「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(2021年2/13分:荒木和博の巻)

第3次朝鮮スパイ事件(日本における外事事件の歴史3)【調査会NEWS3398】(R03.2.13) : 荒木和博BLOG
 拉致被害者の帰国に関係ないことを書いてどや顔してるんだから呆れます。


陸軍の潜水艦?(2月14日のショートメッセージ): 荒木和博BLOG

 令和3年2月14日日曜日のショートメッセージ(Vol.318)。昨日の話の続きです。まあ陸軍と海軍が喧嘩しながら世界中の大国*1相手に4年近く戦えたというのはそれなりに凄いことかも。陸軍の潜水艦・航空母艦というのも世界中にあまり例がないと思います。

 8分程度の動画です。昨日の話とは陸軍と海軍 陸上自衛隊と海上自衛隊(2月13日のショートメッセージ): 荒木和博BLOGのことですね。
 実に馬鹿馬鹿しい。そんなことは拉致解決とは何一つ関係が無い。なお「本当に例が無いのかどうか」は俺は知りません。
 ちなみに「陸軍、潜水艦」「陸軍、航空母艦(空母)」でググったら

三式潜航輸送艇 - Wikipedia
 日本陸軍の潜水艦。主に輸送任務で用いられた。 レイテ島の戦い(1944年10月)で3隻が実戦投入された。
 陸軍がこのような船種を単独で開発する事となった経緯には、1942年9月のラバウル方面を議題とした兵棋演習の席上、輸送作戦従事で第六艦隊隷下の伊号潜水艦に多大な損害を受けた日本海軍が、伊号潜水艦は輸送の任から外して本来任務の艦隊攻撃に専念したい事、輸送任務には新たに輸送用の波号潜水艦を陸軍に提供する事で代替とするが、輸送に従事する兵員は操艦要員も含めて全て陸軍からの供出を要求する提案を出した事が背景にあるとされる。

◆土井全二郎*2『陸軍潜水艦:潜航輸送艇マルゆの記録』(2010年、光人社NF文庫)

あきつ丸 - Wikipedia
 日本陸軍が建造・運用した揚陸艦上陸用舟艇母船)。上陸部隊の支援を目的とする全通飛行甲板を使用した航空機運用能力を有する、当時としては世界的にも極めて先進的な揚陸艦であり、その運用思想と船型から現在の強襲揚陸艦の先駆的存在であった。
 なお、陸軍がこれら本格的な揚陸艦を開発・保有した背景について、当時の海軍は戦闘艦の整備に傾注し、揚陸艦といった支援・補助艦艇の開発には極めて消極的で、近代戦において進化する上陸戦のみならず遠隔地への軍隊輸送・海上護衛(船団護衛)に対して理解が無く、揚陸艦のみならず上陸用舟艇・上陸支援艇の開発・保有は必然的に陸軍が行う必要があった事に留意しなければならない。
 また、陸軍が海軍とは別に(揚陸や輸送を目的とする)独自の船舶部隊(陸軍船舶部隊)を保有する事は、日本だけでなく同時期のアメリカ陸軍でも大々的に行われていた行為である。

熊野丸 - Wikipedia
 日本陸軍が建造した揚陸艦。全通式飛行甲板を有し、軽空母としての性格も持つ。「あきつ丸」の改良型である。「あきつ丸」と異なって当初から海軍の協力を得て設計されたため、日本海軍の商船改造空母(大鷹型航空母艦)に準じた構造を有する。
 太平洋戦争中に護衛空母機能を有する上陸用舟艇母船として起工されたが、完成が1945年(昭和20年)3月のため実戦使用されないまま終戦を迎えた。戦後、引き揚げ船として使用後、解体された。

◆奥本剛『日本陸軍航空母艦:舟艇母船から護衛空母まで』(2011年、大日本絵画

がヒットしました。ということであくまでも「上陸作戦を支援すること」が目的であって、海上での戦闘が目的ではありません。
 それはともかく、確かにこれでは荒木が言うように「仲が良い」とは言いがたいでしょう。
 それにしても

陸軍と海軍が喧嘩しながら世界中の大国相手に4年近く戦えたというのはそれなりに凄いことかも。

ていうのは、まあ「百歩譲っていい」としても、「陸軍と海軍が協調主義なら米国に勝てたんじゃ無いか?」て勝てるわけないでしょう。国力が違いすぎる。というかそんなことは拉致の解決と何一つ関係が無いですが。
 さて荒木曰く「映画『めぐみへの誓い』をどうしたら見れますか、と質問がありましたが、自主上映でやっていますので、そう言う運動を各地で起こして欲しい。東宝東映、松竹など大手配給会社は配給していません」。
 まあ、予想の範囲内ですが無様ですね。それだけ拉致が風化していると言うことです。


陸軍と海軍 陸上自衛隊と海上自衛隊(2月13日のショートメッセージ): 荒木和博BLOG

 令和3年2月13日土曜日のショートメッセージ(Vol.317)。陸軍と海軍の仲が悪いというのは大体国際標準?みたいですが、日本もご多分にもれません。帝国陸軍と帝国海軍の反目はある部分は今に引き継がれていますが、日本の場合これに敗戦と対米従属が加わってさらにややこしくなっています。そんなお話しです。

 8分程度の動画です。
帝国陸軍と帝国海軍の反目」だの「(荒木曰く)陸自と海自に引き継がれてる不仲」なんて話が、荒木ら救う会の建前である「拉致被害者の帰国」と何の関係があるのか。何の関係もない。
 なお「陸自と海自」が不仲かどうかは俺は知りません。
 ただし「戦前の陸軍と海軍」が「不仲な部分」があったことは事実のようですね。
 参謀本部(陸軍)と軍令部(海軍)で「作戦系統」が全く別になっているところ、それを「一本化できる」のは制度的には「統帥権の独立」によって天皇しかいないわけです。首相はまとめ役には制度上はなれない。
 そうなると荒木の言うように「天皇しかまとめ役がいないから」海軍、陸軍がお互い協調主義で無いとどうしても不仲になりやすい。しかし歴史的事実としては必ずしも協調主義では無かった。
 昔は「伊藤博文山縣有朋」などといった「明治維新の生き残りというカリスマ」で一定の軍事知識もある「元老(山県の場合、陸軍卿経験者)」がいて天皇の代わりに軍を押さえ込んでくれた。でもどんどん高齢化で死んでいくわけです。元老で残ったのは西園寺公望だけ。彼は首相経験者という大物政治家ではあってもお公家で軍事知識は無いし、「明治維新で命を張った伊藤や山県」ほどのカリスマでもない。伊藤や山県ほど軍に抑えが効かない。それでも一応彼は元老です。元老の彼が死んだら余計抑えがきかないわけです。「軍事専門家とは限らない首相」が軍の上に立つことを明治憲法の制定者である伊藤博文が嫌ったため「統帥権の独立」が設けられたとも言われますが、それは「軍のコントロールが難しい」という弊害を生むことになってしまった。
 まあ、それはともかく。
 さて

敗戦と対米従属

で「陸軍(陸自)と海軍(海自)の反目が助長」云々つう荒木の物言いが何を意味するかと言えば「わかりやすい例で言えば東京裁判」です。
 荒木らウヨにとって東京裁判は「敗戦と対米従属」の象徴ですが、ご存じの方も居るでしょうが、この裁判では海軍の人間は

・太平洋戦争開戦当時(東条内閣)の軍令部総長で、広田内閣海軍大臣も務めた永野修身
・太平洋戦争開戦当時の海軍大臣嶋田繁太郎
・太平洋戦争開戦当時の海軍省軍務局長・岡敬純

の3人しか起訴されてない(極東国際軍事裁判 - WikipediaA級戦犯 - Wikipedia参照)。
 一方、陸軍は

満州事変当時の陸軍大臣(第二次若槻内閣)南次郎
満州事変当時の関東軍高級参謀で、第一次近衛、平沼内閣陸軍大臣を務めた板垣征四郎
・太平洋戦争開戦当時の首相(陸軍大臣兼務)で第二次近衛、第三次近衛内閣陸軍大臣も務めた東条英機
・太平洋戦争開戦当時の陸軍次官・木村兵太郎
・太平洋戦争開戦当時の陸軍省軍務局長・武藤章
・陸軍次官、関東軍参謀長、朝鮮軍司令官、平沼、米内内閣拓務大臣、朝鮮総督、首相などを歴任した小磯國昭
・犬養、斎藤内閣陸軍大臣、第1次近衛、平沼内閣文部大臣などを歴任した荒木貞夫
・阿部、米内内閣陸軍大臣などを歴任した畑俊六
関東軍司令官、参謀総長などを歴任した梅津美治郎
南京事件当時の現地軍最高司令官(中支那方面軍司令官)・松井石根
ハルビン特務機関長、奉天特務機関長などを歴任した土肥原賢二
・駐ドイツ大使館陸軍武官、駐ドイツ大使だった大島浩
・いわゆる「黙れ」事件*3で知られ、南支那方面軍参謀副長、陸軍省軍務局長、支那派遣軍総参謀副長などを歴任した佐藤賢了
・第二次、第三次近衛、東条内閣企画院総裁、大日本産業報国会会長などを務めた鈴木貞一(陸軍出身)
・陸軍内の秘密結社「桜会」のリーダーとしてクーデター未遂事件「三月事件」「十月事件」に関与した橋本欣五郎

と海軍の何倍も訴追されたわけです。死刑囚は7人居ますがそのうち6人(既に上で名前を挙げた板垣、木村、土肥原、東条、松井、武藤)が陸軍軍人です(陸軍軍人でない死刑囚が斎藤、岡田、第一次近衛内閣外相、首相を歴任した広田弘毅)。東京裁判では「陸軍が一番の悪党」にされ海軍は甘い処分で済んだ。どうも「終戦工作に動いた鈴木貫太郎海軍次官、海軍軍令部長など歴任)が海軍幹部だったこと」、一方、東条英機が典型的ですが「陸軍は和平反対派が多かったこと」が大きいようですが、そのようになったことがどうも「海軍は汚い、陸軍がかわいそうだ」と荒木は許せないようです。
 さて荒木がこの動画で「カーチス・ルメイへの叙勲が許せない。東京大空襲の責任者なのに。空襲被害者に失礼だ。対米従属にもほどがある。日米友好とはそういうことではないはずだ」「日米安保を結んでることはそんな叙勲の正当化理由にならない」と言いだしたのには「え?」ですね。
 いや、俺も「個人的には全く同感」なんですが、「お前ら旧民社ってそんなこと当時、言ってたっけ?。社会党共産党東京大空襲被害者ならともかく」ですね。
 かつ「そんなことは拉致の解決に何一つ関係が無い」。

参考

カーチス・ルメイ - Wikipedia
 1964年12月7日、勲一等旭日大綬章を授与された。理由は日本の航空自衛隊育成に協力があったためである。12月4日の第1次佐藤内閣の閣議で決定された。推薦は小泉純也*4防衛庁長官椎名悦三郎*5外務大臣の連名で行われた。
 ルメイが東京大空襲や原爆投下を行った部隊の指揮官だったことから授与に対し批判も大きく、当時、日本社会党日本共産党原水爆禁止団体、被爆者などから国民感情として納得できないという声が上がった。

*1:米国、英国、中国のことか?

*2:元朝日新聞編集委員。著書『さいごの捕鯨船』(1987年、ちくまプリマーブックス)、『ダンピールの海:戦時船員たちの記録』(1994年、丸善ブックス)、『撃沈された船員たちの記録』(2008年、光人社NF文庫)、『ビキニ核実験はいかに行なわれたか』(2010年、光人社NF文庫)、『ソ満国境1945:満州が凍りついた夏』(2018年、光人社NF文庫)、『ガダルカナルを生き抜いた兵士たち』(2019年、光人社NF文庫)、『シベリア出兵』(2020年、光人社NF文庫)など

*3:衆議院国家総動員法審議で政府説明委員(当時、陸軍省軍務局軍務課国内班長)として法案説明を始めた佐藤に対して「(説明が)長すぎる」「説明で無く、演説をするな」「(佐藤の説明を)早く辞めろ」などと議員たちから野次が飛んだことにマジギレした佐藤が「黙れ!」と怒鳴りつけた事件。「議員に対して無礼だ」と非難され、佐藤もその場で発言を撤回して謝罪。杉山元陸軍大臣も陳謝したが、議員側にも「野次を飛ばしたという非」があったこともあり、佐藤への懲戒処分は特にされなかった(佐藤賢了 - Wikipedia参照)。

*4:池田、佐藤内閣で防衛庁長官。小泉元首相の父。

*5:戦前、岸商工相の下で商工次官。戦後、岸の誘いで政界入り。岸内閣官房長官、池田内閣通産相、外相、佐藤内閣外相、通産相自民党総務会長(佐藤総裁時代)、副総裁(田中、三木総裁時代)など歴任。佐藤内閣外相時代に日韓国交正常化に関与