今日の産経ニュース(2020年9月9日分)

河野防衛相「解散恐らく10月、五輪へ準備」 新内閣発足後に - 産経ニュース
 「10月」というのはおそらく「河野個人の希望」にすぎず菅や二階と言った連中の言動からは「総裁選の結果(石破や岸田が善戦するか、菅の圧勝か)」や「政権発足後の支持率」によって政権発足直後の「首相演説や野党代表質問すらなしでの解散」も危惧されますがそれはともかく。
「安倍にへいこらして外相、防衛相に急速に成り上がり、菅にも取り入り、新政権での重要閣僚就任もささやかれる河野」では予想の範囲内の発言ですが、政権が発足しても居ない時点でこんなことを言うのはもちろん無責任です。「次期総裁は菅で決まりだろう。最近の世論調査では菅総裁でも、ご祝儀相場で解散して勝利が見込めそう」なんてのは邪道でしか無い。親父の河野洋平*1はここまで低レベルではないと思うのですがねえ。


次期首相、菅氏50% 石破氏30%、岸田氏8% 共同通信緊急世論調査 - 産経ニュース
 げんなりしますね。なんでそうなるのかさっぱり理解できません。既に多くの論者が指摘するように「二階幹事長や麻生財務相ら派閥ボスが談合で菅総裁を確実にする前」に行った世論調査では石破どころか、岸田さえ下回ったのが菅ですからね。
 「勝ち馬に乗ろう」というのが今の日本人(特に自民党支持層)なのか。改めてげんなりします。
 しかも

憲法改正に積極的な安倍晋三首相の姿勢を引き継ぐべきかどうかについて、「引き継ぐ必要はない」は57・9%となった。「引き継ぐべきだ」は36・0%だった。

と言うのだからまるきり意味が分かりません(改憲に否定的な世論が多数であること自体は護憲派として嬉しいですが)。こうなると一部で危惧されてるように「ご祝儀相場で内閣支持率が高ければ菅が早急に解散に打って出る(あげくアホな日本人によって自民勝利)」と言うことすら危惧されますが、まずは「コロナ禍が終息しない&政権の方向性も見えない段階で解散など邪道」と批判する必要がありますね。
 首相として演説を行い、野党の質問も受け、ある程度政権の方向性が見えてからで無ければ「解散などすべきでは無い」のは当たり前でしょう。「福田政権発足後の麻生政権」が早期解散ムードを明らかにつくろうとしながらも政権発足直後の支持率がそれほどでも無く、あげく「中山国交相の暴言辞任」もあってそんなことができなくなったように、菅らの思惑通りに行くとは限りません。
 もちろん菅が「政権の方向性が見えない」状況で、卑怯にも政権発足直後に解散を打とうがその場合は野党共闘で立ち向かうほかない話ですが、自民が「道理の無い解散をうとうとしていること」に対して「早期解散を規定方針にして動くべきではない」「先ずは批判して解散計画を潰すことに野党各党は全力を挙げるべき」と思います。

 次期衆院選比例代表の投票先は、自民党が48・1%。立憲民主党や国民民主党などが合流してつくる新党が15・7%となった。国民の玉木雄一郎代表らが結成を目指す新党が0・5%だった。

 自民「48%」というのには自民批判派としてげんなりしますが「まだ形が全く見えない」という点も大きいでしょうが「玉木新党」が0.5%、つまり自民や立民どころか、もちろん公明、共産、維新、社民、れいわすら下回る支持率であることについては「玉木のような第二自民党など与党支持層も野党支持層も誰も望んでない」と改めて指摘しておきます。


【正論】最強圧力で金正恩政権追い詰めた モラロジー研究所教授、麗澤大学客員教授・西岡力 - 産経ニュース
 安倍が拉致問題で何らかの成果を北朝鮮相手に得られたのなら「追い詰めた」ともいえるでしょうが何の成果もないのに良くもデタラメなことが言えたもんです。


「幸福の科学大」取り下げ 来春開学の設置認可申請 - 産経ニュース
 安倍退陣で「ためらいなく大川隆法を切って捨てられる(文科省官僚)→大学設立の野望を完全にたたれ、申請を取り下げざるを得ず(幸福の科学)」つうことでしょうか。ひとまずはホッと一安心です。まあ、さすがに安倍も首相在任中にこんなもんをごり押しするほどキチガイでも無かったのでしょう。ましてやポスト安倍が仮に「安倍の子分」菅であってもこんなもんをプッシュする蛮勇はさすがになかったのでしょう(岸田や石破なら、なおさらやりませんが)。


【検証92カ月】皇室 「譲位」 憲法との整合性苦心 安定的な皇位継承見通せず(1/2ページ) - 産経ニュース

 皇位継承は、議論の行方次第では国論を二分しかねなかった。

 「女帝に反対してるのは手前らウヨだけだろ、日本人の大多数は女帝容認なのにふざけんな」て話です。

 安倍晋三政権が最も神経をとがらせたのが、憲法との整合性だった。憲法では天皇は国事行為のみを行い、国政に関する権能は有しないと定めている。そのため、「譲位のご意向」は憲法に抵触する可能性が指摘された。

 「良く言うぜ」ですね。その理屈なら天皇から「君が代、日の丸強制支持発言」を引き出そうとして明仁天皇に無茶振りした米長の行為(賢明な明仁天皇が適当に流したため問題は生じませんでしたが)は明らかに無法ですが、産経らウヨは米長批判など当時何一つしませんでした。単に「生前退位」に反対していただけのくせに。


孔子廟撤去、那覇市争う 地裁で審理始まる - 産経ニュース

 儒教の祖・孔子を祭る施設「孔子廟」のため、那覇市が公園内の土地を無償で提供していることは憲法政教分離の原則に違反するとして、市民が市を相手取り、撤去しないことが違法だとの確認を求めた訴訟の第1回口頭弁論が9日、那覇地裁であった。市は請求を退けるよう主張した。
 孔子廟をめぐっては、那覇市が使用料を請求しないことの違法性が争われた別訴訟で、那覇地裁福岡高裁那覇支部判決がいずれも違憲と指摘。上告審の審理は、最高裁大法廷に回付されている。大法廷は憲法判断をする場合などに開かれるため、最高裁も判断を示すとみられる。
 9日の弁論で、原告側は「孔子廟は宗教的施設にほかならない。政教分離原則に違反する便宜供与だ」と訴えた。

 「津地鎮祭訴訟」「山口殉職自衛官護国神社合祀訴訟」「箕面忠魂碑訴訟」「首相靖国参拝違憲訴訟(もちろん過去に靖国参拝した中曽根、小泉、安倍が提訴されている)」「愛媛玉串料訴訟」などほとんどの政教分離訴訟は「神道関係」なので意外な訴訟ですね(そもそも儒教儒学)は一般的な宗教とは大分性格が違いますし。孔子はキリストやブッダムハンマドとは大分性格が違うように思います)。
 かつ、これは本当に政教分離訴訟なのか、本当は「アンチ中国ウヨ(自民、公明系列)」の「アンチ中国的な訴訟(中国人韓国客を沖縄に呼び込もうとすること自体が許せない)」ではないのか、つう疑問を感じます。
 何せ今の城間・那覇市長(翁長市政において副市長)は「翁長前那覇市長(前沖縄県知事でもある、故人)の後継」、つまりいわゆる「オール沖縄(共産、立民、社民、沖縄社会大衆党などの野党共闘)」ですし。何せぐぐったら原告側弁護士の一人が「あの在特会徳永信一」のようですし(「那覇市孔子廟徳永信一」などでググると色々と記事がヒットします、ウヨの書いたブログ記事が多いですが)。まともな人間は「在特会・徳永」に弁護なんか依頼しない。大体「安倍の靖国参拝玉串料奉納を正当化するウヨの徳永が何の冗談だ」て話です。
 この俺の「邪推」が正しいとして「安倍の靖国参拝玉串料奉納を容認するウヨ連中」が那覇市長相手に政教分離訴訟を起こし、それを「安倍の靖国参拝玉串料奉納を違憲と批判する人々(共産党など)」が「言いがかりは辞めろ、観光目的の孔子廟設置の何が違憲行為だ」「安倍の行為の方が違憲だろ」と反発するという奇妙な「ねじれ現象」が起こってるわけです。
 しかし、まあその辺りは今後明らかになるでしょう。もし俺の邪推が正しいとして「前から分かってるけど、ウヨて、バカだなあ」ですね。こんなことをやればやるほど「本土のウヨ連中の奴らはオール沖縄を馬鹿にしている!」「孔子廟を撤去しろ、てじゃあ手前らは沖縄の経済をどう考えてるんだ!。中国人観光客の存在をどう考えてるんだ!。中国人観光客を呼び込もうとして孔子廟をつくったんじゃねえか!」とオール沖縄側の本土ウヨへの憤りが高まるばかりなんですが。
 それはともかく、個人的には「中国人観光客を呼び込むための客寄せ」であり「儒教の布教が勿論目的では無い」ので、政教分離原則違反には当たらないのではないかと思います。
 ただし「産経記事」にも書いてあるように、那覇地裁福岡高裁那覇支部は「撤去云々はともかく」,無償提供であることについては「有償であるべき」として違憲判断したそうです。個人的には「あまりにも形式的すぎないか」「ほとんどの日本人は儒教儒学)を宗教だと思ってねえし」「その理屈だと公立学校で孔子の漢文を学ぶのも政教分離原則違反にならないか?」「地方自治体のクリスマスツリーとかも違憲にならないのか」「判決がおかしいんじゃ無いか」と思いますね。そんなもんより朝鮮学校無償化除外という「悪質な官製ヘイト」をきちんと違憲判断したらどうなのか。俺は性格がひねてるので、「自民党政権に媚びへつらうことには定評がある」裁判官共が「安倍のアンチ沖縄」に加担してるのかと疑いたくなります。まあ、いずれにせよ判決は「有償にすべきだ」とはなっても「撤去しろ」とまではならないんじゃないか。で、まあ「到底払えないような無茶な金額では無い、リーズナブルな金額」なら有償でも「それほど問題では無いかな(金額負担が重すぎて孔子廟の設置ができない、なんてことは無いので)」とは思います。個人的には無償でも別に問題ないと思うんですけどね。
 ちなみに「横浜中華街」にある関帝廟(こちらは公的施設ではありませんが)なんかもまあ、厳密に言えば「宗教的施設」でしょうが、あれだって観光的意味が大きいわけです。
 まあ、この裁判から分かることの一つは「沖縄において中国人観光客の存在は重要だ」つうことですね。そう言う意味合いで孔子廟ができたわけですから。当たり前ですがこの孔子廟は「儒教の布教(儒学の普及)」が目的ではないし、安倍の靖国参拝の支持者が「神社本庁など宗教右翼」であるような宗教的な話ではあり得ない。
 もちろんこれは沖縄だけで無く「多くの日本の観光地」にとって「ウエルカム中国人観光客」であり、ウヨ連中が「中国の脅威」をほざこうが、そんなことは観光産業にとっては単に迷惑でしかない話です。だからこそ「あの反中国・安倍」ですら、中国との経済関係を無視できずについに「習主席の国賓訪問」を決意した。俺は勿論「コロナが終息する」と言う条件付きですが日中友好のためにも習主席の国賓訪問を心待ちにしています。習主席の国賓訪問を批判する反中国連中の気が知れない。


「犯罪思いとどまらせる」 19歳に息子を奪われた母、実名報道解禁を評価(1/2ページ) - 産経ニュース
18~19歳、起訴後に実名解禁へ 少年法改正、法制審部会が厳罰化答申案承認 - 産経ニュース
18~19歳「実名で当然」 法制審部会案「報道見直す契機に」の声(1/2ページ) - 産経ニュース
 俺個人は処罰は「刑事罰」だけにすべきであり、名前をさらし者にするなどというげすな事は「成人犯罪者でもやるべきでは無い」と言う考えです。そんなことで犯罪を思いとどまるようならそもそも犯罪しないでしょう。まともな人間なら別に「さらし者にされなくても」周囲の人間の期待を裏切る、周囲の人間を失望させると言うだけでも充分犯罪を思いとどまります。つまりは「言葉を選ばず言えば」犯罪する人間はまともでは無いわけです。「周囲から見すてられた、もはや失うものは無い」と思うような人間が犯罪する。
 そもそも「現行犯逮捕でない限り」起訴時点では無罪の可能性もあるわけで、もし無罪判決が出たらどうする気なのか。俺個人は浅野健一「犯罪報道の犯罪」(講談社文庫)の指摘「少なくとも有罪判決が確定するまでは実名報道すべきでは無い」に共感する人間なので「成人の被告人」でも有罪判決が確定する前の実名報道には否定的な考えです。
 「ふざけた答申」「(悪い意味で)さすが自民党政権下の答申」と呆れざるを得ません。


「厳罰化で責任自覚を」少年法改正、被害者遺族の訴え - 産経ニュース
 正直な話「厳罰化すれば自覚する」本気で思ってるわけでは無く、感情論から加害者を痛めつけたいだけでしょう。気持ちとしては分からないでも無い。ただしそれが「社会的な意味があるかどうか」はまた別の話です。法制度とはそう言う感情論できめるべきものではない。


上智大生殺人放火24年 遺族が情報提供呼びかけ 「勇気出して一報を」 - 産経ニュース
 残念ながらもはや情報提供などあり得ないでしょうね。


【産経抄】9月9日 - 産経ニュース

 大正9年のウィンブルドン準決勝。「世界の庭球王」と呼ばれる米国のチルデンがラリー中に体勢を崩すと、相手の清水善造はあえて打ちやすいボールを送った。「やわらかなボール」として知られる「美談」は清水本人によって否定されている。

 まあ

清水善造 - Wikipedia
・日本人初のウィンブルドン出場者(1922年)でありベスト4に進出した。全米選手権(1920年)でもベスト8入りしており、次に全米ベスト8進出を果たす日本人男子は92年後の錦織圭である。
・1954年にデビスカップの日本代表監督に就任
・故郷である群馬県テニス協会は、清水善造の名を冠した大会『清水善造杯群馬県テニス選手権大会』を毎年夏の終わりから秋にかけて開催している

やわらかなボール・・・シミーの伝説 | どら猫でござる。
 つい、こないだ彼がベスト4入りを果たした時、各新聞やテレビで「(ボーガス注:全英、全米、全仏、全豪の4大大会で)日本人男子96年ぶりのベスト4!!」という文字が踊りました。
 ということは・・つまり96年前に、錦織選手!のような世界レベルの選手が日本にいた!ということです。
(中略)
 清水善造は1920年大正9年ウィンブルドンで男子シングルスのオールカマーズ決勝まで進出。
 翌1921年には世界ランク4位まで上がっています。
 この人を語る時必ずついてくる逸話。それは「やわらかなボール物語」。
 この話は「模範的なスポーツ精神」「美談中の美談」として戦前の旧制中学や女学校の修身、戦後も小学校の国語の教科書に載って広く、永く、少年少女たちに教えられました。
 時代が時代ですから日本の「武士道精神」「フェアプレーのあり方」など子供達への教育には持ってこいの話だったのかも知れません。
 もし、あの時清水選手がチルデンの背後に強いボールを返していれば優勝していたかも知れない・・・云々
 しかし、清水選手はそれをしなかった。というニュアンスで教科書は訴えている。
 いかにも「日本人の心」に響きやすい話です。
 本当にわざとゆるいボールを返したのか・・?
 これに対して清水選手は「僕の球はもともとゆるいからね。そういうふうに見えたかも知れない」
 肯定も否定もしていないのです。

という清水はまさに「日本テニス界の偉人」でしょうが戦前においてテニスは庶民向けスポーツとは言えず、戦後は戦後で「暫く前(?)の松岡修造や伊達公子」、「最近の錦織や大坂なおみ」が出るまではまあテニスなんか大して人気も無かったわけです。したがってテニス愛好家以外は清水なんかあまり知らない。小生も知りません。今回初めて知りました。

「ウイルスに関係なく開催する」。
 折しも国際オリンピック委員会のコーツ副会長が、来年の東京五輪パラリンピックについての見解を表明した。

 コーツが東京五輪をやりたくて仕方が無いことは分かりますが「来年7月までには終息すると思うので開催する」ならまだしも「コロナがどういう状況だろうと開催する」とは暴論でしか無い。
 批判の高まりに、さすがにIOCは「IOCの公式見解はそんな見解では無い」と否定、コーツすら「誤解があったようだが、私はそんなことは言ってない」と言い出す有様です。

【参考:やわらかなボール&清水善造】

やわらかなボール - 新小児科医のつぶやき
 「走れメロス」に続いて、国語の教科書で読んだ話の記憶です。実はもう一つぐらいしか記憶に残ってなくて、これが「やわらかなボール」(教科書の題は違ったかもしれません)です。メロスと違い、現在では教科書には採用されていない気もしますが、記憶に頼って当時の教科書の内容をアラアラに書き起こしてみます。

 テニスの世界最強を決めるデビス・カップの決勝で日本とアメリカが対戦しました。アメリカは大男のチルデン選手、日本は小柄な清水善造選手です。満員の観客は見ただけで大男のチルデン選手の楽勝だろうとささやきあいました。ところが試合が始まると清水選手は健闘し、後1点で勝つところまでになりました。最後の1点を争う長いラリーが続きましたが、その時にチルデン選手が突然足を滑らせて転倒してしまいます。誰もが清水選手の勝利を信じました。強いボールを打ち込めば、チルデン選手が打ち返すのは無理だからです。 ところがチルデン選手が足を滑らせて転んだのを見た清水選手は、なぜかやわらかなボールを打ち返します。これを何とか打ち返したチルデン選手は盛り返し、最後は逆転勝ちを収めます。敗れた清水選手ですが、相手の弱みに付けこまない立派な選手だと、勝ったチルデン選手以上の称賛を受けました。

 この話を知って何に驚いたかと言えば、日本がデビス・カップの決勝まで行った事がある事です。私の子どもの頃の日本のテニスはあんまり強くなくて、デビス・カップなんて予選止まりでした。もっともそれなりには強かった(坂井利郎神和住純の時代)のですが、当時のデ杯のシステムは地区予選と本大会の二本立てで、なおかつ日本が所属した東洋ゾーンにはなぜか強豪オーストラリア(ジョン・ニューカムケン・ローズウォールの時代)がいまして、どう頑張っても勝てなかったからです。それが決勝でアメリカと争った事があっただけでビックリ仰天状態でした。
◆清水善造伝説
 この「やわらかなボール」の検証は上前淳一郎氏が詳細にされています。検証の結果としては教科書のデ杯でのやわらかなボールは否定しています。では「やわらかなボール」はまったくの虚構かと言えばそうとも言い切れず、近いエピソードは間違いなくあります。どうも教科書に載せる時に適当にエピソードをつまみ食いしながら作り上げたんじゃないかとしています。事実としては日本はデ杯の決勝に進出していますし、そこで清水とチルデンが戦い、チルデンが勝ったのは事実だからです。
 それでは「やわらかなボール」のエピソードは完全にでっち上げかと言えば、これまた「そうではなさそう」の検証もなされています。手元に上前氏の本がないので記憶に頼らざるを得ないのが苦しいところですが、清水の活躍の舞台は全英オープンです。
 清水は全英オープンで大活躍し、1920年には決勝進出、1921年には準決勝進出を果たしています。これもまたビックリ仰天の記録です。
 1920年の決勝の相手が実はチルデン。チルデンは当時のテニス王とも言える強豪で清水は4-6、4-6、11-13と敗れています。この時の対戦に「やわらかなボール」的なエピソードがあったかと言えば、wikipediaより、

清水善造 - Wikipedia
 「やわらかなボール」が放たれたのは、1919年ウィンブルドン選手権オールカマーズ決勝(現在の準決勝)である。対戦相手のチルデンが足を滑らせて転倒、その時にゆっくりとしたボールを返したという。チルデンが態勢を立て直し、返球がエースに。「ヘイユー!ルック!!」とチルデンがラケットで指した所、観客がスタンディング・オベーションで清水に向かって拍手をしていた。結果としてチルデンが勝ち、二人が会場を後にしたものの、その後しばらく拍手が続いたという。

 これについて上前氏は生前の清水の話を関係者から取材されていました。清水自身は「チャンス」と思ったそうです。ただその時にチルデンが倒れた右側に打ち返そうか、それとも左側に打ち返そうかの判断を一瞬迷ったそうです。迷いながら打ち返したら「打ち損ねて」チルデンが打ち返しやすい打球になってしまったとの事です。清水自身は温情をかけるつもりはなかったのに、結果としてそうなってしまったのは心外みたいなお話です。その場面で清水が本当は何を考えたのかは確認しようもありませんが、生前の清水はそう語っていたとしています。
 もう一つ、「やわらかなボール」に関連する話が1921年の全英のオールカマーズ準決勝です。この時の対戦相手はスペインのマニュエル・アロンソ。この準決勝も清水は有利に試合を進めていたとなっていますが、ふと見るとスペイン国王が臨席されていたそうです。それを見た清水は「圧勝じゃ悪いかな?」の心がよぎったとされます。ところが試合の流れとは微妙なもので、清水がそう思った時から流れが変わり、結局この試合に敗れます。清水はどうやらこのエピソードを後年繰り返し話していたようです。もちろん慢心を戒める教訓としてです。
 どうもなんですが、1920年の全英のオールカマーズ決勝、1921年の準決勝、もちろん1921年のデ杯決勝のエピソードを組み合わせて出来上がった話ではなかろうかとされています。根強くと言えば1921年のデ杯のチルデン戦もそうで、この時はチルデンも体調不良もあり清水が2セット先取したとなっています。3セット目も5-4としてのマッチポイントで線審が故意にレットの宣告を行い、清水のペースを狂わせてチルデンの逆転勝ちを招いた伝説です。(ボーガス注:レットの宣告は不正でもなんでもなく)これは伝説と言うより(ボーガス注:清水を持ち上げるための清水ファンによる後世の)完全なフィクションであると上前氏は詳細に検証されていました。
 ついでですからもう一つ。上前氏の記述に清水のショットは「やわらか」ならぬ「ゆるく」見えたともなっています。上述した全英のチルデン戦のエピソードも「打ち損じた」と言う表現の他に、自分のショットが強烈なものでないので、「やわらか」と誤解されたのは、もともと「そんなショットである」との記述もあった記憶があります。どうにも雲をつかむようなお話ですが、参考までに付け加えておきます。
チルデン
 さてチルデンですが、全盛期の清水でも届かなかった強豪です。長身から繰り出される「キャノンボール」と称された強烈なサーブも有名ですが、他の技術も優れていたとなっています。4大大会10勝は歴代6位となっていますが、これも時代を考慮する必要があり、現在のようにワールド・ツアーで世界を転戦できる時代ではありませんでした(大陸間の移動は船ですからねぇ)。さらに言えば全仏は1924年までフランス人だけの大会でチルデンには出場資格すらなかった時代です。当然清水にも出場資格はなく、全英では活躍していても全仏に足跡がないのはそのためです。当時もアメリカのテニスは世界一でしたが、チルデンは全米で7度の優勝を飾っており歴代1位です。残りは清水にも勝った全英を3回制しています。まさにテニス史に残る強豪であり、当時はテニス王の名を欲しいままにしていたぐらいで良さそうです。
 ただチルデンには光と影があります。光は上述した通りですが、影は栄光を極めた後に訪れます。当時のプレーヤーはアマチュアです。清水も本職は三井(ボーガス注:生命)の社員です。スターであったチルデンはアマチュアであることに飽き足らずプロに転向します。つうてもプロ組織自体がなかったので、自分でチルデン・ツアーと言うプロ組織を作ってのものです。しかし運営はドンブリ勘定で次第に苦しくなったようで、晩年は安ホテルでアマチュア時代に獲得した銀杯を切り売りしながらの貧乏生活を余儀なくされます。「さらに」があり、チルデンには少年愛の嗜好があり、これが問題視されて実刑まで受けています(大スキャンダルだったようです)。そのためにテニスでチルデンの事を語るのは長い間タブーになっていたとも伝えられます。
(中略)
 でもって今は錦織圭の時代です。新たな伝説を残してくれる事に期待します。

 まあ俺的には「清水のやわらかいボール伝説」「モハメド・ラシュワン - Wikipedia山下泰裕」の話を連想しますね。最近の若者は「何、それ?」でしょうが(さすがに山下は知ってるかと思いますが)。
 まあそういう「美談」が一部の日本人は「大好き」なわけです。俺は「ホンマかいな?」「都市伝説と違うのか?」と思いますが(清水の話は明らかに都市伝説ですね)。

「やわらかなボール」 : 鵠沼日乗
 錦織圭選手が全米のベスト8に進んだ時に清水善造さんの名前が出てきたので、久しぶりに上前淳一郎の「やわらかなボール」を読みたくなり、本棚を探していたら「さらば麗しきウィンブルドン」と並んでいたので2冊取り出して読み始めました。
 「やわらかなボール」は日本のテニスの黎明期に活躍した清水善造を主人公に熊谷一弥柏尾誠一郎の活躍をトレースした1982年の書き下ろし作品ですが、いま読み返してみても実に味わい深いドキュメンタリーです。残念ながら絶版になっているようで後に文庫化されたものにもAmazonで3000円の値が付いていました。

清水善造メモリアルテニスコートに 高崎市命名、有名選手にちなみ - 産経ニュース
 高崎市は、浜川運動公園で整備を進めているテニスコート(同市井出町)を「清水善造メモリアルテニスコート」と命名した。
 清水善造(1891~1977年)は旧箕輪村(現高崎市箕郷町)出身。1920年のウィンブルドン選手権に日本人として初めて出場した歴史的プレーヤーとして知られる。その名を冠したネーミングには「次世代を担う子供たちにとってあこがれの聖地になるように」との願いを込めたという。


【参考:チルデン】

テニスの偉人チルデンの記念碑設置がまたも却下
 ペンシルベニア州歴史博物館委員会は、1940年代のチルデンの有罪判決を理由に挙げ、フィラデルフィアのジェルマンタウン・クリケットクラブに記念碑を設置するプランを却下した。チルデンは14歳の少年とともに車の中にいるところを警察に捕らえられたあと、刑務所で7ヵ月を過ごし、また保護観察期間に違反を犯したかどで、さらに10ヵ月の間、監獄農場(※模範囚・危険のない囚人が仕事をさせられる場所)に送られた。
 「チルデンのテニスプレーヤーとしてのキャリアと彼の才能は議論の余地なきものである。その一方で、未成年者との性的違法行為で有罪判決を受けた事実もある」と委員会のスポークスマン、ハワード・ポールマンは言った。
「彼を歴史的偉人と認めることは、性的虐待を受けた被害者への敬意を欠く行為と受け取られるかもしれない」とポールマン。

*1:中曽根内閣科学技術庁長官、宮沢内閣官房長官自民党総裁、村山、小渕、森内閣外相、衆院議長など歴任