高世仁に突っ込む(2020年12/24日分)

「戦車闘争」 ただの市民が声を上げた時代 - 高世仁の「諸悪莫作」日記(12月23日付記事)
 今だって「市民は自民党批判の声を上げてる」し、当時だって『戦車闘争』なんてやるのは「当人の自己認識がどうであれ」、かなりの「戦闘的左翼(一般的な左派はそこまでやらない)」であり、到底「ただの市民、普通の市民」ではない*1と思いますがそれはさておき。
 タイトルから分かるように今日の高世記事も拉致はなぜ見過ごされてきたのか6 - 高世仁の「諸悪莫作」日記(12月7日付記事)の続きではありません。高世もいい加減、(つづく)としている拉致はなぜ見過ごされてきたのか6 - 高世仁の「諸悪莫作」日記(12月7日付記事)をほったらかしにしないでとっと終わらせたらどうなのか。(つづく)としているけど「本当は終わったのか?」「それとも終わっては居ないが、続けることを忘れてるのか?(事実上終わってるのと同じ)」と聞きたくなります。

 はじめに一つ、リマインドさせてください。
 こんどの土曜日、26日のよる9時から、宇宙史を語ります。よろしくお願いします!

 以前も高世仁に突っ込む(2020年12/8日分) - bogus-simotukareのブログで突っ込みましたが、科学ジャーナリストでもない高世がよくもまあ「宇宙史を語る」なんて身の程知らずなことが出来るもんです。しかも「1人880円」とはいえ「金まで取る」と言うのだから呆れます。
 そんなことを高世に頼む方もバカだと思いますが。いずれにせよ

◆『拉致:北朝鮮の国家犯罪』(2002年、講談社文庫)
◆『金正日「闇ドル帝国」の壊死』(2006年、光文社)

ということで「北朝鮮拉致がライフワークだったはず」の高世はもはや「北朝鮮拉致を語る気は無い」ようです(もちろん語って欲しいわけではありませんが。むしろとっとと表舞台から高世には消えて欲しい)。
 また「拉致の風化後」に高世が手を出した

高世仁 - Wikipedia参照
◆「DVDBOOK チェルノブイリの今 フクシマへの教訓」(2011年、旬報社
◆「イスラム国とは何か」(常岡浩介共著、2015年、旬報社

という「イスラム国(あるいは中東情勢)」「脱原発」についてももはや高世には語るネタが無いようです(「繰り返しますが」もちろん語って欲しいわけではありませんが)。とはいえいずれ「宇宙史ネタ」も飽きられて「高世が完全に終わる日」もそう遠くはない気がします。

「勝負の3週間」は過ぎたが、本当に真剣に勝負したい。その3週間にしたい。「真剣勝負の3週間」と言わせていただく―
 これは22日の東京都医師会の尾崎治夫会長の緊急記者会見での言葉だ。

 「真剣勝負だ」と言いながら何を言い出すかと思えば「外出しないで下さい」「三密を避けて下さい」と「他人への依頼」しか言わないのだから「バカか?」「どこが真剣勝負なんだ?」「毎年毎年、真剣勝負という救う会や家族会といい勝負だな?」「お前ら医師会には恥という感覚は無いのか?」と心底呆れます。
 「私たちはホニャララします」という「医師としての決意表明は何もないのか」。
 何で「お願いします」という「他人への依頼しかしないのか?」「どれほど無能で無責任なのか?」「死ねば良いのに」と医師会の連中には心底うんざりします。

 安倍氏*2の聴取など立件に向けた動きは、黒川氏の定年延長問題で検察人事に介入してきた政治の側へのリベンジという意味もあると思います。「検察をなめんなよ」と。これを機に、検察と政治の力関係は再び変わるでしょう

などという魚住氏*3の主張が怪しいことは「安倍不起訴処分」で明らかでしょう。
 それにしても

 市民が声を上げるといえば、映画『戦車闘争』がおもしろかった。
 当時、日本という兵站基地がなければアメリカはベトナム戦争を遂行できなかったと言われている。私は「ベトナム人民支援委員会」で活動していたので、米軍の戦車などの修理、メンテナンスをする日本が兵站基地として巻き込まれ、ベトナムの人民に対して我々は加害者になっていると思っていたので、これらの戦車や装甲車を止めることには大きな意味を見出していた。

などといって未だに左翼ぶる高世には心底呆れますね。少なくとも家族会、救う会幇間太鼓持ちに転落した今の高世は何ら左翼ではないでしょうに。とはいえ「ジンネットが倒産」し北朝鮮拉致を「ライフワークと出来なくなった」高世にはもはや「昔の左翼時代」の「栄光(?)の思い出」「懐かしい思い出」しかもはやすがるものはないのかもしれません。すがったところで何がどうなるわけでもないでしょうに。
 それにしても「戦車闘争」に参加したのは若者だけではないのに

 日本にも若者が立ち上がったときがあったのだ。映画を観て、遠い日を追憶した。
 若い人に言いたい。もっと声を上げていいんだよ、と。 

なんて話になるのか。むしろ高世は「俺たち老人世代は今こそまた立ち上がるべきだ!」、「国民はもっと菅政権を批判せよ!」とか言うべきじゃないのか。問題は若者限定じゃないわけですから。

【参考:映画『戦車闘争』】

48年前の神奈川で人々はどうやって米軍の戦車を止めたのか 安保の矛盾問う映画 - 毎日新聞2020年8月8日
 1972年8月5日、神奈川県で米軍の戦車を市民が体を張って止めた運動があった。人々はどうやって戦車を止めたのか、なぜ米軍基地が存在するのか。
 48年前の「戦車闘争」を巡るドキュメンタリー映画が完成した。地元である相模原市の歴史を知って驚き、映画を企画したプロデューサー、小池和洋さん(46)は「昔の話じゃないかと言われると困る。今、問うべき話なんです」と語る。【竹内麻子】
 当時、ベトナム戦争で使用された米軍の戦車は、日本に運び込まれて米陸軍基地・相模総合補給廠(しょう)で修理を受けた後、トレーラーに載せられて深夜に一般の道路を通り、横浜の港からベトナムの戦線へ送られていた。
 戦闘に使われ「肉片も付いていた」という戦車が運び込まれ、再び日本から戦地に送られているという事実を知った市民は憤った。

ベトナム戦争中、相模原で市民が戦車を止めた 賛否両方50人の声集めた映画「戦車闘争」が完成:東京新聞 TOKYO Web2020年10月19日
 ベトナム戦争中の1972年、在日米軍基地「相模総合補給廠」(相模原市中央区)で修理された戦車の輸送を、市民が阻止した。この反戦運動「戦車闘争」を証言や当時の映像で紹介したドキュメンタリー映画が完成した。参加した市民や輸送した運送会社の関係者など50人以上から賛否両方の声を集めた労作で、12月に公開される。製作した映画プロデューサー小池和洋さん(46)=同市=は「おかしいと思うことに声を上げる大切さを訴えたい」と話す。
 戦車闘争は、日本国内に基地を置く米国が参戦したベトナム戦争の終盤に起きた。当時、故障した米軍戦車や兵員輸送車は相模総合補給廠で修理し、横浜市神奈川区の港から船で搬出されていた。
 72年8月には、港近くの村雨(むらさめ)橋で、当時の飛鳥田一雄(あすかた・いちお)横浜市長が橋の重量制限を理由に輸送に反対した。市民の人垣が補給廠から港に向かう戦車を足止めし、戦車は引き返した。補給廠の正門近くでもテント村が設けられ、デモ行進などを展開。反対運動は約100日間に及んだ。
 活動に賛同していた作家の吉岡忍さん*4も登場し「米国という民主主義の国にならってきたのに、だまされたと感じていた。なぜ貧しい農業国を最先端の武器を使って攻めなきゃいけないのかと思った」と振り返った。
 一方、地元飲食店主は「デモ参加者は(座り込みなどで)風呂に入っていなかった。臭いし店に来てほしくなかった」と話すなど、当時、闘争を巡り起きていたさまざまな現実を伝えている。
 ナレーションはシンガー・ソングライター泉谷しげるさんが務めている。12月から東京都中野区の映画館「ポレポレ東中野」を皮切りに順次公開。

市民が戦車止めた真実は ベトナム戦争下 米軍との闘争、映画に 舞台の相模原で28日試写会 /神奈川 - 毎日新聞2020年11月13日
 1972年、ベトナム戦争に向かう米軍の戦車を市民が体を張って止めた運動を描くドキュメンタリー映画「戦車闘争」の試写会が28日、映画の舞台となった相模原市で開かれる。映画は半世紀近く前、人々がどうやって戦車を止めたのか、なぜ米軍基地が存在するのかなど闘争の真実に迫る内容となっている。【小出禎樹】
 当時、ベトナム戦争で使用された米軍の戦車は日本に運び込まれ、米陸軍基地・相模総合補給廠(しょう)で修理を受けた後、トレーラーに載せられて深夜に一般の道路を通り、横浜の港からベトナム戦線へ送られていた。
 事実を知った市民は憤り72年、横浜ノースドック(米軍の港湾施設)手前に座り込み、港に向かう戦車を足止めした。戦車は8月5日未明から3日間立ち往生し引き返した。相模原では補給廠の正門へ続く道に市民が1カ月半にわたりテントをはって抗議活動を行い闘争は約100日間続いた。

普通の人々が戦車止めた 48年前の反戦運動、記録映画に | カナロコ by 神奈川新聞
 ベトナム戦争の戦場に輸送される米軍の戦車を市民が体を張って止めた1972年の反戦運動を描くドキュメンタリー映画「戦車闘争」が12日から、県内などで上映される。闘争に加わった当事者や目の当たりにした地元住民、警備に従事した県警機動隊員らの人間模様をあるがままに描いている。製作した映画プロデューサー小池和洋さん(46)=相模原市緑区=は「おかしいと思うことに声を上げる大切さを伝えたい」と話している。

 「悪意はない」のでしょうがこういう場合に「普通の市民」つうのは俺は違和感がありますね。日本においては当時も今もこうした運動に参加するのは「当人の主観が何であれ」かなりの戦闘的左翼であり、「普通の市民」ではないでしょう。
 かつ俺からすれば「そんなに『普通』であることが大事なのか?」ですね。問題は「主張が正しいかどうか」であって「普通かどうかではない」。

*1:「ただの市民、普通の市民でない」というのは単なる事実の指摘であり、非難しているわけではありません。

*2:自民党幹事長(小泉総裁時代)、小泉内閣官房長官などを経て首相

*3:著書『特捜検察』(1997年、岩波新書)、『渡邉恒雄 メディアと権力』(2003年、講談社文庫)、『特捜検察の闇』(2003年、文春文庫)、『野中広務 差別と権力』(2006年、講談社文庫)、『国家とメディア』(2006年、ちくま文庫)、『官僚とメディア』(2008年、角川oneテーマ21)など

*4:著書『墜落の夏:日航123便事故全記録』(1989年、新潮文庫)、『ルポ・学校の力』、『ルポ・教師の休日』(以上、1992年、朝日文庫)、『死よりも遠くへ』(1992年、新潮文庫)、『「事件」を見にゆく』(1992年、文春文庫)、『ルポ・もう学校にはいられない:聖職を去る教師たちの証言』(1993年、朝日文庫)、『技術街道をゆく:ニッポン国新産業事情』、『放熱の行方:尾崎豊の3600日』(以上、1993年、講談社文庫)、『日本人ごっこ』(1993年、文春文庫)、『M/世界の、憂鬱な先端』(2003年、文春文庫)、『ある漂流者のはなし』、『奇跡を起こした村のはなし』(以上、2005年、ちくまプリマー新書)、『ニッポンの心意気:現代仕事カタログ』(2007年、ちくまプリマー新書)など