高世仁に突っ込む(2021年5/1日分)

プラティープさん、春の叙勲に選ばる - 高世仁の「諸悪莫作」日記

 春の叙勲に、外国人枠で、タイのプラティープ・ウンソンタム秦さんが旭日中綬章に選ばれた。
 肩書に「元タイ日友好議員連盟副会長」とあるのは上院議員時代のもの。
 1992年、軍事クーデター(スチンダー・クラープラユーン将軍による)に反対し、「民主連盟」の委員会リーダーのひとりとなった。
 軍事政権に狙われて身を隠していたときのこと、私は彼女の行方をさがしてインタビューしようと携帯に電話した。潜伏中なのできっと通じないだろうと思ったら、プラティープさんがすぐに電話口に出た。いまどこにいるかは言えないが、安全なところにいるから心配しないで、とのことで安心した。
 後でわかったのだが、彼女はなんと日本大使公邸にかくまわれていたのだった。
 当時の大使は、後に政治評論家としてメディアにもよく出ていた岡崎久彦*1だった。(岡崎氏にテレ朝の「サンデープロジェクト」への出演交渉したのは私だった)
 私は1980年代、バンコク駐在中、クロントイ・スラムをよく取材した。後に夫となる秦さん*2曹洞宗ボランティア会の他のメンバーとも親しく、足しげく通ったものだ。
 懐かしい思い出がたくさんある。
 私が森本喜久男さん*3と出会ったのもそのころ。このスラムで大火事があった日だった。森本さんは、来日したプラティープさんが、京都の彼の友禅工房に見学に来たことからタイとの縁ができ、移住することになったのである。

 プラティープ氏については

プラティープ・ウンソンタム・秦 - Wikipedia
 バンコクのクロントイ・スラムでの教育活動が評価され、1978年マグサイサイ賞受賞。ドゥアン・プラティープ財団の事務局長。2000年~2006年までタイ上院議員を務める。

を紹介しておきます。
 しかし、この高世の文章は完全に「昔は俺もすごかった」というただの自慢話ですね。
 まさに

北朝鮮が崩壊する前に自分の会社を倒産させた無様で無残な話 - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)
 高世もそんな過去の繰り言を述べているより、もう少しまともなジャーナリズム活動をした方がいいんじゃないのということを書いてこの記事を終えます。

ですよね。まあ、そう言われたら高世もマジギレでしょうが。

 ところで、タイは今も軍事政権だ。プラティープさんはそれに反対の立場(のはず)で、今回の叙勲はタイの軍政への日本の不快感をしめした?。まさか、日本はそんな大それたこと、絶対しないよねw 

 香港デモでは高世もこんなふざけた書きぶりにはしないでしょうから、高世も本当に馬鹿野郎です。
 なお、タイのクーデターについては以前、新刊紹介:「歴史評論」5月号 - bogus-simotukareのブログ(2019年4月10日付け記事)で触れたのでこの機会に紹介しておきます。

 きょうのGLIM SPANKY お勧めは「時代のヒーロー」

 ♪夢見る馬鹿でいよう 雲をつかみにいこう
 誰だって保証はない ならば刺激ある将来を
 切り開いて変えてやる あとに続けよ 
 イエーイ

 聴いてるとどんどん元気になる。

 拉致報道が受けたことで「時代のヒーロー*4」気取りで「雲(ジャーナリストとしての輝かしい未来?)をつかみにいこう」「『日本電波ニュースだって潰れないor高世が日本電波ニュースを首にならない』保証はない、ならば刺激ある将来を、切り開いて変えてやる」と日本電波ニュース社を退社し独立。しかし、勿論「ジンネットだって潰れない保証はない(苦笑)」ので「高世の無能のために」北朝鮮が崩壊する前に自分の会社を倒産させた無様で無残な話 - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)という「夢見る馬鹿」高世がこんなこと言って虚勢張って強がったところで「高世はバカじゃねえの?」「もう少しまともなジャーナリズム活動をした方がいいんじゃないの?」て話です。まあ、そう言われたら高世もマジギレでしょうが。
 最後に今回の叙勲関係の記事をいくつか紹介しておきます。

「一作一作丁寧に心込めて」 いしだあゆみさん―春の叙勲:時事ドットコム2021年04月29日
 旭日小綬章に決まった歌手で俳優のいしだあゆみさん(73)は「身に余る光栄でございます。これまでお世話になった多くの方々がお力添えをして下さり、支えて下さったおかげでここまでやってこれました」とのコメントを発表した。
 1964年に歌手デビュー。68年に出した「ブルー・ライト・ヨコハマ」が大ヒットし、累計150万枚超のミリオンセラーに。俳優としても活躍し、「駅 STATION」や「男はつらいよ 寅次郎あじさいの恋」などの映画をはじめ、「北の国から」「金曜日の妻たちへ」「青春家族」などテレビドラマにも多数出演している。
 今後の活動について、いしださんは「今回の受章を励みに、これからも一作一作丁寧に心を込めてお仕事に取り組みたいと思います」とつづった。

【春の叙勲】旭日小綬章 歌手・森進一さん(73)「心に響く歌、歌い続ける」 - 産経ニュース(道丸摩耶)2021年04月29日
 歌手の森進一さんは、昭和41年の歌手デビューから55周年という節目の年にもたらされた栄誉を、「身に余る光栄」と喜ぶ。
 「港町ブルース」「おふくろさん」「襟裳(えりも)岬」「冬のリヴィエラ」など多くのヒット曲をもつ。独特のハスキーボイスは演歌界に新しい風を吹き込み、フォークソングやポップスなど従来の演歌の枠にとらわれない幅広い音楽性で、ファンを魅了してきた。ただ、その歌手人生は必ずしも順風満帆ではなかった。
 昨年6月にデビュー55周年を記念して発売した通算128枚目のシングルのタイトルは「昭和・平成・令和を生きる」。自ら作詞、作曲を手がけ、3つの時代を駆け抜けた人生を投影。「今日の日があることに感謝して 笑顔で行こう」との歌詞は、コロナ禍に生きる人々を励ました。
 受章にあたり、ファンや関係者はもちろん、「亡き母にもこの喜びを感謝の気持ちとともに伝えたい」と話す。「今後も一層の精進を重ね、心に響く歌を歌い続けて参ります」と「歌一筋」を誓った。

カタカナ英語で何が悪い 英語界の変わり者が叙勲受章:朝日新聞デジタル(西田有里)2021年04月29日
 日本人らしいカタカナ英語、そう、「ニホン英語*5」でいいじゃないか。
 半世紀にわたって、日本の英語教育にあらがってきた「変わり者」が、春の叙勲で瑞宝中綬章を受章した。
 兵庫県立大名誉教授(言語教育学)の末延岑生(みねお)さん*6(80)=神戸市長田区。日本人が英語のネイティブスピーカーをまねする必要はないと、訴え続けてきた。
 「ニホン英語」のお手本は、父だった。
 三菱重工業に勤め、独学のカタカナ英語で堂々と欧米人と鉄を取引する姿を間近で見てきた。
 「英語の話し方には、その国それぞれの癖があるんや」。
 父から教わった。
 そんな環境だから、小学生の頃から自然と「ニホン英語」を実践してきた。
 自宅に泊まりに来た外国人に「まだ帰らないで」と伝えたくて、「ウェン ドゥー ユー ゴー ホーム?(いつ帰るの)」。お土産がまた欲しくて「ネクスト! ネクスト!(次も)」とせがんだ。
 単語を並べれば、つたなくても伝わる。英語が大好きだった。
 ところが中学に入ると、「その変な英語、どこで習ったんや」。英語教師から笑われた。
 英米の発音をまねるよう教えられた。
 「なぜ自分の自然な言葉で話したらいけないのか。これまで通じたのに」。
 テストでは、文の最後にピリオドをつけ忘れただけで、0点にされた。
 英語の授業は大嫌いだった。
 「キザな英語なんてしゃべらんでも通じるんや」。
 関西学院大学の大学院を出た後、教育現場を変えたくて英語教師になった。
 でも、なかなか難しかった。
 日本人らしい発音を直したり、細かい文法の間違いを許さなかったり。そんな英語教育は「子どもたちの言葉を摘み、恐怖心を植え付ける」と感じてはいたが……。自分も知らぬ間に英米風の英語を話すようになっていた。
 25歳の頃、世界一周旅行に出た。
 インドやエジプト、フランス……。英米のまねではなく、その国なまりの英語を耳にした。ドイツ人にはこう言われた。
 「日本人なのにアメリカ人のような英語を話すのはなぜ。わざわざまねをするのは馬鹿だ」。
 恥ずかしくなった。
 帰国後、言葉の起源と「ニホン英語」の研究を始めた。
 1969年から神戸商科大(現・兵庫県立大*7)で教え、これまで執筆してきた論文は100本近く。研究では、「ニホン英語」の方が、英米のまねをした英語より相手がどこの国の人であっても伝わるとも分かったという。
 「『ニホン英語』はかっこよくはないのかもしれない。けど、堂々と話せばむしろ品がある」
 他の研究者から変わり者扱いされても、お構いなし。提唱し続けて、気づけば50年ほど経っていた。
 日本の英語教育が変わり、自信を持って「ニホン英語」を話せる社会に。それがゴールという思いは変わらない。
 「僕みたいに、他の英語の先生たちと対峙してきた『異端児』が受章するなんて、ちょっと不思議。あ、でも、僕からすれば他の先生が異端なんだけどね」

*1:1930~2014年。外務省でサウジアラビア大使、タイ大使など歴任。退官後は日本教育再生機構顧問、日本李登輝友の会副会長、「安倍晋三総理大臣を求める民間人有志の会」発起人など右翼活動家。著書『情報・戦略論ノート』(1988年、PHP文庫)、『繁栄と衰退と:オランダ史に日本が見える』(1999年、文春文庫)、『日本外交の情報戦略』(2003年、PHP新書)、『小村寿太郎とその時代』、『重光・東郷とその時代』、『幣原喜重郎とその時代』、『陸奥宗光とその時代』、『吉田茂とその時代』(以上、2003年、PHP文庫)、『百年の遺産:日本近代外交史73話』(2005年、扶桑社文庫)、『なぜ、日本人は韓国人が嫌いなのか:隣の国で考えたこと』(2006年、ワック文庫)、『この国を守るための外交戦略』(2007年、PHP新書)、『国家戦略からみた靖国問題』(2008年、PHP新書)、『真の保守とは何か』(2010年、PHP新書)など (岡崎久彦 - Wikipedia参照)。

*2:近畿大学教授。社団法人シャンティ国際ボランティア会常務理事。著書『バンコクの熱い季節』(1993年、岩波同時代ライブラリー)、『アジア発、ボランティア日記』(1994年、岩波同時代ライブラリー)、『ボランティアの考え方』(1996年、岩波ジュニア新書)、『タイ都市スラムの参加型まちづくり研究』(2005年、明石書店)など(秦辰也 - Wikipedia参照)

*3:森本については草木染タオルに生きるカンボジアの伝統技法 - 高世仁の「諸悪莫作」日記森本喜久男さんのメメントモリ - 高世仁の「諸悪莫作」日記呼吸と鼓動が入った布 - 高世仁の「諸悪莫作」日記カンボジアの「伝統の森」に行ってきた - 高世仁の「諸悪莫作」日記カンボジアで森の中の白熱教室 - 高世仁の「諸悪莫作」日記「伝統の森」への3回目の訪問 - 高世仁の「諸悪莫作」日記アプサラがまとったクメール絣 - 高世仁の「諸悪莫作」日記「自由に生きていいんだよ」 - 高世仁の「諸悪莫作」日記カンボジアでカイコまつり - 高世仁の「諸悪莫作」日記「情熱大陸」に森本喜久男さん登場 - 高世仁の「諸悪莫作」日記「伝統を創る」森本喜久男さんの講演 - 高世仁の「諸悪莫作」日記森本喜久男さんの訃報 - 高世仁の「諸悪莫作」日記森本さんの追悼アカウント - 高世仁の「諸悪莫作」日記森本喜久男の「情熱大陸」がアンコール配信 - 高世仁の「諸悪莫作」日記森本さんを称える会にて - 高世仁の「諸悪莫作」日記「伝統の森」再訪 - 高世仁の「諸悪莫作」日記森本喜久男追悼写真展 - 高世仁の「諸悪莫作」日記コロナ禍に笑顔で生きる”奇跡の村” - 高世仁の「諸悪莫作」日記カンボジアの絹織物の村がコロナ禍で危機に - 高世仁の「諸悪莫作」日記参照

*4:以下、高世が紹介するGLIM SPANKY「時代のヒーロー」の歌詞に当てこすっています。

*5:要するに「いわゆるピジン言語 - Wikipediaの一種」ですね。

*6:著書『ニホン英語は世界で通じる』(2010年、平凡社新書)など

*7:2004年に神戸商科大学姫路工業大学兵庫県立看護大学を統合して誕生(兵庫県立大学 - Wikipedia参照)