「珍右翼が巣くう会」メンバー・黒坂真に突っ込む(2021年2月19日分)

◆黒坂のツイート

黒坂真リツイート
 大山奈々子議員は、北朝鮮の人権問題についてどうお考えですか。
◆大山奈々子*1(誰1人置き去りにしない県政を)
 尖閣問題やウイグル、香港などの人権弾圧問題で日本の共産党を批判している方には、まず調べてからものを言って欲しい。そう言う方達の大好きな自民党の姿勢はどうなのかも合わせて。

 大山氏のツイート(自民党よりも共産党の方が中国の人権問題を批判しているのに、中国の人権問題で日本共産党に悪口する自民支持者は事実認識がおかしい)に北朝鮮のことなど何一つ出てこないのにこれです。呆れて二の句が継げませんね。まあ北朝鮮政府だって日本共産党は批判していますが。

【参考:日本共産党の中国、北朝鮮批判】
政府は日本共産党の中国批判を見習え - 高世仁の「諸悪莫作」日記2019.11.15
共産・志位氏、中国の香港統制強化に抗議 - 産経ニュース2020.5.28
志位氏「傲慢不遜で許しがたい」 尖閣めぐる中国外相の主張に - 産経ニュース2020.11.26
赤旗
北朝鮮の弾道ミサイル発射に抗議する/日本共産党幹部会委員長 志位和夫2019.10.3
香港、ウイグル、尖閣問題で申し入れ/中国大使館に田川書記局員2019.11.19
中国公船が日本船追尾/志位委員長、強く抗議2020.5.20
天安門事件31年 志位氏が批判/中国指導部に反省なし この問題は今の中国の問題2020.6.5
北朝鮮の挑発行為を非難し、南北首脳合意の順守を求める/日本共産党幹部会委員長 志位和夫2020.6.17
「香港国家安全維持法」制定に厳しく抗議し、撤回を求める/日本共産党幹部会委員長 志位和夫2020.7.1
香港、周庭氏ら逮捕 志位委員長が抗議 釈放要求/「社会主義」と無縁の専制主義2020.8.12
日本側に責任転嫁する傲岸不遜な暴言/志位委員長 中国・王毅外相を批判2020.11.27
香港民主活動家の即時釈放を求める/「中国は国連憲章と国際法を順守せよ」という国際世論で包囲を/志位委員長が記者会見2020.12.4
香港民主派前議員ら大量逮捕 強く抗議し、釈放を求める/志位委員長が表明2021.1.8
主張/菅政権の対中姿勢/無法に物言わぬ卑屈さ改めよ2021.1.20
【参考終わり】

黒坂真リツイート
 李相英さん。御時間があるとき、元在日朝鮮人北朝鮮帰国者)が帰国後どんなことになったか、調べて月刊イオで記事にしたらいかがですか。
◆李相英(りーさんよん、리상영)
 今日は仕事休み。妻は出勤、息子は保育園、ということで家に一人。圧倒的解放感。一人で過ごす休日なんていつ以来だろ。ずっと読めなかった本を読むか、映画を観るか、それとも出かけるか。解放されすぎて何していいかわからない。

 李氏が「月刊イオ(朝鮮総連系の月刊誌)の編集者」だからといってこんな「李氏のツイートと何一つ関係ないツイート」を「嫌がらせ目的」でやるとは「島田洋一救う会副会長」「荒木和博特定失踪者問題調査会代表」など「他のアンチ北朝鮮ウヨ」のツイートと比べても黒坂のツイートは常識を逸脱してます。島田や荒木はさすがにこんなことはしない。

黒坂真が吉岡正史をリツイート
 吉岡正史さん。日本共産党は日本国家が戦争を一切できないようにしたい。皆さんの宿願、自衛隊解散と日米安保廃棄実現なら日本国家の国防力は皆無になる。そのとき金正恩は日本に核攻撃断行。民族の英雄になれます
◆吉岡正史がリツイート
歴史に学び 学問の自由守ろう/「建国記念の日」に反対 オンライン集会
 歴史に学び憲法が生きる日本と世界を切り開こうと、「建国記念の日」に反対する集会が11日、オンラインで開かれました。主催は歴史研究団体などでつくる「2・11連絡会」。全国で同様の集会が開かれました。
 東京大学名誉教授の木畑(きばた)洋一*2小森陽一*3両氏が講演しました。
(木畑氏の発言については省略)
小森氏は、日本学術会議会員の任命を菅政権が拒否し人事介入したことは、「学問の自由」を定めた憲法に反し国民主権にも反すると抗議。「戦争する国づくりに反対する学者を狙い撃ちにした。市民と野党の共闘に学者が加わることをつぶそうとしている。安倍政権の改憲路線を引き継ぐことを、菅政権は出発点であらわにした」と批判。政権交代で「人事独裁体制」を倒そうと呼びかけました。

 小森氏の言う「戦争する国づくり」とは「戦前のように日本から仕掛ける戦争」を意味し、「侵略に対する専守防衛」はもちろん含まれていないので黒坂のツイートはデマ中傷でしかありません。まあ、まともな人間は黒坂のアホさに呆れるだけでしょうが。
 しかし黒坂のツイートにすら「いいね」がつくのだから「世の中も広い」もんです。 

黒坂真リツイート
 山下文男さんでしたか。この方、どこかで宇野重吉日和見主義者と批判したのですか。名優に失礼ですね*4
◆羽田功
 当時文化部長だった山下(名前は失念)氏が俳優の宇野重吉さんを日和見と批判*5して以後、表舞台からぷっつりと姿を消し、ヤバイ党だなと思ったのを今でも覚えています。宇野さんが何を言ったのかは忘れました。

 俺的には山下氏(1924~2011年)と言えば山下文男 - Wikipediaも指摘していますが、「共産党文化部長」云々よりもむしろ

◆『哀史三陸津波』(1982年、青磁社→2011年の東日本大震災をきっかけに復刻し、2011年、河出書房新社
◆『戦時報道管制下隠された大地震津波』(1986年、新日本出版社
◆『昭和東北大凶作:娘身売りと欠食児童』(2001年、無明舎出版
◆『君子未然に防ぐ:地震予知の先駆者・今村明恒の生涯』(2002年、東北大学出版会)
◆『津波の恐怖:三陸津波伝承録』(2005年、東北大学出版会)
◆『津波と防災:三陸津波始末』(2008年、古今書院
◆『津波てんでんこ:近代日本の津波史』(2008年、新日本出版社
◆『隠された大震災:太平洋戦争史秘録』(2009年、東北大学出版会)
 『戦時報道管制下隠された大地震津波』(1986年、新日本出版社)の改訂版か?
◆『昭和の欠食児童』(2010年、本の泉社)

といった著書をもつ郷土史家(特に三陸地震津波関係)ですがそれはさておき。
 「はあ?」ですね。

表舞台からぷっつりと姿を消し、ヤバイ党だなと思った

てのは一体何の話なのか。「劇団民藝創設メンバー」「俳優・寺尾聰の父」宇野重吉が「表舞台から姿を消した」とは初耳です(苦笑)。宇野重吉 - Wikipediaを見れば分かりますが、若い頃から晩年に至るまで舞台やテレビ、映画に出演してるのに。
 まあ、晩年(宇野は1988年死去)の宇野は

宇野重吉 - Wikipedia
 1985年9月からは宇野重吉一座を立ち上げ、気軽に芝居を観に劇場に来られない地方の人のために全国縦断の地方公演を始めた。木下順二作『三年寝太郎』などの民話劇を上演するが左肺を癌に冒され、1987年3月に摘出手術を受けた

とのことなので「若い頃に比べればテレビ出演より舞台出演(それも地方公演)に力を入れた」「肺がんによる体力の衰えで最晩年は舞台出演も減った」のかもしれませんがそんなことを「共産党の圧力で干されてるのだ」と決めつけるこの羽田某の方が「本気であれ、デマであれ」

ヤバイ人(頭のおかしい人)

でしょう。さすが「黒坂の類友ウヨ」だけのことはあります。勿論褒めていません(むしろ呆れています)。
 大体、「宇野ほどの名優」を政権与党でもない「ミニ政党にすぎない共産党」がどうすれば干せるのか。テレビ局や映画会社、興業会社、あるいは演劇界(新劇劇団など)などが軒並み「共産党支配下にある」とでも妄想してるのか?。

【参考:山下氏&「津波てんでんこ」】

(おくやみ)山下文男氏が死去 災害研究者、「津波てんでんこ」提唱: 日本経済新聞2011年12月13日
 津波の恐れがあるときは真っ先に避難を優先させる「津波てんでんこ」(てんでんばらばらに逃げる)を提唱した岩手県の災害研究者、山下文男(やました・ふみお)氏が13日午前0時34分、肺炎のため盛岡市の病院で死去した。87歳だった。
 岩手県三陸町(現大船渡市)出身。1933年に昭和三陸津波を9歳で体験。明治三陸津波(1896年)で祖母が亡くなったこともあり、独学で津波の歴史を研究。在野の研究者として、講演や著作を通じ防災教育の大切さを訴えてきた。東日本大震災後も病床で迅速な避難の重要性を指摘していた。

「津波てんでんこ」の言葉を全国に広めた津波災害史研究者 山下文男さん
川井博之(かわい・ひろゆき岩手日報取締役東京支社長)2013年11月
 三陸海岸は、津波常襲地帯といわれる。明治の三陸津波(1896年)、昭和の三陸津波(1933年)、チリ地震津波(1960年)と幾度となく大津波に襲われ、そのたびに多くの犠牲を払ってきた。
 山下さんは、三陸町綾里に生まれ、父親から津波の怖さを教えられて育った。明治三陸津波で祖母ら身内9人を亡くし、自らも小学生時代に昭和三陸津波に遭い、はだしで山へ逃げたという。
 政党機関紙*6の記者で、文化部長や党出版局長などを務めた経歴を持つ。仕事の合間を縫って東京から古里に戻り、津波の被災地を歩いた。退職後は郷里に戻って津波の災害史研究に専念。津波の痕跡を訪ね、文献・史料をひもといた。綿密な調査は定評があり、学者からも一目置かれる存在だった。
 酒席で、政党の昔話を聞こうとすると、うまくはぐらかされることが多かった。ところが、津波の話になると、話は止まらず、「学者連中は分かっていない」との言葉が口をついた。
 「津波の研究は仕事ではない。津波に恨みがあるからこそ津波の恐ろしさを伝えなければならない」。
 在野の研究者として、義務教育で津波地震に関する知識、心得を教える授業を取り入れることや津波体験の教訓を伝える「津波伝承館」の建設を訴え続けた。その主張は時に権威と厳しく対立した。
 山下さんは復興を見届けることなく2011年12月、87歳で亡くなった。昭和の大津波チリ地震津波、平成の大津波と3度大きな津波に関わった数奇な人生だった。大震災から2年7カ月。復旧・復興の現状を見れば、おそらく「行政は何も分かっとらん」とほえたことだろう。津波の体験者としての使命感を心に秘め、古里、そして人間への深い愛情があった。いまあらためて一言一言をかみしめている。

【温故地震 大震災編】生存率99・8%「釜石の奇跡」 「津波てんでんこ」の教えの正しさ 都司嘉宣(1/2ページ) - 産経ニュース2014.3.10
 千年に一度の超巨大津波に襲われた東日本大震災から明日で3年。被災地の調査を続ける中で、常々思い知らされるのは「津波てんでんこ」の教えの正しさだ。
 「てんでんこ」とは各自のこと。海岸で大きな揺れを感じたときは、津波が来るから肉親にもかまわず、各自てんでんばらばらに一刻も早く高台に逃げて、自分の命を守れ-という意味だ。
 この教訓に基づき、片田敏孝・群馬大教授*7(災害社会工学)の指導で津波からの避難訓練を8年間重ねてきた岩手県釜石市内の小中学校では、全児童・生徒計約3千人が即座に避難。生存率99・8%という素晴らしい成果を挙げて「釜石の奇跡」と呼ばれた。
 釜石東中学校と鵜住居小学校の事例を見てみよう。
 平成23年3月11日。午後2時46分に東日本大震災が発生すると、釜石東中の副校長は教室から校庭に出始めた生徒たちに、「(避難所へ)走れ!」「点呼など取らなくていいから」と大声で叫んだ。
 当初、一部の生徒は走らず、校庭に整列しようとしたが、副校長らは懸命に「逃げろ」「走れ」と指示。そのため全員が校門を出て、避難所へと駆けだした。
 一方、鵜住居小は耐震補強が終わったばかりの鉄筋コンクリート造り3階建ての校舎で、雪も降っていたことから、当初は児童を3階に集めようとしていた。しかし、「津波が来るぞ」と叫びながら走っていく中学生らを見て、教職員は避難所行きを即断。小学生も一斉に高台へ走り出した。
 このとき、鵜住居小には保護者数人が児童を引き取りに来ていた。教職員は児童を避難させたことを説明し、一緒に避難することを勧めたが、1人は児童をつれて帰宅し、津波の犠牲になってしまったという。
 避難した小中学生約600人は、標高約10メートルの福祉施設に到着したが、裏手の崖が崩れそうになっていたため、中学生らがもっと高台への移動を提案。さらに約400メートル離れた標高30メートルの介護施設へ、小学生の手を引きながら避難した。
 この直後、津波遡上(そじょう)高は20メートルに達し、福祉施設は水没。「津波てんでんこ」の教訓と、防災意識の高い中学生の冷静な状況判断が、多くの命を間一髪で見事に救う結果となった。

津波:「てんでんこ」7割知らず 「薄情」と感じる人も | 毎日新聞2016.10.26
 「津波が来たら家族ら他人のことに構わずすぐに避難しろ」という意味の「津波てんでんこ」という言葉について、7割の人が知らないうえ、多くの人が「自分だけ助かればよい」という自己中心的な行為だと感じるとの調査結果を、東洋大の及川康*8准教授(災害社会工学)がまとめた。本来は各自で避難することを事前に家族で話し合っておくことなども含めた心構えを示した言葉だが、浸透していない実態が浮かんだ。
 「てんでん」は「てんでんばらばらに」という意味。岩手県大船渡市出身で子供のころに昭和三陸津波(1933年)を経験した津波研究家の山下文男氏(故人)が広め、東日本大震災を機に津波防災の啓発で改めて注目されている。
(この記事は有料記事です)

釜石:いま高2「津波てんでんこ」伝える 後輩に紙芝居で | 毎日新聞2018.2.26
 「津波てんでんこ」を古里の子どもたちに。
 東日本大震災による津波に襲われた岩手県釜石市で、率先して高台へ避難し、自らと周囲の住民の命を守り、「釜石の奇跡」の立役者となった子どもたちも成長した。当時小学4年生で、現在は県立釜石高校に通う2年生ら5人が27日、地元の市立鵜住居(うのすまい)小学校の同じ4年生を対象に防災講座を開き、「最善を尽くせ」などの津波避難の3原則を訴える。

岩手)「海から遠くても『津波てんでんこ』を」:朝日新聞デジタル2019.12.28
 大規模災害が相次ぐ中、命を守る行動を考える集会が二戸市の下米内交流センターであった。小学生ら35人が参加し、二戸署地域課の佐々木講一さん(21)が自らの被災体験を語った。
 釜石出身の佐々木さんは震災当時、鵜住居小の6年生で、隣接する釜石東中の生徒と一緒に高台に避難。その途中、津波が迫り、バラバラに逃げた。両校のほぼ全員が無事に避難した体験から、津波が迫ったら各自で逃げる「津波てんでんこ」の教えが生きたと述べ、「家族や友人に構わず避難するのは抵抗があるかもしれないが、各自が命を守ることでこそ無事に再会できる」と強調した。

https://twitter.com/MPD_bousai/status/12375032384688168962020.3.11
◆警視庁警備部災害対策課
 津波被害が多い三陸地方で「津波起きたら命てんでんこだ」と伝えられてきました。これは「津波が起きたら家族が一緒にいなくても気にせず、てんでばらばらに高所に逃げ、まずは自分の命を守れ」という意味です。今日で東日本大震災から9年を迎えました。この教訓に基づき命を守る行動を取りましょう。

 しかし黒坂も意味不明な因縁を、山下氏につける前に「山下氏は『津波てんでんこ』の提唱者の一人として後世に名を残した。俺は『三流大学(大阪経済大学)のぼんくら教授』とはいえ、一応学者の端くれだが死んだときに一体何を残せるだろうか?」とは思わないんですかね?。黒坂に「後世に残るようなまともな研究成果がある」とはとても思えませんが。
【参考終わり】

*1:神奈川県議(日本共産党

*2:著書『支配の代償:英帝国の崩壊と「帝国意識」』(1987年、東京大学出版会)、『日独伊三国同盟と第二次大戦』(1988年、岩波ブックレット)、『帝国のたそがれ:冷戦下のイギリスとアジア』(1996年、東京大学出版会)、『国際体制の展開』(1997年、山川出版社世界史リブレット)、『第二次世界大戦』(2001年、吉川弘文館歴史文化ライブラリー)、『イギリス帝国と帝国主義』(2008年、有志舎)、『二〇世紀の歴史』(2014年、岩波新書)、『チャーチル』(2016年、山川出版社世界史リブレット人)、『帝国航路(エンパイアルート)を往く:イギリス植民地と近代日本』(2018年、岩波書店)など

*3:九条の会」事務局長。著書『夏目漱石をよむ』(1993年、岩波ブックレット)、『漱石を読みなおす』(1995年、ちくま新書→2016年、岩波現代文庫)、『最新宮沢賢治講義』(1996年、朝日選書)、『「ゆらぎ」の日本文学』(1998年、NHKブックス)、『心脳コントロール社会』(2006年、ちくま新書)、『村上春樹論:『海辺のカフカ』を精読する』(2006年、平凡社新書)、『天皇玉音放送』(2008年、朝日文庫)、『大人のための国語教科書』(2009年、角川oneテーマ21)、『子規と漱石』(2016年、集英社新書)など(小森陽一 (国文学者) - Wikipedia参照)

*4:「名優であるかどうか」と「政治的に日和見であるかどうか」は全く関係ないので、黒坂の物言いは何の批判にもなっていません。

*5:いつどこで何を理由に山下氏が宇野をそう批判したのかさっぱり分からないので話になりません。何せ「忘れました」ですから(失笑)。

*6:もちろん赤旗のこと

*7:肩書きは産経記事当時。現在は群馬大学名誉教授。東京大学特任教授。著書『人が死なない防災』(2012年、集英社新書)、『人に寄り添う防災』(2020年、集英社新書)など(片田敏孝 - Wikipedia参照)

*8:肩書きは毎日新聞記事当時。現在は教授