ある意味「贅沢な映画」である「砂の器」

http://www.j-kinema.com/suna-no-utsuwa.htm
 名シーンはたくさんある。
 後半の加藤嘉と春日和秀の旅のシーン群、粥を二人ですするところや 学校の体育の授業を見つめる春日和秀、二人を追い出す浜村純の警官、丹波哲郎の切々と語るセリフ回し(別にラストの捜査会議のシーンだけでない。「それでは東北弁、いや出雲弁の『カメダ』が」と言ったような何気ないセリフまで)
 親子の旅の美しい映像と音楽、極めつけは加藤嘉の「そ、そんな、しと、しらねぇぇぇ!!」
 いやそれだけではない。ワンシーンしか出演しないバイプレーヤーたち。
 「田舎のことで大きな犯罪というのはありませんでねえ」という(ボーガス注:三木謙一・元巡査(緒形拳)の元同僚である)元巡査の花沢徳衛
 「東京の方だから気をつけてるんですよ。土地のもん同士だったらこうは」という(ボーガス注:三森署巡査の)加藤健一*1
 「昔の事やねえ、確か昭和18年の夏やった」の菅井きん(ボーガス注:本浦千代吉(加藤嘉)の義理の姉)、
 「あの、何か事件に関係が・・」の渥美清(ボーガス注:三木が映画を見た三重県伊勢市の映画館「ひかり座」の支配人)、
 「(ボーガス注:東北弁は東北にしかないが、)しかし音韻が類似してるところは(ボーガス注:島根県に)ありますよ」の(ボーガス注:国立国語研究所・桑原技官役の)信欣三*2
 「あそこですよ、あそこ。あの角にタバコ屋がおまんなあ」と答える殿山泰司(ボーガス注:大阪の某商店街組合長)、
 「お話の様子では内宮と外宮をお参りになり、鳥羽までお見えになったようでした」の春川ますみ(ボーガス注:三木が宿泊した三重県伊勢市の旅館「扇屋」女中)、
 「わざわざ遠方*3まで起こしいただいてご苦労なことです。しかしこの村であの人*4に恨みを持つようなものは・・・」という笠智衆、それだけではない、聞き込みの一人一人の名も知れない俳優たちの顔もしっかり記憶に焼きついている。
 そしてこの映画の圧倒的な迫力に押されて帰ってきたのだ。
 今回初めて気がついたが後半の親子の旅のシーン、あれ、元ネタはチャップリンの「キッド」ではないだろうか?
 「キッド」でも親子の食事のシーンはあったし、亀嵩駅で親子が抱き合うシーンはチャップリンが孤児院に連れて行かれる子供を救い出すシーンの裏焼きだ。「キッド」と「砂の器」を結びつけた文章はお目にかかった事がないが絶対に間違いない。
 しかしそんな「キッド」との類似性を鬼の首を獲ったように語ってもむなしいばかりだ。
 「確かにそうですが、それが何か?」とサラリとかわされそうな完成度の高さがある。
 この文章を読んでも多分この映画の魅力はさっぱり伝わらないだろう。
 文章では伝えられないのがこの映画の魅力だ。
 多分言葉では言い表せない何かがこの映画にはある。
 もう見るしかないのである。

 「え、なんで、この人がこんな一寸しか出ないの?」てのが多いですよねえ、砂の器
 「寅さん」渥美清なんか「主役級」の人間なのにねえ。まあ、一応「何故、三木謙一(緒形拳)が東京へ向かったのか」が「渥美と今西刑事(丹波哲郎)のやりとり」でわかるという「それなりに重要なシーン」ではありますが。
 山田洋次が脚本と言うことだからでしょう、「寅さん」常連の渥美と笠が出演してるのはご愛敬でしょう。

*1:1980年に一人芝居『審判』を上演するため加藤健一事務所を設立。以降現在に至るまで年間3、4本のペースで東京都世田谷区の本多劇場を中心に一人芝居公演を行い、主役を演じ続けている。また、1986年には加藤健一事務所俳優教室を開設し、若手俳優の育成にも力を入れている。2016年、映画『母と暮せば』で毎日映画コンクール・男優助演賞を受賞

*2:映画ではもっぱら脇役を主としたが、1964年公開の『帝銀事件 死刑囚』(熊沢啓監督)では平沢貞通役で主演

*3:島根県亀嵩のこと

*4:三木謙一のこと