高世仁に突っ込む(2020年10/29日分)(追記あり)

鬼海弘雄さんが語る「写真の可能性」2 - 高世仁の「諸悪莫作」日記
 高世仁に突っ込む(2020年10/27日分) - bogus-simotukareのブログで取り上げた鬼海弘雄さんが語る「写真の可能性」 - 高世仁の「諸悪莫作」日記の続きです。
 高世は

鬼海弘雄さんを偲んで4 - 高世仁の「諸悪莫作」日記
 いったん追悼はここで一区切りにしますが、今後は折に触れ、鬼海さんの写真を評してみたいと思います。

なんて書いてたのでしばらくは鬼海ネタはやらないのかと思っていたら高世仁に突っ込む(2020年10/23日分) - bogus-simotukareのブログの次が鬼海弘雄さんが語る「写真の可能性」 - 高世仁の「諸悪莫作」日記鬼海弘雄さんが語る「写真の可能性」2 - 高世仁の「諸悪莫作」日記ですからねえ。全然「一区切り」になってない(苦笑)。
 しかも(つづく)。随分と鬼海に惚れ込んだもんです。俺的には「鬼海の何がそんなに魅力的なのか」さっぱりわかりませんが。
 それにしても鬼海弘雄さんが語る「写真の可能性」 - 高世仁の「諸悪莫作」日記に続き、今日取り上げる鬼海弘雄さんが語る「写真の可能性」2 - 高世仁の「諸悪莫作」日記も『完全に鬼海ネタ』と言うのが興味深いですね。
 高世も「北朝鮮拉致問題(高世仁に突っ込む(2020年10/27日分) - bogus-simotukareのブログでも指摘しましたが最近だと『横田滋のお別れ会』)」や「政治ネタ一般(高世仁に突っ込む(2020年10/27日分) - bogus-simotukareのブログでも指摘しましたが最近だと11/1投票の大阪都構想住民投票、11/3投票の米国大統領選など)」を取り上げる気持ちが薄れてるんですかねえ。高世がやってたジンネットて建前では「政治ネタを扱う硬派の会社」ですし、高世も以前は「簡単な言及でアレ」、記事の中で「今日の政治ニュース」に触れてたんですけどね。
 最後に「高世の駄文」にも簡単にコメント。

 きのう浅草に用事があったので、浅草寺に寄った。
 外国人ツーリストがいないので閑散としていた。

 もちろん「外国人ツーリストがいない」のはコロナの影響です。「gotoトラベルに東京が入った」とはいえ「日本人観光客だけでは閑散としてしまう」のでしょう。まあ、そもそも「日本人で今どれだけの人間がコロナ下の中、(新規感染者が比較的少ない、長野県(軽井沢など)、奈良県のような場所ならまだしも、新規感染者が多い東京のような場所を目的地として)gotoトラベルを利用するのか」「そもそもコロナ以前でもどれほど浅草寺に日本人観光客が行くのか」と言う問題もありますが。

 そのあと浅草で、鬼海さんのエッセイ集『誰をも少し好きになる日』を担当した文芸春秋社の森正明さんとお会いするご縁があった。奇遇である。他にもおもしろい出会いがあり、そのまま浅草で遅くまで楽しく飲んだ。

 「仕事(高世が文春から本を出すなど)でお会いしたのか、私的な付き合いにすぎないのか」「『他にも面白い出会い』とは誰なのか、その出会いは仕事なのか、私的な付き合いにすぎないのか」「仕事関係として今後ブログ記事にするのか」が気になるところです。

 アーヴィング・ペンとか、アメリカのファッション写真家ですけど、(この人の弟はアーサー・ペンという映画監督ですが)

 アーサー・ペン - Wikipediaによれば、アーサー・ペン

アン・バンクロフト - Wikipediaヘレン・ケラーの家庭教師アン・サリヴァン役)がアカデミー主演女優賞を、パティ・デューク - Wikipediaヘレン・ケラー役)がアカデミー助演女優賞を受賞した奇跡の人 (1962年の映画) - Wikipedia
◆「アメリカンニューシネマの代表作」とされる俺たちに明日はない - Wikipedia(1967年公開、エステル・パーソンズ - Wikipediaがアカデミー助演女優賞を受賞)

を撮った監督です。

 トークショーで鬼海節に酔いながら聞いていると、何か深い真理に接したかのように思うが、こうやって文字起ししてみると、難解である。
 分からないところを反芻しながら考えるのも、また大事な勉強と思っている。

 そういうのって単に「中身がないことをかっこつけて難解そうに言ってるだけ」じゃないんですかねえ。といったら鬼海ファンの高世は怒り出すのでしょうが。
 俺的には井上ひさし*1の言葉だといわれる

「難しいことをやさしく、やさしいことを深く、深いことを面白く、面白いことを真面目に、真面目なことを愉快に」

と言う言葉に共感するので高世のように「難解なことを素晴らしいかのようにいう感覚」は理解できませんね。

参考

むずかしいことをやさしく 『井上ひさしと141人の仲間たちの作文教室』#2|mame|note
「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、そしてゆかいなことはあくまでゆかいに」
 作家の井上ひさしさんの言葉です。
と、言われつつ、原典がはっきりしないんですよね。井上さんは日本語に関する本を何冊か出しておられますが、その中にも見当たりません。
 検索していたら、なんと国立国会図書館のレファレンスが見つかりました。

Q.
  劇団「こまつ座」の雑誌「the座」1989年版がその言葉の出典にあたるかどうか確認をお願いします。
A.
 ご指定の資料を通覧しました。以下に関連の記述が見つかりました。ページ pp.16-17*劇場の構想を練っていた時の回想とともに、「むずかしいことをやさしく、・・・という呪文のように長い標語をこしらえたのも、そのころのことでした」という記載があります(16ページ下段)。

【コラム】 学びの場の極意~むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、~ : てら子屋コラム : ヒューマンルネッサンス研究所
 井上ひさしさんが生前に繰り返し言っていたことがあります。
「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、そしてゆかいなことはあくまでゆかいに」
 私もそんな言葉の使い手に少しでも近づきたい。
 「むずかしいことをやさしく」、他者に何かを説明したり教えたりしようとするとき、何ともこれが難しい。中途半端な知ったかぶりではできないことです。難しい術語を並べて煙に巻いて誤魔化したり、上辺だけをなぞって子供騙しをしたりする。そこですかさず、井上さんは「やさしいことをふかく」を求めます。このためには、理解の深さだけでなく、その表現のための最高の言葉を、最高の場面に配置しなくてはなりません。ここまでやれたら素晴らしい。
 だけど、井上さんは続けて踏み込みます。
 「ふかいことをおもしろく」。
 そうなんです、やさしくても、ふかくても、おもしろくなくては受け手の心と腹をブルブル振動させるには至りません。

むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく|中川千英子(脚本家)|note
 この「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく……」という言葉が大好きで、PCのデスクトップに大きく表示していたこともあります。
 いろいろな意味が込められていると思うんですが、
「作品は、観客のためにあるもの」
「言葉は、受け取る人のためにあるもの」
ということを思い出させてくれる言葉だと、私は考えています。
 難しいことを語っているような気分になるのも、物事を分析できているような気分になるのも、語っている側は気持ちがよくて、ついその状態に酔ってしまうんですよね。
 でも受け止める側の視点に立つと、楽しくも面白くもなく、何よりもメッセージが伝わってこなくて、何もいいとこがない。
 井上ひさしさんの言う「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく……」という伝え方は、相手への配慮と想像力に満ちています。
 だから、読み返す度に私は、
「あなたの書いている原稿は、自分本位になってない?」
「あなたはただ、自分の言葉に酔っているだけじゃない?」
と、自分に問いかけられているような気持ちになります。

むずかしいことをやさしく - 【曙天塾ノオト】(with 伊予路の音)
 以前、日経新聞を読んでていたら、「むずかしいことをやさしく」という小見出しが目が止まりました。「会社の金言」というコラムで、ホリプロダクションの玄関には、「むずかしいことをやさしく やさしいことをふかく ふかいことをおもしろく」という井上ひさしさんの直筆の額が飾ってあると書いてありました。
 この言葉は、井上ひさしさんの執筆机の前に貼られているメモだそうで、小説や戯曲を書く時の心構えなのだそうです。『井上ひさし氏のエッセイ集9 文学強盗の最後の仕事』(中公文庫)や『井上ひさしコレクション ことばの巻』(岩波書店刊)で紹介されているのはもう少し長い文章です。(文庫を探しましたが、残念ながら現在品切れ重版未定です。)
 ネットで検索していると、多少表現が変化しているものもありましたが、いろんな人や会社がこの言葉を引用したり解釈していました。
 変ったところでは、五木寛之さんの言葉というのがありました。正確に言えば、作家の五木寛之さんが法然親鸞蓮如という3人の宗教家について書いた言葉であると言うのです。
 むずかしいことをやさしく:法然聖人
 やさしいことを深く: 親鸞聖人
 深いことを広く :蓮如上人
 「むずかしいことをやさしく」言うためには、そのことに対して熟知していること、つまり詳しく知っていることが必要だということになります。生半可な知識ではやさしくは話せないということです。
 「やさしいことをふかく」言うには、その事の目的や本質をきちんと理解している必要があります。さらには深く極めようとする姿勢が大事です。
 そして、「ふかいことをおもしろく」言うためには、聞く側の立場に立って考えることができなければなりません。サービス精神が必要なのです。

面白くなければ、仕事ではないホリプロ取締役ファウンダー 堀威夫(企業家倶楽部2005年12月号)
 我々の仕事は常に童心や好奇心が求められます。それがなくなれば、この仕事はできません。
 ホリプロの本社の入り口には井上ひさしさんの「むずかしいことをやさしく。やさしいことをふかく。ふかいことをおもしろく」という言葉が額縁で飾ってありますが、これに尽きるわけですね。
 その昔、月刊「太陽」という雑誌に、井上ひさしさんが舞台美術家の妹尾河童さんにインタビューを受けた記事が掲載されていました。その中に写っていた彼の書斎の壁に、この言葉が掛けられていたのです。それを見た私は「わが意を得たり。この言葉こそ、我々が商売をするための指針だ」と思い、すぐに井上さんに電話しました。「物事の本質を簡略にまとめて見事ですね。誰の言葉なのですか」と私が聞いたら、「自分が書いたんだ」と井上さんはおっしゃった。大衆小説家として自分を戒める意味で作った言葉なのだそうですが、大衆文化を提供している我々にとっても最も大切な心得なのです。そこで井上さんに「ぜひホリプロの社員のために書いてください」と頼んで書いていただきました。

【追記】
 id:Bill_McCrearyさんのコメントで応答してみます。

お二人が兄弟とは、この記事を読むまで知りませんでした。

 高世も鬼海氏も「さらりと書いてる」のでファンなら周知の話かと勘違いしていました(なお、俺個人は彼らのファンではありません)。

文系・理系ともにすごい学者である湯川・貝塚兄弟みたいなものか。

 湯川とは湯川秀樹 - Wikipedia貝塚とは貝塚茂樹 - Wikipediaのことですね。今回、このコメントを読むまでそうした事実は知りませんでした。
 ちなみに「スゴイ能力のきょうだい(あくまでも能力の優秀さのみに着目しており政治的見識の是非や、業績の評価は論じていません)」と言えば俺的には

岸信介*2佐藤栄作*3兄弟
上田耕一郎*4不破哲三*5兄弟
鶴見和子俊輔兄弟

などが思い浮かびますね。

*1:著書『ふかいことをおもしろく:創作の原点』(2011年、PHP研究所)など

*2:戦前、満州国総務庁次長、商工次官、東条内閣商工相を歴任。戦後、日本民主党幹事長、自民党幹事長、石橋内閣外相を経て首相

*3:運輸次官から政界入り。吉田内閣郵政相、建設相、岸内閣蔵相、自民党総務会長(岸総裁時代)、池田内閣通産相科学技術庁長官などを経て首相

*4:日本共産党政策委員長、副委員長など歴任

*5:日本共産党書記局長、委員長、議長を歴任