新刊紹介:「歴史評論」2021年3月号

 小生がなんとか紹介できるもののみ紹介していきます。正直、俺にとって内容が十分には理解できず、いい加減な紹介しか出来ない部分が多いですが。
特集「日本近現代から都市史研究を考える」
◆戦後歴史学・現代歴史学と都市史研究:コロナ禍の世界のなかで考える(中嶋久人*1
(内容紹介)
 筆者が戦後歴史学・現代歴史学の都市史研究の成果として評価する

1)小路田泰直『日本近代都市史研究序説』(1991年、柏書房
 ただし筆者も指摘していますがその後、小路田の興味関心の変化から、彼の研究は
・『憲政の常道天皇の国の民主主義』(1995年、青木書店)
・『「邪馬台国」と日本人』(2001年、平凡社新書)
・『神々の革命:『古事記』を深層から読み直す』(2012年、かもがわ出版
・『邪馬台国と「鉄の道」』(2011年、洋泉社歴史新書y)
・『卑弥呼天皇制』(2014年、洋泉社歴史新書y)
・『日本憲法史』(2016年、かもがわ出版
・『疫病と日本史:コロナ禍のなかから』(2020年、敬文舎)
ということで都市史研究からは離れていきます。この「都市史研究からの離脱」をどう評価するかが小路田の都市史研究を評価する上での重要なポイントではあるでしょう。
2)成田龍一『「故郷」という物語:都市空間の歴史学』(1998年、吉川弘文館)、『近代都市空間の文化経験』(2003年、岩波書店
ただし筆者も指摘していますがその後、成田の興味関心の変化から、彼の研究は小路田同様に
・『司馬遼太郎の幕末・明治:『竜馬がゆく』と『坂の上の雲』を読む』(朝日選書 2003年)
・『「大菩薩峠」論』(2006年、青土社
・『歴史学のポジショナリティ:歴史叙述とその周辺』(2006年、校倉書房
・『大正デモクラシー』(2007年、岩波新書
・『戦後思想家としての司馬遼太郎』(2009年、筑摩書房
・『近現代日本史と歴史学:書き替えられてきた過去』(2012年、中公新書) 
・『歴史学のナラティヴ:民衆史研究とその周辺』(2012年、校倉書房
・『戦後史入門』(2015年、河出文庫
・『加藤周一を記憶する』(2015年、講談社現代新書
・『増補 「戦争経験」の戦後史』(2020年、岩波現代文庫
・『方法としての史学史』(2021年3月刊行予定、岩波現代文庫
ということで都市史研究からは離れていきます。この「都市史研究からの離脱」をどう評価するかが成田の都市史研究を評価する上での重要なポイントではあるでしょう。
3)源川真希東京市政:首都の近現代史』(2007年、日本経済評論社)、『首都改造:東京の再開発と都市政治』(2020年、吉川弘文館)

が論じられているが、小生の無能のため、詳細な紹介は省略します。
 さて副題の「コロナ禍の世界のなかで考える」は本論文においてそれほど大展開されているわけではありません(そもそも紹介された著書の内、源川真希『首都改造:東京の再開発と都市政治』(2020年、吉川弘文館)を除けば全て『コロナ蔓延より前の出版』で当然、コロナについての言及はありません)。
 ただし筆者も指摘するようにコロナ対応によって「緊急事態宣言による外出自粛、営業自粛」「テレワークの増加」「地方移住者の増加(?)」などによって都市のありようが今後変わっていけば*2「それを考慮した都市史研究」が当然必要になるわけです。
 
【参考:コロナと都市史研究】

コロナで都市は変わるか 論点を整理する(2020/12/04|京都・オンライン) | まち座|今日の建築・都市・まちづくり
 コロナ禍が始まってからもうすぐ1年。出口は未だに見えません。
 とくに欧米では多くの都市がロックダウンに入るなど過酷な経験をしたことを反映し、興味深い研究論文や調査報告が矢継ぎ早に発表されています。
 そこで人々の働き方・暮らし方を含む総体としての都市の「かたち」をめぐる多様な論点を整理した『コロナで都市は変わるか~欧米からの報告』を矢作弘*3、阿部大輔*4、服部圭郎*5、G.コッテーラ、M.ボルゾー二さんに執筆いただきました。
 本セミナーでは、本書で取り上げた都市をめぐるキーワード「高密度と過密」「公共交通と車依存」「コンパクトシティとスプロール型郊外」「複合型大規模開発とテレワーク」「観光や賑わいと3密回避」の概略を矢作さんに、都市計画と感染症の歴史を服部さんに掻い摘まんで説明いただいたあと、我々はどうすべきかに踏み込んで議論を深めたいと思います。
 かつて都市計画はコレラなど水を媒介とした感染症を制御し、より安全な都市づくりに貢献してきました。
 飛沫・空気感染にレジリエントでかつ都市の本質的な価値を高める方策があるのでしょうか。


◆韓国における植民地都市史研究の現況と展望(廉馥圭*6/翻訳・崔誠姫*7

・孫禎睦*8『日本統治下朝鮮都市計画史研究』(邦訳:2004年、柏書房
・廉馥圭『ソウルの起源・京城の誕生1910~1945:植民地統治下の都市計画』(邦訳:2020年、明石書店

などを題材に韓国における植民地都市史研究が論じられています(論じられているものに未邦訳の韓国語著作が多いところが素人にとって困りものですが)。
 筆者曰く、以下の課題が「韓国における植民地都市史研究」にはあります。
1)研究が京城(今のソウル)に集中していること
 京城朝鮮総督府の所在地であり重要な都市であること、資料も多数残っており研究がしやすいことの反映ですが、「京城以外の研究が手薄である」と批判されます。
2)比較研究の必要性
 戦前日本の植民地は韓国だけでは無く台湾や満州国などが存在した。これらの植民地都市(台湾総督府の置かれた台北満州国の首都・新京(今の吉林省長春市)など)と「韓国植民地都市」の相違について比較研究を進める必要がある。また日本において行われた都市改造(関東大震災後の東京復興計画など)との比較研究も行う必要がある。
 例えば関東大震災後の復興計画立案に関わった後藤新平(震災当時、第二次山本内閣内務相兼帝都復興院総裁)はそれ以前に台湾総督府民政長官、南満州鉄道(満鉄)総裁を歴任し、日本の植民地都市計画にも関与しており「日本本土の都市改造」と「植民地都市開発」には一定の共通点があったことが予想できる。


◆成立期の近代都市と代議制(池田真歩*9
(内容紹介)
 議論が多岐に亘っていて無能な小生では紹介しづらいのですが、筆者が「東京市水道鉄管疑獄事件」、「東京市街鉄道疑獄事件」で「灰色高官」として名前が浮上したため「利権政治の権化」「公盗の巨魁(税金泥棒の首領)」「(東京市街鉄道疑獄事件に関して)我田引鉄*10」などと生前非難され、ついに暗殺された東京市会議長・星亨 - Wikipediaに着目している点が興味深いとは思いました。
 もちろん筆者は星を道義的に非難しているわけでは無く*11、その能力から自由民権活動家出身ながら、第4次伊藤内閣逓信相を務め、藩閥政治家・伊藤ともパイプを持ったとは言え、もともとは一介の民権活動家にすぎない星が「利権政治の権化」と呼ばれるまでに成り上がった背景を分析することによって「成立期の近代都市と代議制」についての有益な知見が得られるだろうという話です。例えば、星の関与した「東京市水道鉄管疑獄事件」、「東京市街鉄道疑獄事件」とは「東京の近代化」により「鉄道工事事業」や「水道工事事業」が必要となったこと、それが政財官にとっての一大利権になったこと、そうした利権について「薩長藩閥政治家や官僚」だけでなく「政党政治家」が政治介入するまでに政治力を付けたことの「証明」でもあるわけです。


◆近代都市下層社会研究の成果と課題(町田祐一*12
(内容紹介)
 近代都市下層社会研究の成果として

【出版年順(出版年が同じ場合は著者名順)】
津田真澂『日本の都市下層社会』(1972年、ミネルヴァ書房)
立花雄一『評伝横山源之助』(1979年、創樹社→後に加筆訂正の上、『横山源之助伝』と改題し、2015年、日本経済評論社
 横山源之助(1871~1915年)は長く忘れられた存在であったが、現在では『日本の下層社会』(岩波文庫)、『明治富豪史』(岩波文庫ちくま学芸文庫)が刊行されています(横山源之助 - Wikipedia参照)。
◆立花雄一『明治下層記録文学』(1981年、創樹社→2002年、ちくま学芸文庫)
中川清『日本の都市下層』(1985年、勁草書房
布川弘『神戸における都市「下層社会」の形成と構造』(1993年、兵庫部落問題研究所)
加藤政洋『大阪のスラムと盛り場』(2002年、創元社
◆高野昭雄『近代都市の形成と在日朝鮮人』(2009年、人文書院
◆吉村智博『近代大阪の部落と寄せ場』(2012年、明石書店
◆杉本弘幸『近代日本の都市社会政策とマイノリティ』(2015年、思文閣出版
藤野裕子『都市と暴動の民衆史 東京・1905-1923年』(2015年、有志舎)
西成田豊『近代日本の労務供給請負業』(2016年、ミネルヴァ書房
藤野裕子『民衆暴力:一揆・暴動・虐殺の日本近代』(2020年、中公新書

などが紹介され論じられていますが小生の無能のため、詳細な紹介は省略します。

【参考:横山源之助

【明治の50冊】(28)横山源之助『日本の下層社会』 緻密な取材で示す貧困の構図(3/4ページ) - 産経ニュース
 本書によって横山は労働問題研究の第一人者とうたわれた。
 しかし、高い評価は知識層にとどまり、重版されることはなかったという。立花雄一の著書『横山源之助伝』によると、〈いらい、半世紀忘れられた〉。
 名著として、再評価されたのは戦後になってからだという。
 岩波文庫版は初版が昭和24年に刊行。岩波書店によると、途切れることなく版を重ねていて、累計では61版18万部。明治期の優れたルポルタージュとして定評を得ている。


◆都市インフラと政治(松本洋幸*13
(内容紹介)
「都市インフラと政治」についての研究として

【出版年順(出版年が同じ場合は著者名順)】
藤森照信『明治の東京計画』(1982年、岩波書店→1990年、岩波同時代ライブラリー→2004年、岩波現代文庫)
御厨貴『首都計画の政治』(1984年、山川出版社
◆芝村篤樹『関一:都市思想のパイオニア』(1989年、松籟社
 関一(1873~1935年)は大阪市長在任中に「御堂筋の拡幅」の他、市営公園や公営住宅の整備、大阪市営バス(現・大阪シティバス)事業の開始、大阪港の建設、地下鉄の建設(現・Osaka Metro御堂筋線)、淀屋橋大阪駅前の区画整理事業、大阪城公園の整備及び大阪城天守閣の再建、大阪市民病院の開設、日本初の市立大学・大阪商科大学(現・大阪市立大学)の開設、大阪市中央卸売市場の開設など、様々な都市政策を実行。「近代大阪の父」と呼ばれた(關一 - Wikipedia参照)。
高寄昇三『近代日本公営水道成立史』(2003年、日本経済評論社
御厨貴『明治国家をつくる:地方経営と首都計画』(2007年、藤原書店
高嶋修一『都市近郊の耕地整理と地域社会:東京・世田谷の郊外開発』(2013年、日本経済評論社
◆稲吉晃『海港の政治史』(2014年、名古屋大学出版会)

などが紹介され論じられていますが小生の無能のため、詳細な紹介は省略します。


◆都市政治史の新展開(中村元*14
(内容紹介)
 近代都市政治史研究の成果として

【出版年順(出版年が同じ場合は著者名順)】
赤木須留喜『東京都政の研究:普選下の東京都制の構造』(1977年、未来社
◆源川真希『近現代日本の地域政治構造:大正デモクラシーの崩壊と普選体制の確立』(2001年、日本経済評論社
桜井良樹『帝都東京の近代政治史:市政運営と地域政治』(2003年、日本経済評論社
大西比呂志横浜市政史の研究:近代都市における政党と官僚』(2004年、有隣堂
◆住友陽文『皇国日本のデモクラシー』(2011年、有志舎)

などが紹介され論じられていますが小生の無能のため、詳細な紹介は省略します。


◆歴史のひろば・リレー連載(人類はいかに感染症と向き合ってきたか)『『流行性感冒:「スペイン風邪」大流行の記録』*15を読む』(森田喜久男*16
(内容紹介)
 『流行性感冒:「スペイン風邪」大流行の記録』については速水融『日本を襲ったスペイン・インフルエンザ:人類とウイルスの第一次世界戦争』(2016年、藤原書店)を除き、十分な研究がされてないように思う。
 そのため、「スペイン風邪で死去した著名人の存在(例えば外国人だとクリムトマックス・ウェーバーなど、日本人だと島村抱月辰野金吾など)」(たとえばスペイン風邪(1918~1920年)での著名人の死去について(追記あり) - bogus-simotukareのブログ参照)が「クリムトファン」「マックス・ウェーバー研究者」など「その道のマニア(?)」にはある程度知られていても、スペイン風邪について「その程度の認識」しか日本ではされてこなかったように思われる。コロナ禍を機にスペイン風邪についての歴史研究の進展を望みたい。
 なお、『流行性感冒:「スペイン風邪」大流行の記録』は死者数を38万人としているが速水著書の推定に寄れば死者45万人であり、故意または過失により実際より低く見積もられてる疑いがあるという。

参考
100年前の内務省報告書、新型コロナで注目:朝日新聞デジタル
平凡社 東洋文庫『流行性感冒』を無料公開で重版へ - 文化通信デジタル


◆歴史の眼『光州をめぐる孤独と連帯』(真鍋祐子*17
(内容紹介)
 光州事件について論じられていますが、後でネット上の記事をいくつか紹介して記事紹介に代替します。
 しかし、真鍋氏も指摘していますが「光州事件での軍の虐殺」を否定しようとする韓国極右の策動が未だにあるとは言え「光州事件」のような黒歴史を語り継ごうとする韓国と「慰安婦や徴用工という汚点を否定しようとし、あげく韓国側に逆ギレしてホワイト国除外、フッ化水素水禁輸の安倍、菅政権」「関東大震災での朝鮮人虐殺について追悼文を拒否し続ける小池都知事」など「黒歴史を隠蔽しようとする」日本との違いには「屈辱感」を禁じ得ませんね。
 「韓国は黒歴史を語り継いで素晴らしい」で終わらせず「では我々日本はどうなのか?。日本は逆に恥知らずにも黒歴史を隠蔽しようとしているのでは無いのか?」という問いかけが必要でしょう。
 つまりは 

ヒロシマというとき(栗原貞子
ヒロシマ〉というとき
〈ああ ヒロシマ〉とやさしくこたえてくれるだろうか
ヒロシマ〉といえば〈パールハーバー
ヒロシマ〉といえば〈南京虐殺
ヒロシマ〉といえば 女や子供を壕のなかにとじこめガソリンをかけて焼いたマニラの火刑
ヒロシマ〉といえば血と炎のこだまが 返ってくるのだ

と言う話です。
 「ウイグルガー、チベットガー」とウヨがいうなら「日本人がアイヌ在日朝鮮人を差別し続けてきたこと」への反省が必要でしょう。

参考

犠牲者193人…韓国国民が38年前の「虐殺事件」を振り返るワケ(真鍋 祐子) | 現代ビジネス | 講談社(1/5)2018.8.12
 2017年8月、韓国で一本の映画が封切られた。公開初週の観客動員数は436万、韓国映画歴代3位の大ヒットだった。『タクシー運転手 約束は海を越えて』という作品である。1980年の「光州事件」を描いた映画で、日本でもロングヒットを続けている。
 1979年10月に朴正熙大統領が暗殺され、18年余に及んだ軍事独裁政権が終焉すると、韓国ではそれまで抑圧されてきた民主化への気運が蠢動し始める。
 (ボーガス注:1980年)5月17日、全斗煥(チョン・ドゥファン)が率いる新軍部が非常戒厳令を全国に布告すると、一夜明けた光州では学生たちが休校令を破って民主化要求のデモを続行した。
 これに対する戒厳軍の武力弾圧が光州事件の発火点となる。残忍な武力行使は丸腰の市民にも無差別に及び、堪えかねた人々は銃を取って市民軍を結成するが、27日未明、空挺部隊によって制圧された。当時、犠牲者は193人と発表されたが、密かに埋められた遺体もあったとされ、身元不明者や行方不明者を合わせると、実際の犠牲者は2000人とする説もある。
 なぜ2017年に、40年近く前の事件を描いたこの作品が熱狂を持って韓国の国民に迎えられたのだろうか。
 この作品が公開された昨年8月の直前、強権的で暴力的、反民主的とも言える朴槿恵(パク・クネ)政権が、国民による「ろうそくデモ」の影響などもあって倒された。
 のちのことだが、朴槿恵政権がろうそくデモに対する戒厳軍投入の準備を進めていたという仰天情報が、スクープとして報じられた。一歩間違えば、光化門一帯に装甲車が進駐し、銃声が轟き、38年前の光州と同様の阿鼻叫喚が再現されたはずだ、という。
 国のトップを反民主的な存在が占めるなかでクランク・インしたこの映画は、非暴力主義のデモによって政権を倒したという矜持と、長年、民主化運動に従事してきた人権弁護士出身の文在寅ムン・ジェイン)を大統領に押し上げ、いまや「文在寅保有国」を自負する国民に歓迎されたわけである。
 光州事件は、民主化を求め続けた韓国の人びとの間で、連綿と受け継がれる遺言のようなものなのである。
 同時に想起されたのは、95年の『モレシゲ(砂時計)』現象だった。これは最高視聴率64.5%を叩き出したSBSのテレビドラマで、それまでタブー視された自国の負の歴史に果敢に切り込む内容だった。ことに主人公たちが光州事件に遭遇する場面で、背景に当時の映像が使われたことは韓国社会に大きなインパクトを与えた。
 実際、このドラマを通して初めて光州事件の惨状を知り、衝撃を受けたという人、それまで関心を向けてこなかった民主化運動の意味を悟ったという人が少なくなかったのである。
 話は前後するが、2017年5月、就任後初の光州での追悼式で、文在寅大統領は事件に対する真相究明を約束し、「犠牲者の名誉を守り、民主主義の歴史を記憶すること」を強調した。また、「“光州”のために闘った烈士たちを称えたい」として、「目を背けたい過去」の中に封じ込められてきた民主化運動の犠牲者たちの存在を、80年代の4人の死者たちの名に代表させて呼び起こした。

韓国・光州事件を「虐殺」と認定 ヘリで丸腰の市民に無差別銃撃 特別調査委(1/2ページ) - 産経ニュース2018.2.8
 1980年5月に韓国南西部の光州で軍が民主化を求める市民を武力鎮圧した光州事件をめぐり、韓国国防省の特別調査委員会は7日、当時軍のヘリコプターが上空から丸腰の市民に無差別に機銃掃射を加え殺害していたことを確認したと発表し、この行為は「虐殺だった」と認めた。
 鎮圧を指示した全斗煥(チョン・ドゥファン)・国軍保安司令官(後の大統領)は昨年出版した回顧録光州事件は「暴動」とし、ヘリからの銃撃を否定。回顧録は内容が虚偽だとして販売が禁じられた。
【用語解説】光州事件
 韓国で1979年にクーデターを起こした全斗煥氏の戒厳令に抵抗し、1980年5月18日から南西部、光州の市民が抗議行動を強めた。軍は同月21日にデモ隊に一斉銃撃を浴びせ数十人を殺害。その後、同月27日に抵抗を完全に鎮圧した。1995年の韓国検察の捜査記録では、市民の死者は160人以上。全元司令官はクーデターと光州事件を主導したとして内乱罪などで起訴され、無期懲役刑が確定したが、特赦で出所している。

韓国民主化弾圧38年で式典 光州事件、首相が遺憾表明 - 読んで見フォト - 産経フォト2018.5.18
 韓国南西部・光州で1980年、民主化を求めた市民らに軍が発砲するなどして160人以上が殺害された光州事件の発生から38年に当たる18日、政府の式典が光州の国立墓地で開かれた。政府を代表し出席した李洛淵首相は、過去の保守政権に事実を隠蔽する動きが見られたとして「過去の政権の犯罪的な行いに深い遺憾を表する」と強調した。
 日本では、事件を巡る実話を基に製作され韓国で大ヒットした映画「タクシー運転手 約束は海を越えて」(邦題)が公開中。式典には映画の登場人物で、戒厳令下の光州に潜入し惨状を世界に伝えたドイツ人記者(故人)の妻も出席した。

韓国大統領「国家暴力の真相究明」誓う、光州事件40年: 日本経済新聞2020年5月18日
 韓国南西部の光州で1980年、民主化運動の学生らに軍が発砲し160人以上が殺された光州事件が起きてから18日で40年を迎えた。特殊部隊に発砲を命じた軍の指揮命令などを巡り不明な点が残っており、文在寅ムン・ジェイン)大統領は政府の式典で「国家暴力の真相を必ず明らかにする」と述べた。
 光州市によると、国が公式に認めた事件の死者は161人で、行方不明者は78人に上る。被害者団体はさらに多くの人が殺されたと主張している。民主化デモの鎮圧へ軍を投入した当時のクーデター政権は光州市を封鎖し、報道を統制した。

韓国の全斗煥元大統領に有罪判決 光州事件で名誉毀損:朝日新聞デジタル2020年12月1日
 韓国・光州で1980年に軍が民主化運動を弾圧した光州事件の証言をめぐり、名誉毀損の罪に問われた全斗煥(チョンドゥファン)元大統領(89)に対する判決公判が11月30日、光州地裁であった。地裁は全被告に懲役8カ月執行猶予2年(求刑懲役1年6カ月)を言い渡した。
 全被告は光州事件当時、国軍保安司令官として軍を率いた。事件当時に軍がヘリコプターから市民を銃撃したとする証言について、「破廉恥なうそつき」などと非難し、証言者の名誉を毀損したとして在宅起訴されていた。地裁は判決で、ヘリの銃撃はあったと認定した。
 全氏は光州事件をめぐって内乱罪などに問われ、97年に無期懲役が確定したが、約8カ月後に特別赦免を受けた。


◆書評:繁田真爾*18著『「悪」と統治の日本近代:道徳・宗教・監獄教誨』(2019年、法蔵館)(評者:辻岡健志)
(内容紹介)
 ネット上の記事紹介で代替。

【参考:繁田氏の研究】

近代仏教は「悪」とどのように向き合ってきたか 繁田真爾氏(1/2ページ):中外日報2017年6月9日
 宗教界では、死刑制度に教団レベルで公式に反対を表明しているのは、真宗大谷派や大本、カトリック(正義と平和協議会)など、必ずしも多くないのが現状だ。一方、2003年に超宗派で結成された「『死刑を止めよう』宗教者ネットワーク」をはじめ、死刑制度の廃止を訴えている個々の宗教者や関係団体は、決して少なくない。
 日本近代史や仏教史についていくつか論考を物してきた一人として、私もこうした宗教界の動向に強い関心を寄せてきた。また、死刑制度に賛成か反対かの意見そのものはもちろん、その意見が一体どのような立場や論理に支えられているのかということにも、注目してきた。
◆ある監獄教誨師の経験――藤岡了空
 この問題を考えるためのひとつの手がかりとして、ここでは明治期に活躍した真宗大谷派の藤岡了空(1847?~1924)という監獄教誨師の経験に、注目してみよう。
 教誨師とは、刑事施設の被収容者に対して、過ちを悔い改めるよう求め、彼らの徳性を養う道を説く宗教者のことである。現在は全国で1864人の宗教家がボランティアで務めているが、戦前は国家公務員として、全ての監獄に教誨師を配置することが義務づけられていた。
 ここで見たい藤岡了空は、監獄教誨が近代日本で制度として確立した草創期の明治20年代、教誨師トップランナーとして活躍した人物である。その藤岡の経験には、人間の「悪」と正面から向き合うことの重要性と困難さとが、原初的なかたちで表現されているように思われる。
 東京の石川島監獄所や滋賀県膳所監獄などで教誨師を務めた藤岡は、明治20年代に先駆的に監獄教誨に身を投じ、前半生を監獄教誨に捧げた。同僚の僧侶たちに会うと、藤岡は決まって監獄や犯罪の話題を持ち出したため、周囲から「監獄狂」という綽名で呼ばれた。生まじめな藤岡は、教誨師としての職務に没頭し、「一分の時間も私交の為めに徒費する閑はありませぬ」と、ほとんど全生活を教誨に捧げていた。
 しかし、監獄教誨の使命に燃える藤岡の情熱とは裏腹に、囚徒たちを前にした実際の教誨は、試行錯誤の連続だったようである。現場の様子を藤岡は具体的に書き残していないが、「其教誨の効を著しく奏せんことは甚だ以て難」しいと痛感し、「疑問又疑問を重ねて遂に胸中暗夜の如き心持」がしたと語っている。特に藤岡が訴えているのは、「懲戒」と「教誨」、つまり寛厳のバランスをとることの難しさであった。
 そこで藤岡は、監獄教誨の困難を打開して理想的な教誨を実現すべく、『監獄差入本』(1889年)と『監獄教誨学提要草案』(1892年)の2書を、1年間という驚くべき短期間で書き上げた。前者は囚徒に直接語りかける体裁の冊子で、獄中での看読用に編まれた。「獄則謹守の事」など、囚徒が守るべき規則や心得を、具体的に語りながら解説した内容である。後者は、獄事関係者向けの著作で、現場で役立つ実践的な教誨の方法を盛り込みながら、「監獄教誨学」の試案として提出された藤岡の主著であった。
 だが、これらの著作を掲げて藤岡が訴えた方策は、大谷派本山には採用されなかった。さらに激務後の睡眠時間を削りながら2書を書き続けた代償として、藤岡は神経衰弱を病み、やがて結核に罹患した。教誨師の職も退かざるをえず、理想的な教誨制度を作り上げようとしてきた藤岡の奮闘は、ここに挫折を余儀なくされたのである。
 その後約30年に及んだ療養生活では、打って変わって、藤岡は心静かで平穏な生活を心がけるようになった。晩年の藤岡は軽妙で文明・社会風刺も含んだ多くの漫画を描き、気ままな境遇を楽しむといった生活を送った。このように藤岡の生涯は、病気による挫折を間にはさんで、前半生と後半生の鮮やかな対照が特徴的なのである。
 ここでは、監獄での教誨に挫折した晩年の藤岡が、「人生中最も必要なるものは自ら治むると云うこと」と断言していることに、注目しておきたい。犯罪者や囚徒など、「他者」をいかに治めるかということは、全く問題とされていないのである。
 この言葉には、まずはみずからを治め、みずからを省みることが人生で最も大切であるという藤岡の信念が、実感に裏打ちされたかたちで簡明に語られている。誰よりも情熱的に監獄教誨を開拓してきた教誨師が、困難を力業で乗り越えようとして挫折した結果、最後は自己を治める道へと至ったことの意味は、大きいと考える。
◆社会矛盾を深層から見つめる
 私はこれまで、現役で活動している仏教教誨師の方々と会い、直接お話を伺う機会に何度か恵まれた。彼らは一様に慎み深い性格で、あまり多くは語られない方ばかりであった。また、被収容者たちと正面から向き合う宗教教誨には、やりがいとともに、様々な困難やジレンマもあるようで、それを心の奥底に澱のように抱えているように見えた。堀川惠子氏*19が『教誨師』(講談社、2014年)で克明に描き出したあの渡邉普相師の深刻な懊悩と、それはどこかで通底しているようでもあった。
 人は「悪」を裁くことができるのか。人は誰かを思うように変える(矯正する)ことができるのか。死刑には反対だが、制度として死刑が現に存在する以上、死刑囚に最期まで寄り添う自分のような存在が必要ではないか――。
 こうした教誨師たちのジレンマには、様々な表現や個人差があるとはいえ、いずれも私たちの社会が抱える根深い問題の一端が、凝縮されたかたちで表現されているともいえるのではないか。そしてそのジレンマは、少なくとも条件反射的に「凶悪犯には厳罰を!」と勇ましく叫びたてるだけで、埋め合わせることができるほど単純なものでないことは、確かであろう。
 近代仏教の歴史を振りかえれば、清沢満之や近角常観をはじめ、人間の実存や宗教性を根源的に問い直そうとした仏教者のほとんどが、人間の「悪」の問題を正面から見つめ、生涯をかけて探究した。それはおそらく、キリスト教など他の宗教派でも同様であろう。
 今日の犯罪更生や死刑問題も、彼らが原理的に探究した「悪」の問題に一度立ち返ってみることで、また別のアプローチから議論を提起してみることも可能ではないだろうか。自己と他者が同じ「悪人」であることを説いた清沢・近角そして晩年の藤岡たちの眼に、今日の死刑存廃論議は、どのように映るのだろうか。
 近代以降の仏教者や教誨師たちが、単純には割り切れない人間の「悪」の問題と格闘してきた歴史を知ればこそ、私は、正義の立場から「悪」を他人ごとのように切り捨てる死刑制度には、反対である。

 まあ、俺が「死刑制度に反対する最大の理由」は「冤罪の危険性」ですが、赤字強調したような問題意識には共感しますね。
 「我々は死刑該当犯罪(殺人)を絶対にしないと言い切れるのか?」
 まあ、「たぶんしない」と思いますし、する場合でも

津山事件(1938年、30名殺害)の都井睦雄(犯行後、自殺)
三菱銀行人質事件(1979年、4名殺害)の梅川昭美(強行突入した警官が射殺)
大阪教育大学附属池田小学校殺傷事件(2001年、8名殺害)の宅間守(2004年に死刑執行)
相模原障害者施設殺傷事件(2016年、19名殺害)の植松聖(2020年に死刑確定)
京都アニメーション放火殺人事件(2019年、36名殺害)の青葉真司(現在、裁判中)

などのような無茶苦茶はしないでしょう。とはいえ、「殺人犯全て」が「常軌を逸した人間のクズ」で「我々とは全くかけ離れた存在」というわけではないし、我々が「殺人に限らず」犯罪に走らない理由としては「恵まれた環境にあるから」という外部要素は否定できないわけです。不幸な環境でも犯罪を起こさなかったと断言は出来ない。
 そして「こいつはもはや生きる価値はない、更生の見込みはない」と判断し、死刑判決を下す基準(日本ではいわゆる永山基準ですが)は果たして正当なものなのか、そう言う人間(死刑囚)を教誨して「何か意味があるのか?」つう話ですね(もちろん教誨の対象は死刑囚だけでは無く懲役囚もいますが)。
 「反省させるために教誨」つうのなら「死刑囚にはもはや更生の見込みはない」と矛盾するし、「とにかく心安らかに死になさい」つう意味で教誨つうなら果たしてそう言う物を「教誨」といって肯定的に評価して良いのか、いやそもそも「反省しない人間が心安らかに死ぬのか?」つう話です。

真宗総合研究所東京分室主催公開研究会「監獄教誨の歴史と現在——「悪」からみた近代」を開催 | 2018年度新着一覧 | 大谷大学2018/08/28
 2016年4月に開所した真宗総合研究所東京分室における研究活動として、各PD研究員の個人研究のほか、東京分室長とPD研究員による共同研究「宗教的言語の受容/形成についての総合的研究—哲学的・宗教学的・人類学的視点から—」を行っています。
 第5回として8月3日(金)に明星学園教諭/早稲田大学現代政治経済研究所特別研究所員の繁田真爾氏をお招きし、「監獄教誨の歴史と現在——「悪」からみた近代」の講題で研究会を行いました。
 講師の繁田氏は、近代の思想史・仏教史を専門とされ、その中で清沢満之に深い関心を寄せられています。特に清沢が「悪」ということに深い眼差しを向けていたことに注目し、その「悪」の思想と近代日本社会との交錯の場として監獄教誨の歴史を研究されておられます。その繁田氏に、現代における死刑制度ということまで視野に入れながら監獄教誨についてのお話をいただき、その後議論を行いました。
 講演は、まず監獄(刑務)教誨の現在として、現代に宗教教誨がどのように実施されているのか、その実施状況や受刑者の意識など、具体的なデータを用いながら説明されました。その上で、監獄(刑務)教誨の歴史として、今日まで続く監獄教誨の起源にまでさかのぼり、そこに一貫した理念として「悔過遷善」があることを述べられました。そのような教誨事業の中で、清沢と同時代には人間の「悪」に共感し主体の矯正を第一義とはしない異端的教誨師が登場することや、昭和初期には治安維持法制定に伴う思想犯教化として教誨事業への期待が高まったこと、特に死刑制度をめぐって「矯正」と「死刑」との矛盾に直面する教誨師の発言など具体的事例を通しながら、教誨師たちが抱えたジレンマを紹介されました。そして最後に教誨制度・死刑制度について、制度の歴史と当事者の声をふまえながら考えていくべきことを提言されました。繁田氏の講演に対し、その後の質疑では、様々な視点から意見が出され、活発な議論が交わされました。

繁田真爾元教諭(社会科)がご自身初の単著となる研究書『「悪」と統治の日本近代-道徳・宗教・監獄教誨』を上梓されました - トピックス(中学校)|明星学園 中学校 - 明星学園2019-08-01
 保護がかかっていて「本文のコピペ貼り付け」が出来ないのでリンク貼り付けだけしておきます。興味のある方はリンク先をお読み下さい。
 しかしリンク先の

・研究者として生きたかったが、『生活の保障(安定した収入が得たい)』と『研究活動(研究活動内容に少しでも近い職業にしたい)』の両立を考えて、私立明星中学・高校の社会科教師に就職
・しかし中学・高校の社会科教師を続けながら、研究活動を続けることの限界(当初から覚悟はしていたが)を感じるとともに、論文が研究雑誌に掲載され好意的評価を得るなど『研究活動一本でも食える自信』を得たので、社会科教師を辞職し、研究者一本でやっていくことにした
・教員時代の活動が『片手間のいい加減なものだった』とは思ってない。私なりにベストを尽くしたつもりだが、そうした自分の生き方を容認してくれた私立明星中学・高校の教職員の皆さんには感謝の念しかない

つう文章(以上は俺の要約で、繁田氏の文章そのままではありません)には「世知辛いなあ」感がありますね。実際、研究者一本で食うことは難しいわけです。
 あげく最悪の場合だと
「家族と安定がほしい」心を病み、女性研究者は力尽きた:朝日新聞デジタル2019.4.10
文系の博士課程「進むと破滅」 ある女性研究者の自死:朝日新聞デジタル2019.4.10
40代研究者の死に涙した心優しい人たちへ(榎木英介) - 個人 - Yahoo!ニュース2019/4/18
自死した2人のオーバードクターと私の分かれ道 - 粥川準二|論座 - 朝日新聞社の言論サイト2019.6.17
なんてことも起こってしまう(この「西村玲氏*20の自殺」については後でこれらの記事の本文を紹介します)。
 まあ、元の勤務先がこうした繁田氏の文章を掲載して「いやいやこちらこそ、繁田先生が研究者として大成(?)するお役に立てたのなら良かったと思います(これまた俺の要約で元の文章そのままではありません)」という態度なのは「良いこと」だと思いますが。

繁田著『「悪」と統治の日本近代』刊行! » 東北大学 国際日本学 近代日本ゼミ (宗教学・思想史)
 本ゼミ所属のポスドク繁田真爾先生は博士論文を踏まえた単著『「悪」と統治の日本近代――道徳・宗教・監獄教誨 』を法藏館から刊行しました。井上哲次郎(1856-1944)や清沢満之(1863-1901)、そして明治期の教誨制度を検討しながら、近代日本における「悪」の問題に迫る画期的な作品です。早速、「仏教と近代」研究会のブログで、書評が掲載されましたので、ご関心のある方は是非、一読ください。

「仏教と近代」研究会 : 『「悪」と統治の日本近代―道徳・宗教・監獄教誨』2019.7.28
 浄土真宗の開祖である親鸞が、「悪人正機」を説いた僧侶であったことは、よく知られます。親鸞は、いわば中世日本の「悪の思想家」であったわけですが、その思想は、近代にどう継承され展開されたのでしょうか。「悪人正機」のフレーズの有名さからすると意外なことに、この点、突っ込んで考察した本はあまり存在しません。
 今回紹介する繁田真爾氏の本は、近代における「悪」の問題について、明治期の仏教者たちの思想や実践を中心に検討しています。著者の博士論文をもとにした浩瀚な書物で、読み通すには一定の根気が必要です。しかし、著者のねばり強い思索の流れに付き合いながら本書を読み終えたとき、読者の内面にも、同様にねばり強い思惟が培われるはずです。
 全体は三部構成。第一部では、井上哲次郎をおもな対象に、近代日本人の生き方を大きく規定した、いわゆる「国民道徳論」の形成と、その進化や葛藤の諸相が検討されます。第二部では、清沢満之を主役にして、毀誉褒貶のある彼の思想の内実と、その「悪」への対峙の仕方を考えます。なお、清沢は本書全体を貫く主役でもあり、著者は清沢と直接関係のない対象に関しても、ひたすら清沢とともに思考します。第三部では、日本での監獄教誨の制度的な確立と、教誨師たちの活動を明らかにします。近代日本の「悪」の問題が集約的に問われる、監獄教誨という現場の検証から、問題の複雑さが浮き彫りになり、たいへん独創的な論述が提示されます。
 第一部については、井上哲次郎の思想とその特に宗教界での反響が、ここまで詳細に論じられている研究書は珍しく、大いに興味をひかれます。『教育勅語』の公的な解説者として、国民道徳論の構築と宣布を担った井上が、「万世一系の皇統」「総合的家族制度」「忠孝一致」といったアイデアをいかに吸収しながら、彼の国体論的な道徳論を完成させたか。その考え方の基盤の一つであった「現象即実在論」の性格とは。あるいは、井上は国民道徳論を強化するため、やがて「倫理的宗教」「新宗教」といった名のもとに道徳の宗教化をはかり、大いに物議をかもしますが、これは歴史的にどう評価するのが適当か。
 井上哲次郎は、浅薄な御用学者として軽く見られがちなところがあります。けれど、本書の記述を追っていくと、彼の思想には、近代に直面した日本の知識人が、そこに帰結せねばならないだろう、いくつもの典型的な発想がふんだに含まれていることが、鮮明に見えてきます。
 第二部では、まず清沢が熱心に入れ込んだ明治中期の大谷派の宗門改革運動を対象とします。清沢らによる宗派の財政問題に対する批判は、ひるがえって「軍事・司法・植民地政策といった近代的国家権力との境界領域にまでたどり着いた」といった指摘が鋭いです。改革運動は、やがて「完全なる門徒会議」という宗派の徹底民主化を求めるグループと、清沢ら「精神的改正」に重みをおくようになるグループで分裂しますが、この社会性と内面性の分裂に、著者は近代の根本的なジレンマを見て取ります。
 第二部の後半では、清沢晩年の思想とされる「精神主義」が再考されます。この章は、本書の理論的なコアになる部分です。清沢の「精神主義」は、しばしば内面に自閉した超俗主義として批判にさらされてきましたが、「精神主義」のテキストの読み直しや、あるいは思想の伝達と並行して清沢が取り組んでいた実践の数々を考慮すれば、そうした批判があまり妥当でない(かなり一面的な言いがかりに過ぎない)ということが、よくわかってきます。清沢が示した「外俗内僧」という自己認識や、彼が深い内省を続け、現実社会との距離感の取り方を熟慮した結果到達した「否定の方法」に新たな光をあてながら、著者は、清沢の近代思想としてのオリジナリティを明確に打ち出します。
 そして、ある連続殺人事件の犯人が「精神主義」の機関誌『精神界』を所持していたという話をきっかけとして、清沢が発した「悪人の宗教」としての仏教(真宗)の在り方が問われます。この自他の「悪」に向き合う清沢思想の強度は、その後に展開される監獄教誨の事例とも共振しながら結論部まで持ち越され、これが本書の大いなる魅力をかたちづくります。
 第三部では、資料の詳細な分析から、監獄教誨師制度の歴史に関する見直しが行われます。通説では、近代の監獄教誨は明治初期に真宗が開始したことになっていますが、これは適切な理解ではない、と著者は述べます。むしろ、明治20年代前半までは、キリスト教による監獄の環境改善の取り組みが重要であり、キリスト教教誨師の囚人との接し方にも、かなり踏み込んだものがあったようです。しかし、明治20年代後半には、真宗が監獄教誨を圧倒的にリードするようになり、監獄教誨は「一宗一派」によるという基本了解と相まって、近代日本の監獄教誨真宗がほぼ支配する、という状況が確定します。
 真宗が差配するようになった監獄教誨は、しかし「悪」を突き詰めた教誨というより、むしろ法律や君主への忠誠といった、平板な世俗道徳(国民道徳)を説くのが主流であったようです。この流れは、明治41年の「監獄法」で監獄教誨が義務化され、教誨師も国家公務員化していくなか、決定的になっていきます。とはいえ、それでも少数ながら囚人の「悪」に共感する教誨師たちも出てきたようで、彼ら「異端的教誨師」の活動と思想に、著者は何らかのオルタナティブな可能性を読み取ろうと試みます。
 刑罰と教誨という、近代的な統治の技法があからさまに運用される監獄という現場で、きちんと人に向き合おうとした教誨師たちは、システマティックな統治の限界に対する、批判的な意識を研ぎ澄ましていきます。そして、彼らのなかには、囚人への教誨による道徳的生き方への導きに見切りをつけ、自己内省へと向かう者もいました。そうした「自他の「悪」を等しくみつめ、自己の統治をこそ第一義とする思想的かつ実践的な態度」は、まさに清沢満之が近代に開拓したものに他ならないと、著者は強調します。
 結論として、近代社会における二つの統治のあり方の関係が問われます。国民道徳論やシステム化された監獄教誨にあらわれる、統治権力が人々に課す「他者の統治」と、清沢や一部の教誨師が極めようとした「自己の統治」です。そして、「悪」について本気で考えた人間だけに可能な「自己の統治」に、「他者の統治」からするりと逃れ出る、「自由」の契機を著者は見出します。

 こうした清沢の「精神主義」における自己の「悪」についての省察が、――統治権力に支配される従順な主体ではなく――「自己の統治」を追求する主体を導いていったことは、一見逆説的で興味深い事実である。近代社会において、そもそも何かしらの「自己の統治」の基礎づけがなければ、人間の自由は究極的には成立しえないのではないか。(略)あるいは、「自己の統治」なきところでは、近代社会に生きる主体は容易に他者による統治に包摂されてしまうと、言い換えてもよい。

 これは、清沢満之という近代仏教の代表格とされる人物の思想を、それと対立する国民道徳論との比較や、監獄教誨という制度の具体的な検証とともに再考した結果としての見解です。その厚みのある見解は、近代仏教のみならず、より広く日本の近代を再考する上での大きな示唆に満ちている、といえます。非常に素晴らしい著作といって間違いないです。
 とはいえ、本書の大きな枠組みである「他者の統治/自己の統治」に関する著者の理解は、やや図式的過ぎるように思いました。この「統治」論は、ミシェル・フーコーの仕事からヒントを得ていると著者は述べていますが、フーコーの議論は構造的にもっとややこしいはずです。この点は著者もよくわかっており、序章には「ただし問題なのは、統治権力による「他者の統治」は、さまざまな様態の「自己の統治」を自らの統治術に組み込みながら、巧妙かつ重層的に構成されるのがふつうであって、他者と自己の統治の両者は二項対立として関係づけられるほど、単純ではない」と述べられています。しかし、著者の立論は全体を通して、特に結論部では、やや「単純」に終わってしまった感が否めません。
 これはおそらく、著者が清沢や一部の真摯な教誨師たちを、ヒーロー視したいがゆえに生じている問題ではないかと思います。国家権力に抵抗するヒーローです。誰かをヒーロー視した歴史の叙述は、図式的な物語になりがちです。
 清沢は、確かに「悪」の自覚を通した「自己の統治」を徹底したように思います。しかし、暁烏敏を筆頭とするその弟子たちが、自己の「悪」を内省しつつ、戦争協力などきわめてベタな「他者の統治」に邁進したのは、近代仏教研究ではあまりによく知られた事実です。あるいは、清沢と並び「悪」の問題を問い続けた真宗僧侶の近角常観もまた、近代の国民国家が課す「他者の統治」には必ずしも否定的ではなかった。さらに、清沢や近角の影響下で、あるいは『歎異抄』などを典拠に自己探求を進めた青年たちは、やがて国家権力に対して一般人よりはるかに従順な主体となっていきました。中島岳志親鸞と日本主義』(新潮選書、2017年)は、そうした親鸞思想に基づく「自己の統治」が「他者の統治」へと転換される厄介な問題を、さまざまな事例から明らかにしました。
 「悪」への配慮による「自己の統治」は、「他者の統治」からの自由を導くことは原理的にありえないのではないか。私はそう考えます。少し極端な議論をしてみましょう。映画『ダークナイト』に登場する映画史上最高峰のヒールの一人であるジョーカーは、ただ楽しいからこそ犯罪を繰り返します。彼は自己の「悪」に対する内省をまったくせず、そもそも彼の行う「悪」には何の目的もありません。「悪」を行いたいからこそ「悪」を行うという、純粋な「悪」です。そして、この純粋な「悪」を犯し続けるジョーカーは、映画に登場する誰よりも「自由」です。対して、「悪」を生み出すシステムを重く考えた映画の主人公のバットマンは、かなり悪質な「他者の統治」に手を染め、心身ともにボロボロになっていきます。「他者の統治」のシステムからの「自由」は、おそらく内面のない存在にこそ可能なのだと思います。
 そもそも、人間の「善悪」とは他者との関係からしか生まれないものです(南直哉『善の根拠』講談社現代新書、2014年)。誰ともかかわらない人間にとって「善悪」など意味をなしません。であれば、「悪」の自覚を深めるとは、権力からの「自由」ではなく、他者との権力関係のなかで生み出される自他の「悪」に配慮し、それを受け入れ続けるという「不自由」を、自覚的に引き受けることでしょう。国家権力といったマクロな話だけではなく、周囲の他者というミクロな人間関係のなかで生まれる「他者の統治」の問題に視野を広げれば、「他者の統治」からの「自由」など、一種の夢物語でしかありません。
 フーコーの問題意識を引き受けるというのであれば、こういった難題にも著者は向き合うべきでしょう。そして、この重要な労作をものした著者には、その根気と資質が必ずやそなわっているはずです。本書以降に生産される研究や書物のなかで、より精緻な「悪」と「統治」への思考が提示されることを、心から期待したいと思います。

第14回日本思想史学会奨励賞授賞についてから繁田著書に関する部分のみ一部引用
第14回日本思想史学会奨励賞授賞について―選考経過と選考理由―(奨励賞選考委員会)
[『「悪」と統治の日本近代―道徳・宗教・監獄教誨』選考理由]
 近代日本の思想は「悪」とどのように向き合ってきたのか。本書はこの問いを主軸として、明治初年から20世紀初頭に至る時代を対象に、ミシェル・フーコーの理論が説く「統治権力」の形成過程と、そこで生じた対抗関係を分析した労作である。第一部は井上哲次郎による国民道徳論の編成、第二部は清澤満之による真宗大谷派の革新運動と「精神主義」の思想、第三部は国家の刑罰システムにおける監獄教誨の創出と展開を取り扱っている。
 もっとも重要な功績は、第三部に見られる。繁田氏は監獄の制度面だけでなく、教誨師に焦点をあて、他者の「悪」を共感的に見つめようとする真宗大谷派の「異端的教誨師」が登場したことに注目して、同派の革新運動からの影響を明らかにする。そこから翻って、第二部で論じた清澤の「精神主義」に関しても、世俗の常識や善悪観を超越する主体形成の要素を掘り出すことに成功した。近代仏教史は近年に盛況を見ている研究分野であるが、繁田氏は近代国家の「統治権力」のメカニズムに対抗する、「自己の統治」の思想の系譜を、清澤とその影響圏のうちに見出し、説得力をもって描きあげている。
「悪」から日本の近代を考える(日本学術振興会 繁田真爾
 このたびは拙著『「悪」と統治の日本近代』を日本思想史学会奨励賞に選出していただき、大変光栄に思います。選考の労をとっていただいた委員の皆様はじめ関係者各位にお礼申し上げます。
 おそらくどのような研究にも主観的な立場性があって、研究のオリジナリティのためには欠かせないものだと思います。でもそれはあくまで主観なので、客観性を第一義とする学問研究の世界では、自分の研究に対してどこか不安や疑念を感じてしまうのは、避けがたいことなのかもしれません。ですから、こうして奨励賞という公的な評価を与えられることは、著者として大いに励まされる思いがします。
 この本では、明治期を中心に、国民道徳の形成過程(井上哲次郎)、人間の根源悪を見つめた宗教思想の世界(清沢満之)、日本における監獄教誨の誕生について、考察しています。全体を貫くテーマは、書名にもあるように、近代日本における「悪」の問題。つまり、「近代日本は「悪」とどのように向き合ってきたのか」という問いのもと、そこでの多様な「悪」の現実や表象、「統治」の歴史的特質や展開について、探究しました。
 いくつかの候補からこの書名に決めたとき、学友から、「歴史研究書なのに「悪」とつくの!?」とのけぞられました。「悪」とはたしかに抽象的で、実証的な研究にはなじみにくい言葉かもしれません。それでも「悪」は、歴史を通じて、犯罪や刑罰はいうまでもなく、自己規律や他者支配の場面において、かなり重要な意味をもち続けてきた観念であろうと思います。そのような「悪」を何とか学問の対象にしてみたいというのが本書の試みであり、思想史研究は、そうした領域に挑戦していくためにもっとも可能性あるディシプリンではないかと考えています。
 論が充分に及ばなかったところ、問題がうまく分節化できなかった点など、もちろんあります。さらに今やり残していることのなかで最大の懸案が、これまで拙著に対して寄せられた真摯な意見や批判に対して、今後どのように応答していくかということです。多少でも論争的なスタイルを大事にしてきた人間として、これからも本書の問いを考え続けながら、先輩諸氏や同学の皆さんとの議論を大切に積み重ねていけたらと思います。今回の受賞をきっかけに、さらに多くの方々との新しい出会いに恵まれたら、望外の幸せです。

本棚 2019秋 of weekly bukkyo-times website ver 2.3
教誨師・死刑・「悪」を考える3冊 裁きとは何か、赦しとは何か
繁田真爾『「悪」と統治の日本近代―道徳・宗教・監獄教誨法蔵館
加賀乙彦『ある死刑囚の生涯』筑摩書房
中山七里『死にゆく者の祈り』新潮社
 全くジャンルの異なる書籍から教誨師と死刑について考えてみたい。
 まずは研究書である『「悪」と統治の日本近代』。3部構成で、第Ⅰ部「飾られた規範―国民道徳の形成」では井上哲次郎の道徳論を探究し、第Ⅱ部「『悪』と宗教―清沢満之を中心に」では、清沢満之精神主義に新たな光をあて、内面的なものとされてきた精神主義が、教団革新(改革)運動にみられるように社会性があったと論じる。
 いずれも重要な示唆が含まれるが、ここで注目したいのは第Ⅲ部「刑罰と宗教―監獄教誨の歴史」である。近代日本の監獄教誨明治10年代に真宗教団から始まったとされる。明治5年にはその濫觴があった。しかし著者は監獄制度と「教誨師」の名称誕生から真宗始まり説に疑問を呈する。そのうえで重要な役割を果たしたのは原胤昭留岡幸助キリスト者であったと論証。さらに明治20年代には真宗教団が教誨師をほぼ独占していく経緯についても明らかにする。
 そもそも教誨とは何なのか。当時の言葉では「悔過遷善」(かいかせんぜん)である。文字通り、罪を悔い改め善き人間へとすることである。こうした教誨のあり方を深化させようと「監獄教誨学」を提唱した藤岡了空(大谷派)や、囚徒に同情的で死刑に批判的な田中一雄(本願寺派)の存在は貴重である。田中は200人の死刑囚の中で1人は誤判の疑いがあるとまで述べている。
 また著者がいう「異端的教誨師」とは、「清沢満之たち改革派グループの信仰運動から強い影響を受けた教誨師」のことで、いわば精神主義を獄中の人々に敷衍しようというものである。こうした教誨師を異端とするのであれば、対となる正統教誨師についての言及も欲しい。今後、明治後期以降の監獄と教誨研究が期待される。
(後略)

【参考:西村玲氏の自殺】

「家族と安定がほしい」心を病み、女性研究者は力尽きた:朝日新聞デジタル2019.4.10
 大きな研究成果を上げて将来を期待されながら、自ら命を絶った女性がいる。享年43歳。多くの大学に就職を断られ、追い詰められた末だった。
 西村玲(りょう)さん、2016年2月2日死去。
 東北大学で日本思想史を学んだ。江戸中期の普寂(ふじゃく)という僧侶に注目した仏教の研究で、04年に博士(文学)に。都内の多摩地区にある実家に戻って両親と同居しながら、研究に打ち込んだ。
 翌05年、日本学術振興会の「SPD」と呼ばれる特別研究員に選ばれた。採用された人に月額約45万円の研究奨励金を支給する制度だ。「これで(研究で使う)本がバンバン買える」と、両親に喜びを伝えた。「もらったお金の分は、研究成果で返さないといけない」
 年に論文2本、学会発表4本。自らにノルマを課し、経典などを大量に運び込んだ2階の自室にこもった。数少ない息抜きは両親と囲む食卓。箸を動かしながら、研究の内容を早口で熱く語った。
 「覚えたことが出ていかないよう、頭に巻き付けるラップがあればいいのに」。
 そう言って笑い合った日もあった。
 08年、成果をまとめた初の著書を出版。高く評価され、若手研究者が対象となる「日本学術振興会賞」と「日本学士院学術奨励賞」を、09年度に相次いで受賞した。
 学術奨励賞を受けた6人のうち、文科系は2人だけ。宗教研究としては初の受賞だった。指導した末木文美士*21(ふみひこ)・東京大名誉教授は「若手のリーダーとして、次々と新しい領域を切り拓き、ほとんど独壇場と言ってよい成果を続々と挙げていた」と記している。
(以下は有料記事です)

文系の博士課程「進むと破滅」 ある女性研究者の自死:朝日新聞デジタル2019.4.10
 大きな研究成果を上げ、将来を期待されていたにもかかわらず、多くの大学に就職を断られて追い詰められた女性が、43歳で自ら命を絶った。
 日本仏教を研究してきた西村玲(りょう)さんは、2016年2月に亡くなった。
 04年に博士(文学)に。05年、月額45万円の奨励金が支給される日本学術振興会の特別研究員に選ばれた。
 実家で両親と暮らしながら研究に打ち込み、成果をまとめた初の著書が評価されて、09年度に若手研究者が対象の賞を相次いで受賞。恩師は「ほとんど独壇場と言ってよい成果を続々と挙げていた」と振り返る。
 だが、特別研究員の任期は3年間。その後は経済的に苦しい日が続いた。
 衣食住は両親が頼り。研究費は非常勤講師やアルバイトでまかなった。研究職に就こうと20以上の大学に応募したが、返事はいつも「貴意に添えず」だった。読まれた形跡のない応募書類が返ってきたこともあった。
 安定した職がないまま、両親は老いていく。14年、苦境から抜け出そうと、ネットで知り合った男性との結婚を決めた。だが同居生活はすぐに破綻。自らを責めて心を病んだ。離婚届を提出したその日に自死した。
 父(81)は、「今日の大学が求めているのは知性ではなく、使いやすい労働力。玲はそのことを認識していた」と語る。
 90年代に国が進めた「大学院重点化」で、大学院生は急増した。ただ、大学教員のポストは増えず、文科系学問の研究者はとりわけ厳しい立場に置かれている。首都圏大学非常勤講師組合の幹部は「博士課程まで進んでしまうと、破滅の道。人材がドブに捨てられている」と語る。

40代研究者の死に涙した心優しい人たちへ(榎木英介) - 個人 - Yahoo!ニュース2019/4/18
 一人の女性の死は、多くの人の心をかき乱した。女性はNさん。享年43。
文系の博士課程「進むと破滅」 ある女性研究者の自死:朝日新聞デジタル2019.4.10
「家族と安定がほしい」心を病み、女性研究者は力尽きた:朝日新聞デジタル2019.4.10
 日本学術振興会の特別研究員の中でも難しいとされるSPDに採用されたり、「普寂を中心とする日本近世仏教思想の研究」で第6回日本学士院学術奨励賞、第6回日本学術振興会賞を受賞するなど、目覚ましい活躍をしていた。
 そんな優秀な研究者が、研究職が得られず非常勤講師や専門学校のアルバイトで生活をせざるを得なかった。そして…
 Nさんがなぜ自ら命を絶たなければならなかったのか…SNS上では多くの声が寄せられ、Nさんの死を受けた記事も書かれた。
(中略)
 そして4月18日には朝日新聞の紙面でNさんの件が大きく報道された。
 死と研究者としての苦境にどれだけ因果関係があるかは、本人にしか分からない。だから、軽々しく「研究環境が悪いから亡くなった」などというべきではないという声も聴かれる。
 WHO 自殺予防 メディア関係者のための手引き(2008年改訂版日本語版)*22では、自死について繰り返し報道してはならないとされる。

 自殺の要因はほとんどの場合、多様で複雑なものであり、極端に単純化して報道すべきではありません。自殺は、決して単一の要因や出来事から生じるのではなく、精神疾患、衝動性、文化的要因、遺伝的要因、社会経済的要因などさまざまな要因を考慮に入れる必要があります。
出典:自殺予防-メディア関係者のための手引き(改訂版) 概要

 しかし、記事にショックを受けている方々のために、ガイドライン10「どこで援助を求められるかについて情報を提供する 」ことを目的として、以下書きたい。
◆助けを求めよう
 今思い悩んでいる方は、厚生労働省の自殺対策ページ、メール・SNS等による相談などを見てほしい。
 経済的苦境に立たされている方は、生活保護という手段があることを知ってほしい。
 団体などは以下。
特定非営利活動法人Light Ring.
NPO法人POSSE
首都圏大学非常勤講師組合
非常勤講師について - toukai-hijokin ページ!
(中略)
◆「同情するだけ」はやめよう
 今は困っている状況ではないが、この件に心をかき乱された方々(私も含まれる)はどうすればよいだろうか。
 同情だけでは意味が全くない。
 自らは関係ない「高み」にいて、同情や無責任な言葉を投げかけるのは意味がない。
 「職は選ばなければ、こだわらなければある」などということはどれだけ残酷か。研究職という、ある種こだわり尽くさなければ得られない職業になれない悔しさ、周囲の期待に応えられない、自分の希望通りにいかない苦しさは、当事者にとっては生死を決めてしまうくらい苦しいものだ。

高学歴ワーキングプア女性を自死から救えなかった社会保障制度の限界 | 生活保護のリアル~私たちの明日は? みわよしこ | ダイヤモンド・オンライン4ページ
高学歴ワーキングプア女性を自死から救えなかった社会保障制度の限界 | 生活保護のリアル~私たちの明日は? みわよしこ | ダイヤモンド・オンライン5ページ
 羽曳野市で生活困窮者自立支援制度の運用に従事する仲野浩司郎さんは、生活保護を含めて公的福祉制度を熟知している。Nさんの状況は、仲野さんにはどう見えるだろうか。
(中略)
 「少なくとも、生活困窮者自立支援事業での支援は利用できました。結婚を選ぶ前に、ご両親から独立して、たとえば『生活保護を利用しながら1人暮らし』という支援を受ける可能性があったかもしれません」(仲野さん)
 研究者は一般的に、情報収集能力や処理能力が高い。優秀な研究者であったNさんは、自分の使える可能性のある制度を知っていたかもしれない。同時に研究者は、「自分の課題は自分で解決しなくては」という価値観を強く内面化しがちでもある。逆境の連続で、すでに「心が折れ」ていたのかもしれない。
「それに、自立相談支援制度での相談支援事業は、低学歴で就労経験が少なく就労意欲も低い方々を基本的な対象としている感じがあります。Nさんが窓口を訪れたとすると、『高学歴なのだから、選ばなければ仕事はあるでしょう?』『ハローワークに繋ぎます』という対応を受けたかもしれません」(仲野さん)
 それは、「研究者として生きるな」という宣告だ。到底、受け入れられないものだっただろう。
「もしも担当者がNさんの意向を尊重し、大学や研究機関への就職活動に寄り添ったとしても、研究者の雇用環境自体に問題がありすぎます。結局、『就労支援』という枠組みでは、問題の解決には繋がらなかったのではないかと思います。寄り添うことはできたかもしれませんが……“寄り添う”こと“しか”できない制度の限界を突きつけられたと感じています」(仲野さん)
 日本のセーフティネットの網の目は、想定していない数多くの人々を取りこぼし続けている。国として推進しているはずの「誰一人取り残さない」という目標(国連SDGs)を持ち出すまでもなく、このままで良いわけはないだろう。
(著者注:高学歴ワーキングプア女性を自死から救えなかった社会保障制度の限界 | 生活保護のリアル~私たちの明日は? みわよしこ | ダイヤモンド・オンラインでの実名をイニシャルにしています)

◆生きざまをみせて
 研究の世界も含めて、脚光を浴びるのは成功者たちだ。大学や研究機関をやめた人たちは「消えた人」になってしまう。
 しかし、きらびやかな成功事例をあがめるだけでは何も解決しない。大学や研究機関から離れた人は、はたから見たら社会的に成功とは思えなくても、周囲の評価が低くても、泥をすすってでも生きてますよ、生き抜いていますよ!という姿を堂々と見せてほしい。
 それが、「承認欲求」の呪縛に苦しみ、周囲の期待から降りられなくなった人たちに、別の道もあるよ、と示すことにつながる。
 大学や研究機関を辞め、会社員として、公務員として、さまざまな立場で研究する人、「独立研究者」、「アマチュア研究者」という人たちがいる。論文が大学や研究機関でなくても読めるオープンアクセスが進めば、こうした形の研究者が増えるだろう。
 でも、あくまで私の印象でしかないが、こうした人たちは、自分を受け入れてくれなかった大学やアカデミアに恨みを抱き、「見返してやる」というルサンチマン的思いを抱いて研究する人が多かったようにみえる。
 そういうネガティブな気持ちではなく、自然な、好奇心駆動で、楽しくてたまらないから研究するといった気持ちで研究する、アカデミアと社会の壁をやすやすと、軽々と超える人たちが増えてほしい。
 私自身もそれを行動で示したい。
 4月から大学をやめ、僻地認定されている地方の病院に病理医として勤めている。もちろん食うに困るという状況ではないので、突っ込まれるのは覚悟している。
 しかし、大学から離れ、中央から離れて、地域で困難に直面しながらもなんとかやっている姿をお見せしていきたい。
 Nさんの死に涙した心優しい人たちにお願いしたい。それぞれの立場で、半歩でも一歩でも行動してほしい。おかしいと思ったことに意見を言い、投票にも行こう。
 ポストドクター問題―科学技術人材のキャリア形成と展望*23には、(ボーガス注:ポストドクターの)知人や友人が自死したという証言が多く掲載されている。こうしたひそかに語られてきたことがオープンになる功罪はあるが、これを機に、たとえ成功しなくても、弱くても、失敗しても、そして夢がかなえられなくても生きていくことができる研究者コミュニティに変わってほしいと強く願う。

 「同情の念を表明するだけ」よりは「政治的、社会的に積極的に動く」方がずっと「価値が高い」とは思いますが「全く無意味であるかのように言うのもいかがなものかな」と個人的には思いますね。まあ、社会問題、政治問題について拙ブログなどで「同情の念を表明するだけ」が多い俺の「言い訳」であることは否定しませんが。現実問題、たとえば「この若年研究者の貧困問題」の場合だと、我々「部外者」にはなかなか「動く積極的動機がない」わけです。

自死した2人のオーバードクターと私の分かれ道 - 粥川準二|論座 - 朝日新聞社の言論サイト2019.6.17
 私事で恐縮だが、筆者は今年4月に転職し、大学で教員として働いている。正確な肩書きは「県立広島大学 経営情報学部 兼 新大学設置準備センター 准教授」ということになる。
 これまで非常勤講師として複数の大学で教えつつ、フリーランスのライターをしてきたが、20数年ぶりに正規の職に就いた。「粥川さん*24フリーランスであることにこだわって仕事を続けていて…」といわれることがあるのだが、若い頃はともかくとして、ある時期以降は大学の専任教員になることをずっと希望していた。やっとその希望が実現したと思ったら、人ごととはとても思えないニュースが飛び込んできた。
 筆者と同じく、専任の研究者になることを願っていた女性が自殺した、というニュースだ。
◆ある仏教研究者の死
 より正確にいうと、「自殺していた」というニュースである。
 「家族と安定がほしい」心を病み、女性研究者は力尽きた:朝日新聞デジタルなどによると、すでに2016年2月2日に自殺していたNさんは1972年生まれで、享年43歳。筆者よりも3歳ほど若い。大学で日本思想を学び、仏教の研究で2004年に博士号を取得したという。1969年生まれの筆者は30代で大学院に入学し、2010年に博士号を取得したので、Nさんの学位取得は、取得した年齢でも、取得した時期でも、筆者よりもずっと早い。
 この報道は「オーバードクター」や元オーバードクターたちに衝撃を与えた。オーバードクターとは、定義が曖昧な言葉であるが、博士の学位を取得しながらも定職に就いていない者などのことをいう。「高学歴ワーキングプア」と呼ばれることもある。こうした大学院生の就職難のことを「オーバードクター問題」という。筆者も今年3月まではオーバードクターといってもよい境遇だった。よく似た言葉に「ポスドク」もあるが、こちらは任期付きの博士研究員を指す。本稿では混乱を避けるためにオーバードクターで通す。
 Nさんは2005年、日本学術振興会の特別研究員に選ばれ、研究奨励金と呼ばれるお金を毎月受け取るようになった。2008年には著作を出版。2009年には栄誉ある賞を2つも受賞した。Nさんはオーバードクターといっても、筆者とは比べようがないほど優秀な研究者だったようだ。
 しかしNさんは、特別研究員の任期が切れてからは、研究費を非常勤講師やアルバイトで稼ぐようになったという。生活費は同居していた両親を頼っていたようだ。筆者の独身時代よりはマシだったかもしれない。筆者は2013年に結婚してからは、生活費の一部を妻に頼ったこともあるので似たようなものだ。
 Nさんは2014年、ネットで知り合った男性と結婚した。しかしその結婚は失敗に終わり、離婚届を出したその日の夜に自殺したという。
 『朝日新聞デジタル』がこの記事を配信すると、自殺の原因は、専任になれなかったことなど研究者としての苦境ではなく、結婚生活の失敗ではないか、という意見が散見された。たしかに朝日の記事は、研究者としてのNさんの苦境や、「博士漂流」問題、つまりオーバードクター問題に焦点をあてていた。
 だが、自殺の理由・原因は1つなのだろうか。研究者としての苦境と結婚生活の失敗、その両方が重ならずどちらか1つだけだったら、自ら死を選ぶことだけは避けられたかもしれない。もちろん、これも推測に過ぎないが。
◆大学院を中退した男性は…
 この記事やネット上での議論を読んで、筆者が思い出したのは、自殺と思われるもう1つの事件だった。2018年9月8日、福岡市にある九州大学の大学院生たちが使う部屋で、すでに大学院を中退した男性Kさんが放火自殺したとされる件だ。Kさんも1972年生まれで享年46歳。Nさんと同年齢だ。
(以下は有料記事です)

*1:著書『首都東京の近代化と市民社会』(2010年、吉川弘文館)、『戦後史のなかの福島原発』(2017年、大月書店)

*2:もちろんコロナが終息すれば、生活が元通りになり「都市のありよう」にさしたる変化がない可能性もありますが

*3:元日本経済経済新聞編集委員龍谷大学研究フェロー。著書『ロサンゼルス:多民族社会の実験都市』(1995、中公新書)、『都市はよみがえるか:地域商業とまちづくり』(1997年、岩波書店)、『地方都市再生への条件』(1999年、岩波ブックレット)、『大型店とまちづくり:規制進むアメリカ、模索する日本』(2005年、岩波新書)、『「都市縮小」の時代』(2009年、角川oneテーマ21)、『縮小都市の挑戦』(2014年、岩波新書)、『都市危機のアメリカ』(2020年、岩波書店)など

*4:龍谷大学教授

*5:龍谷大学教授。著書『人間都市クリチバ』(2004年、学芸出版社)、『衰退を克服したアメリカ中小都市のまちづくり』(2007年、学芸出版社)、『道路整備事業の大罪:道路は地方を救えない』(2009年、洋泉社新書y)、『若者のためのまちづくり』(2013年、岩波ジュニア新書)、『ブラジルの環境都市を創った日本人:中村ひとし物語』(2014年、未来社)、『ドイツ・縮小時代の都市デザイン』(2016年、学芸出版社)など

*6:ソウル市立大学副教授。著書『ソウルの起源・京城の誕生1910~1945:植民地統治下の都市計画』(2020年、明石書店

*7:日本女子大学客員准教授。著書『近代朝鮮の中等教育:1920~30年代の高等普通学校・女子高等普通学校を中心に』(2019年、晃洋書房

*8:ソウル市立大学名誉教授

*9:北海学園大学講師。論文『「医は仁術」のゆくえ:一九世紀東京の医師と施療』(佐藤健太郎ほか編『公正から問う近代日本史』(2019年、吉田書店)収録)、『近世初頭の代議と地域』(吉田伸之編『シリーズ三都・江戸』(2019年、東京大学出版会)収録)など

*10:我田引水から生まれた造語。政治家が支持者の票を獲得する目的で選挙区に鉄道を誘致することを意味する(たとえば鉄道と政治 - Wikipedia参照)。

*11:「星に疑惑がない、清廉だ」という話では無く、そういう観点で話を論じてないと言うことです。まあ「前首相・安倍」のような「現在ものさばってる悪党」ならともかく今更「明治時代の汚職政治家」を道義的に非難しても余り意味も無いでしょう。

*12:日本大学講師。著書『近代日本と高等遊民』(2010年、吉川弘文館)、『近代都市の下層社会:東京の職業紹介所をめぐる人々』(2016年、法政大学出版局)、『近代日本の就職難物語:「高等遊民」になるけれど』(2016年、吉川弘文館歴史文化ライブラリー)(町田祐一 - Wikipedia参照)

*13:大正大学准教授。著書『近代水道の政治史:明治初期から戦後復興期まで』(2020年、吉田書店)

*14:新潟大学准教授。著書『近現代日本の都市形成と「デモクラシー」:20世紀前期/八王子市から考える』(2018年、吉田書店)

*15:内務省衛生局編集、2008年、平凡社東洋文庫

*16:淑徳大学教授。著書『日本古代の王権と山野河海』(2009年、吉川弘文館)、『古代王権と出雲』(2014年、同成社)など

*17:東京大学教授。著書『烈士の誕生:韓国の民衆運動における「恨」の力学』(1997年、平河出版社)、『増補 光州事件で読む現代韓国』(2010年、平凡社

*18:明星学園中学・高等学校教諭を経て、現在、日本学術振興会特別研究員

*19:著書『裁かれた命:死刑囚から届いた手紙』(2015年、講談社文庫)、『死刑の基準:「永山裁判」が遺したもの』(2016年、講談社文庫)、『永山則夫 封印された鑑定記録』(2017年、講談社文庫)、『教誨師』(2018年、講談社文庫)、『原爆供養塔:忘れられた遺骨の70年』(2018年、文春文庫)など(堀川惠子 - Wikipedia参照)

*20:1972~2016年。中村元東方研究所研究員(日本近世仏教史)。2009年に「普寂を中心とする日本近世仏教思想の研究」により、第6回日本学術振興会賞を受賞し、その受賞者の中でも特に優れた業績に与えられる日本学士院学術奨励賞も翌2010年に受賞した。2016年2月2日に自殺。自殺に関して2019年4月に、遺族への取材をした朝日新聞により死去に関わる事情が報道された(文系の博士課程「進むと破滅」 ある女性研究者の自死:朝日新聞デジタル「家族と安定がほしい」心を病み、女性研究者は力尽きた:朝日新聞デジタル参照)。著書『近世仏教思想の独創:僧侶普寂の思想と実践』(2008年、トランスビュー)、『近世仏教論』(2018年、法藏館)。(西村玲 - Wikipedia参照)

*21:著書『日本仏教史』(1996年、新潮文庫)、『中世の神と仏』(2003年、山川出版社日本史リブレット)、『日本宗教史』(2006年、岩波新書)、『増補 日蓮入門』(2010年、ちくま学芸文庫)、『近世の仏教』(2010年、吉川弘文館歴史文化ライブラリー)、『日本仏教の可能性』(2011年、新潮文庫)、『現代仏教論』(2012年、新潮新書)、『反・仏教学:仏教VS.倫理』(2013年、ちくま学芸文庫)、『日本仏教入門』(2014年、角川選書)、『思想としての近代仏教』(2017年、中公選書)、『『碧巌録』を読む』(2018年、岩波現代文庫)、『仏教からよむ古典文学』(2018年、角川選書)、『日本思想史』(2020年、岩波新書)、『日本の思想をよむ』(2020年、角川ソフィア文庫)、『増補 仏典をよむ:死からはじまる仏教史』(2021年、角川ソフィア文庫)など(末木文美士 - Wikipedia参照)

*22:本文のママ。現在では『自殺対策を推進するためにメディア関係者に知ってもらいたい基礎知識(2017年版)日本語版』に更新されている(メディア関係者の方へ|自殺対策|厚生労働省参照)。

*23:国立教育政策研究所日本物理学会キャリア支援センター編、2009年、世界思想社

*24:著書『人体バイオテクノロジー』(2001年、宝島社新書)、『クローン人間』(2003年、光文社新書)、『バイオ化する社会:「核時代」の生命と身体』(2012年、青土社)、『ゲノム編集と細胞政治の誕生』(2018年、青土社)など(粥川準二 - Wikipedia参照)