「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(2021年1/3分:荒木和博の巻)

ドンチョル・キム博士のメッセージと地方私鉄の話(1月3日のショートメッセージ): 荒木和博BLOG

 北朝鮮でスパイ罪で捕まり、後に帰国した韓国系米国人ドンチョル・キム(金東哲)博士からのメッセージのご紹介と昭和40年代地方私鉄が次々廃線になった話(前と後は全く関係ありません)です。

 6分20秒程度の動画です。動画前半の「ドンチョル・キム博士のメッセージ」というのはドンチョル・キム博士からのメッセージ【調査会NEWS3382】(R03.1.3) : 荒木和博BLOGとほとんど変わらないので動画を見る必要は全くありません。
 ドンチョル・キム博士からのメッセージ【調査会NEWS3382】(R03.1.3) : 荒木和博BLOGについては下で突っ込んだので改めては突っ込みません。
 さて「北朝鮮でスパイ罪で捕まり、後に帰国した」というのは「米国国務省の交渉によるワームビア君など米国人解放」「金丸訪朝による第18富士山丸船長、機関長帰国」「小泉訪朝による拉致被害者帰国」と同じでもちろん「交渉による解放(もちろん交渉者は米国国務省)」です。その際には当然、解放を実現するため、「キムのスパイ行為は事実だが罪一等を減じて解放」という話での解放です。荒木が説明文に「米朝交渉で解放された」と書かない辺りが実に姑息です。
 自分が「米国国務省の交渉で帰国できた(それもスパイ容疑を認めた上での解放)」のに「日朝交渉を否定する暴論を吐く」というのだからキムには「最低のクズ(人格障害?)だな」と心底呆れます。俺のような「真面目な人間」にはとても真似できませんね。北朝鮮側も解放したことで「自分らがキムに感謝される」とは思ってないでしょうが「今後も北朝鮮による日本人拉致があり得る」とデマ中傷されるとは思ってもみなかったでしょう。
 動画後半の

 昭和40年代地方私鉄が次々廃線になった話(前と後は全く関係ありません)

てのはいつもながら酷いですね。荒木曰く「銚子電鉄などまだ残ってるローカル私鉄には今後も何とか続いて欲しい」。つまりこれまた「鉄道マニアらしい鉄道豆知識が述べられる*1わけでも無く」中身に乏しい代物で見る必要は全くありません。結局、この動画は「中身に乏しい」ので最初から最後まで見る必要は全くありません。「見た俺」が何か「非常に馬鹿な気」すらします。
 いずれにせよ動画後半は「手前が鉄道マニアだからってそんな話が拉致と何の関係があるんだ!、ふざけんな!」ですね。

【参考:鉄道の廃線

廃線跡探訪の今昔 : 旅行読売セレクト : 旅 : 趣味 : ニュース : 読売新聞オンライン(南正時*2)2020/06/15(「旅行読売」2020年7月号から)
 今、廃線跡を巡る小さな旅が静かなブームである。実は「廃線跡探訪」という特殊な鉄道趣味は、1990年代半ばに紀行作家・宮脇俊三*3(1926―2003)の『失われた鉄道・廃線跡探訪*4』が刊行されて最初のブームが巻き起こった。1996年には拙著『失われた鉄道100選*5』がフォトエッセーとして上下巻で刊行。宮脇さんの本は廃線跡探訪の先鞭をつけたということもありシリーズ化され、ベストセラーになった。
 当時、鉄道ファンですら興味を示さなかった廃線跡が、なぜ世間でクローズアップされたか? それは赤字国鉄ローカル線の廃止があり、また地方私鉄の廃止が続き、1983年10月の国鉄白糠線の廃止を皮切りに昭和50年代まで各地で続いた。そうした廃線路線の痕跡が、第1次ブームを巻き起こした平成の初めには、各地で廃墟のように残っていたからである。
 宮脇さんと私の著書では、その痕跡を現役当時の鉄道の情景として紀行文にまとめたものだった。沿線に住む人々の生活路線がなぜ廃線に追い込まれたか、といったテーマでしたためた。
 ところが一部の鉄道マニアは廃線跡を断片としてしか求めておらず、折からの「廃墟ブーム」もあってか、朽ち果てた駅舎、雑草の中に口を開けたままのトンネル、赤さびたレール、駅前に残る廃屋などの断片を見つけては一喜一憂していたものだ。
 宮脇さんも私もそのような廃線跡の断片をまとめたのではない。マニアがそこを理解していなかったのが今となっては、宮脇さんも心残りであったと思う。
 そのような経緯を経て、静かな「廃線跡探訪ブーム」が再到来したわけだが、今の廃線跡には少し変化が見られる。
 赤さびたレールは撤去され、朽ち果てる寸前の鉄橋や危険なトンネルなどは通行禁止となり、時の過ぎゆくままにその存在を残しているにすぎない。廃線跡の多くは道路に吸収、変換され、土に戻り、鉄道の面影を感じ取ることはできない。
 だが、廃線跡のいくつかは線路跡が遊歩道、サイクリングロードとして整備され、駅跡は鉄道資料館や休憩所などに変わった所もある。現在の廃線跡探訪者は、そこに“懐かしい”鉄道を実感し、想像の世界を楽しんでいる。

 廃線跡探訪の今昔 : 旅行読売セレクト : 旅 : 趣味 : ニュース : 読売新聞オンラインのいう「廃線跡が遊歩道、サイクリングロード、駅跡は鉄道資料館」について以下の記事でいくつか紹介しておきます。

もう列車が走らず残念!街中に眠る廃線跡10選 | 独断で選ぶ鉄道ベスト10 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準2019/11/23
1)小樽旧手宮線跡地
 国鉄手宮線は北海道最初の鉄道である幌内―札幌―小樽市内にある手宮を結んでいた路線の一部として函館本線南小樽駅から手宮まで延びていた。
 旅客輸送は並行する函館本線に客を奪われ、貨物輸送もトラックに移行したため、使命を全うして廃止された。しかし、小樽市内の寿司屋通りから中央通りを経て手宮駅にいたる区間は、線路がほぼ残されたうえ、プロムナードとして整備された。
 とくに小樽駅前から小樽運河に至る中央通りとの踏切跡付近は多くの観光客でごった返し、人気観光スポットと化している。
 旧手宮駅は小樽市総合博物館となり、北海道ゆかりの名車両が多数保存展示されるとともに、アメリカ製のSLアイアンホース号が現役で走行しているので訪れる人も多い。
3)碓氷峠信越本線廃線跡(アプトの道)
 その急勾配ゆえに難所だった碓氷峠北陸新幹線開業と引き換えに、信越本線横川~軽井沢間は廃止となってしまった。
 廃止区間は1963年までアプト式だった旧線と粘着式の電気機関車EF63形重連のプッシュorプルによって運行されていた新線があるけれど、それらをうまく組み合わせた遊歩道「アプトの道」が整備されハイキングコースとして人気を博している。

使われなくなった鉄路がなぜ人気に? 「廃線先生」が挙げる9つの廃線跡 (1/3) 〈AERA〉|AERA dot. (アエラドット)2020.9.27(AERA2020年9月28日号)
 都内在住で鉄道好きの女性(38)は昨年初夏、友人と一緒に「碓氷峠廃線ウォーク」に参加し、気持ちが解放されていくのがわかった。
 この廃線ウォーク、1997年に廃線となった「信越本線の横川~軽井沢」間を歩く人気イベントで、2018年10月にスタートした。
 横川~軽井沢の線路長は11.2キロ。
 廃線跡を歩く。もとは一部の鉄道マニアの楽しみ方の一つだったが、今や若い女性も夢中になるなど立派な「市民権」を得た。

東急東横線の「廃線跡」をめぐる 横浜駅周辺 かつての面影残す遊歩道 | 乗りものニュース2020.10.20
 東急東横線は渋谷駅と横浜駅を結んでいますが、かつては横浜駅より先、桜木町駅が終点でした。横浜駅の前後には、東横線廃線跡が存在します。
 廃線跡は、「東横フラワー緑道」として遊歩道に姿を変えつつあります。2010(平成22)年までに東白楽~横浜間(旧地上線区間)の整備が完了し、残る横浜駅桜木町駅間についても、使われていない高架橋の上に歩行者空間を整備する計画が進められています。2019年7月には、桜木町駅から約140mの区間が先行して整備され、通行できるようになりました。

「サイクリングロードになった廃線跡」5選 自転車で偲ぶ鉄道の面影 絶景や保存駅舎も | 乗りものニュース2020.10.28
つくば霞ヶ浦りんりんロード茨城県
 1987(昭和62)年まで常磐線土浦駅水戸線岩瀬駅を結んでいた筑波鉄道筑波線廃線跡が、約40kmにわたってサイクリングロードになっています。途中、旧真壁駅をはじめ多くの駅跡では、かつてのホームがそのまま残されています。
◆久比岐自転車道新潟県
 1969(昭和44)年、北陸本線・谷浜~浦本間(この区間は現・えちごトキめき鉄道日本海ひすいライン)が新線に付け替えられました。海沿いの旧ルートはカーブも多く、地すべりも多発するなど幹線として問題を抱えていたため、山側へ長いトンネルを通し複線化したのです。ちなみに「トンネルの中にある駅」として有名な現・筒石駅も、このときに誕生しました。
 この旧線は現在、新潟県道・上越糸魚川自転車道線、通称「久比岐自転車道」として約30kmが整備されています。
風の道岡山県
 岡山県南部で1991(平成3)年に廃止された下津井電鉄*6廃線跡のうち、最後まで残った区間である児島~下津井間の約6.3kmが整備され、歩行者と自転車が通行可能になっています。
◆片鉄ロマン街道(岡山県
 岡山県東部で1991(平成3)年まで片上~柵原を結んでいた私鉄の片上鉄道、その約34kmの廃線跡は、ほぼ全線が岡山県道・備前柵原自転車道線、通称「片鉄ロマン街道」として整備されています。
 途中、旧苦木駅や旧天瀬駅では、かつてのホームや駅舎が残されています。また、他のいくつかの駅跡にも、復元された駅名標が立てられ、そこに駅があったことを偲ばせます。
 ちなみに旧吉ヶ原駅では駅施設と車両が保存されており、駅周辺の廃線を利用して片上鉄道保存会が定期的に車両を動かしています(2020年10月現在、新型ウイルスの影響で休止中)。
札幌恵庭自転車道(北海道)
 1973(昭和48)年、千歳線の苗穂~北広島間が、現在の新線に付け替えられました。旧線は苗穂駅を出たあと、現在の札幌市営地下鉄東西線と並行し、上野幌駅付近で新線と合流するようなルートを辿っていました。
 この千歳線旧線の線路敷が24.5kmにわたって、サイクリングロードとして整備されています。

茨城・つくば霞ケ浦りんりんロード 利用者増の一方、課題も - 産経ニュース2020.11.6
 つくば霞ケ浦りんりんロードは筑波山方面につながる旧筑波鉄道廃線跡を活用し、平成3年に茨城県が整備を開始。28年には霞ケ浦をぐるりと囲む全長180キロの大規模なコースが完成し、昨年11月、ナショナルサイクルルートに認定された。知名度も高まり、昨年度の利用者は約9万3千人と、前年度(約8万1千人)を大きく上回った。
 コースはほぼ平坦で、沿線市町の各所にレンタサイクルが用意されており、初心者でも楽しみやすいのが魅力の一つだ。加えて、ナショナルサイクルルートの中で唯一、東京圏に近接しているメリットもある。
 コースの起点であり、常磐線でJR東京駅と直結する土浦市土浦駅には、自転車ショップやレンタサイクルが入る拠点施設が造られた。このほか、自転車宅配の受け取り・配送ができ、室内に自転車を持ち込めるホテルなど宿泊施設の整備も進んでおり、官民一体で首都圏の利用者獲得に力を入れている。
 一方、ハード面の課題もある。今月3日には、ツーリング中の自転車が次々と転倒し、計8人が重軽傷を負う事故が発生した。13人のツーリング仲間で走行中に先頭がスリップし、後続も転倒したという。現場はほぼ直線だったが、事故当時の路面は雨でぬれていた。
 大井川和彦知事も先月5日、自転車で現地視察した際、同じ場所で転倒していた。今月6日の定例会見では、「早急に対策が必要。年度内に舗装などの改修を行いたい」と述べた。茨城県はすでにコケが生えて経年劣化した箇所やカラー舗装の部分など雨で滑りやすい路面約40キロのうち、約20キロの改修を終えている。
 今後は新型コロナの感染状況も踏まえつつ、台湾などサイクリングが盛んな諸外国・地域にも広くPRしていく構えで、大井川知事は「県全体がサイクリングを楽しむのに適しているという環境をつくっていきたい」と意欲を見せている。

廃線2駅舎 鉄道公園に : ニュース : 島根 : 地域 : ニュース : 読売新聞オンライン2020.12.17
 邑南町が、2018年3月末で廃線になったJR三江線のうち、鉄道ファンや住民に「天空の駅」として親しまれていた宇都井駅(宇都井)や、口羽駅(下口羽)の旧駅舎を使った鉄道公園を整備しようと準備を進めている。
 両駅とも現在、トロッコ列車の運行イベントなどの開催時だけ活用され、普段は線路などに立ち入りできないが、安全対策を講じて鉄道公園にすることで、いつでも無料で利用できるようになる見込みだ。

【参考終わり】


ドンチョル・キム博士からのメッセージ【調査会NEWS3382】(R03.1.3) : 荒木和博BLOG
 「そんなメッセージが拉致の解決にどうつながるのか」と思って読んでみます。後で多少、簡単に突っ込みますがやはり「北朝鮮への悪口雑言」のみで「拉致解決という意味」では何の役にも立ちません。

 北朝鮮政権が拉致を実行した罪は決して消えることがありません。

 早速、拉致被害者帰国という意味では「糞の役にも立たない北朝鮮への悪口雑言」です。

 今も日本には北朝鮮労働党*7日本支部があります。彼らもまた北朝鮮の指令により今この瞬間にもどこかで新たな拉致のために熱心に手足を動かしているでしょう。

 まず第一に日本には「朝鮮労働党日本支部」なんてもんはありません。朝鮮総連は「朝鮮労働党日本支部」ではありません。
 第二に「小泉訪朝で拉致を認めた時点」で北朝鮮は拉致をする考えなどなくなったとみるのが常識です。
 まあ「百歩譲って」そんな意思があるとしてもそれを許すほど日本の警察も無能ではないでしょうが。
 いずれにせよ「創価学会は未だに国立戒壇建設を目指してる」「日本共産党は暴力革命方針を捨ててない」「ロシアが北海道に侵攻するかもしれない」「新型コロナは中国が開発した生物兵器かもしれない」「バイデンが勝利したのは不正選挙の結果」レベルの与太(陰謀論)である

彼らもまた北朝鮮の指令により今この瞬間にもどこかで新たな拉致のために熱心に手足を動かしているでしょう。

の一文だけで、この文を書いた「ドンチョル・キム」やこの文を紹介する荒木がまともに相手の出来ない「常軌を逸した人間(人格障害?)」であることはモロバレです。
 ある程度まともな人間なら、たとえアンチ北朝鮮でも世間の信頼を得るために「ある程度、まともな発言に努める」もんですが、キムや荒木にはそうした常識が無いわけです。

 一日も早く、憲法を改めてでも北朝鮮を利している活動の廃止とその勢力集団*8を封鎖・閉鎖することこそが殺人鬼政権による新たな拉致被害者が発生するのを防ぐことになります。

 朝鮮総連北朝鮮と共に今後も拉致犯罪を実行するかもしれない、それを阻止するために「破防法的な法律を作って総連を強制解散せよ」、そうした法律に「違憲の疑いがある」なら「合憲になるように憲法を変えろ」とはまともな人間にはおよそ言えない与太ですね。
 暴力団という「犯罪者集団」ですら「暴力団対策法」で取り締まる事は出来ても「解散命令」など出せないように「団体の活動禁止」などそう簡単にできることではない。
 つうかろくな根拠もないのに「北朝鮮が今後、朝鮮総連の協力で拉致を行うかもしれない」などとデマを飛ばすとは総連に名誉毀損で訴えられても文句の言えない話です。
 ついでにいえば「北朝鮮との間に国交が無く、また平壌に日本の常駐事務所もない今」、朝鮮総連はむしろ「歴史と伝統のある、信頼性のある北朝鮮との重要な交渉パイプの一つ」でしょうに。
 もちろん荒木やキムの場合「朝鮮総連が無くても別ルートで交渉する」ではなく「そもそも交渉しなくていい、北朝鮮なんて交渉対象では無く打倒対象だ」ですから心底呆れます。北朝鮮と交渉しないでどうやって拉致被害者を帰国させるのか。
 自衛隊での救出なんてもんは現実性皆無です。荒木のようなキチガイ人格障害?)がでかい面をしてるようではいつまで経っても拉致は解決しません。
 まず拉致被害者家族会が拉致を本気で解決したいなら「荒木のようなデマ右翼」とは縁切りし、蓮池透氏と和解すべきでしょう。 

*1:まあ、鉄道豆知識を「拉致問題の広報が目的のはずの動画」で述べたらそれはそれで変な話ですが。

*2:著書『「寅さん」が愛した汽車旅』(2008年、講談社+α新書)、『「郷愁と哀愁」の鉄道博物館』(2009年、講談社+α新書)、『「撮り鉄」入門:中高年・初心者のための撮影術』(2010年、講談社)など。個人サイトhttp://rail.travel.coocan.jp/南正時 - Wikipedia参照)

*3:中央公論社常務取締役・編集局長。著書『時刻表ひとり旅』(1981年、講談社現代新書)、『最長片道切符の旅』(1983年、新潮文庫)、『時刻表2万キロ』(1984年、角川文庫)、『時刻表おくのほそ道』(1984年、文春文庫)、『シベリア鉄道9400キロ』(1985年、角川文庫)、『終着駅は始発駅』(1985年、新潮文庫)、『中国火車旅行』(1991年、角川文庫)、『途中下車の味』(1992年、新潮文庫)、『車窓はテレビより面白い』(1992年、徳間文庫)、『失われた鉄道を求めて』(1992年、文春文庫)、『インド鉄道紀行』(1993年、角川文庫)、『日本探見二泊三日』(1994年、角川文庫)、『韓国・サハリン鉄道紀行』(1994年、文春文庫)、『旅は自由席』(1995年、新潮文庫)、『線路の果てに旅がある』(1996年、新潮文庫)、『ヨーロッパ鉄道紀行』(2000年、新潮文庫)、『駅は見ている』(2001年、角川文庫)、『豪華列車はケープタウン行』(2001年、文春文庫)、『鉄道廃線跡の旅』(2003年、角川文庫)、『乗る旅・読む旅』(2004年、角川文庫)、『鉄道旅行のたのしみ』(2008年、角川文庫)、『私の途中下車人生』(2010年、角川文庫)、『汽車旅12カ月』、『終着駅へ行ってきます』、『旅の終りは個室寝台車』(以上、2010年、河出文庫)、『「最長片道切符の旅」取材ノート』(2010年、新潮文庫)、『終着駅』(2012年、河出文庫)、『全線開通版 線路のない時刻表』(2014年、講談社学術文庫)、、『宮脇俊三鉄道紀行セレクション』(2014年、ちくま文庫)、『増補版 時刻表昭和史』(2015年、角川ソフィア文庫)、『ローカルバスの終点へ』(2019年、河出文庫)、『夢の山岳鉄道』(2021年、ヤマケイ文庫) など(宮脇俊三 - Wikipedia参照)

*4:JTBパブリッシング

*5:淡交社

*6:下津井電鉄下津井電鉄線を廃線にし鉄道事業からは撤退したが、会社自体は存続しバス事業を行っている(下津井電鉄 - Wikipedia参照)。

*7:原文のまま

*8:前後の文脈から朝鮮総連のこと