高世仁に突っ込む(2021年1/22日分)

『日本のいちばん長い日』によせて2 - 高世仁の「諸悪莫作」日記
 『日本のいちばん長い日』によせて - 高世仁の「諸悪莫作」日記の続きですね。なお、『日本のいちばん長い日』によせて - 高世仁の「諸悪莫作」日記についての感想はこの記事の下の方に書いています。ちなみにまた(つづく)だそうです。最低でも『よせて3』があるようです。
 高世の場合、(つづく)と書きながら、「つづかない」で尻切れトンボで終わることが普通にあるから「大笑い」ですが(呆)。
 それはともかく『日本のいちばん長い日』なんて『日本のいちばん長い日』によせて - 高世仁の「諸悪莫作」日記についての感想でも書きましたが「終戦の聖断論」にたつ「ゴミ本」「クズ本」であってはっきり言って読むに堪えないくだらない本だと思いますね。したがって半藤氏*1の死去も俺は「惜しいとは少しも思っていません」。

「(共和党の)赤対(民主党の)青、地方対都会、保守対リベラルを対立させるこのuncivil warを、私たちは終わらせなくてはなりません*2」と言った。

 政権が始まったばかりの現時点では「これだけでは」なんとも評価できませんね。「そうしたきれいごと」をバイデンがどう具体化していくかが問題の訳です。もちろん「トランプよりバイデンの方がずっとまし」「バイデンとトランプではバイデンしか選択肢はあり得ない」のは確かですが。とはいえ「既にバイデン政権が始まった」以上、いつまでも「トランプよりバイデンの方がずっとまし」で済ませるわけにもいかないでしょう。

 限られた出席者を前に行われた就任式だったが、そこに台湾代表が招かれたことが注目される。
 《台湾外交部(外務省)は台北駐米経済文化代表処(駐米代表部に相当)の蕭美琴代表が20日のバイデン米大統領の就任式に出席したことについて、「台湾の代表が正式招待を受けて出席したのは(国交断交後)初めてだ」とし、「米台が価値観の共有に基づき、緊密で協調的な関係にあることを浮き彫りにした」と称賛した。》(ロイター)
 バイデン政権で台湾支援の姿勢は強まりそうだ。
 台湾自身、コロナ対策に見られるように強烈に存在感を見せつけており、国際社会が台湾を「みそっかす」扱いする時代はもう終わったともいえる。

 「反中国、反共右翼の台湾ロビー」高世的には「そういうことにしたい」のでしょうが、まあ、「いわゆる断交ドミノ」、「EUと中国の投資協定」「中国が主要メンバーのRCEPの成立」などを考えればデマも甚だしいでしょう。
 確かにバイデンが「従来、出席させていなかった」台湾代表を出席させたことは「米中関係を悪化させる」「米国の中国相手の公約である『一つの中国』に反する」と否定的に評価するにせよ、「米台友好に資する」と肯定的に評価するにせよ注目には値しますが、さすがにバイデンも中国との関係をいたずらに悪化させたり、ましてや「一つの中国」原則を反故にする気は無いでしょう。
 こうした「願望で物事を語ってしまう精神的ゆがみ」こそが「ジンネット倒産」を招いたと思うのですが「ジンネットが倒産しても高世は永遠に愚劣です!(長島茂雄の引退風に)」ということのようです。
 そもそも高世の言う

国際社会が台湾を「みそっかす」扱いする時代はもう終わった

とは具体的にどういう意味なのか。欧米諸国が台湾と国交を結ぶとでも言うのか。台湾が国連やWHOなどに加盟するとでも言うのか。具体的に物が言えず「思わせぶりなことしか言えない」あたり高世の愚劣さにはいつもながら呆れます。

 1945年8月15日の朝、叛乱軍が日本放送協会NHK)を占拠した事件は、日本現代史の重要な転換点の一つだった。

 吹き出しました。既に下にも俺の感想を書いていますがあんな事件はそんなご大層なもんでは全くありません。
 「繰り返しますが」そもそも「玉音放送の入ったレコード」を奪ったところで「降伏の日が若干遅れる」程度のことにしかならなかったでしょう。
 いざとなれば「玉音放送のレコード」などなくても、降伏表明はいくらでも出来ます。
 むしろ「日本現代史の重要な転換点」というなら戦前昭和では『満州国建国の日』『国際連盟脱退の日』『いわゆる近衛声明の日(蒋介石を相手にせずと公言)』『北部仏印駐留の日(対米関係が悪化)』『対米開戦決定の日』などの方が余程それに該当するでしょう。

 畑中少佐は阿南陸相らとともに平泉澄東大教授の皇国史観を信奉し、教授の青々塾に所属していた。この史観によれば、天皇の方針、決意が間違っているならば、自分たちの正しい方針を天皇に採用させることが忠君である。この信念に生きていた畑中にとっては無念至極であっただろう。

 なお、「自分たちの正しい方針を天皇に採用させることが忠君である」という信念から「畑中と似たり寄ったりのこと(斎藤*3内大臣、高橋*4蔵相、渡辺*5陸軍教育総監の暗殺)をやった」のが226事件青年将校たちだったわけです。
 さて、高世が紹介する「柳沢恭雄(宮城事件当時、NHK報道部副部長。後に日本電波ニュース社創業者)の文章」に寄れば、クーデターの首謀者畑中だけでなく、阿南も「平泉信奉者」だそうです。改めて平泉のやばさにぞっとしますね、とはいえ、阿南はクーデター計画に加担しませんでしたが。
 ちなみに「平泉澄、畑中健二」でググってヒットした記事を紹介しておきます。

宮城事件とある歴史学者–––平泉澄の敗戦|いわい|note
 事件の首謀者の一人、畑中健二少佐が平泉澄*6の自宅を訪ねたのは、昭和二十年八月十一日夜のことでした。しかし平泉との話し合いはうまくゆかず、井田中佐に対して愚痴をこぼしました。
「平泉先生にはがっかりした。ただ『自重してください』の言葉を繰り返されるだけでまったく頼りにならない。先生を見損なった」(岩田正孝(事件当時は井田正孝)「未遂に終わった斬り込み計画(2.26事件の新事実)」『中央公論』一九九二年三月号、以降岩田手記)
 これを聞いた井田中佐*7は、平泉の真意を聞き出すべく翌十二日夜に平泉の自宅を訪ねます。平泉は無人の家に蚊帳を吊って休んでいましたが、井田に対してはやはり「自重してください」の一点張りで、井田中佐は失望します。
〈未曾有の国難に立ち向かう気迫は片鱗すら窺うことはできなかった〉(岩田手記)
 しかし、なぜ数日後にクーデターを起こす陸軍の若手将校二人が、「未曾有の国難」に際して軍人でもない一歴史学者を訪ねたのでしょうか。
 皇国史観では「天皇」は国家の中心であり、人物に対する評価はもっぱら「天皇にいかに忠義を尽くしたか」という尺度ではかられたと言っていいでしょう。それゆえ、天皇を「大元帥」とする当時の軍にとっては、平泉のような歴史観は非常に魅力的に写ったに違いありません。
 天皇への絶対的な忠誠を説く平泉の「史学」は、軍、特に陸軍の将来を担う若手将校の一部に熱狂的に受け入れられました。
 宮城事件には直接参加しなかったものの、彼らと親しく接しており、途中まで兵力を使用してポツダム宣言受諾阻止の計画まで建てた人物に、竹下正彦*8中佐(敗戦時の階級、阿南惟幾陸軍大臣の義弟)がいます。その竹下中佐は昭和七年ごろ、初めて平泉の講演を聞きました。
 竹下少尉には、平泉の講義は衝撃的でした。
〈白皙端正の容貌から迸る憂国の言々に深い感銘を受けたのであった。私はこの講演を終わってから、すっかり博士に魅せられ、それからというものは、「武士道の復活」、「建武中興の本義」、「国史学の骨髄」等の博士の著書を求めては読み耽るようになった〉(竹下正彦「平泉史学と陸軍」『軍事史学』第5号第1巻、以下竹下手記)
〈折も折、丁度その頃、平泉博士の講話を聞いたので、旱天に慈雨を得た如き感激を覚えたのであって、当日のことは今もなお忘れ得ぬ思い出である〉(竹下手記)
 手記が発表されたのは昭和四十四年のことですので、竹下は実に四十年近く前の出来事を懐かしく語っているのです。それほど、平泉の話は竹下のような若手将校には新鮮だったのです。「旱天に慈雨」と本人が言うように、軍の外部をあまり知らない軍人にとって、平泉の言葉は乾いた大地が水を吸収するように染み込んでいったのです。単純に「歴史上の忠臣」についての知識を与えたというのではなく、強固な「国体観念」の醸成、「天皇のために死して悔いなき」覚悟に思想的根拠を与えたのでした。
 平泉の影響力は次第に大きくなり、やがて戦時体制下では「唯一に近い公許イデオロギー」(秦郁彦*9昭和史の謎を追う(上)』(文藝春秋、一九九九年))と評されるまでになります。

 さて、高世が紹介する「柳沢恭雄」の文章紹介に戻ります。

 彼は、海軍兵学校でも講義したいと希望したが、井上成美校長はこれを断った。

 いわゆる海軍三羽烏(井上成美*10山本五十六*11、米内光政*12)が平泉の神がかりを嫌っていたことは有名な話です。
 とはいえ海軍に平泉の影響が皆無かというと残念ながらそんなことはなく、人間魚雷「回天」の考案者・黒木博司は平泉シンパだったようです。


『日本のいちばん長い日』によせて - 高世仁の「諸悪莫作」日記

 あるメディアの訃報に、もともと保守的な人間で、かつては「反動」(=半藤)と言われたのに、近年はまるで左翼扱いされる*13と、本人が時代の右傾化を嘆いていたとのエピソードがあった。

1)週刊文春、月刊文春の編集長を務めた人間
2)コメント欄で指摘がありますが、山本七平賞 - Wikipediaを受賞した人間ですので半藤氏は明らかに左派ではないですね。
 正直、半藤氏の昭和天皇に対する見方は「いわゆる終戦の聖断論」を支持しており、非常に甘いです。半藤『日本のいちばん長い日』(あるいは半藤原作の映画*14)も明らかに「終戦の聖断論」の立場であり、手放しでは評価できません。
 特に映画(1967年の岡本喜八監督版)は俺も地上波放送(たぶんテレ東木曜洋画劇場・特別版)で見たことがあります*15が、「三船敏郎*16が演じた阿南陸軍大臣*17(あの映画の主役?)」が非常に美化されており、山田和夫氏がその映画評において

◆阿南*18の美化に違和感があった。「陸軍幹部」阿南もあの戦争の責任者では無いのか。青年将校のクーデター計画に賛同しなかったことや、敗戦責任を感じて自決したことぐらいであそこまで美化するのはおかしい。
◆あのクーデターは成功の可能性が非常に低く日本の歴史にほとんど影響を与えていない。戦前昭和・日本の『いちばん長い日(日中戦争、太平洋戦争へ突き進む上で一番影響を与えた日)』はそう言う意味では『満州国建国の日』『国際連盟脱退の日』『いわゆる近衛声明の日(蒋介石を相手にせずと公言)』『北部仏印駐留の日(対米関係が悪化)』『対米開戦決定の日』など他にある。1945年8月14日、15日は『いちばん長い日』などでは全くない(俺の要約)

と批判していた記憶があります(手元に本がないのでうろ覚えであり、正確性には欠けますが)。俺も山田批判には「ガッテン、ガッテン(NHKためしてガッテン』風に)」で全く同感ですね。まあ、『日本のいちばん長い日』のつくられた「1967年」と言えば

◆1964年
 林房雄の『大東亜戦争肯定論』が出版
◆1967年
 「建国記念の日」制定
◆1968年
 佐藤内閣の明治100年記念式典

などと「時期が近いこと」に注意が必要でしょう。山田氏の『日本のいちばん長い日』批判が厳しい物になった背景には「半藤氏の主観が何であれ」山田氏のような左派においては半藤氏らの動き(終戦の聖断昭和天皇を美化)は、林房雄や佐藤内閣の右翼的動きと連動したものと見なされていたでしょう。
 まあ、とはいえ半藤氏は「安倍のようなトンデモ極右」よりはましですが。
 ちなみに「話が脱線します」が、『日本のいちばん長い日』(1967年)で阿南陸軍大臣を演じた三船は

三船敏郎の出演作品 - Wikipedia
ハワイ・ミッドウェイ大海空戦 太平洋の嵐 - Wikipedia(1960年)
 ミッドウェー海戦で戦死した第二航空戦隊司令官山口多聞 - Wikipedia
太平洋奇跡の作戦 キスカ - Wikipedia(1965年)
 木村昌福 - Wikipediaをモデルにした大村少将
連合艦隊司令長官 山本五十六 - Wikipedia(1968年)
 連合艦隊司令長官だった山本五十六
日本海大海戦 - Wikipedia(1969年)
 連合艦隊司令長官だった東郷平八郎
激動の昭和史 軍閥 - Wikipedia(1970年)
 山本五十六(1968年映画に続き、二度目の山本)
日本海大海戦 海ゆかば - Wikipedia(1983年)
 東郷平八郎(1969年映画に続き、二度目の東郷)

ということで他にも何人か「戦前日本軍の幹部軍人」を演じています。
 なお、「終戦の聖断論」については批判として

沖縄映像祭 » 遅すぎた聖断 〜検証・沖縄戦への道〜
◆遅すぎた聖断 〜検証・沖縄戦への道〜
 (ボーガス注:1944年7月のサイパン島陥落とそれを契機とした東条内閣崩壊*19など)敗戦の色が濃くなった時、元首相の近衛文麿は「国が壊滅する前に降伏すべき」と昭和天皇に進言する(ボーガス注:いわゆる近衛上奏文 - Wikipediaのこと。1945年2月に提出された)。
 だが昭和天皇は「降伏するのは、もう一度戦果をあげて、日本に有利な条件にしてからだ」と、近衛の進言を突っぱねた…。
◆制作・著作: RBC 琉球放送
◆制作年: 1988年
◆上映時間: 40分

【JCJ沖縄】 2月9日集会 「遅すぎた聖断」上映 各賞合同祝賀会も=編集部 : Daily JCJ2019年01月25日
 2017年2月に結成されたJCJ沖縄は、2月9日(土)に那覇市で集会を開く。
 JCJ沖縄事務局長の米倉外昭さん(琉球新報)によると、集会の中身は3つに分かれる。まず1988年にRBC琉球放送が制作した「遅すぎた聖断~検証・沖縄戦への道~」(写真=JCJ賞受賞)をRBCホールで15時から40分間上映する。今年4月に天皇の代替わりが行われることが上映のきっかけになった。番組は、昭和天皇の「聖断」が1945年8月13日ではなく、もっと早くに実施されていたならば、壮絶な沖縄戦の開始もなく、15万人という犠牲者を出すことはなかっただろうと昭和天皇の戦争指導と戦争責任を問う内容だ。
 これは近衛文麿元首相が1945年2月14日に昭和天皇に早期の「終戦」を進言したが、これに対して「もう一度戦果をあげてからではないと」と昭和天皇が一蹴したエピソードが根拠になっている。上映後、当時番組を制作した人につくったいきさつなどを報告してもらう。
(後略)

【書籍:刊行年順】
◆纐纈厚、山田朗*20『遅すぎた聖断:昭和天皇の戦争指導と戦争責任』(1991年、昭和出版
◆纐纈厚*21『「聖断」虚構と昭和天皇』(2006年、新日本出版社

を紹介しておきます。
 ソ連参戦(1945年8月10日)によって「ソ連を仲介役とした和平構想」が完全に崩壊するまで昭和天皇は「ポツダム宣言」など連合国側の提示した降伏条件に「天皇制維持」が明確に書かれてないことにこだわり、「昭和天皇の保身」のために「近衛上奏文(1945年2月)で近衛が早期降伏を主張しようとも」、「ドイツの降伏(1945年5月)によって日本に完全に勝算がなくなろう」とも、「ソ連を仲介役とした和平」と「それによる天皇制維持」をもくろんで降伏を遅らせました。
 近衛上奏文が出た1945年2月時点で降伏していれば「東京大空襲の悲劇(1945年3月)」はありませんでした(昭和天皇の近衛上奏文無視にこだわってるのが上で紹介したテレビ番組『遅すぎた聖断』です)。
 ドイツが降伏した1945年5月時点で降伏していれば「沖縄戦の悲劇(1945年6月)」も「広島、長崎の原爆の悲劇(1945年8月)」もありませんでした。まさに「遅すぎた聖断」でした。正直、近衛上奏文の存在など「日本歴史の知識」を知れば知るほど昭和天皇については「国民の犠牲に対する冷酷さ」「保身にこだわる卑怯者振り」「戦後、退位すらしなかったその下劣さ」「ソ連を仲介役とした和平構想が可能だと思う政治センスのなさ」などに怒りや軽蔑の思いを禁じ得ませんね。「終戦の聖断」で昭和天皇を美化するなど「バカか嘘つきのやること」でしかありません。そう言う意味では「終戦の聖断」で昭和天皇を美化する「バカか嘘つき」である半藤氏を俺は手放しで評価する気はありません。
 「終戦の聖断」美化など(もし事実なら、ってたぶん事実だろうが)安倍晋三のような野郎がよく「危機管理」とか偉そうなことをほざくものだ - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)が批判する安倍の問題点を無視して「3月の緊急事態宣言」で安倍を美化するぐらいの愚行でしょう。

半藤氏と親交のあった東京新聞の記者が追悼記事でこう書いている。
《「大事なことはすべて昭和史に書いてある」と語っていた半藤さんは、そこから学ぶべき5つの教訓を挙げている。
 ①国民的熱狂をつくってはいけない。そのためにも言論の自由・出版の自由こそが生命である。
 ②最大の危機において日本人は抽象的な観念論を好む。それを警戒せよ。すなわちリアリズムに徹せよ。
 ③日本型タコツボにおけるエリート小集団主義(例・旧日本陸軍参謀本部作戦課)の弊害を常に心せよ。
 ④国際的常識の欠如に絶えず気を配るべし。
 ⑤すぐに成果を求める短兵急な発想をやめよ。ロングレンジのものの見方を心がけよ。
 コロナ禍に苦しむ現在の社会でも、心にとどめたい教訓である。》(東京新聞

 高世も良くもこんなことが紹介できたもんだと心底呆れます。
 「半藤氏の言う昭和史の教訓」が「昭和史理解」として正しいかどうかはともかく、この5つの教訓とやらが全て該当する愚行が「救う会、家族会の言動」ではないのか。
 ①についていえば「小泉訪朝による国民的熱狂」を悪用した救う会、家族会によって「拉致問題についてマスコミには救う会、家族会の提灯持ち報道(高世のジンネットもその一つでしたが)しか出なくなった」「バーター取引すべきだという議論がしづらくなったこと」ことが今の拉致敗戦の一因では無いのか。
 ②についていえば「拉致被害者を救出するための現実的な策はバーター取引しかないんじゃ無いか?」というリアリズムを「犯罪者にカネをやるのか!」という「抽象的な観念論」で否定したことが今の拉致敗戦じゃ無いのか。
 ③について言えば「我々家族会はかわいそうな人たちだから特別扱いされて当然だ」「我々家族会は被害者業界(?)の特権階級、エリートなんだ。飲酒運転事故の被害者など『普通の被害者』より特別扱いされて当然だ」という「日本型タコツボにおけるエリート小集団主義(家族会の思い上がり)」こそが拉致敗戦の一因じゃ無いのか。
 ④についていえば
1)拉致問題については韓国の政治的協力を得るべき所、「慰安婦問題、徴用工問題などで韓国を敵視する」ような
2)あるいは「冷戦時代から深い政治的、経済的つながりのある、そして、北朝鮮体制崩壊など希望しない中露が北朝鮮を公然と経済支援している以上、日本の経済制裁が効果がないことなど明らか*22」なのに「効果がある」と強弁するような「国際的常識の欠如」した非常識な右翼団体救う会」と未だに家族会が付き合ってることが拉致敗戦の一因じゃ無いのか。
 ⑤についていえば小泉訪朝での5人帰国に「たった5人か」などと因縁を付け、未だに「即時全員一括帰国」などという「すぐに成果を求める短兵急な発想」が拉致敗戦の一因じゃ無いのか(そのくせに家族会が『小泉訪朝から18年に及ぶ拉致敗戦』を容認できるのも意味不明ですが)。なぜ「段階的帰国でもいい、とにかく一歩でも進めば良い」という「ロングレンジのものの見方」を家族会はしないのか。
 こうした俺の家族会、救う会批判について「家族会、救う会太鼓持ち幇間だった」高世は何というのですかね。少なくとも「そうですね、家族会、救う会の言動は、半藤さんの言う『5つの教訓』が全て該当しますね。そんな救う会や家族会に媚び続けた自分の過去が本当に恥ずかしい。ジンネットが倒産したのは家族会、救う会太鼓持ちだった馬鹿な自分の自業自得だと今思います」などとは言わないのでしょうね。
 良くて黙り、下手すりゃ「家族会や救う会には5つの教訓なんか該当しない!。半藤氏の言葉を曲解した誹謗、中傷は辞めろ。半藤氏にも救う会、家族会にも無礼だ」などと俺のような救う会、家族会批判に逆ギレでしょう。高世も呆れたバカです。

 1965年出版の古い本で、大宅壮一*23編とある。
 半藤氏を中心に「文藝春秋」の編集者らがまとめたが、無名なので大宅氏の名前を借りて出したのだという。

 今や「大宅の方が半藤より無名(大宅賞大宅文庫は一般人にはそれほど有名では無いでしょう)」というのは皮肉ですがそれはさておき。
 ちなみに「話が脱線しますが」これと全く同じパターンが『仁義なき戦い - Wikipedia』です。
 週刊サンケイでの発表当時は「広島抗争の中心人物の一人」である「美能組組長だった元ヤクザ・美能幸三(映画で菅原文太が演じた広能組組長・広能昌三のモデル。発表当時はヤクザを既に引退)」から飯干晃一が聞き書きしたという形をとった「仁義なき戦い」も今では「飯干はそもそもほとんど関与してなかった」が
1)さすがにヤクザの元組長の実名で連載すると警察の抗議が予想され、産経新聞(週刊サンケイの母体)の警察取材などに悪影響を及ぼす恐れがある
2)無名人の美能の名前では誰も読んでくれない
ということで『山口組三代目』と言う著書が当時すでにあった「飯干の名前貸しだった」ことがわかっています。

なぜこの本を読みたくなったかというと、あの戦争を終わらせるのに放送、つまり当時のNHKが非常に重要な役割を果たし

 「青年将校のクーデター計画を挫折させる(青年将校たちは降伏メッセージの入った玉音放送のレコードを保管されていたNHKから奪うことで降伏を阻止しようとしたが、NHK職員側の機転でレコードは奪われずに済んだ)」のに「重要な役割」ならともかく「戦争を終わらせるのに重要な役割」とはいえませんね。
 そもそも「玉音放送の入ったレコード」を奪ったところで「降伏の日が若干遅れる」程度のことにしかならなかったでしょう。
 いざとなれば「玉音放送のレコード」などなくても、降伏表明はいくらでも出来ます。それが見えていなかった青年将校等もある意味「哀れ」であり「滑稽」でもあります。
 その程度の話で

 あの天皇の肉声の放送が叛乱軍に阻止されていたら、敗戦時の混乱はもっと違ったものになっていただろう。

などと書く高世も全く感覚が狂っています。

 NHKに向かったのは、叛乱軍の首謀者の一人、畑中健二少佐だった。

 畑中健二 - Wikipediaに書いてありますが畑中は計画が失敗すると自殺します。
日本のいちばん長い日 - Wikipediaによれば「1965年の岡本喜八監督版」では黒沢年雄が、「2015年のリメイク版」では松坂桃李が畑中を演じました。黒沢や松阪のような「二枚目で売ってる俳優」を使うなとは言いませんが彼らが使われたことによって「畑中がかなり美化されてる」であろうことはうかがえます。

*1:著書『レイテ沖海戦』(2001年、PHP文庫)、『ノモンハンの夏』(2001年、文春文庫)、『ソ連満洲に侵攻した夏』(2002年、文春文庫)、『ルンガ沖夜戦』(2003年、PHP文庫)、『真珠湾の日』(2003年、文春文庫)、『聖断:昭和天皇鈴木貫太郎』(2006年、PHP文庫)、『日本のいちばん長い日 決定版』(2006年、文春文庫)、『それからの海舟』(2008年、ちくま文庫)、『日本国憲法の二〇〇日』(2008年、文春文庫)、『荷風さんの戦後』、『山県有朋』(2009年、ちくま文庫)、『昭和史1926-1945』、『昭和史戦後篇』(2009年、平凡社ライブラリー)、『15歳の東京大空襲』(2010年、ちくまプリマー新書)、『幕末史』(2012年、新潮文庫)、『安吾さんの太平洋戦争』(2013年、PHP文庫)、『聯合艦隊司令長官 山本五十六』(2014年、文春文庫)、『「昭和天皇実録」にみる開戦と終戦』(2015年、岩波ブックレット)、『戦う石橋湛山』(2019年、ちくま文庫)、『アメリカはいかに日本を占領したか:マッカーサーと日本人』(2019年、PHP文庫)、『B面昭和史 1926-1945』(2019年、平凡社ライブラリー) 、『歴史探偵 忘れ残りの記』(2021年、文春新書)など

*2:ただ「分断を終わらせる」にこだわり過ぎると「批判すべき者、事への批判がなされなくなる」危険性にも注意すべきでしょう。

*3:第一次西園寺、第二次桂、第二次西園寺、第三次桂、第一次山本内閣海軍大臣朝鮮総督、首相、内大臣など歴任(斎藤実 - Wikipedia参照)

*4:日銀総裁、第一次山本、原、田中、犬養、斎藤、岡田内閣蔵相、首相など歴任(高橋是清 - Wikipedia参照)

*5:陸軍大学校長、陸軍航空本部長、台湾軍司令官、陸軍教育総監など歴任(渡辺錠太郎 - Wikipedia参照)

*6:日本のいちばん長い日 - Wikipediaによれば映画には平泉は出てこないようです。しかし平泉を出さないで果たして「平泉の弟子たちが起こした宮城事件」をきちんと描いたと言えるのか。

*7:日本のいちばん長い日 - Wikipediaによれば「1965年の岡本喜八監督版」では高橋悦史が、「2015年のリメイク版」では大場泰正が井田を演じた。井田正孝 - Wikipediaによれば自決した畑中とは違い、自決せず戦後は電通幹部として活動

*8:日本のいちばん長い日 - Wikipediaによれば「1965年の岡本喜八監督版」では井上孝雄(1935~1994年)が、「2015年のリメイク版」では関口晴雄が竹下を演じた。なお、竹下正彦 - Wikipediaによれば自決した畑中とは違い、自決せず戦後は自衛隊幹部として活動。

*9:著書『慰安婦と戦場の性』(1999年、新潮選書)、『歪められる日本現代史』(2006年、PHP研究所)、『統帥権と帝国陸海軍の時代』(2006年、平凡社新書)、『南京事件(増補版)』(2007年、中公新書)、『現代史の虚実:沖縄大江裁判・靖国慰安婦・南京・フェミニズム』(2008年、文藝春秋)、『靖国神社の祭神たち』(2010年、新潮選書)、『陰謀史観』(2012年、新潮新書)、『旧日本陸海軍の生態学』(2014年、中公選書)、『昭和史の軍人たち』(2015年、文春学藝ライブラリー)、『慰安婦問題の決算』(2016年、PHP研究所)、『病気の日本近代史:幕末からコロナ禍まで』(2021年、小学館新書)など。慰安婦問題についての主張で産経・正論大賞を2014年に受賞した歴史修正主義右翼。

*10:海軍省軍務局長、海軍航空本部長、海軍兵学校長、海軍次官など歴任(井上成美 - Wikipedia参照)

*11:海軍航空本部長、海軍次官連合艦隊司令長官など歴任(山本五十六 - Wikipedia参照)

*12:戦前、林、第一次近衛、平沼、小磯、鈴木内閣海軍大臣、首相などを、戦後、東久邇宮、幣原内閣海軍大臣を歴任。日本のいちばん長い日 - Wikipediaによれば「1965年の岡本喜八監督版」では山村聡が、「2015年のリメイク版」では中村育二が米内を演じた。(米内光政 - Wikipedia参照)

*13:イヤー昔だって「紀元節批判」で「三笠宮」を左翼扱いするウヨはいたわけで、昔だって今だってレベルの低いウヨが左翼レッテル貼るだけでは?

*14:1967年の岡本喜八監督版と、2015年のリメイク版があります

*15:とはいえ「やたら阿南が美化されてて違和感を感じた」以外は記憶も曖昧ですが

*16:昭和日本を代表する映画スター。代表作は『野良犬』(1949年)、『羅生門』(1950年)、『七人の侍』(1954年)、『生きものの記録』(1955年)、『蜘蛛巣城』(1957年)、『隠し砦の三悪人』(1958年)、『悪い奴ほどよく眠る』(1960年)、『用心棒』(1961年)、『椿三十郎』(1962年)、『天国と地獄』(1963年)、『赤ひげ』(1965年、黒沢作品としては最後の出演作品)などの黒澤明作品(三船敏郎 - Wikipedia三船敏郎の出演作品 - Wikipedia参照)。

*17:なお、2015年のリメイク版では役所広司が演じた

*18:陸軍省兵務局長、人事局長、陸軍次官、陸軍航空総監、鈴木内閣陸軍大臣など歴任(阿南惟幾 - Wikipedia参照)

*19:サイパン島陥落によって米軍爆撃機による日本空襲が常態化したこと、東条が昭和天皇相手に「サイパンは死守する」と言いながら結局守れなかったことから、昭和天皇は東条への信頼を失った。それを契機に「米内光政元首相(元海軍大臣)」ら反東条グループによる「東条おろし」が激化。東条はそれに抵抗しきれず辞職した。後継の小磯内閣では東条おろしの中心人物の一人・米内が海軍大臣として入閣した。

*20:明治大学教授。著書『昭和天皇の戦争指導』(1990年、昭和出版)、『大元帥昭和天皇』(1994年、新日本出版社→2020年、ちくま学芸文庫)、『軍備拡張の近代史:日本軍の膨張と崩壊』(1997年、吉川弘文館)、『歴史修正主義の克服』(2001年、高文研)、『護憲派のための軍事入門』(2005年、花伝社)、『世界史の中の日露戦争』(2009年、吉川弘文館)、『これだけは知っておきたい日露戦争の真実:日本陸海軍の〈成功〉と〈失敗〉』(2010年、高文研)、『日本は過去とどう向き合ってきたか』(2013年、高文研)、『近代日本軍事力の研究』(2015年、校倉書房)、『兵士たちの戦場』(2015年、岩波書店)、『昭和天皇の戦争:「昭和天皇実録」に残されたこと・消されたこと』(2017年、岩波書店)、『日本の戦争:歴史認識と戦争責任』(2017年、新日本出版社)、『日本の戦争Ⅱ:暴走の本質』(2018年、新日本出版社)、『日本の戦争III:天皇と戦争責任』(2019年、新日本出版社)、『帝銀事件と日本の秘密戦』(2020年、新日本出版社)など

*21:山口大学名誉教授。著書『日本海軍の終戦工作:アジア太平洋戦争の再検証』(1996年、中公新書)、『検証・新ガイドライン安保体制』(1998年、インパクト出版会)、『日本陸軍の総力戦政策』(1999年、大学教育出版)、『侵略戦争:歴史事実と歴史認識』(1999年、ちくま新書)、『有事法制とは何か』(2002年、インパクト出版会)、『有事体制論』(2004年、インパクト出版会)、『文民統制自衛隊はどこへ行くのか』(2005年、岩波書店)、『戦争と平和政治学』(2005年、北樹出版)、『監視社会の未来:共謀罪・国民保護法と戦時動員体制』(2007年、小学館)、『憲兵政治:監視と恫喝の時代』(2008年、新日本出版社)、『私たちの戦争責任』(2009年、凱風社)、『「日本は支那をみくびりたり」:日中戦争とは何だったのか』(2009年、同時代社)、『田中義一:総力戦国家の先導者』(2009年、芙蓉書房出版)、『侵略戦争と総力戦』(2011年、社会評論社)、『領土問題と歴史認識:なぜ、日中韓は手をつなげないのか』(2012年、スペース伽耶)、『日本降伏:迷走する戦争指導の果てに』(2013年、日本評論社)、『日本はなぜ戦争をやめられなかったのか:中心軸なき国家の矛盾』(2013年、社会評論社)、『反「安倍式積極的平和主義」論』(2014年、凱風社)、『集団的自衛権容認の深層』(2015年、日本評論社)、『暴走する自衛隊』(2016年、ちくま新書)、『逆走する安倍政治』(2016年、日本評論社)、『権力者たちの罠:共謀罪自衛隊・安倍政権』(2017年、社会評論社)、『増補版・総力戦体制研究:日本陸軍国家総動員構想』(2018年、社会評論社)、『戦争と敗北:昭和軍拡史の真相』(2019年、新日本出版社)、『自衛隊加憲論とは何か:日米同盟の深化と文民統制の崩壊の果てに』(2019年、日本機関紙出版センター)、『日本政治史研究の諸相:総力戦・植民地・政軍関係』(2019年、明治大学出版会)、『崩れゆく文民統制』(2019年、緑風出版)、『戦争と弾圧:三・一五事件と特高課長・纐纈弥三の軌跡』(2020年、新日本出版社)、『重い扉の向こうに:歴史和解と戦前回帰の相克』(2020年、緑風出版)など

*22:これについては当初から和田春樹氏などが指摘していました。

*23:1900~1970年。著書『実録・天皇記』(角川新書)など(大宅壮一 - Wikipedia参照)