今日の朝鮮・韓国ニュース(2020年10月10日分)

朝鮮新報電子版がリニューアル! – イオWeb

 「もっと身近に、もっと便利に」をコンセプトにリニューアルされた

 「有料記事ばかりになったのにそういうこというか!」感が否定できません。正直、「色々な事情があって単純比較できないでしょうが」、朝日、読売、毎日、産経、日経、東京新聞しんぶん赤旗などと比べると有料記事ばかりなんですよねえ。


朝鮮新報が無料会員登録制度がなくなった上に「途中までしか読めない」有料会員記事ばかりになってがっかりする
 最近そのように制度が変更されたみたいですね。小生は無料会員登録で読んでいたのですが、改めて有料会員登録するかどうか少し悩んでいます(なお、今のところ、どのネット上の新聞サイトも無料登録をしているところはありますが、有料登録したところはどこもありません)。
 なお、有料登録で無くても「お試しで1回は登録の日から2週間だけ無料で読める」ようです。
 但しその後は2週間内の猶予期間中に退会(登録解除)しないと、2週間経過後も有料登録に申し込んだモノと見なされるので、有料登録を希望しない場合は2週間内に退会する必要がある(2週間経過後に改めて入会申し込みしないと退会したと見なされるのではない点に注意が必要)。なお、「有料登録システムのシステム整備期間」のため、有料登録が可能なのは15日(木)以降です。10日(日)~14日(水)までは、従来、有料会員で無かった人間は「お試し制度」しか利用できません。
 なお、朝鮮日報と共にブログ記事を書くのに活用していた「日刊イオ」の方は将来はともかく、現時点では全て無料で読めます。


北朝鮮、新型ICBM公開 正恩氏、抑止力強化―未明の軍事パレード・党創建75年:時事ドットコム

 軍事パレードの開催は建国70周年の2018年9月以来。金正恩体制下では軍事パレードは主に午前10時から同11時に行われており、未明の開催は異例だ。

 やはりどうしても「何故夜間なのか?」という疑問は感じますね。


中国、北朝鮮との関係アピールで米を牽制 習近平氏が金正恩氏に祝電 - 産経ニュース
 牽制と言えば、牽制なのでしょうが、それは「米国が北朝鮮政権転覆を画策しても認めなどしない」程度の意味にとどまるかと思います。
 もちろんその程度でも「北朝鮮にとっては大いにありがたい」でしょうが。


【久保田るり子の朝鮮半島ウオッチ】文政権が固執する「終戦宣言」 狙いは在韓米軍撤退 - 産経ニュース
 「終戦宣言」とは「朝鮮戦争の」ですね。朝鮮戦争は建前では「停戦中」であり、在韓米軍も建前では「国連軍」です。38度線も建前では国境では無く「停戦ライン」にすぎない。そして米朝南北朝鮮の間には今も正式な国交はありません。北朝鮮も韓国も建前ではお互いを「反政府勢力扱い」であり国家扱いはしていません。
 で、「産経はデマも大概にしろ」ですね。
 まず第一に文在寅*1政権は「朝鮮戦争終戦宣言は在韓米軍撤退の第一歩」なんて一言も言ってない。
 第二に「朝鮮戦争終戦すら出来ずに核廃棄なんか出来るわけが無い」。「戦争状態を正式に終結させてから」でなければ北朝鮮が「世界最強の軍事大国・米国相手」に核廃棄し、「無防備になること」はありえないでしょう。
 とはいえ「在韓米軍が撤退して何か問題があるのか?」ですね。北朝鮮と韓国が互角の経済力、軍事力であり、北朝鮮を積極的に中ソが支援していた「朝鮮戦争当時」と違い、「朴正熙政権による経済成長(いわゆる『漢江の奇跡』)以降」は韓国と北朝鮮の軍事力と経済力には大きな差があります。
 その差はもはや中露(冷戦時代は中ソ)の北朝鮮支援で埋められるようなもんでは無い。もはや北朝鮮の韓国侵攻の脅威など無い。
 だからこそ「米国内や韓国内の反対」で挫折したモノの、一時カーター*2政権は「在韓米軍の撤退」を検討している旨、表明したわけです。
 そのものズバリの題名である、村田晃嗣大統領の挫折:カーター政権の在韓米軍撤退政策』(1998年、有斐閣)なんて本もあるようです。
 あるいは文世光事件 - Wikipediaによれば

 この事件のため、日韓関係は日韓国交正常化後、最悪の状態に陥った。韓国側の捜査によれば、朝鮮総連の犯行関与は明白であったにも関わらず、韓国側の捜査要求に対し、日本側が朝鮮総連の捜査を行わなかったこと、文が所持していた拳銃が大阪府内の派出所より盗まれたものなのにそれについて明確な日本側の謝罪が無かったことによる。
 日本側の対応に対し、朴正熙大統領は「日本は本当に友邦なのか?」と激怒し、ついには「(田中訪中で国交正常化した)中国だけが(日本にとって)一番(大事)なのか。(日本と断交しても)安保、経済に問題はない」、「日本は(北朝鮮の)赤化工作の基地となっている」という言葉まで出た。しかし、朴大統領の側近が「このまま国交断絶してしまえば、今までの苦労が水の泡になってしまう」と説得し、日韓双方で、
・日本政府が遺憾の意を表明する。
・かかる事件の再発防止。
・捜査についての日本政府の協力。
という内容で合意し、最悪の事態はまぬがれた。
 事件から4日後の1974年8月19日に韓国内で執り行われた朴の妻の葬儀(国葬)において、日本からは田中角栄*3首相が出席した。その際、田中首相の「えらい目に遭われましたね」という言葉に朴は言葉が軽すぎるとむしろ憤慨したと言われている。
 加えて、8月29日に木村俊夫*4外相が国会答弁の中で「客観的に見て、韓国には北朝鮮による(軍事侵攻の)脅威はない」と述べたことで、かねてから日本国内でKCIA(韓国中央情報部)が実行した金大中*5拉致事件(1973年8月に発生)に対する日本からの非難を受けたことにより鬱積していた反日感情が一気に爆発、連日日本大使館前には抗議のデモ隊が押し寄せ、9月6日には群衆が日本大使館に乱入し日章旗を焼き捨てる事態にまで発展した。その後急速に関係は悪化し、国交断絶寸前にまで至った。
 事態を見かねた日本政府は9月19日に自民党親韓派の重鎮として、韓国国内でも評価の高かった椎名悦三郎*6副総裁を政府特使として訪韓させ、両国間での問題決着がはかられた。朴は椎名との面談の席上で、「日本が引き続き、こんな風な姿勢を取れば、友邦とは認められないのではないか」、「(日本の姿勢は)政治と外交、法律に関係なく、東洋の礼儀上、ありえないこと」、「日本外務省には秀才やエリート官僚が集まっていると聞いたが、どうやってこのような解釈ができるのか」など、激しい言葉で日本を非難した。退出した椎名副総裁は「長い公職での人生でこれほど罵倒されたことはなかった」と憤懣やるかたない表情で語り、付き添っていた金鍾泌首相があわててなだめる一幕もあったという。

なんてことでわかるように日本側だって1970年代時点で「韓国への北朝鮮による軍事侵攻の可能性がある」なんて考えてません(赤字強調は小生による)。「1968年の青瓦台襲撃事件」が「北朝鮮の大規模侵攻」の「最後」ですから全く当然の認識でしょう。
 その後のラングーン事件全斗煥暗殺未遂、1983年)、大韓機爆破事件(1987年)などは大規模侵攻ではありません。
 木村外相は「佐藤内閣官房長官を務めた佐藤*7首相の側近」であり、当然ながら北朝鮮シンパの訳もない。

*1:1953年生まれ。盧武鉉政権大統領秘書室長、「共に民主党」代表を経て大統領

*2:1924年生まれ。ジョージア州知事(1972~1975年)を経て大統領(1977~1981年)。2002年ノーベル平和賞受賞者。

*3:1918~1993年。岸内閣郵政相、池田内閣蔵相、佐藤内閣通産相自民党政調会長(池田総裁時代)、幹事長(佐藤総裁時代)などを経て首相

*4:1909~1983年。佐藤内閣官房副長官官房長官経済企画庁長官、田中内閣外相など歴任。佐藤内閣官房副長官官房長官として沖縄返還交渉に関わったことで知られる。

*5:1925~2009年。後に韓国大統領(1998~2003年)。2000年ノーベル平和賞受賞者。

*6:1898~1979年。戦前、岸信介商工相(東条内閣)の元で商工次官。戦後、岸の誘いで政界入り。岸内閣官房長官自民党政調会長(池田総裁時代)、池田内閣通産相、外相、佐藤内閣外相、通産相自民党総務会長(佐藤総裁時代)、副総裁(田中、三木総裁時代)など歴任。佐藤内閣外相時代に日韓国交正常化に関わったことやいわゆる「椎名裁定(ポスト田中の首相に三木武夫を指名)」で知られる。

*7:1901~1975年。運輸次官から政界入り。自由党幹事長(吉田総裁時代)、吉田内閣郵政相、建設相、岸内閣蔵相、自民党総務会長(岸総裁時代)、池田内閣通産相科学技術庁長官などを経て首相