「護憲・軍縮・共生」と関係ない記事を「常連筆者だから」で掲載するリベラル21に呆れる

リベラル21 赤土に苦しむ大坂なおみ、サーヴが弱い錦織(テニス)*1(盛田常夫)
リベラル21 僕らは理科が好きだった(阿部治平)
 「土日は肩が凝らない話題を」と言い出して拉致と何一つ関係ない「荒木の鉄道趣味話」をする荒木和博並みの無茶苦茶さかと思います。
 盛田の記事はタイトルだけで「護憲・軍縮・共生」関係ない「テニス記事」と分かりますが、阿部の記事も

リベラル21 僕らは理科が好きだった(阿部治平)
 この2、3年のうちにかなりの友人知人を失った。あるものは死に、あるものはぼけた。もうそういう年齢なのだ。いちばん衝撃的だったのは(ボーガス注:今も敬愛する)中学の恩師・木船清先生の死だった。奥様から訃報を知らされた時、(ボーガス注:1939年生まれの私もいつ死んでもおかしくなく、恩師の木船先生も年齢的には死去して当然なのだが)私は全身の力が抜けた。
 木船先生は数学と理科の先生だった。
 先生の神髄は理科の実験にあった。65年有余経ってもはっきり覚えているのは、カエルの解剖である。
 先生は顕微鏡で花粉や土壌を見せた。
 先生は校長にも指導主事にもならなかった。「あんなものになったら、雑用に追われて生徒の相手をする時間が無くなる」といった。退職後は「町の公民館の留守番をしている。おれ、いつも公民館で昼寝をしているから遊びに来いよ」とのことだった。今思えば遊びに行くべきだった。
 すぐれた教師とはどのような教師か、と考えるとき、私はいつでも木船先生を思い出す。意識せぬ間に、ものごとに向かう姿勢を教えられていた。先生のおかげで、私たちはみんな理科が好きだった。

ということで『恩師への感謝の言葉』が語られてるだけです。
 「語るな」とは勿論いわない。しかしこんなことが「護憲・軍縮・共生」と何の関係があるのか(呆)。
 木船氏は『平和活動家』でも何でもない。
 「そんなことは個人ブログに書け」と言う話です。
 「お前らリベラル21は本気で護憲とか考えてるのか?」「読者層や執筆者層を拡大しようという考えは無いのか?」という酷さです。何せリベラル21の執筆者層は「阿部や盛田などほぼ固定化していつも新味がない」上に、その『固定化した執筆者層』は老人揃い(阿部が1939年生まれ、盛田が1947年生まれ)。あげく、今回のように「護憲・軍縮・共生」と関係ない記事を平気で掲載ですから「アホか」つう話です。
 サイトの目的と関係ない記事を平気で書く阿部や盛田もアホなら「こんな文はあなたの個人ブログに掲載して下さい。このサイトの目的は護憲・軍縮・共生です。関係ない記事を持ってこないで下さい」と突き返さないリベラル21も呆れたアホです。

*1:赤土とはいわゆるクレーコートのことで、『クレーコートの全仏』『ローン(天然芝)コートの全英(ウィンブルドン)』では大阪は苦戦しているそうですが、一方でハードコートの全米、全豪では優勝経験があります。なお、盛田は日本選手(錦織含む)の弱点として「大坂以外はフィジカル(体力)が弱い」点を上げ、パワープレー化する現代テニスでは「スピードと威力のあるサーブやレシーブ」を「長時間続けられる体力」が必要で「そうした体力の問題を技術力で補おうとするのは無理」だが、その点で問題がある(つまり日本人選手は体力不足で試合終盤にサーブやレシーブの力が落ち、そこを外国人選手に突かれて負ける、外国人選手もそれが分かってるので、技術差があまり無い外国人選手の場合には、その外国人選手が体力差を考えて長期戦に持ち込んで勝とうとするし、実際にそれで勝てる)としています。