今日の産経ニュース(2021年3月6日分)

【正論4月号】匿名対談 現役学者が告発「軍事研究禁止の実態」(1/3ページ) - 産経ニュース
 匿名(正体不明)という時点でお話になりません。もちろん「匿名で無いとまずい場合(不当な迫害を受けるなど)」は無論ありますが、どう見ても「匿名で無いとまずい場合」ではないでしょう。


福岡知事選、立民県連が服部副知事の推薦決定 自民と相乗りへ - 産経ニュース
 立民では「予想の範囲内」ですがよくもまあこれで「まっとうな政治」とほざけたもんです。せめて自主投票にしたらどうなのか。


石破氏「野党、拍子抜けの迫力不足」 予算案審議めぐり酷評 - 産経ニュース
 野党を悪し様に罵ることで菅に媚びへつらい、「完全に干されてる今の無役状態を何とかして欲しい」ということでしょうが、菅*1や「菅を支える二階*2幹事長、麻生*3副総理・財務相など」からすれば「石破*4もそこまで落ちぶれたか。もう石破など何ら怖くない(爆笑)」と鼻で笑って無視するだけでしょう。落ちぶれた石破など菅らにとって配慮する価値は何一つありません。
 そして、野党も「はあ?」で無視するだけの話です。落ちぶれた石破の寝言など「どうでもいい」と言う点では与党だけで無く野党も「石破などもはやどうでも良い存在」です。むしろ「石破、拍子抜けするほどの迫力不足」でしょう。
 一方で石破がこんなことをすれば「石破に失望した」で石破人気はどんどん下降していく。
 石破の政治センスのなさには心底呆れます。


【産経抄】3月6日 - 産経ニュース

 幼い頃から、なぜか強者や正義の味方*5に反発を覚えていた。

 「良く言うぜ」ですね。「強者」である「政権与党・自民」に毎回へいこらする産経が良くもいったもんです。そして、産経がかばう悪役(?)は「太平洋戦争を起こした戦前日本政府(蒋介石が悪い!、ルーズベルトが悪い!など)」「女性差別暴言の森喜朗*6(森氏に悪意は無かった!、東京五輪組織委員会会長を辞める必要は無い!、森氏のおかげで五輪が招致できた!など)」など「産経の身内やお仲間」限定。
 ここでの「産経の物言い」はTBSドラマ「金八先生第二シリーズ(腐ったミカンの方程式)」「家栽の人」の「非行少年にも非行に走るそれなりの理由がある」や、NHK大河ドラマ「樅ノ木は残った(伊達騒動原田甲斐:大河では大老・酒井の謀略と戦う忠臣として描かれている)」のような「世間に悪人扱いされている人間は本当に悪人なのか?」といったものでは「全くない」のだから話になりません。
 産経が敵視した相手は「二重国籍ガー(蓮舫*7)」など「何の非もない場合」でもデマまで使って攻撃しますし。
 なお、当たり前の話ですが「悪人にも悪に走るそれなりの理由がある」とは「同情の理由」にはなりえても「正当化の理由」にはなりません。

【参考:樅ノ木は残った】

大河ドラマ『樅(もみ)ノ木は残った』 | NHK放送史(動画・記事)
大河ドラマ『樅ノ木は残った』【1970年放送】
 伊達騒動を引き起こした極悪人と見なされてきた伊達家家老・原田甲斐が本当は伊達家存続のために奔走した忠臣だったという新しい解釈の下に制作された異色のドラマ。
 江戸時代前期、仙台藩で起きたお家騒動を題材に、命をかけて伊達62万石のお家安泰をはかった家老・原田甲斐の苦悩と、孤独の中に信念を貫く姿を描いた。
◆逆臣から忠臣へ…“樅ノ木“ブーム誕生
 『樅ノ木は残った』の主人公・原田甲斐は、故郷の船岡(宮城県)では寛文事件(伊達騒動)以来、逆臣とされ忘れ去られてきた。それが大河ドラマの放送が始まるとにわかにクローズアップされ、その年の3月には船岡城趾で原田甲斐の三百回忌が行われるまでになった。公式に甲斐の法要が行われたのはこれが初めてのことで、お家断絶の難を逃れた子孫や家臣代表、甲斐役の平幹二朗さんも列席。逆臣から忠臣へと大きく見方が変わり、地元では“樅ノ木”ブームが巻き起こった。題名にもなっている船岡城趾公園に1本だけ残った樅の木の下には、原作者の山本周五郎さんの文学碑が建設され、原田甲斐の供養塔、資料館などもオープンし多くの観光客が訪れた。
◆創作で描いた甲斐の青春
 伊達騒動はお家安泰をはかった家老・原田甲斐を浮き彫りにしたものだが、ドラマは原作にはない甲斐の青春時代から描いている。脚本の茂木草介さんは、仙台で甲斐の青春時代の記録を探しても何も見つからず、しかしそれがないと原作で登場する42歳以後の甲斐の心の動きに納得がいかないと考え、青春編を創作することにしたそうだ。
◆甲斐の人生に登場した多彩な女性たち
 甲斐をめぐる人々のなかで注目を集めたのが女性たちだ。とくに前半に登場した甲斐の初恋の相手・たよを演じた栗原小巻さんと、晩年の甲斐が心を許したただ一人の女性・宇乃を演じた吉永小百合さんは、“コマキスト”“サユリスト”で男性ファンを二分した。

山本周五郎の『樅ノ木は残った』を読む(一人でなかった) - 馬込文学マラソン
 小説の舞台は取り潰し寸前の伊達藩。そんな大変な時だというのに、藩の重臣原田甲斐は動かない。政治の話ははぐらかして、静かに笑っているだけだ。そんな彼に失望して、親しい者までが、一人また一人と彼の元を去っていった。しかし、甲斐はなぜ動かないのだろう?
 実は、彼には一つの考えがあったのだ。藩を救う最後の切り札。これは、人に絶対に明かせない。徹底して自分を悪者にして、自分の名誉や命までもかなぐり捨てて初めて成し遂げえることなのだ。彼はこの過酷なシナリオを、一人、笑顔の裏に隠しているのだった。
 シナリオは遂行され、そして、甲斐は逆臣の汚名を着て死んでいく、一人で。
 この長大な小説『樅ノ木は残った』はこれで終るかのようだった。が、実はここから先に、本当のクライマックスがある。一人で死んでいったかのような甲斐だったが、彼のことを心から理解する一人の人物が、浮き彫りになる。やはりそうだったのだ。
 彼は一人でなかった。
 昭和29年7月から「日本経済新聞」で連載された山本周五郎(執筆時51歳)の代表作。
 歴史上、逆臣とされる原田甲斐(評定の場で反対派の伊達安芸を殺害し、自らもその場で斬り殺された犯罪者。原田家は幼児まで男子は切腹に処され、お家断絶)を、周五郎は、自らを犠牲にして藩を救った人物として描いた。

涌谷町/仙台藩を救った忠義の士―伊達安芸宗重公
 令和二年(二〇二〇)は、伊達騒動(寛文事件)で非業の死を遂げた涌谷伊達家第四代邑主伊達安芸宗重公の三百五十年遠忌に当たります。
 「伊達騒動」は仙台藩のお家騒動で昭和四十五年(一九七〇年)に山本周五郎の小説「樅ノ木は残った」がNHK大河ドラマで放映されて全国的に知られました。しかしドラマの内容は小説であり史実ではありません。
 史実は、仙台藩第三代藩主伊達綱宗の不行跡がもとで幕府より逼塞を命じられ、当時二歳であった亀千代が四代藩主となり、伊達兵部と田村右京の二人が後見役を命じられます。しかし後見役の一人伊達兵部が藩政を牛耳り、藩内を動揺に陥れ入れました。
 寛文七年(一六六七)、涌谷登米の間で二郷谷地を巡る谷地争いとなり訴訟へと発展していきます。宗重公は仙台藩に訴えますが埒が明かず、兵部は幕府に相談しました。その機会を見逃さず、宗重公は今まで集めた兵部側の不正の数々を幕府に訴え出ました。兵部の手先だった原田甲斐を含む悪党一派に立ち向かったのが伊達安芸宗重公です。詮議の途中で原田甲斐が斬りかかり宗重公は凶刃に斃(たお)れます。しかし宗重公の身命を賭けた訴えは幕府に通じて仙台藩は安泰でした。
 明治七年(一八七四)、涌谷神社が建立され、宗重公は「赤心猛雄命(まごころたけおのみこと)」として祀られました。昭和七年(一九三二)、著名な彫刻家・藤田文蔵氏が製作した「宗重公の胸像」が涌谷神社に奉納されました。
 伊達安芸宗重公は、涌谷神社の境内で今も静かに郷土の発展を見守り続けています。

*1:第一次安倍内閣総務相、第二~四次安倍内閣官房長官を経て首相

*2:小渕、森内閣運輸相、小泉、福田、麻生内閣経産相自民党総務会長(第二次安倍総裁時代)などを経て幹事長

*3:橋本内閣経済企画庁長官、森内閣経済財政担当相、小泉内閣総務相、外相、第一次安倍内閣外相、自民党幹事長(福田総裁時代)、首相などを経て第二~四次安倍、菅内閣副総理・財務相

*4:小泉内閣防衛庁長官福田内閣防衛相、麻生内閣農水相自民党政調会長(谷垣総裁時代)、幹事長(第二次安倍総裁時代)、第三次安倍内閣地方創生担当相などを歴任

*5:当然ながら「強者」と「正義の味方」は全くの別物です。

*6:中曽根内閣文相、自民党政調会長(宮沢総裁時代)、宮沢内閣通産相、村山内閣建設相、自民党総務会長(橋本総裁時代)、幹事長(小渕総裁時代)などを経て首相

*7:菅、野田内閣行政刷新担当相、民主党代表代行(岡田代表時代)、民進党代表、立憲民主党副代表などを経て立憲民主党代表代行