今日の産経ニュースほか(2020年12月22日分)

香港民主指導者の羅冠聡氏、英国に亡命申請 - 産経ニュース
 日本人の俺が「安全地帯」から無責任に「香港に留まって戦え」ともいえませんが、民主派側には何とも展望がないように見えます。正直、亡命者も「展望を求めて亡命する」というより「投獄などで身動きがとれなくなることを恐れて亡命した」にすぎないでしょう。


リベラル21 社会主義は未来像にはなりえない(阿部治平)
 「また、日本共産党への悪口雑言かよ(呆)、野党共闘を何だと思ってるんだ」「日本共産党ほどの政治力も無い連中がふざけてんじゃねえよ!」で終わる話です。
 いや、阿部などが「日本共産党共産主義の綱領を正式に辞めて、英国労働党やドイツ社民党のような社民政党の路線を正式に目指すべきだ(阿部などの自称リベラルが良く言う物言い)」つうなら俺個人は「積極的に賛成はしませんが」一方で反対はしません。俺は共産党支持者ですが正直「共産主義へのこだわり」は別にありません。そういうことで支持しているわけではない。
 俺的には「福祉を重視する社民主義的な国政政党なら何でも良い」のですが、そういう政党は「党勢が衰退して、消滅の危機にあり、支持する気になれない社民党」を除けば「共産党しかない」といっていいでしょう。
 「自民党の連立相手」公明や「第二自民」維新、国民民主は勿論、立憲民主党は到底、社民政党とは言えないでしょう。
 ただし「共産党の社民政党化希望」は反共労組「連合」が「共産党を含む野党共闘に否定的な今の時期」に言うべき事なのか。
 そもそも「野党共闘(場合によっては連立入りもあり得る)」を表明し、「当面の目標」として北欧型福祉国家をあげる共産党は「事実上社民政党化している」のではないのか。
 そして物の言い様もある。いつものように阿部には「日本共産党に考えを受け入れてもらおう」「だから、反感を買う物言いはできるだけ避けよう」という配慮は何もありません。「ケンカを売ってるのか?」と言いたい。
 そのくせ、阿部は「ダライラマの不祥事(オウムからの金銭受領など)」については「猊下はオウムがあんな宗教だと知らなかった、以上」で終わらせるのだから良い度胸です。謝罪すらしないダライの無責任な態度を良くも容認できるもんです。
 ついでに言えば「社民主義」を正式に掲げた「社民党(消滅の危機)」「社民連(現在は消滅)」が共産党と比べて「厳しい状況にある(あった)」ことでわかるように「綱領で社民主義を掲げれば支持される」つうほど話は単純ではありません。

 私は長い間レーニンプロレタリアート独裁の理論は、マルクスエンゲルスの二人によるものと思い込んでいた。だが事実は、レーニンエンゲルス晩年の国家論を継承したのである。私にこれを気付かせたのは、大藪龍介氏*1の「プロレタリアート独裁」論であった(『マルクス・カテゴリー事典』青木書店、1998年)。さらに大藪氏は近著において、エンゲルスからレーニンへ継承された国家論とブルジョア民主主義の関係を明らかにしている(『マルクス主義理論のパラダイム転換へ:マルクス・エンゲルスレーニン国家論の超克』明石書店、2020年11月)

 「元ネタが大藪氏かどうか」はともかく似たようなこと(レーニンロシア革命の狭い経験を元に議会主義革命に否定的な態度を取ったが、それはマルクスエンゲルスの主張の忠実な継承とは言いがたいし、レーニンの時代ならともかく現代社会にも適合しない)は不破氏も、不破『古典研究・議会の多数を得ての革命』(2004年、新日本出版社)などで主張してるのにそれに阿部が触れないのが興味深いですね。
 不破氏の主張を知らないのなら無知すぎるでしょうし、知っていて無視してるのなら不誠実です。
 大体、この阿部の書きぶりでは「日本共産党の現在の立場(レーニン理論にかなり批判的)=大藪氏にかなり近い立場」とは読み手は到底理解しないでしょう。しかし、この阿部の書きぶりだと「社民主義という立場でマルクス主義は発展したのだ」という「ある種のマルクス主義者」が阿部の立場でしょうか?。今までの阿部の言動ではとてもそうは思えませんが。

*1:福岡教育大学教授。著書『マルクス社会主義像の転換』(1996年、御茶の水書房)、『マルクス派の革命論・再読』(2002年、社会評論社)、『明治維新の新考察』(2006年、社会評論社)、『明治国家論』(2010年、社会評論社)、『日本のファシズム昭和戦争期の国家体制をめぐって』(2020年、社会評論社)など(大藪龍介 - Wikipedia参照)