高世仁に突っ込む(2021年3/5日分)

◆高世のツイート

高世仁リツイート
三浦英之*1
 震災10年報道で被災地のPTSDをどう防ぐか。被災地の記者やデスクがもっと声を挙げなきゃダメだな。東京はいつだって乱暴だもの。11日が終われば「はい、おしまい」。今、地場の記者が被災者守らなければ、東北にいる意味がない。

 とはいえ「PTSDの恐れ」があろうとも「3/11」に記念報道がされるだけ「東日本大震災(2011年)」はマシです。拉致に至っては「9/17(小泉訪朝:2002年)」も「10/15(蓮池氏ら拉致被害者の帰国:2002年)」もその日に記念報道などろくにされません。拉致は完全に風化したと言っていいでしょう。


無視される原発事故被災者の「心」 - 高世仁の「諸悪莫作」日記
 前半がミャンマー情勢ネタ、後半が「東日本大震災ネタ(特に原発事故ネタ)」ですが、あまりコメントすることはないですね。

 青木美希氏は先の本*2にこう書いている。
 《避難者に向けられる目は次々と変わった。当初は憐れみを向けられ、次に偏見、差別、そしていまや、最も恐ろしい「無関心」だ》

 イヤー、そんなに「無関心」ですかねえ(「熱い関心がある」とまでは言いませんが)。無関心という意味では北朝鮮拉致の方が「もっと無関心」でしょう。何せ1)国内問題である震災被害と違い、国外問題なので北朝鮮の協力が得られないと事実上何もできないのに、2)北朝鮮をいたずらに敵視する家族会のせいで日朝交渉が事実上出来ない(つまり拉致問題が解決しない)状況ですからねえ。国民も関心の持ちようがない。
 そして高世も「ジンネット倒産」によりもはや「そうした拉致への無関心」を何とかする気は完全に失ったようです。全く高世もデタラメなクズ野郎です。


パイプある軍部の暴虐どうするの - 高世仁の「諸悪莫作」日記
 前半がミャンマー情勢ネタ、後半が「高世の知人」が主催者で、高世夫婦も関わりがある「地平線会議」なる「文化サークル(?)」です。

  一円にもならないことに夢中になっている、世間からは「ばか」と見られている人たちと接していると、なぜかとても勇気づけられる。

 基本的に趣味とは「地平線会議」に限らず「その趣味に興味の無い人間」にとっては「多くの場合」、馬鹿馬鹿しいもんです。
 何せ趣味というのは多くの場合「時間と金がかかる」一方で「金儲けにはなりません」。つまり「一円にもならないことに夢中になっている」。
 趣味(スポーツ、小説執筆、演劇、楽器演奏、写真撮影、料理、絵画、彫刻、陶芸、将棋、囲碁など)が高じてプロになってそれで食えるなんて人間はまず居ない。
 そもそも多くの趣味は「プロになりたいから、それで金儲けしたいからやってる」わけではない。「面白いからやっている」。
 わかりやすい例だと「文士劇(但し今や死語か?)」なんてのは明らかに趣味です。
 「例は何でもいい」ですが、例えば「そこに、山があるからだ」(ジョージ・マロリー)て言葉がありますね。
 本多勝一氏は「山一般では無くあくまでも『未踏峰としてのエベレスト』であり誤訳」と批判しますが、それはともかく。
 登山に興味の無い人間にとっては「山一般」だろうと「未踏峰としてのエベレスト」だろうと「そんなもん登って何が面白いんだ、最悪の場合事故死するのに」となる。実際、マロリーはエベレストで事故死しました。
 あるいはサイクリング中の転落事故で重傷を負い、政界引退となった谷垣氏*3。自転車に興味の無い人間からすれば「趣味のせいで政治家引退とかバカだなあ。自転車なんかやらなきゃ政界引退しなかったのに」でしょう。
 「陶芸」だって「手打ちうどん」だって興味の無い人間からすれば「本職でもないアマチュアが作った陶器やうどんなんてろくなもんじゃないだろ?。何が嬉しいんだか」でしょう。

*1:朝日新聞記者。著書『水が消えた大河で:JR東日本信濃川大量不正取水事件』(2010年、現代書館)、『五色の虹:満州建国大学卒業生たちの戦後』(2017年、集英社文庫)、『南三陸日記』(2019年、集英社文庫)、『牙:アフリカゾウの「密猟組織」を追って』(2019年、小学館)、『白い土地:ルポ福島「帰還困難区域」とその周辺』(2020年、集英社クリエイティブ)、『災害特派員』(2021年、朝日新聞出版)

*2:青木『地図から消される街:3.11後の「言ってはいけない真実」』(2018年、講談社現代新書)のこと

*3:小泉内閣国家公安委員長財務相自民党政調会長(福田総裁時代)、福田内閣国交相自民党総裁、第二次安倍内閣法相、自民党幹事長(第二次安倍総裁時代)など歴任