高世仁に突っ込む(2021年1/6日分)

後手後手と無策で続く過去最高 - 高世仁の「諸悪莫作」日記(2021年1月6日付記事)
 「今日も冒頭に同じ事を書いていますが(正直飽きつつありますがしつこく続けます)」タイトルから分かるように今日の高世記事も拉致はなぜ見過ごされてきたのか6 - 高世仁の「諸悪莫作」日記(2020年12月7日付記事)の続きではありません。高世もいい加減、(つづく)としている拉致はなぜ見過ごされてきたのか6 - 高世仁の「諸悪莫作」日記(2020年12月7日付記事)を放置しないでとっと終わらせたらどうなのか。
 それとも、もはや「続ける気が無い」のか。ならばはっきり「続けません」と書くべきでしょう。
 (つづく)としながらいつまでも放置する高世の気が知れません。しかも拉致問題は「現在はともかく、少なくとも過去においては高世のライフワークだった」はずなのに。
 さてこの後もいつも通り俺が「反吐が出るほど大嫌いな高世」「人間として全く評価してない高世」に悪口雑言することにします。

 後手後手と無策で続く過去最高 (山形県 江本口光章) 5日

 高世には

 嫌韓国と無策で続く拉致敗戦(埼玉県、bogus-simotukare)6日

という川柳(?)を贈呈したい。拉致問題で協力を要請すべき韓国相手に「ホワイト国除外」「フッ化水素水輸出規制」なんて馬鹿なこと(嫌韓国)をしていてはいつまでたっても拉致は解決しないでしょう。そして「小泉訪朝から18年間、対北朝鮮経済制裁しかしない」なんて「無策」では拉致が解決するはずもない。

 知事要請なければ総理どうしたの(愛知県 伊藤久美) 6日

 高世には

 ジンネット倒産、なければ高世どうしたの?(bogus-simotukare、埼玉県) 6日

という川柳(?)を贈呈したい。ジンネットの倒産が無ければ未だに高世は救う会や家族会に媚びへつらって「特定失踪者は北朝鮮拉致」などデマを垂れ流していたのでしょう。「ジンネットが倒産して本当に良かった」と改めて思います。

 リーダーになったことないんだこの人は (青森県 大橋誠) 6日

 ジンネットを倒産させて「社員や債権者に迷惑をかけた」高世には

 社長する資格はないんだ、高世には(bogus-simotukare、埼玉県) 6日

という川柳(?)を贈呈したい。高世のような「無能&無責任」は会社起業などすべきではなかったでしょう。
 そもそも「特定失踪者」などというデマの垂れ流しに加担した高世には「ジャーナリスト面して人前で講義する資格」なんて何一つないでしょう。

 まさに「立ちつくす」菅政権、まだ危機感が薄い。その理由の一つは、ワクチンが来ればもう大丈夫と思っているからではないか。

 「危機感が薄い」といえば「小泉訪朝から18年間が経っても」「横田滋や有本嘉代子が死のうとも」、拉致を解決する意欲が全く認められない家族会や救う会にこそ当てはまる言葉でしょう。
 まだ「緊急事態宣言発令」に動いた菅の方が「危機感がある」のではないか。 

 古い友人が関西のある大学院でメディア論のゼミをもっており、そこで5日に講義をしろと頼まれた。

 「古い友人の名前」も「関西のある大学院の名前」も高世が出さない点が興味深い。高世自身が出したくないのか、はたまた友人が「出さないでくれ」と頼んだのか。しかし「ジンネットを潰してからはろくにジャーナリスト活動などしてない高世」ごときに「講義させる」くらいならいくらでも「もっとまともな講師(現役ジャーナリスト)」はいるでしょうにねえ。

 一つは、日本のマスコミが海外とりわけ危険地の取材をしなくなる傾向にあること、もう一つはマスコミの取材活動の現場ですすむ「コンプライアンス」の強化だ。

 まず前者の「危険地の取材をしなくなる傾向」ですがこれは「一概に非難できる話」でもないでしょう。
 安全面を軽視した取材で「死人が続出する」なんて事は望ましいことでは無い。
 結局「安全面に配慮した上での危険地(戦地など)取材」で「貴重な情報をどう取ってくるか」という問題の訳です。

 第二の点だが、近年、メディアの世界でも「コンプライアンス*1」が取りざたされている。どのマスコミ企業も社員の不祥事があるたびに、再発防止でコンプライアンスの強化に大きな力を入れているようだ。
 最近も緊急事態宣言下で東京高検の黒川弘務・前検事長と産経と朝日の記者が賭けマージャンをしていたことが分かったが、そもそも取材に関連して賭けマージャンをするのはコンプライアンス上、不適切とのことだった。
 たしかにこれは問題だが、取材にひたすら「お行儀のよさ」を求めるのはどうか。
 例えば、振り込め詐欺犯グループや暴力団を取材する場合、彼らが取材を受けるようどう説得するか。彼らに影響力を行使できる人から圧力をかけてもらったり、あるいは一緒に飲んで親しくなったりとさまざまな搦め手も必要になってくる。
 取材の内容によっては証拠となるものを不正な手段で入手しなければならないこともあろう。要は、その取材で明らかになる事柄の社会的利益とのバランスで判断すべきものだと思う。

 高世には「やれやれ」ですね。
 「暴力団など反社会集団相手の取材ではきれいごとばかりではやっていけない。反社会集団にいいように利用されるリスクを冒してでも一緒に酒を飲んだりして彼らと親しくなる必要がある。何も取材できないよりは取材した方がましだ」という高世のその理屈なら「拉致解決のためには北朝鮮とのバーター取引も不可避では無いか。拉致被害者が一人も帰国できないよりはマシだ」「北朝鮮内部について何も取材できないよりは制約があるとは言え北朝鮮取材できた方がましでは無いか。北朝鮮政府関係者と一緒に酒を(以下略)」と高世は主張すべきでしょう。
 ところが話が北朝鮮になるや「バーター取引なんか出来るか!」「制約があるくらいなら取材しなくて良い、北朝鮮にいいように利用されるだけだ」と言い出すのだから全く高世もデタラメです。
 いずれにせよ「メディア論の講義」で高世は「戦地取材」云々には触れても「高世にとって、過去の栄光であったはずの北朝鮮拉致問題」には全く触れなかったようですね。もはや高世にとって北朝鮮拉致問題は「忘れ去りたい黒歴史」なのかもしれません。
 それはともかく、高世の「拉致問題取材」ほど「コンプライアンス(職業倫理の遵守)」に欠ける「取材の名前に値しないただの幇間行為」もないでしょう。
 ジャーナリストにとって大事な「コンプライアンス(職業倫理)」の一つは「真実に忠実なこと」「取材対象と癒着しないこと」でしょうが高世の場合「取材対象である救う会や家族会」と癒着したあげく「特定失踪者は北朝鮮拉致の疑いがある」などというデマを垂れ流して恥じないのだから「お話になりません」。
 そんな「似非ジャーナリスト・高世」がよくもまあ「メディア論の講義」など恥知らずにできたもんです。高世にそんなもんを依頼する「古い友人」とやらも呆れたバカですが。

*1:法令や職業倫理の遵守のこと