全体主義の人間観は右と左で正反対 - 高世仁の「諸悪莫作」日記
珍右翼・高世仁に突っ込む(2021年5/5日分) - bogus-simotukareのブログで批判した「人権」のために避けて通れない「共産主義」批判 - 高世仁の「諸悪莫作」日記の続きです。
タイトルからして「意味不明」ですね。
本文を読まずにタイトルだけで「高世の言いたいこと」を連想すると「右の全体主義(例:ヒトラー)と左の全体主義(例:スターリン)では人間観(どんな人間観かはともかく)は正反対」ということでしょうが、「一般論としてそんなことが言える」とはとても思えない。かつそんなことを論じることに何の意味があるのか?、ですが、まあとりあえず読んでみます。
新緑のなかを自転車で走るとうれしさがこみ上げる。
ここ数日「毎回毎回サイクリングネタ」の高世です。まあ高世がサイクリングしようと奴の勝手ですが「会社が倒産してから完全に暇になったんだねえ」「もうジャーナリスト活動なんかする意欲もないんだねえ」と苦笑します。
ある人がどういう人間になるかを決めるのは、生まれる前の「遺伝」か、それとも生まれてからの「環境」か。これは古くからの問いである。
ナチズムは、人は「遺伝」で決まると考えている。
ナチスが強烈な人種イデオロギーをベースにしていたことは知られている。
これに対して「共産主義」は、人は生まれた時はまっさらで、全ては環境で決まるという。
毛沢東の「白い紙はどんな絵も描ける」は有名だ。
そこから(共産主義的)人間形成の「教育」が重視されることになる。子どもは「ピオニール」(少年団)に組織され、プライバシーのない集団生活が奨励された。中国の「人民公社」では各戸の台所をなくして集団食堂での給食が導入された*1。
何だかなあ、ですね。
まあ確かにナチズムは「遺伝重視*2(何せユダヤ人とアーリア人は生まれたときから違うわけですから)」かもしれないですが、それ「右の全体主義(戦前天皇制、イタリア・ムッソリーニ、スペイン・フランコなど)は遺伝重視だ」と一般化できる話じゃないでしょうに。
一方「環境重視=共産主義」つうのも酷い話です。
ならば「刑務所や少年院の矯正教育=共産主義」なのか。ならば、もちろん日本も含めて「世界中にそうした矯正施設がある」ので「世界中、共産主義」になってしまう。
あるいは環境重視の筋立ての話(小説や映画)は、『例は何でもいい』ですが、例えば『砂の器*3』の作者である松本清張は「共産主義者*4」であり、あの映画の愛好家は「共産主義者」なのか?。ならば、あの映画は大ヒットしてるので日本中、共産主義者だらけです。
あるいは「悪い環境に戻ったらまた左傾化するかもしれない」と言う理由(ある種の環境重視)で「刑期満了した共産党員を予防拘禁*5していた戦前の日本」は「共産主義だった」のか?(勿論高世への皮肉、嫌みで書いている)。高世も「元左翼」なんだから「戦前の予防拘禁」ぐらい知っているでしょうに。
つうか高世が批判する日本の入管の運用は
入管長期収容 治安維持名目は法逸脱/衆院委で藤野議員 仮放免厳格化を批判2019年10月24日記事
藤野氏*6は、「『社会にとって危険だから収容を継続してよい』という論理は危険であり、入国管理法の趣旨からも逸脱している」と批判。「入管法が認める収容は、あくまで送還のための短期収容であり、再犯予防や治安目的の収容は全く予定していない」と政府の姿勢をただしました。
藤野氏は、日本弁護士連合会(日弁連)が収容の実態は「予防拘禁と共通する性質」だと指摘していることを紹介。戦前の治安維持法でさえ、予防拘禁には裁判所の決定などの要件があったのに、現在の入管収容は法務省内の判断だけで行われており「悪名高い治安維持法よりも緩い要件だ」と批判しました。
ということで「戦前の予防拘禁に近い運用」ですが、それは高世的には「法務省が共産主義」ということなのか(勿論高世への皮肉、嫌みで書いている)。
まあ、マジレスすれば人間の性格決定は「遺伝要素もあれば、環境要素もある」でしょうねえ(そもそも共産主義にしても、その他の「環境重視の考え」にしても遺伝要素を全否定してるわけでは無いでしょうが)。
ただし、現実問題として「遺伝子をいじって病気を治す(これだって難しいですが)」ならともかく「遺伝子をいじって性格を変える」なんてことは「倫理的な是非以前」に現在の科学では無理です。
結局の所「悪人については、教育で変える」つう話にしかならない。
もちろん共産主義に限らず「何が悪人なのか?」「どう変えるのか?」つう話はある。
その辺りがいい加減だと、「共産主義に限らず」悪人でも何でもない人間に「悪人レッテル」を張って「自分に都合のいい人間に洗脳する=矯正教育」つうとんでもないことになりかねない。
とはいえ一般論として言えば「教育で変える」という考えは何ら悪いことではない。
どっちにしろ「遺伝重視だから虐殺」とか「環境重視だから虐殺」とかいう話ではないので、高世の話は馬鹿馬鹿しいこと、この上ない。何でこんな珍論が始まるのか頭痛がしてきます。
「遺伝で決まる→現在の医学では限界があって、遺伝要素をこれ以上、変えようがないので、こんな悪人は殺すしかない」
「遺伝で決まる→遺伝は当人の責任ではないので、当人を責められない。殺すなどとんでもない。今後、科学の発展もあり得るし、可能な限り遺伝子治療(?)に努力しよう」
「環境で決まる→現在の科学に基づいて可能な限り環境を良くしたが、それでもこいつはまともにならない。こんな悪人は殺すしかない」
「環境で決まる→環境は当人の責任ではないので(以下略)。今後、科学の発展もあり得るし、可能な限り環境の改善に(以下略)」
ということで理屈は付けようとすればいくらでも付けられるわけです。
まあ、「全体主義での虐殺」とはかなり話が違うことは当然ですが「こんな改善の余地のない悪人*7は殺すしかない」つうのは死刑存続国(日本、米国など)では、おなじみの理屈です。
そう言う意味では「全体主義下での大量虐殺の論理(生きる価値のないゴミは殺すしかない)」は「ある程度」はわからないでもない気はします(あくまでも「ある程度」ですが)。
【参考:砂の器】
コロナ禍で読むと「生々しい」 60周年の松本清張「砂の器」が古びない理由 (1/2) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)週刊朝日2020年5月29日号
松本清張『砂の器』の新聞連載が始まり、今月で60周年になる。『点と線』などと並ぶ巨匠の代表作となり、原作映画も大ヒット。
日本人の心に残る傑作、その魅力を、政治学者原武史さんが分析した。松本清張の作品が古びないのは、そこで扱われているテーマが今日でも何らかの形で引き継がれている場合が多いからだ。『砂の器』でいえばハンセン病患者に対する差別や偏見がそれに当たるだろう。
現在、新型コロナウイルスが猛威を振るっている。感染が広がったクルーズ船の乗客は、たとえ陰性と診断されても下船後に冷ややかな視線を浴びせられた。陽性と診断されれば「感染者」のレッテルをはられ、院内感染が発生した病院は風評被害にさらされている。
かつて国立ハンセン病療養所を全国各地につくり、患者を徹底的に隔離し管理することで、患者に対する差別や偏見を国家自身が助長した時代があった。『砂の器』は、ハンセン病患者を父とする本浦秀夫が、自らの経歴を消すために戸籍を改竄して和賀英良となり、社会的名声を得るものの、その経歴が知られる恐怖から元巡査を殺してしまう悲劇を描いた推理小説である。
清張はこの小説を通して、特効薬が開発された戦後もなお、ハンセン病患者に対する差別や偏見がいかに根強かったかを、静かに訴えかけている。確かに今日では政府も隔離政策の間違いを認めているものの、新型コロナのような未知のウイルスの感染が拡大すれば、それを忌避しようとする社会的な感情もまた再生産される。だからこそ『砂の器』は、いま読んでも生々しいのだ。
やまぬ感染者への中傷、松本清張「砂の器」が問う人の闇 [新型コロナウイルス]:朝日新聞デジタル2020.6.2
かつて日本では90年近くもの間、ハンセン病患者への隔離政策が行われた。治療法が確立し、差別的な法が廃止された後も、人々の中にすり込まれた忌避感は残り、患者や家族の苦しみは続いた。今、コロナ禍のニッポンでも感染者や医療従事者らへの中傷が問題になっている。人はなぜ他者を差別し、排除しようとしてしまうのか。そんな問いを突きつける一冊がある。
終戦を境に、日本は社会制度のみならず、人々の価値観が大きく変わった。だが戦後も変わらず、続いたものがある。松本清張の小説『砂の器』(1961年刊行)は、戦前から続く差別という闇を浮かび上がらせた。
物語では、身元不明の他殺体が発見される。捜査は難航したが、ある人物にたどり着く。著名な若手作曲家、和賀英良(わが・えいりょう)。彼には秘密があった。父親がハンセン病だったのだ。和賀は戸籍を捏造し、療養所に隔離された父親と縁を切り、別人として生きていた。ある日、過去を知る恩人の突然の訪問を受ける。和賀は秘密の暴露を恐れ、恩人を殺す。
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朝日記事は完全にネタばらしになっていますが、まあ、「謎解きメインの話」ではないですしね。
*1:こういう「集団生活それ自体を共産主義扱いしてるのか?」「ボーイスカウト、ガールスカウトも共産主義なのか?(つうか、『ソ連版のボーイ&ガールスカウト=ピオニール』でしょうが)」と聞きたくなる高世の物言いもどうかと思いますけどね。
*2:なお、一般的には遺伝要素を必要以上に強調することは「差別」と評価されるかと思います。
*3:どう見てもあの作品においては、『ハンセン病差別』が主人公(犯人)の人格形成に悪影響を与えています。
*5:予防拘禁によって事実上有期懲役が「無期刑化」していた。予防拘禁については例えば予防拘禁 - Wikipedia、予防拘禁とは - コトバンク、赤旗治安維持法とはどんな法律だったか?(2002年2月13日記事)、なんだっけ/治安維持法って何?(2017年2月27日記事)参照
*7:ただしその場合、さすがに日本や米国などでは「改善の余地のない悪人=大量殺人犯人(例:京都アニメ放火殺人事件の犯人)」であって「民族の敵(ナチス)」「革命の敵・劉少奇(文革)」とかそう言う無茶苦茶ではないですが。