安倍晋三にとって第2次安倍政権を1人の官房長官で通したのは、強みであったが、同時にマイナスでもあったしまたその後もそれを引きずるのだろう

安倍晋三にとって第2次安倍政権を1人の官房長官で通したのは、強みであったが、同時にマイナスでもあったしまたその後もそれを引きずるのだろう - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)について色々コメントしてみます。

>現憲法下では当初、天皇の認証対象とならない非認証官であったが、1963年(昭和38年)に当時の池田勇人*1首相が、首相の意を受けて大臣に指示するには、大臣と同格にする必要があると判断し、第2次池田内閣 (第2次改造)時代の同年6月11日から認証官となった。それまでは形式上は大臣より格下ポストだったのが、ようやくここで完全な大臣待遇となった。
とあります

歴代の内閣官房長官 - Wikipediaによれば
1)「将来の政界入り」を前提にし、
2)元運輸次官という大物官僚OBであり、
3)吉田*2政権時において国会議員となり、吉田政権時において、既に自由党幹事長(吉田総裁時代)、吉田内閣郵政相、建設相の要職を歴任したとは言え、第2次吉田内閣官房長官だった佐藤栄作*3が「官房長官当時は国会議員で無かった」のもそうした背景が一つにはあるのでしょう。

中曽根内閣(1982.11.27~1987.11.6):後藤田正晴*4藤波孝生後藤田正晴(再任)

 中曽根に「官房長官」として厚遇された「中曽根派の若手(?)」藤波*5は後に皮肉にも「リクルート事件の被告(有罪判決が確定)」となり、自民離党を余儀なくされ、政治家として挫折することになります。

上の官房長官と幹事長を確認しますと、たぶん佐藤政権や中曽根政権での福田赳夫*6、竹下*7といったひとたちは 自分の跡継ぎという意味合いもあったのかと思います。小泉政権で、小泉氏が安倍晋三を幹事長と官房長官に起用したのも、つまりは自分の次の首相は安倍となるであろうという目論見からのものでしょう。事実安倍は、この小泉政権下での官房長官就任が、首相以外では最初で最後の入閣です(というのもどうかと思います)。

1)「佐藤政権での福田」についていえば、佐藤は福田を「佐藤内閣蔵相、外相、自民党幹事長」などの要職につけながらも、「福田の最大のライバル田中角栄*8」を「できれば干したかった」かもしれませんが、「完全に干すこと」などさすがにできず、「佐藤内閣蔵相(池田内閣からの留任)、通産相自民党幹事長」などの要職に就けたことで福田は総裁選で田中に敗北します。特に田中が佐藤内閣蔵相在任中に「山一証券倒産*9の危機を日銀特別融資で押さえ込んだこと」、佐藤内閣通産相在任中に「前任者たち(大平正芳*10通産相宮沢喜一*11通産相)が妥結できなかった日米繊維交渉を成立させたこと」は言うまでも無く「政治家としての大きな業績」であり、田中の首相就任にも「それなりに貢献した」と見るべきでしょう。安倍の場合、そうした「本当に評価に値する成果」など田中と違い何もないままで「巣くう会や家族会のごり押し」で首相就任ですから「何ともなあ(呆)」ですね。
2)中曽根*12について言えば「ポスト中曽根三人(いわゆる安竹宮、ニューリーダー)」のうちでは、政治的には恐らく一番「岸の女婿で改憲右派の安倍晋太郎(中曽根政権で長きに亘り外相、現首相安倍の父)」が近かったのでしょうが、「最大派閥のボス・竹下」を無視して安倍晋太郎を後継総裁に推すなんて事は中曽根にもさすがにできなかったわけです。
3)「ポスト福田官房長官が『安倍官房副長官』ではなく細田官房副長官*13であること」「安倍が拉致を悪用して幹事長、官房長官に成り上がる以前はむしろ谷垣氏*14財務相として、福田氏が官房長官として長きに亘り在任していたこと」「安倍がずっと幹事長をやったわけでは無く、また副総裁には山崎拓*15元幹事長がいたこと」「安倍が官房長官をやったのは小泉政権末期であること」などを考えれば小泉氏は本当は安倍という男の才能や人間性を大して評価してなかったのでしょう。
 巣くう会、家族会によって安倍の政治力が高まる中、それを「政権維持に利用する」とともに、「どうせならそれなりに経験を積ませよう」つうことでしょう。巣くう会、家族会の安倍プッシュが無ければ、奴に首相の目があったかどうか。何せ奴が政権の要職に就くのは「拉致を政治利用してからの小泉政権」だけです。岸*16元幹事長の息子という「毛並みの良さ」がありながら、「巣くう会、家族会のプッシュがあるまでは」ろくに要職に就けないのだからはっきりいって「無能以外の何物」でもないでしょう。
 別に「麻生がすごく優秀」とも思いませんが、この点では麻生*17は安倍とは違い「橋本内閣経済企画庁長官、森内閣経済財政担当相」として安倍と違い、小泉政権以前に入閣を果たしています。
 なお、「安倍の幹事長就任」の理由の一つ(?)は「幹事長だった山崎氏の女性スキャンダル(不倫スキャンダル)」であり、それがなければ果たして安倍が幹事長になったかどうか。ある意味、安倍も「幸運な男」ではあるでしょう。そして安倍のモリカケ桜を見る会などの酷さを考えれば「女性スキャンダルがあっていい」とは言いませんが、山崎氏の幹事長退任にはなんとも複雑な思いがします。

中曽根内閣:田中六助→金丸信*18竹下登

 田中六助*19(1922~1985年)つうのは鈴木善幸*20派の幹部で、宮沢喜一(1919~2007年)と「鈴木派の後継者」を争った御仁ですが糖尿病をこじらせて早死にしたことで、宮沢が派閥後継者になります(田中六助 - Wikipedia)。
 この宮沢と田中の対立は彼らの名前から「一六戦争」と呼ばれました。まあいま「一六戦争」というと小沢一郎*21が『小沢氏と対立した梶山静六*22』によって自民党離党に追い込まれた竹下派の内紛を一般には意味するんですけど。
 また金丸(幹事長就任前も自民党総務会長として、幹事長退任後も中曽根内閣副総理として中曽根内閣の中枢に存在)、竹下と長きに亘って、竹下派幹部が「幹事長ポスト」を確保したことはやはり、竹下の首相就任においてはプラスとなったのでしょう。

 福田が首相になるのは、その後の三木を経なければなりませんでした。

 以前、別記事で書きましたが

今日の産経ニュース(2020年8月29日分) - bogus-simotukareのブログ
 小生が以前読んだ本(五十嵐仁*23『戦後政治の実像』(2003年、小学館))によればまず第一に「青天の霹靂」と言う三木の言葉は大嘘であり、彼は椎名による「三木指名」を事前に知っていました。それどころか、三木だけで無く、有力派閥ボス「三角大福中」全員が事前に知っていました。三木指名に反発して党内が割れることを恐れる椎名が裁定発表前に党内に根回ししていたわけです。
 第二に椎名の三木指名は驚きを持って受け止められました。
 というのも

◆椎名は戦前、岸信介の部下(岸商工相(東条内閣)の下で商工次官)
◆岸の誘いで政界入り。岸内閣で官房長官に就任
◆岸の弟・佐藤栄作が首相(自民党総裁)に就任すると佐藤内閣外相、通産相自民党総務会長を歴任

という経歴でわかるように、椎名は明らかに「岸・佐藤人脈」であり、彼の裁定結果は「福田赳夫」「中曽根」「保利茂*24」など「岸・佐藤に考えが近いタカ派(福田や中曽根)」や「岸、佐藤の子分筋(福田や保利)」が選ばれるのでは無いかとみられていたからです。
 しかしこれも五十嵐仁『戦後政治の実像』(小学館)によれば「事前に椎名が岸や佐藤と謀議を重ねて決めたこと」でした。
 なぜ、タカ派の岸、佐藤があえて「ハト派の三木」の指名を画策したかと言えば
1)福田を支援する岸、佐藤兄弟にとって「前首相で党内最大派閥のボス」田中が支援する大平の総裁就任は絶対に避けたい。しかし、大平VS福田の総裁選となった場合、勝てる保証がない。とはいえ、椎名の裁定で「選挙なしで福田」にしては田中、大平が反発して最悪の場合、彼らが離党して新党結成に動く危険性がある。そこまで行かなくても、反主流派として公然と福田政権の足を引っ張りかねない
2)ならばワンポイントリリーフとして三木を立てるのはどうか。三木なら少数派閥なので、いざとなったら、三木おろしを仕掛けることも容易だろう
→性格が違うとは言え、今回も「菅官房長官のワンポイントリリーフ説」が浮上しています。
3)三木ならばハト派でクリーンなので野党受けもいいだろう。田中金脈疑惑で危機に陥った自民党政治のイメチェンにもなる
4)二階堂*25擁立工作のような「三木擁立工作」の動きが公明党民社党にあること(その場合、三木が新自由クラブ新生党新党さきがけみんなの党などのように自民を離党して三木新党を結成する)に気づいたので先手を打ってそれを潰す
5)三木はハト派とは言え、過去に自民党政調会長(岸総裁時代)、岸内閣科学技術庁長官(経済企画庁長官兼務)、佐藤内閣通産相、外相を務めたことがあるのでそんなに岸や佐藤と対立するような無茶苦茶もしないのでは無いか
6)これから体勢を立て直してポスト三木での「福田の総裁選勝利を目指そう」
などという岸らの思惑があったわけです。五十嵐氏は「あえて三木を擁立した岸、佐藤兄弟」を「敵ながらなかなかの知恵者」として評価しています。

であり「三木の首相就任」は「岸、佐藤兄弟の画策だった」ようです。

 谷垣氏は事故でどっちみち政治家を引退

 事故というのが報道によれば「趣味のサイクリングでの事故」ですからねえ。「どんなサイクリングしてたんだよ?」つう話ですよねえ。
 「無謀運転車が自転車めがけて突っ込んできたのであって谷垣氏には非は全くない。サイクリングやってなくてもあり得た事故」ならともかくそうでないなら冷たい物言いになりますが「脇が甘い」ですよねえ。まあ、「死ななかったこと」「半身不随で寝たきりのような悲惨な状態にならなかったこと」だけは「不幸中の幸い」ですが。

 報じられているところによれば、安倍は、自民党政調会長である岸田文雄*26を、自分の次の自民党総裁(首相)にしたかったよう

 それにしては随分あっさりと菅擁立に同意したもんだなあとは思います。
 疑えば「当初から菅後継狙いで岸田をだましていた」、そこまで酷くなければ「モリカケなどの不正を押さえ込むには共犯である菅しかいない」「改憲などのあんたの野望が実現する可能性もあんたの子分の菅ならわずかながらある」とでも二階氏や麻生に説得されたという所でしょうか?
 しかし既に野党支持層を中心に指摘がありますが「改憲右派・岸の後の経済の池田」「金脈辞任田中の後にクリーン三木*27」「リクルート竹下の後に非リクルート海部*28」「極右安倍の後に(リベラルでは無いにせよ)安倍ほどの極右では無い福田*29」とある種の「バランス」をとってきた自民が「安倍直系の菅か」と思うと「何だかなあ」ですね。

 (ボーガス注:第二次安倍内閣行革相、自民党政調会長、第三次安倍内閣防衛相をやらせた)稲田朋美を自分のイデオロギーを引き継ぐ人間にしたかったのでしょうが、これはまったくの失敗でした。稲田の能力が低すぎた。

 とはいえ、防衛相辞任後の今、稲田は「幹事長代行」ですからねえ。やはり安倍は稲田に対しては「甘い」のでしょう。まあ、二階*30幹事長にとっても「大物政治家とは言いがたい」稲田が「幹事長代行」であることは「幹事長の自分が、幹事長代行に制約されず好き勝手できる」と言う意味で都合がいいのでしょうが。

山口県てどんだけ右翼の県なのよと驚きます

 別の拙記事で

新刊紹介:「経済」10月号 - bogus-simotukareのブログ
◆「陸上イージス」挫折の背景(藤岡惇)
(内容紹介)
 挫折の背景が何かと言えば「自民党支持層からも反対の声が出たこと」につきると言っていいでしょう。
(中略)

早急な決定に感謝 イージス配備撤回で山口県知事 :日本経済新聞
 「イージス・アショア」の配備計画撤回について山口県の村岡嗣政知事は25日、河野太郎防衛相から同日朝に電話で連絡があったことを報道陣に明らかにした。村岡知事は政府が撤回を早急に決定したことを感謝したうえで、「過去2年あまり対応に苦慮してきた地元に対し、今後丁寧に説明することを要請した」と語った。

(中略)
 反対運動のあった秋田や山口なんか一般には「自民党王国」扱いですよねえ。山口なんか言うまでも無く安倍の地元ですし、県知事も当然(?)自民系ですし。恐らく安倍は「ああいう男」ですから「山口は俺の地元だし、今は神奈川選出とは言え、菅官房長官は秋田出身だ。両県共に、首長も自民党系の自民王国だし、イージス配備に支障は無い。野党が反対したって無視すればいい」と軽く考えてたでしょうから、意外と「ショック」だったかもしれない。
 そこには「北朝鮮のミサイルガー」には「自民党支持層」に対してすら、まるで説得力が無いという問題も勿論あります。

と書きましたがそんな右翼県・山口ですら地上イージス配備は地元住民から「ノー」が出たわけです。

少なくとも総裁3期目からは、もう少し若手を起用する必要があったのではないか((ボーガス注:現在、環境相の)小泉進次郎では、とてもそんなレベルではないでしょう)。

 まあ「安倍は人材を育てようとしてない」という批判を安倍も多少は気にしていたからこその

加藤勝信 - Wikipedia
 第3次安倍第1次改造、第2次改造内閣一億総活躍等担当相、第3次安倍第3次改造、第4次安倍内閣厚労相自民党総務会長などを経て、現在、第4次安倍第2次改造内閣厚労相
河野太郎 - Wikipedia
 第3次安倍第1次改造内閣国家公安委員会委員長、第3次安倍第3次改造、第4次安倍内閣外相を経て、現在、第4次安倍第2次改造内閣防衛相
茂木敏充 - Wikipedia
 第3次安倍第3次改造、第4次安倍、第4次安倍第1次改造内閣経済財政担当相を経て、現在、第4次安倍第2次改造内閣外相

などといった登用なのかという気はします(彼らの登用を好意的に評価するにせよ否定的に評価するにせよ)。

*1:大蔵次官から政界入り。吉田内閣蔵相、通産相、石橋内閣蔵相、岸内閣蔵相、通産相などを経て首相

*2:東久邇宮、幣原内閣外相を経て首相

*3:自由党幹事長(吉田総裁時代)、吉田内閣郵政相、建設相、岸内閣蔵相、自民党総務会長(岸総裁時代)、池田内閣通産相科学技術庁長官などを経て首相

*4:警察庁長官から政界入り。大平内閣自治相・国家公安委員長、中曽根内閣官房長官、宮沢内閣副総理・法相など歴任

*5:大平内閣労働相、中曽根内閣官房長官自民党国対委員長(中曽根総裁時代)など歴任

*6:大蔵省主計局長から政界入り。岸内閣農林相、自民党政調会長(池田総裁時代)、幹事長(佐藤総裁時代)、佐藤内閣蔵相、外相、田中内閣行政管理庁長官、蔵相、三木内閣副総理・経済企画庁長官などを経て首相

*7:佐藤、田中内閣官房長官、三木内閣建設相、大平、中曽根内閣蔵相、自民党幹事長(中曽根総裁時代)などを経て首相

*8:岸内閣郵政相、池田内閣蔵相、佐藤内閣通産相自民党政調会長(池田総裁時代)、幹事長(佐藤総裁時代)などを経て首相

*9:まあその後、山一は皮肉にも1997年に倒産しますが

*10:池田内閣官房長官、外相、佐藤内閣通産相、田中内閣外相、蔵相、三木内閣蔵相、自民党幹事長(福田総裁時代)などを経て首相

*11:池田内閣経済企画庁長官、佐藤内閣通産相、三木内閣外相、福田内閣経済企画庁長官、鈴木内閣官房長官、中曽根、竹下内閣蔵相などを経て首相。首相退任後も小渕、森内閣で蔵相

*12:岸内閣科学技術庁長官、佐藤内閣運輸相、防衛庁長官、田中内閣通産相自民党幹事長(三木総裁時代)、総務会長(福田総裁時代)、鈴木内閣行政管理庁長官などを経て首相

*13:小泉内閣官房長官自民党幹事長(麻生総裁時代)、総務会長(第二次安倍総裁時代)など歴任

*14:小泉内閣国家公安委員長財務相自民党政調会長(福田総裁時代)、福田内閣国交相自民党総裁、第二次安倍内閣法相、自民党幹事長(第二次安倍総裁時代)など歴任

*15:宇野内閣防衛庁長官、宮沢内閣建設相、自民党国対委員長(河野総裁時代)、政調会長(橋本総裁時代)、幹事長、副総裁(小泉総裁時代)を歴任

*16:戦前、満州国総務庁次長、商工次官、東条内閣商工相を歴任。戦後、日本民主党幹事長、自民党幹事長(鳩山総裁時代)、石橋内閣外相を経て首相)元首相の孫、安倍((三木内閣農林相、福田内閣官房長官自民党政調会長(大平総裁時代)、鈴木内閣通産相、中曽根内閣外相、自民党幹事長(竹下総裁時代)など歴任

*17:橋本内閣経済企画庁長官、森内閣経済財政担当相、小泉内閣総務相、外相、第一次安倍内閣外相、自民党幹事長(福田総裁時代)を経て首相。現在、第二~四次安倍内閣副総理・財務相

*18:田中内閣建設相、三木内閣国土庁長官福田内閣防衛庁長官自民党国対委員長(大平総裁時代)、総務会長、幹事長(中曽根総裁時代)、中曽根内閣副総理、自民党副総裁(宮沢総裁時代)等歴任

*19:大平内閣官房長官自民党政調会長(大平総裁時代)、鈴木内閣通産相自民党幹事長(中曽根総裁時代)など歴任

*20:池田内閣郵政相、官房長官、佐藤内閣厚生相、福田内閣農林相、自民党総務会長(佐藤、田中、大平総裁時代)などを経て首相

*21:中曽根内閣自治相・国家公安委員長自民党幹事長(海部総裁時代)、新生党代表幹事、新進党党首、自由党党首、民主党幹事長など歴任

*22:竹下内閣自治相・国家公安委員長、宇野内閣通産相、海部内閣法相、自民党幹事長(宮沢総裁時代)、橋本内閣官房長官など歴任

*23:法政大学名誉教授。全国革新懇代表世話人。著書『徹底検証 政治改革神話』(1997年、労働旬報社)、『政党政治労働組合運動』(1998年、御茶の水書房)、『この目で見てきた世界のレイバー・アーカイヴス』(2005年、法律文化社)、『労働再規制』(2008年、ちくま新書)、『労働政策』(2008年、日本経済評論社)、『対決 安倍政権:暴走阻止のために』(2015年、学習の友社)、『活路は共闘にあり:社会運動の力と「勝利の方程式」』(2017年、学習の友社)、『打倒安倍政権:9条改憲阻止のために』(2018年、学習の友社)など。個人ブログ五十嵐仁の転成仁語:SSブログ

*24:吉田内閣労働相、官房長官、農林相、自民党総務会長(池田総裁時代)、幹事長(佐藤総裁時代)、佐藤内閣建設相、官房長官、田中内閣行政管理庁長官、衆院議長など歴任

*25:佐藤内閣科学技術庁長官、田中内閣官房長官自民党総務会長(鈴木総裁時代)、幹事長(鈴木、中曽根総裁時代)、副総裁(中曽根総裁時代)など歴任

*26:第一次安倍、福田内閣沖縄・北方等担当相、第二次、第三次安倍内閣外相を経て自民党政調会長

*27:国民協同党書記長、委員長、片山内閣逓信相、改進党幹事長(重光総裁時代)、鳩山内閣運輸相、自民党幹事長(石橋総裁時代)、政調会長(岸総裁時代)、岸内閣科学技術庁長官(経済企画庁長官兼務)、池田内閣経済企画庁長官、自民党政調会長、幹事長(池田総裁時代)、佐藤内閣通産相、外相、田中内閣副総理・環境庁長官などを経て首相

*28:自民党国対委員長(三木総裁時代)、福田、中曽根内閣文相を経て首相

*29:森、小泉内閣官房長官を経て首相

*30:小渕、森内閣運輸相、小泉、福田、麻生内閣経産相自民党総務会長(第二次安倍総裁時代)を経て幹事長