クイズ(この俳優は誰?)(追記:今回は最初のお二人はあてずっぽうですら分からず、最後の一人は正解しました)

この俳優は誰?(今回は、簡単なので答えをすぐ発表) - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)
 前々回クイズ(この女の子は誰?)(追記:見事に(?)外しました) - bogus-simotukareのブログは思い切り外したとはいえ、一応答えが出ました。前回クイズ(この女の子は誰?)パート2(追記:今回は当たりました) - bogus-simotukareのブログは答えが当たりました。今回は「当てずっぽうですら答えが出なかった」ですね。ノーヒントだとさっぱりわかりません。
 と言うことで「これで終わるとつまらない」ので今回版のヒントを考えてみました。
 まず阿藤快

阿藤快 - Wikipediaを参照
◆既に故人です。俳優ですが、晩年はグルメ番組や旅番組*1のレポーター、バラエティ番組のゲストの方が出演が多かったかもしれません。売れてない若い頃は「強面の顔」もあって悪役が多かったかと思います。独特の口調*2からものまね芸人*3のネタにされることが結構ありました。

 次にルー大柴

ルー大柴 - Wikipedia参照
◆最近はテレビではあまり見なくなったかとは思います(とはいえそれなりに長くテレビ出演していたので『一発屋』というのは失礼な気がします)。
 若い頃は勝新太郎の俳優養成学校「勝アカデミー」に在籍*4。俳優(後にバラエティ番組でブレイクしたとは言え別にコメディアンを目指していたわけではないと思います)で売れることを目指して活動していた物の、あまり売れず、むしろバラエティ番組に出演したら「その独特のキャラ」が受けてブレイク。
 その結果として、俳優としてもそこそこ活躍できるようになったという「変わった経歴の持ち主」です。

 うーん、あまり簡単だとモロバレでつまらないので、そこまでわかりやすいヒント(たとえば、大柴だといわゆる「ルー語」だとヒントとして簡単すぎるでしょう)じゃないですが、「顔とセット」でこれで阿藤や大柴だと「すぐに分かる方」もいるのでしょう。「自分で書いてて何ですが」俺はこのヒントでは分からないですね。
 「明日回答がある」という最後の方も正直自信は無いのですが「イッセー尾形?」と回答しておきます。

【参考:ルー大柴と勝アカデミー】

「スリーデイズ坊主はもったいない」ルー大柴が15年以上の下積みを乗り切れた理由とは? | リクナビNEXTジャーナル2016.2.16
 担任が岸田森さんだったんだけど、岸田さんが僕のことを高く評価してくれたそうで、「僕は大柴が受験者のなかで一番いいと思った。お前は世に出ないとダメなんだよ」って言ってくれて。でもまぁ、そこからも大変だったんだけどね。岸田先生は、僕が「ルー大柴」になる前に亡くなっちゃったしなぁ。

【参考:小堺一機勝新太郎

◆小堺一機とルー大柴
 私は勝アカデミーの第三期生で、彼らは記念すべき第一期生の先輩にあたる。半年ごとに生徒を募集していたので、勝プロ倒産までの卒業生は第四期生までとなった。
 勝アカデミーの選考基準がどこにあったのかはよく分からない。だが、生徒を見れば、この演劇学校が、二枚目だけを養成しようとしていなかったことは明らかである。
 その成果のひとつが、お茶の間で人気の小堺一機であり、お騒がせ芸人のルー大柴の活躍である。
 彼らは私より二級も先輩であることから、その存在もうろ覚えの範ちゅうの域を出ない。すでに卒業していたので、通常の授業では会うことはなかった。ただし、卒業生も出入りが制限されていなかったこともあり、特別講師の講演のときは、いの一番に駆けつけていたようだ。いま思えば、あの時の彼らがそうだったのかと、思いあたる節がないでもない。当時の彼らの外見やそこから醸しだされる空気が、いまの彼らの芸風とあまりにも酷似しているからである。
 テレビの有名な勝ち抜き番組の一コーナーである「素人コメディアン道場*5」で名を成していた小堺は、勝プロ製作のドラマには出演していたのかどうか、本人もつまびらかにしていないし、特段の記録も残っていない。
 他方、特異キャラが売りのルーはというと、講師だった岸田森に見込まれ、『走れ!熱血刑事』にも大柴亨介という芸名で出ている。彼の本名は大柴亨だが、どうも祖父の名前をそのまま使っていたらしい。彼にとって祖父は、実家の印刷会社を一代で築き上げた偉大な人物だったのだろうか。案外、その跡目を継がないで、好き勝手なことをやっていることに対しての負い目が、その芸名の由来だったのかもしれない。
 ふたりは勝アカデミーで出会った。そして、先に芸能界に礎を築いた小堺が、不遇を囲っていたルーを萩本欽一に紹介してから、お互いの信頼関係は一層深まり、今日の地位を確固たるものとした。

SmaSTATION!!
 勝さんが主催していた映画セミナー『勝アカデミー』の生徒だった小堺一機さんが、勝さんに連れられて、高級料亭に食事に行ったときのこと。
 最高級の牛肉を一口食べた次の瞬間、勝さんはそれを“ペッ!”と吐き出しました。
 「いつからこんな物を出すようになったんだ。お前のとこは…」。
 そのひとことに場は凍りつき、「少々、お待ちを」と板前さんが慌ててその場を去りました。それを見た勝さんは、「今の顔、見たか?本当に慌てた人間の顔ってのは、ああいう顔なんだ。よく覚えとけ!」と、涼しい顔で話したそうです。

勝新太郎「怖すぎる演技指導」エピソードを、小堺一機が明かす | 日刊大衆2016.4.13
 4月9日放送の新番組『かたらふ~ぼくたちのスタア~』(フジテレビ系)に、タレントの小堺一機(60)が出演。かつての師、勝新太郎(65没)の豪快なエピソードを明かす場面があった。
 番組は『存命する伝説の人物』をテーマに小堺とゲストが語り合う、という内容。この日はサンボマスター山口隆(40)と共に“ショーケン”こと萩原健一(65)について語り合っていたのだが、途中で脱線して勝新太郎が話題になった。山口が「あの伝説は本当なんですか?」「いきなり勝さんが怒りだして……」と問いかけると、小堺が勝新のモノマネをしながら語り始めた。
 小堺によると、勝新と食事をしていた時に「肉食べてたらいきなりこうやってぺっ!(と吐き出し)『オイ!オマエんとこ、いつからこんな肉出すようになったんだ、この野郎!』」といきなり店員に怒りだしたという。さらに、店員が『はい、いや今日仕入れたお肉でございますが、何か……?』と問うと、勝新は『だから、いつからこんな肉出すようになったってんだ、この野郎!』と怒鳴り、店員が『調べさせていただきます』と店の奥に戻ると、勝新は『今のが驚いた顔だよ。今の役者はハンコで押したような、誰かに習ったようなびっくりしたような顔しかできねえ。今のが驚いた顔、覚えとけ』と語ったのだという。

 さすがに小堺の冗談で「いわゆる都市伝説」でしょうが、勝新太郎だと「一定の信憑性がある」ところがなんともかんとも。

【追記】
 コメント欄の

面白い記事のご紹介ありがとうございます。原田美枝子も、勝アカデミーと関係していたとは知りませんでした。

とは◆小堺一機とルー大柴 ではなく同じサイトにある

◆大女優になった可憐な少女
特別講師で来たときは、可憐で小柄な普通の少女。でも勝さんはその稀な才能を見抜いていた。彼女の名は原田美枝子といった。

ですね。
 なお◆大女優になった可憐な少女には

勝さんは夫婦喧嘩をしているとき、凄い形相で怒った玉緒さんにこういったという。
「玉緒、その顔を忘れるな!」

という小堺の話とほとんど同じ話が出てきます。さすがにこれらの話は「冗談」だとしても「普段の生活で意識せずにやってることをそのまま普通に演じるのが一番リアルで生活感があって正しい」というような価値観を常々、勝は口にしてたのでしょう。

*1:例えば日本テレビ『遠くへ行きたい』、『ぶらり途中下車の旅』に出演。そのため、『ぶらり「快」的うまい旅』(2008年、ソフトバンク新書)、『阿藤快の商店街ぶらり歩き』(2010年、講談社)という著書もある。(阿藤快 - Wikipedia参照)

*2:「何だかなあ」を書くとヒントとして簡単かと思うのであえて書きません。

*3:阿藤快 - Wikipediaによればコージー冨田

*4:小堺一機 - Wikipediaによれば勝アカデミーで大柴の同期生だったのが小堺一機。その縁で小堺の番組『コサキンDEワァオ! - Wikipedia』(1981~2009年)に良く出演するようになったことがブレイクしたきっかけとのこと。また小堺のつてで大柴は長く「小堺の所属事務所」である浅井企画に在籍しました(ただし、現在は浅井企画から離れている)。

*5:TBSのぎんざNOW! - Wikipedia(1972~1979年)の人気コーナー。小堺の他にも無名時代の関根勤竹中直人とんねるず柳沢慎吾が出演していた。