もう三昔*1も前(1980年代末)、私がフィリピン・マニラに駐在していたとき、台湾に取材に行き、花蓮に数日滞在したことがある。
たしか、花蓮に残る植民地時代のなごりやかつて日本兵としてフィリピン戦線に投入された高砂族(先住民)などを取材した。
ある下町で撮影していると、通りかかった高齢の男性が「日本人ですか」と話しかけてきた。ぜひ自宅でお茶をごちそうしたいという。取材が一段落したので、お邪魔することにした。
応接間に通されると、立派なガラスケースが目に入った。軍服らしいものが飾ってある*2。
帝国陸軍に所属していたときの軍服です、とその男性は、誇らしげに語った。さらに、「中共が台湾にやってくるくらい*3なら、日本にもう一度植民地にしてもらう方がはるかにいい*4」と言ったのだ。
やはり植民地化された韓国とはまったく違うなと驚いたものだ。
「高世って本当に常識がねえな(呆)」ですね。
こういうことを書けば、「台湾は日本の植民地支配について感謝してる。それに比べて韓国は恩知らずだ」などという「産経や日本会議のような意見だ」と高世が誤解される恐れがあるのですが、高世には「私には日本の台湾植民地支配を正当化する気は無い」「韓国を恩知らずなどと批判する気は無い」というエクスキューズを付ける気すら無いようです。
いや誤解では無く、マジで高世が「台湾は日本の植民地支配について感謝してる。それに比べて韓国は恩知らずだ」と思ってる可能性もありますが。
実際にはこの男性を一般化して良いか疑問符が付くでしょうし、一方では1980年代当時においても「日本の植民地支配」に批判的な台湾人もいるでしょう。実際、植民地統治時代には霧社事件という有名な抗日蜂起事件も起こっていますし。
ちなみに以前ある文(誰のどんな文章かは既に忘れています)を読んでいたら「戦前日本において、台湾や韓国の総督はほとんど軍人だった。結局、戦前日本は植民地住民の独立運動を最後まで恐れていた」という趣旨のことが書かれていて「なるほどな」と思ったことがあります。
では、台湾総督府 - Wikipedia、朝鮮総督府 - Wikipediaを見てみましょう。
台湾総督府 - Wikipedia参照
◆軍人総督時代:1895年着任の初代総督・樺山資紀*5から1919年退任(在任中病死)の明石元二郎*6まで、1936年着任の小林躋造*7から最後の台湾総督・安藤利吉*8まで
◆文民総督時代:1919年着任の田健治郎*9から1936年退任の中川健藏*10まで
朝鮮総督府 - Wikipedia参照
韓国統監時代は初代・伊藤博文*11(1906~1909年)、二代目・曾禰荒助*12(1909~1910年)が文民総督だが、三代目・寺內正毅*13は軍人。寺内が「統監から総督に床滑りで就任」してから最後の朝鮮総督・阿部信行*14までずっと朝鮮総督は軍人
ということで確かに「ほとんど軍人」のわけです。
*1:もちろんこの表現の前提にあるのは「10年一昔」ですね。小泉訪朝(2002年)もそう言う意味では「一昔前」です。
*2:飾ってあると言うことは一般兵士では無く下士官では無いか?。であるなら「日本植民地統治下においてはエリート」であり、好感も持つかもしれない。
*3:まあ、1980年代の中国と言えばまだまだ今と違って豊かじゃないですからね。
*4:「戦後の蒋介石政権より日本時代の方がましだ」でないのが「蒋介石時代の方がましだ」と本心、思ってるのか、「国民党の弾圧が怖くて言えなかったのか」が気になるところです。
*5:第1次山県、第1次松方内閣海軍相、海軍軍令部長、台湾総督、第2次松方内閣内務相、第2次山県内閣文相など歴任
*6:参謀次長、第6師団長、台湾総督など歴任
*8:南支那方面軍司令官、台湾軍司令官、台湾総督など歴任。戦後、戦犯として蒋介石政権に上海に抑留され1946年に服毒自殺
*9:寺内内閣逓信相、台湾総督、第2次山本内閣農商務相など歴任。大正8年(1919年)に、文官として初めて台湾総督となったが、これは総督の軍人専任を改めようとする原敬首相とそれに反対する元老・山縣有朋との妥協と言われている。TBSニュースキャスター、参院議員(社会党→社民党)だった田英夫の祖父(田健治郎 - Wikipedia参照)。
*10:香川県知事、熊本県知事、北海道長官、東京府知事、浜口内閣文部次官、台湾総督、大日本航空株式会社総裁など歴任
*11:工部卿、内務卿、宮内卿、首相、貴族院議長、枢密院議長、韓国統監など要職を歴任。元老の一人
*12:第3次伊藤内閣司法相、第2次山県内閣農商務相、第1次桂内閣蔵相等を歴任