が呆れられてメリットあるのか、アホと違うか、と言う話です)。
 唐沢は2011年にと離婚してるようですが「時期が盗作発覚後」ですからねえ。さすがに元妻もトラブルメーカー唐沢とはつきあいきれないと思ったんじゃないか。
 それにしても唐沢の弟は、唐沢のことをどう思ってるんですかね?。やはり迷惑がってるのか。

と学会の興亡・その四 - 山本弘のリハビリ日記(山本弘) - カクヨム

 僕がと学会をやめようと決心したある事件がある。
 その頃、と学会の例会はある駅の5階か6階(もう記憶が曖昧だ)にあった。そこまで上るのはもちろんエレベーター。ちょうど季節は2012年の春。窓の外には完成が近づいた東京スカイツリーがよく見えた。僕はその日、一人のと学会会員といっしょにエレベーターにのった。
「もうじき完成ですね、スカイツリー
 するとその若者はこう言ったのだ。
「最初にスカイツリーを壊しに来るのはどんな怪獣なんでしょうね?」
 僕は息が止まるほどのショックを受けた*5
 スカイツリーを壊しに来る怪獣? そんなもの決まっている。怪獣6号「ゼロケルビン」だ。チルソギーニャ遊星人に操られて東京に襲来、スカイツリーの上でヒメと激戦を繰り広げるのだ……。
 そう、(ボーガス注:山本の著書)『MM9*6』の続編『invasion*7』。僕はそれを2011年に描いた。スカイツリー完成の前の年だ。当然、僕の読者なら知っているはずだ。
 僕はその体験の直後に、と学会会員の言動に目を走らせはじめた。そして直ちに、それまで気づかなかったことに気が付くようになった。
 みんな僕の小説の話を聞こうとしない。
 『MM9』だけではなく、他の小説についても同じことが言える。
 皆神龍太郎さんが言っていた言葉を思い出した。
「と学会会員は山本さんの下で遊んでるんだ。つまりみんなに遊び場を提供するのが山本さんの役目なんだ」と。
 僕はその言葉を噛みしめた。僕の役割とは、単に遊び場を提供するだけ。と学会の会員には僕の小説を読んでいない人が多い。
 それに気づいたとき、僕は会長の座をやめようと決心した。
 僕は「と学会の天皇」なんて空虚な座は欲しくかった。

 「唐沢批判」など、これ以前の他の記事はともかく、と学会の興亡・その四 - 山本弘のリハビリ日記(山本弘) - カクヨムについて言えば「何だかなあ」感がありますね。
 と学会て、いくら会長が山本とは言え、会の趣旨から考えれば「山本弘ファンクラブ」ではないでしょう。建前上は山本が会長で無くても、参加者が山本ファンで無くても、何ら問題は無い。
 創立時メンバーはともかく後から入ってきた人間は山本が「会長をやりたくも無いのに引き受けさせられた」なんてことは知らないでしょうし。
 と学会入会条件に「山本弘のファンであること」なんて条件もさすがに無いでしょう。と学会員が山本の小説を読む義務はどこにも無い。

 するとその若者はこう言ったのだ。

というのだから、「若者」だから、まさか「創立メンバー(古参組)」ではなく「後から入ってきた人間」でしょう。たぶん役職にも就いてないでしょうし、山本らと一緒に「と学会本の原稿を書くようなことも無い」一平会員にすぎないでしょう。
 俺的には山本の物言いは

『「九条の会」会員なら、会呼びかけ人(作家・井上ひさし*8大江健三郎*9小田実*10澤地久枝*11)の著書は、「九条の会」に関係がある憲法関係の著書で無くても全て読んでいて当然』

並みに意味不明です(まあ、例は九条の会で無くても何でもいいのですが)。九条の会とて、いくら呼びかけ人が井上ひさしらであろうとも参加者は彼らの「九条護憲」の呼びかけに賛同しただけであって必ずしも「小説家としての井上ひさしファン」などではないわけです。と学会だって「いわゆるトンデモ本に突っ込んで面白がろう」が趣旨であってそれ以上でもそれ以下でも無いでしょう。山本ファンどころか、山本の専門であるSFのファンである必要すらないのでは無いか。
 とはいえ、創立時メンバーが山本に会長の肩書きを与えても、ろくに実権も与えない、唐沢処分に反対したあげく「あんたは天皇だから余計な口出すな」と言って好き勝手やってる、新入会員は山本の小説なんぞ読んでない(下手すれば古参である創立時メンバーですら、ろくに読んでないかもしれない)、山本に対する尊敬の念とか好意とかが「いかなる意味でも」まるで感じられないと言う時点で、山本もいい加減「馬鹿にするな!」と切れてしまったのでしょう。
 まあ、さすがに唐沢の件がなかったら、山本もこんなことでは切れないと思いますね(というか唐沢の処分も受け入れられて、会長としての実権もきちんとあるのにこんなことで切れてたら、それこそ「と学会って山本弘ファンクラブかよ!、そんなの聞いてねえよ。会長だからってそんな扱いなの?」ですよねえ)。
 まあ、本来

山本弘 (作家) - Wikipedia
【刊行順】
◆『時の果てのフェブラリー:赤方偏移世界』(1989年、角川スニーカー文庫→改訂版、2001年、徳間デュアル文庫
◆『トンデモ・ノストラダムス本の世界』(1999年、宝島社文庫)
◆『神は沈黙せず』(2006年、角川文庫)
◆『闇が落ちる前に、もう一度』(2007年、角川文庫)
◆『シュレディンガーのチョコパフェ』(2008年、ハヤカワ文庫)
◆『アイの物語』(2009年、角川文庫)
◆『MM9』(2010年、創元SF文庫)
◆『アリスへの決別』(2010年、ハヤカワ文庫JA
◆『地球移動作戦』(2011年、ハヤカワ文庫JA
◆『詩羽のいる街』(2011年、角川文庫)
◆『去年はいい年になるだろう』(2012年、PHP文芸文庫)
◆『MM9:invasion』(2014年、創元SF文庫)
◆『MM9:destruction』(2014年、創元SF文庫)
◆『ニセ科学を10倍楽しむ本』(2015年、ちくま文庫)
◆『トワイライト・テールズ』(2015年、角川文庫)
◆『UFOはもう来ない』(2016年、PHP文芸文庫)
◆『BISビブリオバトル部1:翼を持つ少女』(2016年、創元SF文庫)
◆『BISビブリオバトル部2:幽霊なんて怖くない』(2017年、創元SF文庫)
◆『僕の光輝く世界』(2017年、講談社文庫)
◆『怪奇探偵リジー&クリスタル』(2018年、角川文庫)
◆『BISビブリオバトル部3:世界が終わる前に』(2019年、創元SF文庫)
◆『プロジェクトぴあの』(2020年、ハヤカワ文庫JA)

などといった「山本の著書(多くは小説)をと学会員が読んでるかどうか」なんて、と学会の建前が山本ファンクラブで無い以上、「ある意味どうでもいいこと」です。むしろ、「と学会における山本」に話を限定すれば、それよりも『会長という肩書きだけ与えても、ろくに実権も与えないこと(にもかかわらず、会長だと言うことで対外的な交渉には山本が対応せざるを得ないし、問題が起これば最悪の場合、謝罪する羽目にもなる)』『唐沢を不当に擁護する連中が多いこと』の方が問題ですが、仮に「読んでる」のであれば「山本もまだ我慢ができた*12」、つまりは「天皇と言って持ち上げるなら実権は無くてもいい、せめて小説家としての俺をそれなりに評価してくれ」というのが山本の願い(山本にとって譲れない最低条件)だったわけですがそれ「すら」も失われたことで「あいつら俺を、都合のいい使い走り程度にしか思ってねえのか!。何が会長だ、何が天皇だ、ふざけんな!」と憤激して、会長を辞めついには退会したという話です。
 ちなみに話が脱線しますが「山本弘」でググったら

山本弘(元神戸大学教授)『民事訴訟法・倒産法の研究』(2019年、有斐閣
 2018年3月に急逝した著者の論文集。「権利保護の利益概念の研究」をはじめとする主要な論文を収録した。

がヒットしたのには「同姓同名の著者って結構いるもんだなあ」と一寸びっくりしました。
 勿論著者紹介で分かるように明らかに別人で山本弘 (法学者) - Wikipediaの方ですが。まあ「山本弘」なんて珍しい名前でも無いですからね。


自殺騒ぎの後で - 山本弘のリハビリ日記(山本弘) - カクヨム
 「と学会ネタの続きか」と思いきや「自殺未遂の告白」とはなんとも心が寒くなります。

 自殺の方法はいろいろ考えた。前に書いた『詩羽のいる街』のように、マヌケな死に方や他人に迷惑をかける死に方を選んで、笑いものになるのだけは避けたい。

 コメント欄に書きましたが、「マヌケな死に方や他人に迷惑をかける死に方はしたくない」というなら「病死や事故死に見える死に方」しかないでしょう(他殺に見える死に方では「お宮入り事件」になってしまい迷惑をかけることになるのでダメでしょう)。例えば今の時期なら「コロナ感染による死亡に見える自殺」なら「コロナが流行ってるから仕方が無い」と遺族も少しは「納得できる」かもしれない。
 しかしそんな都合のいい死に方があるとも思えません。どっちにしろ死ねば周囲は悲しむし、場合によっては経済的ダメージだってあり得るわけです。
 自殺などという物は誰が考えても得策ではありません。

 結局、僕は飛び降り自殺をあきらめ、自宅での失血死を選んだわけである。
 ところがこれが想像以上に難しかった。ノコギリを使ったのだが、まったく血管に達しない。痛い思いをしただけだった(笑)。

 そりゃ普通に考えて難しいでしょう。まともに歩けないような人間が、飛び降り自殺を諦めるような人間が、刃物で失血死できると思う方が変です。
 大体、「ためらい傷」と言う言葉があることで分かるように「刃物で自分を傷つけて死ぬ」などというのは「激痛が襲う」がゆえになかなかできることではないでしょう。
 「楽な死に方」というなら「睡眠薬の大量服用」や「首つり(本当か知りませんが、うまく首が吊れればすぐに失神して痛みも無いというので:ただし首つりに失敗すれば勿論酷い激痛が襲ってくるようですが)」のほうがよほど楽なように思います。「睡眠薬の大量服用」なら「不眠症に悩んでいたが故の事故死(つまり自殺では無い)」などと「理解される余地」もわずかながらですが、ある。
 というか、「刃物で失血死」というのは充分「マヌケな死に方や他人に迷惑をかける死に方」だと思うのですが。
 辺り一面血の海というのは、見ていて「気持ちのいい物」ではなく大分間抜けなような気がしますし、後片付けで他人に「大いに迷惑をかける」と思うのですがね。まさか「血の海をそのまま放置するわけにも行かず」掃除をせざるをえないわけですから。まあ、そもそも「病死や事故死に見える死に方」ならともかく「どう見ても自殺にしか見えない死に方」はどう頑張ったところで「マヌケな死に方や他人に迷惑をかける死に方」にしかならないと思います。
 まあこんなことは冷静な精神状態なら山本だってわかることでしょうが。

 そうこうするうち、僕がツイッターで自殺をほのめかしたという話が拡散し、えらく大きな騒ぎになっていた。誰かが警察に通報したらしく、夜中の三時過ぎに警官がやってきた。おかげで妻や娘にも僕の計画がばれてしまった。

 もちろん「狂言自殺だ」などと失礼なことは言いませんが、山本も精神状態が明らかにおかしいですね。
 確実に自殺したいなら「ツイッターで自殺をほのめかすべきではない」ですから。

 妻は怒りはしなかったが、ひどくあきれられた。「あんたなあ、自殺では見舞い金がおりひんのやで」と。

 あまりにも酷すぎて怒る気も失せたという所でしょうか。
 見舞金とは保険金のことでしょうが、もちろん(?)自殺でも保険金は下りることはあります。

*1:作家。と学会運営委員。本業は会社員(朝日新聞社勤務)。元と学会会員の作家・植木不等式とは同僚(皆神龍太郎 - Wikipedia参照)。

*2:ということはX氏自身が世間に「名前や顔写真、職業を公開していた」のかどうかはともかく、何らかの理由でと学会側はX氏の「住所は知らない」までも動向(?)はわかっていたわけです。であるならば「直接、当人に住所を問いただす」とかもっと穏便な方法をまずとるべきだと山本が考えるのも当然かと思います。と同時に山本としては「訴訟云々」とは建前にすぎず、X氏に対する嫌がらせ(場合によっては違法行為に該当するおそれすらある)が行われることを危惧していたのでは無いか。

*3:「仮に」ですから、山本自身は「名誉毀損までは生じない」と思っていたのでは無いか。

*4:山本の反対で取りやめたと言うことは、山本が示唆するように「どうしても訴訟をしなければならない」というほどの緊急性、必要性は無かったのでしょう。

*5:建前上は「山本ファンクラブでも無い、と学会員のワンオブゼム」が山本の小説を読んでないと言うだけでそこまでショックを受ける方が失礼ながら俺は「はあ?」ですが。これが「山本ファンクラブ会長」など山本の著書を全て読んでいてもおかしくない立場の人間ならショックでしょうが。まあ、これがきっかけで、その後「山本を会長として祭り上げてる古参会員連中すら山本の本をろくに読んでないらしい」「いかなる形でも山本に好意だの尊敬の念だの無いらしい(使い勝手のいい使い走りくらいにしか考えてないらしい)」と気づいたことが「もっとショック」であり、その「ショック」によってこの「スカイツリー話のショック度」も「かなり盛られてる気がします(山本が故意に嘘をついてると言うことでは無く記憶が変化していると言うことですが)」。

*6:東京創元社の雑誌『ミステリーズ!』2005年8月号から2006年12月号にかけて連載され、単行本も同社から2007年に刊行。2010年に創元SF文庫で文庫化(MM9 - Wikipedia参照)

*7:東京創元社のウェブ雑誌『ウェブミステリーズ!』2010年2月号から2011年2月号にかけて連載され、単行本も同社から2011年に刊行。2014年に創元SF文庫で文庫化(MM9 - Wikipedia参照)

*8:著書『新釈・遠野物語』(1980年、新潮文庫)、『私家版・日本語文法』(1984年、新潮文庫)、『頭痛 肩こり 樋口一葉』、『吾輩は漱石である』(以上、1988年、集英社文庫)、『井上ひさしのコメ講座』(1989年、岩波ブックレット)、『続・井上ひさしのコメ講座』(1991年、岩波ブックレット)、『どうしてもコメの話』(1993年、新潮文庫)、『にほん語観察ノート』(2010年、中公文庫)、『二つの憲法大日本帝国憲法日本国憲法』(2011年、岩波ブックレット)、『日本語教室』(2011年、新潮新書)、『「日本国憲法」を読み直す』(樋口陽一氏との共著、2014年、岩波現代文庫)、『完本・ベストセラーの戦後史』(2014年、文春学藝ライブラリー)、『この人から受け継ぐもの』(2019年、岩波現代文庫)、『秘本大岡政談』(2020年、ちくま文庫)、『完本・小林一茶』(2020年、中公文庫) など

*9:著書『ヒロシマ・ノート』(1965年、岩波新書)、『沖縄ノート』(1970年、岩波新書)、『新しい文学のために』(1988年、岩波新書)、『小説のたくらみ、知の楽しみ』(1989年、新潮文庫)、『小説の方法』(1993年、岩波同時代ライブラリー)、『あいまいな日本の私』(1995年、岩波新書)、『私という小説家の作り方』(2001年、新潮文庫)、『核時代の想像力』(2007年、新潮選書)など

*10:著書『世直しの倫理と論理』(1972年、岩波新書)、『「民」の論理、「軍」の論理』(1978年、岩波新書)、『歴史の転換のなかで』(1980年、岩波新書)、『「ベトナム以後」を歩く』(1984年、岩波新書)、『われ=われの哲学』(1986年、岩波新書)、『私と天皇・人びとのなかの天皇』(1988年、ちくま文庫)、『「殺すな」と「共生」:大震災とともに考える』(1995年、岩波ジュニア新書)、『中流の復興』(2007年、NHK生活人新書)、『「難死」の思想』(2008年、岩波現代文庫)、『「アボジ」を踏む』(2008年、講談社文芸文庫)、『オモニ太平記』(2009年、講談社文芸文庫)など

*11:著書『妻たちの二・二六事件』(1975年、中公文庫)、『暗い暦:二・二六事件以後と武藤章』(1982年、文春文庫)、『昭和史のおんな』(1984年、文春文庫)、『滄海(うみ)よ眠れ:ミッドウェー海戦の生と死』、『火はわが胸中にあり:忘れられた近衛兵士の叛乱・竹橋事件』(以上、1987年、文春文庫)、『私のシベリア物語』(1991年、新潮文庫)、『密約:外務省機密漏洩事件』(2006年、岩波現代文庫)など

*12:まあ、それで「我慢していいのか」て問題はありますが