岡田幹治の「コロナワクチンの危険性」論

リベラル21 新型コロナのワクチン、私は「絶対に打たない!」これだけの理由(その2)(岡田幹治)
 「コロナはただの風邪」論を未だに放言する岡田幹治とリベラル21に呆れる(パート2) - bogus-simotukareのブログで批判したリベラル21 自粛要請を拒否して外出しよう、大型連休を楽しもうの続編です。今回は前回の「コロナは風邪」論ほど酷くはないかと思います。
 なぜなら岡田とは違い「トータルでは副反応の危険性よりも、接種による重篤化防止のメリットの方が大きい」とは評価されるものの、「副反応の危険性自体」は接種推奨派とてある程度は認めるからです(今回もファイザー、モデルナワクチンは国の接種対象ですが、血栓助長の報告が多数あり、海外でも必ずしも接種されてないアストラゼネカはそこから外れました)。まだ「コロナにもワクチンにも分からないことが多く」、ワクチン接種後の死亡も「ワクチンと関係があるとは言えないが無いとも言えない」様な状況でしょう。
 「コロナは風邪」は論外にしても、接種を進めるためにも、こうした「副反応への不安」には、国、自治体、医師会など関係者もきちんと対応していく必要があるでしょう。そうでなければ、特に「岡田のような高齢者」が「不安からの接種控え」ということにもなりかねません。
 まあ、とはいえ、現状は「希望しても接種が難しい」惨状ですが。
 なお、「コロナワクチン懐疑派」岡田の文で大いに共感する部分があってそれは岡田が

◆なぜ、コロナワクチン接種後の死亡者について実名報道しないで匿名報道なのか。国が怖いのか。犯罪事件の容疑者や被害者については平気で実名報道してるでは無いか(俺の要約)

と言う部分ですね。俺個人は死亡者について実名報道する必要は「必ずしもない」と思いますが「犯罪事件の容疑者や被害者について実名報道してるときは、『実名は大事だ』とマスコミはいうが、コロナワクチン接種後の死亡者は実名はどうでも良いのか!。理屈になってない!」という岡田の指摘自体は全くその通りだと思います。
 つまりは「犯罪事件の容疑者や被害者について実名で報じる意味」など「多くの場合」存在しないと俺は思っています。特に、浅野健一『犯罪報道の犯罪』(講談社文庫)が指摘する問題「逮捕、起訴時では推定無罪(実際、無罪判決が出ることもある)」を考えれば、少なくとも逮捕、起訴時点で実名報道するのはやめるべきでしょう。
 まあ、阿部恭子『息子が人を殺しました:加害者家族の真実』(2017年、幻冬舎新書)、『家族という呪い:加害者と暮らし続けるということ』(2019年、幻冬舎新書)、『加害者家族を支援する:支援の網の目からこぼれる人々』(2020年、岩波ブックレット)などが指摘する『加害者家族への嫌がらせ』を考えれば真犯人でも実名報道して良いかは、俺は疑問に思いますが。